宮崎正弘の国際ニュース・早読み <<昨秋以来、習近平から笑顔が消えた (2019年09月14日発 | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。

    僕の浅い知識では無駄な元説にしかなりそうもないのでコメント無しです。余りにも流れが早すぎ、考えることが多過ぎです。


宮崎正弘メルマ
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
令和元年(2019)9月14日(土曜日)
         通算第6194号  
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 昨秋以来、習近平から笑顔が消えた
  追い込まれ、つるし上げられ、孤独のなか、香港問題で戦術的後退
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 最初のスローガンは「反送中」だった。たとえ容疑者と言えども、ちゃんとした裁判が行われず、法治がない中国へ送還してはいけないという要求だった。
 97年の約束事は「一国両制度」。香港人にとっては「港人治港」(香港人が香港を治める)と錯覚したが、選挙は擬制の民主政治だった。

 民主化要求のデモ隊は「逃亡犯条例」の撤回を勝ち取ったが、これからの裁判を前にして、「独立した第三者による調査委員会の設置」から、収監中の活動家の全員釈放、そして「普通選挙」を呼びかける五つの要求をならべ、「五大訴求、欠一不可」(五大要求のうち一つでも欠けたら駄目)となって恒久的闘争を宣言している。
 
 この標語は駅の外壁から街のビル壁など、いたる所で大書されている。
 香港での異変、騒擾。乱闘、狼藉。しかし暴動につきものの商店襲撃、略奪は発生しておらず、治安は保たれている。
武装集団にも一定の掟のような秩序が存在しているようだ。彼らはヘルメットにマスク。お互いに誰が誰かを知らない。指導者がいないという点でも、フランスで昨秋来つづく黄色のベストによる抗議行動と似ている。

民主派からみれば香港政庁は名ばかりの旧態依然の体制でしかなく、国民が全体主義の支配者によって監視され、冷酷に静かに支配される現状を突破するたたかいであり、体制翼賛会的な中国同調派や親中派から観れば、警官隊に火炎瓶を投げ、鉄パイプや長い棒で戦う武装集団は「暴徒」と総括される(火炎瓶を投げている過激派は、デモ隊に混入した中国の工作員という説が有力)。

 香港メディアの論調は鮮明に別れ、中国よりの「文わい報」は「暴徒害港」と書いたが、自由民主擁護の「リンゴ日報」は、「怒火闘争」と書いて、火焔瓶も放火も、怒りの結集と比喩し、デモ隊の要求は「港人求美懲中共」(香港市民は米国に対して、中国共産党を懲罰するように求めている)とした。
 
 香港空港には数千、数万の香港市民が座り込み、国際線の欠航便が相次いだため、国際的関心事となった。世界から現在、およそ七百人前後のジャーナリストが押し寄せ、地元のメディアとテレビを併せると千数百の報道陣が蝟集している。
 ところが、警官隊がPRESSにも暴力行為をふるったため、香港警察はジャーナリストの大半を敵に廻してしまった。

外国メディアで香港政庁の遣り方を支持する論調を見つけるのは至難の業である。ところが、大陸のメディアは香港の民衆が「反米デモ」をしていると報じている。
 取り締まりに当たった香港警察の発表(9月10日)によれば、負傷した警官は238名に及び、また使用した「武器」は、催涙弾が2382発、ゴム弾が492発、スポンジ手榴弾が225発、ビーチバックが59個。そして実弾は3発だったという。


 ▲共産党にとって、中国王朝にとって妥協は「犯罪」である

 香港へ年間三千万人とも言われた観光客の足は遠のき(もっとも二千万近くは中国大陸からの買い物客)、土産屋、デューティ・フリーの売り上げは激減。ブランドの旗艦店、たとえばブラドなどは店じまいの態勢にはいった。

空港へいたる電車の駅でも座り込み、ハイウェイにはバリケード。このため渋滞が起こり、空港は閉鎖寸前。旅客はそれでも辛抱強く再開を待ち、抗議行動への批判はなかった。

金鐘駅から湾仔、中環という香港の心臓部には政府庁舎、官庁街、巨大商社の高層ビルが林立し、五つ星ホテルが豪奢を競っている。ビルとビルとは回廊が結び、ビルの谷間には緑オアシスのような公園が点在している。これらの地下鉄駅は、券売機も改札も、案内板も、そして防犯カメラも破壊され、出入り口は閉鎖された。

