寝言 | 姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断、改名を行っている岡田健慈の日々のひとり言を書いていきます




今は丁度春彼岸です、

春分と秋分は、太陽が真東から昇り真西に沈む

この時期を太古の昔から神聖な日と大切にされてきました、


昔の日本は太陽信仰で、縄文時代のストンサークルから

戦前まで大切にされていた、太陽が良く見える峠などの場所に

日待塔などが残されていますがこれもみな太陽信仰の名残です

これを利用したのが仏教ですがあたかもお彼岸行事が仏教の

始まりであるかの様な昨今ですが間違いです。


その魂の話になりますが、

寝言についてのひとりごとです。


寝言は一般的に夢を見ているレム睡眠の際に発せられると考えられています

当人が見ていた夢の内容に影響される傾向が強い為にわけのわからない

言葉を発する場合が多い、

夢を見ている際に無意識に体が動く反射運動の一種と仮定されています、

当人に明確な意識が無いため、その内容はとりとめが無く、

時に珍妙な発言が聞かれることも多いと断定されていますが、


私は、自分が目撃したり体験したり経験から、少しこの考え方とは

少し違います。

前にもお話しましたが、夢は、大切な肉体と霊が起きている時は、

ガッチリ繋がっているのですが、

寝ることにより、肉体と霊が離れるのではないかと思うのです。


暫く前に書いたと思いますが、

夏のお盆の時に、事故死した霊が庭の池の中から

湧き出きて、暫く池の水の上で佇んでいたが

網戸を抜けて、お盆中で多人数で寝ていた処に

私の枕の上向いの人に吸い寄せられる様に

来て佇んだとき、スヤスヤと寝息だけだった人

が、急に訳のわからない言葉を発して、


あたかも、会話している様な発し方でした、

佇んだとたん、久し振りに逢う時の様な

声をあげ、泣声がまじり、泣声がおさまると

ポツリ ポツリとしゃべっている様な声が続き

暫くその様な状態が数10分とたって、

また泣声に変わったら、


佇んでいた霊がスート滑るように少しずつ

ゆっくり外に向かっていき、

気づいたら元の寝息になっていたのです、

霊は、池の上に暫く佇んで此方を見て

いたが、少しずつ池の中に沈んでいき

とうとう、見えなくなった。

暫くすると、虫の声などが聞こえ

不思議なことに、池の金魚の為に水の巡回する

水音が聞こえてきたのを覚えています。

寝言を言った方は、霊の妹様です。


忘れていたことだったのですが、最近全く

同じ体験をして、この事を思い出し矢張り寝言と云うのは

種類は、いろいろあるでしょうが

亡くなった方との会話をすることも有るのだと思います、

泣声で始まり、何を言っているのか意味不明ですが

大体何を言っているのか、想像出来るものです、

昔から、寝言を言っている人を起こしてはいけない

とか、寝言を言っている方と話してはいけないと

言われています、けして邪魔をしてはいけません。


うなされて、辛そうな場合を除いて決して起こしてはなりません。


寝言を言った本人に聞いても、

言った当人は全く覚えていないのが霊との会話の共通することです。