大阪経済大学はこのほど、2018年最初の「北浜・実践経営塾」を開催しました。今回のゲスト講師は、阪急阪神ホテルズ顧問・阪神高速道路会社顧問の山澤俱和氏で、「3つのサービス事業から学んだこと~徹底したお客様目線とは~」とのテーマで講演していただきました。





山澤氏は1971年に大学を卒業して阪急電鉄に入社し、同社の取締役を務めた後、第一阪急ホテルズの社長に就任、阪急と阪神の経営統合などを経て、阪急阪神ホテルズ社長と会長を務められました。2012年には、それまでのサービス産業での経験を買われて阪神高速道路の社長に就任し、鉄道、ホテル、道路という「3つのサービス事業」の経営に携わってきた人です。
山澤氏が阪神高速会社の社長に就任したとき、同社は民営化されて10年近くが経っていました。公団時代は道路を利用する人のことを「利用者」と呼んでいたのを改め「お客様」と呼ぶようになっていたそうで、言葉遣いや接遇などもすでに改善していたと言います。
しかし山澤氏によれば、それはあくまでも表面のこと。本当にお客様を大事にするとはどういうことか、ということを議論するよう促したそうです。それは、お客様が道路会社に何を求めているのか、そのようなサービスを求めているのか、ニーズをつかむということです。
例えば、ETCはドライバーがスムーズに動作できるようになっておらず、山澤氏が言うには「作る側の都合に合った機械になっていた」そうです。こうしたことを改善してこそ、「お客様目線のサービス」というわけです。
山澤氏は「今後はAIによる自動運転が普及する時代を迎える。その時にどのような道路や設備が必要かを考えていく必要がある」と指摘していました。
このような山澤氏のサービスに対する考え方は、阪急時代の経験が生きているようです。
阪急電鉄は日本で初めて自動改札機を大量に導入した鉄道会社ですが、その開発では客の利便性を徹底して追求し、問題点を一つ一つつぶしていったという話を披露してくれました。切れた切符や折れた切符が改札機に入れられても大丈夫か、切符を入れる角度についても研究に研究を重ねたそうです。山澤氏は「どれだけの社員が開発に携わったことか」と振り返っていましたが、それはまさに徹底した「お客様目線」での開発だったと言えます。
 山澤氏によると、阪急がそうした精神を社内で培ってきた背景には、創業者の小林一三の考え方があります。小林一三が1910年(明治43年)に宝塚線・箕面線を開業したのが阪急電車の始まりですが、その際に沿線の池田や箕面に住宅地を開発し、その後の私鉄の沿線開発のモデルとなったものです。住宅の割賦販売を始めたのも小林一三でした。現在の住宅ローンのはしりです。
小林一三のビジネスモデルは、「お客様」に対し「新しいライフスタイル=身の丈に合った上昇志向=を提案する」というものでした。大阪市内の狭い借家から郊外の広い間取りの家に移り住むというのはその典型で、持ち家の創造が鉄道旅客の創造につながるわけです。
百貨店事業も同じです。従来の百貨店は上流階級の客が中心で、外商店員が車で送迎していましたが、ターミナルデパートで大衆客に便利な百貨店で高級品が変えるようにする、それによって新しい購買層を創造するというものでした。
小林一三といえば宝塚歌劇が有名ですが、これも従来の歌舞伎が庶民から遊離していたのに対し、多くの人が楽しめる娯楽を作り出したものです。
ビジネスホテルを始めたのも、小林一三です。それまでのホテルは一部上流階級や外国人のためのものでしたが、中堅サラリーマンが出張で使えるようなホテルを作り、しかも貧弱な安宿設備ではなく外観を立派にし日本で初めて冷房を導入しました。第一ホテルが起源で、その考え方は現在の阪急阪神グループのホテル事業に受け継がれています。
その一つが「レムホテル」です。快眠をもたらすオリジナルベッドを開発し、壁掛けの大型テレビ、レインシャワーなどを備えて、「東京のビジネスマンが泊まりたいホテルNo.1」になったそうです。
講演を聞いていて、「お客のニーズをつかむ」ということは、あらゆるサービス業、いやあらゆる産業分野で基本になるべきものだと、強く感じました。
次回の「北浜・実践経営塾」は2月21日(水)、ゲスト講師は伊藤園の取締役副会長・江島祥仁氏です。