大阪経済大学はこのほど、2018年度第2回の「北浜・実践経営塾」を開催しました。ゲスト講師はタカラベルモント代表取締役会長兼社長の吉川秀隆氏、テーマは「世界の『美と健康』に関わる文化を変える~夢を語ろう。共に実現しよう。~」でした。



タカラベルモントは美容院や理容室の椅子やシャンプー台などの理美容機器をはじめ、エステ、ネイル、歯科医院向けの設備や化粧品、サービスなどを幅広く手がけています。一般消費者向けには直接販売していませんが、「美容院や理容室でタラカの椅子に座ったことのない人はおそらくいないだろう」(吉川会長)というほど、理美容業界で圧倒的なシェアを誇っています。
同社は、吉川会長の祖父、秀信氏が1921(大正10)年に大阪で創業した会社で、今年で創業97年です。当初は鋳物工場としてスタートしましたが、1931(昭和6)年に理容・美容用の椅子の製造販売に進出しました。当時、日本一の理容室と言われていた帝国ホテルの理容室で使われていた椅子を調達して徹底的に研究し、それをもとに①コストダウンして低価格②使いやすくて丈夫③美しく革新的なデザイン――という椅子を開発しました。この3つの要素はその後、今日に至るまで同社製品のモットーとなっており、それが同社の発展をけん引することになります。
しかし創業当時は競合メーカーが大阪だけで17社もあり、同社の椅子はなかなか売れませんでしたが、秀信氏は各地で活発化していた理容組合結成の動きを支援し、それを通じて販売を広げていったそうです。
戦後になると、世界初の全電動椅子を開発しました(1966年)。この椅子は10年間の使用を想定していましたが、実際の使用年数は平均で25年となっています。中には45年間にわたって使用され、しかも1度も故障していない実例があるということです。
1970(昭和45)年に開かれた大阪万博には、中小企業としては唯一パビリオンに出展、注目を集めました。当時の年商60億円でしたが、パビリオン建設費だけで3億円かかり「無謀」と批判されたそうですが、これをきっかけに全国的に知名度が上がり飛躍を遂げることができたといいます。
当時の社長は祖父の秀信氏。吉川会長は当時はまだ21歳で学生でしたが、「祖父の未来志向の決断は印象に深く残っている。今もその精神を受け継いでいる」と語っていました。
吉川会長はその後、1974年にタカラベルモントに入社し、父・秀一氏の急逝を受けて1989年に40歳の若さで社長に就任、以後、同社の事業拡大を進めてきました。現在では理美容機器だけでなく、歯科など医療機器、化粧品、さらには理美容院や歯科医院の店舗設計・施工、ネイリストやエステティシャンの養成などを手がけ、売上高は671億円(2018年3月期連結)に達しています。
同社のもう一つの特徴は、早くからグローバル展開を進めてきたことです。1956(昭和31)年にいち早く米国に現地法人を設立したのを皮切りに、欧米、アジア各国に進出し、現在では理美容椅子では世界でトップ・シェアの地位を確立しています。今後も海外市場の伸びは期待できるとしています。
こうして事業の多角化を進めている同社ですが、そこには一貫した理念があります。それは「美と健康はつながっている」ということです。吉川会長は「人生100年時代を迎えて、その理念はますます重要になっている。それに対応して、従来以上に付加価値の高い事業に変えていく」と強調されていました。