 中国共産党は、「弾圧か、妥協か」の二者択一を迫られ、まずは十月一日の建軍パレード前に事態を収めようと、突如、林鄭月峨行政長官に命じて、「逃亡犯条例」を撤回させた。
 直前に国務院の香港マカオ弁事処主任と香港政庁との打ち合わせでは埒があかず、常務委員会は担当だった韓正を担当から外し、王岐山が香港との国境に派遣された。

 しかし中国皇帝のメンタリティから言えば、妥協とは犯罪である。妥協とは見せず、戦略的後退を図ったが、それがたとえ戦術であるにせよ、中国が帝国主義的覇権を求めるという究極の戦略は微動だにしていない。

 それゆえ逃亡犯条例撤廃など、目先の誤魔化しと見抜いた民主派は一斉に「五つの要求のうち、ひとつでも欠けては行けない。最後まで逃走を続ける」と宣言し、警官隊の凶暴性を帯びた弾圧に怯まず、集会、デモ、授業ボイコット、人間の鎖、国際社会へ訴え続ける。

 そこで「親中派」や中国共産党の「第五列」は戦術を変更した。
歌声広場の演出というソフト路線である。香港の随所にある巨大ショッピンモールの吹き抜けロビィに大きな五星紅旗を掲げ、愛国的な革命歌の合掌を始めた。
一方、民主派は同じショッピングモールに集会場所を変えて、賛美歌や広東ポップなど。呉越同舟という奇妙な空間が生まれだした。サッカー予選で、スタジアムを埋めた数万の民衆は、突如鳴り響いた中国国歌に激しいブーイングを繰り出し、「われわれは香港人」「中国ではない。中国の国家を演奏するな」と叫んだ。


 ▲「香港市民」の政治観、国家観、歴史観、人生観の大変化

 筆者が不思議と思ったことは幾つかあるが、最大の関心事は香港の新しい世代が物怖じしないという人生観、その世界観の異変(というよりグローバル化)、共産党の暴力を怖れずに、民主主義のために戦うとする姿勢を崩さないことである。
 拘束された若者らには裁判が待ち受け、法廷闘争が長引くだろうし、就職には不利になるだろう。それでも彼らが立ち上がったのだから、そこには或る決意があったことになる。

 半世紀前、筆者が最初に香港に足を踏み入れたとき、異臭がただよい、人々は半裸。うちわで涼み、汗の臭いが街に充満していた。
自転車が主流でタクシーはオースチンかベンツだった。アパートは貧弱で薄汚れ、エアコンを備えたビルは少なく、若い女性もサンダル、化粧もせず、粗末な衣服を身につけていた。
中国大陸から着の身着のままで逃げて来た世代である。香港財閥一位となった李嘉誠は広東省の北端、潮州から難民として香港へやってきた一人だった。かれは、今回の騒擾を「暴力はやめよう、お互いに冷静に」と新聞に意見広告を打った。

 1970年代に香港は落ち着きを取り戻し、経済活動に邁進し、儲かる話ならなんでものった。蓄財が一番、政治には無関心を装い。ともかく金を貯め、子供達をカナダや英国へ留学させ、いずれは香港から自由な国々に移住するというのが香港人の夢だった。
 全体主義に立ち向かうという迫力はなく、北京の遣り方には背を向けていた。
 当時、貿易会社を経営していた筆者は何十回となく香港へ通い、工業街のプレス音、金属加工の飛び散る火花、町中でも黒煙が上がり、輸出基地として華やかだった。まったく公害対策はなかった。いまは工業街跡地には高層マンションが建っている。自家用車もベンツが主流だったが、いまではトヨタ、BMWなどが疾駆している。

その時代に付き合っていた貿易相手の工場長や商社の人々は、カネをためるや、豪、カナだ、そして米国へ移住していった。あの時代の貿易関係の知己、知り合いは香港に誰もいない。まさに誰も香港からいなくなったのだ。
 「全体主義の恐怖」を知っていたからこそ、かれらは自由に最大の価値を見出し、香港の将来に早々と見切りをつけていた。「ここは永住する場所ではない」と。

