課せられた運命 | 姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断、改名を行っている岡田健慈の日々のひとり言を書いていきます




姓名判断は、画数をみて、陰陽配列、などをみて鑑定しますが、

わたくしは、それだけで判断はしません、

画数だけでは、如何しても表面的な、判断はわかりますが、

奥に潜んだ何故に、怪我、その人に課せられた運命などが

自然にみえてくるので、姓名判断は、その人をみるほんの入り口に

しぎません。

例えば、親の歩んだ道を、子も歩む事が多々有ります、

姓名判断をしていて、本当にこの事実に出くわし、

占いと云う行為の限界なのかと、戸惑う程ですが、

何故こんな酷い名前を偶然に付けたにしては、出来過ぎでは

ないのかと思われる程、悪い道を歩む様に出来ている名前としか

考えられない名前などを目のあたりにしています。

因果か運命か、不思議に思う事が殆どです。

見えない因果から来ているのは明白と思われるのです。


単なる占い姓名判断と思うでしょうが、奥底に秘められた

個個の課せられた課題、それを運命と云うのしょうが、

それを踏まえた上での、改名でなければ、

本人の苦しみは楽になる筈は無いと思い日々努力しています。

例えば、怪我が多い家系に生まれたとします、

手の怪我、足の怪我、など部位により、これでもかと教えている

同じ部分を、不自由にしたり、痛い思いにさせ、教えている

のはなにかとかが、解ることにより、

よい人生を歩むことが出来る事が本当の占いではなのか

と思い日々努力しています。

ですから、画数がどうのこうのと云うのは、入り口のところに

たどり着いたまでの処では、と常日頃思っています。