今日は、バングラデシュの話を少ししたいと思います。連休(3日~6日)を利用して、バングラデシュ、スリランカに行ってきました。

バングラデシュは、今年で国交を結んで40年という1つの区切りの年になります。

バングラデシュがパキスタンから独立した直後、日本はいち早くバングラデシュを国家として承認しました。以来、いろいろな経済的な支援も行って、バングラデシュとの友好関係を作ってきました。バングラデシュ側も、友好国として、日本に対してよい国民感情を持っているという関係にあります。

しばらく閣僚や総理は(バングラデシュに)行っていませんでした。(最後に行ったのは)閣僚で言うと麻生外務大臣の時代、総理で言うと森総理の時代ということになりますので、かなり前になります。

記念すべき年でもあり、そしてモニ外務大臣からは、私が外務大臣の時からも、「一度来てもらいたい」と言われておりましたので、今回訪問しました。大変な歓迎を受けて、行って本当に良かったと思います。

バングラデシュは、インドとASEAN(東南アジア諸国連合)の間にあって、その意味では注目度は低いかもしれませんが、人口が1億5000万人、そして、ようやく経済が進捗しつつあるという段階で、日本の企業で言うとNTTドコモやユニクロの関係の工場などが進出して、最近注目を浴び始めているところです。

人口の多さや勤勉な国民性、そして政治的にも民主主義が機能していますので、インドネシアやインドなどと並んで「チャイナ・プラスワン」や、あるいはそれ以上の有力な国ではないかと思っています。

モニ外相、ハシナ首相とも非常に有益な意見交換ができましたが、行ったということだけでも大変な評価をしていただいたと思っています。

会談の合間をぬって、ボンゴボンドゥという、「バングラデシュの友」という意味だそうですが、博物館に行ってきました。

この博物館は、初代大統領であるムジブル・ラーマン氏が使っていた家です。実はハシナ首相は、ラーマン初代大統領のお嬢さんということになります。

残念なことに、ラーマン初代大統領一家は、この家の中で襲われて、ラーマン夫妻、長男、次男、まだ10歳だった三男、長男・次男の奥さんはじめ、全員が殺されたという歴史があります。

ハシナさんは、当時はまだ20代だったわけですが、たまたま海外にいて無事だったということです。父親が殺された後、国に戻って「アワミ連盟」という政党を作って、今は首相をやっておられるということです。

まだ血の跡が残るような暗殺の現場もあり、大変大きな不幸があったのだということを、強く感じました。

もう1つは、その翌日(4日)、日本企業の縫製工場を視察に行きました。

非常にたくさんの人が働いている縫製工場でしたが、欧米系も含めて、ZARAやアメリカのスーパーなどの縫製をやっておられる工場で、日本のメーカーです。

若い人たちが一生懸命に働いている様子は非常に印象深かったわけですが、我々が普段着ているものが、こういったところで、多くの人々の努力によって作られているのだなということを、改めて感じました。

いずれにしても、最初に申し上げたように、バングラデシュは人口も多く、勤勉で、そして政治的にも一定の安定性がありますから、将来、日本にとっても非常に重要な国になるのではないかと。今でももちろん重要ですが、更に重要性が増すのではないかと、改めて感じたところです。