 1980年代、うってかわって中国が「改革開放」を本格化させるや、まっさきに大陸に工場を造り、賃金の安さと土地の減免税特典に惹かれ、香港華僑の多くが投資先を移しはじめた。
それでも1989年の天安門事件を目撃して衝撃を受けた世代は、97年返還後の中国人民解放軍の進駐を懼れ、海外へ海外へと移住先を選定し、また英連邦諸国は香港からの移民には前向きだった。
 この時代に中国へ大規模な投資を敢行したのが李嘉誠だった。かれは王府井の入り口に高層ビルを建てた。香港は江沢民派の利権の巣窟に化けつつあった。


 ▲自由への意思

 天安門事件から三十年の歳月が流れ去ってまた世代が交替した。
 いまの高校生、大学生は感覚的にも教養的にも狭隘な中華思想などに拘泥せず、国際化され、高層ビルの近代都市となった香港を生まれたときから観てきたし、テレビは世界各国のニュースを流し、書店へ行けば習近平批判本がうずたかく積まれ、携帯電話で地球の裏側とも結ばれている。

 欧米の自由な制度に比べると規制が強く、息の詰まるような香港の政治制度の矛盾を掌握しており、広東語を喋ることは軽蔑され、北京語という広東人にとっては外国語が学校で強制されたことにも反感を強めてきた。

 若者の中には「香港独立」を言い出す勇敢なグループも出現し、香港独立党を旗揚げした。根拠は香港の知識人、徐承恩が書いた『香港――躁鬱な都市国家』で、香港の原住民とは、ポルトガル、英国と痛恨してきた百越の人々が構成し、『香港民族』と呼ぶべきだとする説である。

また中国大陸には結社の自由、信仰の自由、表現の自由がなく、そればかりか政党は共産党以外認められず、自由投票はなく、人間性が押しつぶされた体制のなか、庶民は全体主義支配に隷属していることを知っている。

人間本来の活動も、自由な言論も破壊されつくした状況を知っている。かれらの感性が共産主義を受け付けないのだ。
 あまつさえ香港社会の諸矛盾の筆頭は所得格差である。驚くべき数字だが、香港の『ジニ係数』たるや、0・539と、まるで中国なみである(中国は0・62)。
大学の門は狭く、受験競争は日本より激しく、たとえ一流企業に就職できても、これほどマンション価格が上昇すれば住宅取得も、そして結婚も難しくなる。人生に明るい展望が希薄となった。


 ▲特権階級のいいとこ取りを許せない

 ところが大陸からやってくる「太子党」のこどもたちは大学に裏口で入り、コネで企業にあっさりと就職し、カネにあかせて豪勢な生活を営んでいる。「特権階級のいいとこ取り」と映り、かれらは怨嗟の的となる。

 すなわち植民地の宗主国が英国から中国に変わっただけではないか。若者達の怒りは深く堆積していた。
 この点で旧世代の香港人の意識とは異なる。とくに1967年の香港暴動は反英国環状が爆発し、その背後で指令していたのは北京であり、周恩来が叛乱を支持していた。

 六月以来、香港での抗議集会やデモ、署名活動に参加している若い世代は、共産党の押しつけた歴史教育を否定した。
中国共産党が流すフェイクニュースをすぐに見破り、共産党製のプロパガンダはまったく受け付けなくなった。
アンチ共産主義の精神土壌が自然と築かれていた。

 中国が目論んだ香港市民の洗脳工作は、みごとに失敗したと言って良いだろう。
 だから「生きるか、死ぬか」と悲壮な決意を以て全体主義と戦うのである。欧米はそれを支援する。資金カンパ、応援部隊、プロパガンダのノウハウが学生らに供与され、自由世界の知識人は香港支援に立ち上がった。
沈黙しているのは日本のエセ知識人くらいだろう。

 また日本のメディアは中立が賢い行き方とでも思って、民主主義を守り共産主義支配と戦っている香港の若者を前面的に支援しないのだ。日本が西側の自由民主人権法治を価値観とする陣営にあるという自覚がないからであり、これが「中立幻想」に取り憑かれた現代日本人の知的劣化、あるいは一国平和主義というエゴイズムの露骨な態度表現である。

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 陳独秀と胡適は共産主義を「民主、近代技術」の理想社会とした
  中国共産党は、ふたりの大知識人の功績をきれいに消し去った

