オリンピック | 姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断、改名を行っている岡田健慈の日々のひとり言を書いていきます


姓名判断師 岡田健慈のひとりごと



2020年オリンピック、パラリンピックが東京で行われる


事になりました。このニュースを聞いて、


中学一年生の年に東京オリンピックの事を思います、


川口市に住んでいましたので、大会で使われる聖火台を、


川口の鋳物工場で作ると云うことの話題が近所中の評判でした、


学校帰りに、自衛隊機が白い煙を出しながら、五輪のマークを


大空に書く練習を何時もしているのを見たものです、


初めの内は上手くかけないで、失敗の連続で、


毎日毎日数分の練習だけでしたが、よくも練習するものだと、


思ったものです。


開会式前日は、大雨でこれでは、大会は順延するだろうと誰しもが


思ったものです。


処が、開会式当日の朝起きて外へ出てみると、雲一つない快晴だったのです。


開会式は休日になり、テレビに釘付けで、人道りも無く皆息をのんで


テレビ観戦です。


一番期待したのは自衛隊機の五輪をかく事です


、ジェット機が何時も練習の時は


家の極近くで練習していたのですが、イザ大会の時は


少し都心よりの処で五色の煙を出して大成功して感動したのを


覚えています。


学校にオリンピック見学の券が割り当てで、見られるのを


楽しみにしていたのですが、自分達は、大宮公園で


チェコスロバキア対韓国のサッカー観戦でした。


その当時はサッカーは、ルールもよくわからず、人気もないので


ガッカリでした、バスで大宮公園のサッカー場に付いて


いざ観戦しましたが、中々点数も入らず面白くないので


公園内をフラフラ散歩する仲間が殆どで、


観戦しているのは、真面目な生徒と先生だけで


ガラガラのベンチは、尻に敷いた新聞紙が風に舞って


いる状態でした、


唯 覚えているのは、韓国の選手とチェコの選手の取っ組み合い


の時だけは、ヤッテルそ—と誰か知らせを聞いた時だけ


すっ飛んで観戦したものです、みんなもっとヤレもっとヤレ


と囃し立てた時だけ、声が枯れるほど声と出しましたが


審判が来て試合が始まると、また公園をフラフラ出かける


状態です。


人気の有る券は回ってこない、どこどこの学校は


モットつまらない試合の券だったとか噂が飛び交い


結局売れ残りの券を学生に配ったので、


皆生徒はカンカンに怒っていました。


どこの学校も同じだと、後で知らされたのです。


大会が終わった後にオリンピックの記録映画を


映画鑑賞会で見せられたのも覚えています、




あの時は自分達が見たのは誰もオリンピックの試合を


見たんだと、思いません、外人の取っ組み合いしか


覚えていません、当然何方が勝ったのかさえ今の年に


成っても、知りません。