年を越してしまいましたが、大阪経済大学は昨年12月、ダイビル代表取締役会長の
山本竹彦氏をゲスト講師に迎えて「「北浜・実践経営塾」を開催しました。



  ダイビルは大阪を中心にオフィスビルの建設と管理運営を行っている大手不動産会社です。同社は1923年(大正12年)に、大手船会社の大阪船舶(後の大阪商船三井船舶、現在の商船三井)が新社屋を建設するために設立した会社で、社名は「大阪ビルヂング」でした。
 この時に大阪・中之島に建設されたのが、ダイビル本館です。ダイビルの親会社にあたる大阪船舶は、あの五代友厚が発起人となって1884年(明治17年)に設立された会社で、もともとは大阪港に近い安治川河口近くにありましたが、手狭になったため本社を中之島に移すことになり、ダイビルの建設に至ったといういきさつでした。いわば、中之島の開発の先駆けです。
 ダイビルの建設はちょうど関東大震災の直後だったことから、急きょ耐火耐震構造の設計にしたそうです。当時としては画期的でしたが、そのおかげで1995年の阪神大震災にも耐え、2013年の新館建て替えまでの約90年間にわたって使われてきました。
 現在、中之島の堂島川沿いに新しいダイビル本館が建っています。ビル全体は22階建ての近代的高層ビルですが、低層部分には旧ダイビル本館の外装レンガを再利用してかつての外観を復元しています。山本会長によると、旧ビルの解体時に18万個あったレンガをすべて手作業で取り外し、そのうち15万個を新ビルに再利用したそうです。


 現在のダイビルは会社としては、大阪市内に10以上の大型ビルを建設・運営していますが、これまでのビル建設では日本初の屋上樹園、日本初の空中権設定などをしてきた実績を持っています。
 このように、同社は意外にも、と言っては失礼ですが、新しいことを手がけてきた歴史があります。山本会長は「ダイビルはビル建設と経営・賃貸管理という事業内容なので堅実な社風だが、同時に新しいことにも大胆に挑戦してきた」と話していました。
 2005年に完成した「秋葉原ダイビル」もその一つです。同ビルは、秋葉原をIT産業の新たな拠点とする」との再開発の中核施設として、JR秋葉原駅の北西側、青果市場の跡地の一角に建設したもので、現在に至る秋葉原の変貌の先駆けとなったビルです。
 その社名からは意外に思われるかもしれませんが、すでに秋葉原以前から東京でもビル事業を展開しています。会社設立から間もなくの1927年(昭和2年)にすでに東京に進出し、日比谷でビルを建設していました。以来、東京での実績を重ね、現在では都内に10以上のビルを持っています。
 講演の後半は「これからの大阪は面白い」というお話しでした。長らく「東京への一極集中、大阪の地盤沈下」ということが言われ、確かににその通りなのですが、山本会長によると「その中でも、大阪が元気になってきているデータが増えている」とのことです。
 例えば、旅行者の渡航先として東京が世界132都市のうち9位なのに対し、大阪は17位で東京より下位にとどまっています。しかし伸び率では2009~2016年で24%、2年連続でトップだそうです。また大阪市中心部の人口が7年間で4万人増加、商業地の地価が全国地点別上昇率で上位5位を独占、アジア人駐在員が住みやすい世界都市ランキングで大阪は5位で、日本の都市では最も高かった(東京は11位)――など、「なるほど」と思わせるものばかりでした。
 このあたりは、私も大阪にいつも通っていて感じているところです。訪日外国人の増加がひときわ目立ちますし、商店街などでも活気を感じます。大阪の街自体も少し変化を見せています。有名な道頓堀川はその両岸に遊歩道ができ、オープンカフェやテラス式の飲食店が並ぶなど、かつてのイメージを一新しており、意外に(と、これも失礼で恐縮ですが)おしゃれになっています。大阪は川が多く「水の都」と言われますが、「水辺は感性として落ち着く憩いの場所」(山本会長)になります。
 大阪がもっと元気になることは、東京一極集中という構造を是正することにつながります。規模は違いますが、地方が元気になるヒントにもなるでしょう。そのような好循環が生まれることに期待したいものです。
 「北浜・実践経営塾」の次回は1月17日(水)で、ゲスト講師は阪急阪神ホテルズ顧問の山澤倶和氏(元同社社長・会長)です。ふるってご参加ください!