佐藤公彦『陳独秀 その思想と生涯 1879−1942』(集公舎)
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 「中国共産党の創設者」=陳独秀の存在はあまねく知られてはいない。陳独秀の伝記に関して言えば、横山宏章のものを読んだ記憶しかない。胡適は、台湾へ行けば選集も出ているが、日本では誰も相手にせず、研究者も少ない。
 つまりこの二人の大知識人は歴史に存在しなかったように忘れられた。革命後、毛沢東が党の歴史から、陳独秀の名前を削除したからだ。
本書の副題は「胡適序言・陳独秀遺著『陳独秀の最後の見解(論文と書信)』」となっているように序文を寄せているのが中国を代表した知識人の胡適である。
しかし戦後、彼らの名を知る人はよほどの中国通である。孫文は大いに知られるが誇大妄想的詐欺師という真姿はスルーされており、孫文の伝記は美化された肯定的な面にのみ収斂され、プラス方面に一方的に歪められ、なにか英傑のように日本では語られる。
革命の主役だった宋教仁(国民党の事実上の代表)も、黄興(辛亥革命の主役)も語られなくなった。つまり現代中国史は、毛沢東が主役、本当に革命をなした知識人や活動家は埋もれ木となって、歴史家いがい忘却の彼方へ散った。
 本書の肯綮は次の数十行が代弁している。
 「胡適は失望させられた人だった。陳独秀は挫折させられた人だった。かれらは『新しい文化と教育』の力によってあるいは『新しい階級』の力によって、旧い中国を『近代』的な社会・国家に生まれ変わらせようと奮闘した。しかし新しい文化と近代革命を通した中国の近代的な社会・国家への転型は結実しなかった。(その替わりに)王朝・帝国が再建された」
 しかも「この『共産党』王朝・『大中華』帝国は、内に『少数』諸民族を抑圧してその言語と文化を奪い、『人民の移動の自由』を農村戸籍制度で奪い、人民の『宗教・思想・言論・出版の自由、集会結社の自由』を奪い、IT・AI技術を駆使した『監視社会』を作り上げ、十四億人民への『個別人身支配』の完成を目指して邁進している(中略)。外では『一帯一路』と言って金銭力と軍事力で周辺域を威圧しつつある」
 要するに共産主義なるまやかしスローガンは歴代王朝のごとく帝国主義になるのである。
 本書は浩瀚、それでも中国研究者には必読の文献だろう。
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読者の声  どくしゃのこえ  READERS‘ OPINIONS 
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(読者の声1)御新刊の『地図にない国を行く』(海竜社)を、ようやく拝読しました。特派員さえ足を踏み入れていない世界の奥地、そこに俄然進出している中国企業の実態。現地の様子を活写されていて、感動を覚えました。
 パプアニューギニアで展開されている中国の戦略的進出ぶりに合点がいきます。英国は旧大英連邦の国々を大切に考えており、コモンウエルズとしての豪州、ニュージーランドの利害にも中国が影響を与えている現実を前に、英国海軍はいよいよ本格的に出て行かざるを得ない雰囲気があります。
 自由航行作戦に空母を派遣していますが、本格化はこれからでしょう。
    (NO生、千代田区)



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(読者の声2)貴誌の最近の訃音欄で、竹村健一氏、佐藤雅美氏、安部譲二氏への追悼がありましたが、やはり先生が親しかったと推測しているのですが長谷川慶太郎氏への訃音が載りませんね。
   (TK生、茨城)


(宮崎正弘のコメント)およそ無縁の方です。90年代初頭だったか、光文社カッパ・ブックスから二人の対談本の企画があり、「考えてみます」と返事を遅らせている裡に、先方もためらいがあったのか、立ち消えた企画でした。
志賀義雄の鞄持ちだった来歴からも真性の保守とは思えず、かと言って深い学究的理論を元に構築された学説でもなく、長谷川氏の経済予測は最初の「石油危機は突破できる」論いがい、ほとんどが外れでした。
とくにドルが新札を用意し、その配色も決まっているというすっぱ抜きの長谷川レポートが『週刊文春』を飾ったとき、当時編集長だった田中健五氏に電話をして、どの程度の信憑性があるのか、尋ねた記憶があります。当時、貿易の決済現場にいた小生から言えば、あり得ない突拍子もない与太話という認識でしたから。
 氏の予測の根幹にあるのは楽天的、明るい未来であり、日本人に希望を持たせる。それが人気の秘密だったのでしょうね。佐高信が、「光の使者」と揶揄したものでしたが。。。。
そういえば、或る政治家のパーティと飯島清氏の葬儀会場でお見かけしたことがありました。
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