三代前の祟り | 姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断、改名を行っている岡田健慈の日々のひとり言を書いていきます


岡田健慈のひとりごと


生命判断に、耳を傾けるようになったのは、


前回でおはなししたように、事故後です。


書道の稽古中とか、後に私のその日の事情などお構いなしに、


先生は、生命判断講義が


始まってしまう、と言った事が、10年程続きました、


嫌でも覚えてしまいますよ、先生は、熊崎式の流れを汲んでいる事、


泊り込みで数ヶ月缶詰状態で


講義を受け、その当時数十万円の講義代を払った事とう、何時も聞かされていました。


今教えているのは、その時の、大切な秘儀など、


その当時日本占い協会とか、正式な名前など忘れましたが、全国で100人選ばれ先生も


入っていた。若い時ですから、本当かよと、ペテン師の集まりみたいな事あるんだなぁと


思っていました。


先生は、東京の大塚に住んでいて、よく遊びにいきました、結構良い屋敷で、


昔の文人墨客が、住むのに相応しい家でした。


丁度、春彼岸の頃、上野の展示会を見学後に、予定なしで、不意に遊びに行ったのですが、


一生を左右する人に出会ったのは、この時です、


家に着いて、お客様が、来ているんだなと玄関で、思ったので、出直そうかなと。


思案していると、良い所へ来たなと言いながら


先生がわざわざ玄関まで迎えに来て頂恐縮しながら部屋に行くと


お客さまの方が、(和服を着た40歳ぐらいの女性)体が痛くなるので部屋に入るなと


苦痛の顔で叫ぶので、驚きながら、佇んでいたら、何かブツブツ唱えて、ミルミルうちに、


普通の顔に戻ってきて、言うには、貴方は相当強い因果を背負っていること。


三代前のご先祖の時に、花嫁に決まっていたのに、生まれが卑しいからと云う理由で、


断り、その事が悲しくて井戸に飛び込んで死んだ、女性がいると突然云われて、


何がなんだか分からないうちに、次から次に聞いた事も無い事を言うのです。


貴方の守護霊は、古い平安時代の人だと云う事、恨んで死んだ人に見込まれている


事、兄弟親の、怪我、病気等、次々と、言い当てていくので、夢を見ているような話を


聞いているうちに、事情が分かってきました、


生命判断の先生が、私の家族を鑑定して、何か怪我病気が多く、何か因果が有るのでは


と云うので、占い協会の集会で、四国の霊感者と、友達になり、今日私の話をしていたら


その内に来るよと、霊監師の人が云っている内に私が遊びに来て、先生が驚いて玄関


まで、迎えに来た事など・・・・・


恨みは、直属の血が濃い方の順に祟る。


私の父は、次男なのに、何故祟るのか、父の兄(長男)は、早くに40才代で、早死にしているので


次男である父の詰り私の家に祟りが来たと云うのです。


次の日に、お彼岸で田舎に帰り、父も半信半疑で、そんな事聞いたことがないと、余り私が


強く言うので仕方なしに、調べてみる事にしたのです。


その結果、中々見つからず、諦めかけて居る所に、近所のお爺さんが、そんな様な事


を聞いたことが有ると、云って何時も影膳をあげていたと云う所に案内して頂いた場所


に、竹薮の中に竹に下から突き上げ倒されている、墓を見つけました。


代々女から女に口伝えで、影膳据え膳を伝えていたのですが、先代のお祖母さんが、嫁に


伝える事なく、亡くなってしまい、荒れ放題になってしまった事など事情がわかってきました。


その時から、祟りが、始まったのです。


早速、お墓を整美し、供養祭をおこないました。


驚いた事に、母が、足が悪くなって歩けなかったのに供養を行なってすぐに


歩けるようになり、皆驚きました。


子供の頃溺れた後、枕元に現れた、祖父と知らない女の人はこの墓の人


に間違いないと思います。