宮崎正弘の国際ニュース・早読み <<海航集団(「フォーチューン500」の170位)、いよいよ窮地 | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


    一歩そしてまた一歩。支那の瓦解の坂道に進みつつ有るのでしょうか?

    傍また、かの国の人間たちはそれを認識しているのでしょうか?

    今日はニュースといい、「知道中国」といい、何か未来を予測するような気のする号鴨知れない。


宮崎正弘メルマ
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017)12月28日(木曜日)弐
        通巻第5559号   
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 海航集団(「フォーチューン500」の170位)、いよいよ窮地か

  ANZ銀行子会社、米ソフト企業など、海航集団の買収破談

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 海外の買収案件が一斉に頓挫した。
 フォーチューンの2017年「500社ランキング」で170位(前年は353位)の海航集団は、2000年に海南島・海口で設立された新興の航空会社だが、旅行業界に進出以後は、航空機リース、有名ホテルの買収を手がけて急成長してきた。

 出資者はいったい誰か? 背後に共産党の大物、それも反腐敗キャンペーンのトップだった王岐山一族との深い関係が取り沙汰されてきた。なにしろ世界各地で大型物件のM&Aを仕掛けて、その海外資産は2010年度時点でも3300億円(5兆6100億円)と評価されていた。

 しかし2017年6月頃から、強気の買収案件の殆どが借入金でまかなわれており、償還期限が迫る中で、フィナンスに「システマティックな問題」(英FT紙)が多いとされ、国際的なファンド筋が投資を引き上げ始めた。社債の金利が13%という異常な資金繰りに対して赤信号を灯したのだ。

 全世界に従業員70万人というマンマス企業であり、近年はフランクフルト空港運営会社の買収、ヒルトンホテルチェーンへの25%株主、ドイツ銀行の10%株主という、国際的な企業の大株主としても発言権を強めてきた。とくに中国との取引が多いドイツは、同集団を有望視してきた。

 関連の渤海リースは航空機リース世界五位のアボロンに買収攻勢を仕掛け、また香港の拝啓徳空港跡地40万平方フィートの買収(11億ドル)、NY高層ビル(65階建て)のパークアベニュービル(22億ドル)買収など、欧米の有望物件を次々と買収した。

その強引とも言えるM&Aによる急成長ぶりは、同じく中国の万達集団、復星集団、安邦保険などとともに世界の投資グループが注目した。

 12月6日、S&P社が「期限が近い借入金返済のための社債(3億ドル)」の発行に「投資不適格・以下」の格付け(つまり投資するな)と発表し、金融危機はいよいよ本物とされた。

 ニュージーランドのANZ銀行子会社の買収が頓挫した次に米国では12月11日、NY州地裁が、提訴されていた海航集団の買収失敗案件での株主集団訴訟を受理した。
 これは海航集団が、デジタルエンジニアリング企業のネステクノロジーと、ジャージーHDに買収を持ちかけたが失敗したため、被買収側の株主等が訴訟を起こした事案である。

 同集団の旅行部門トップは「流動性の危機はあるが、盲目的な部門売却はしない」として、噂のあるヒルトンホテルシェーンなどの売却情報を否定したが、国際金融界は、裏読みで同集団関連株の投げ売り、空売りの様相を呈しているようだ。

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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1676回】        
――「早合點の上、武勇を弄ぶは、先ず先ず禁物とせねばならぬ」――(川田1)
  川田鐵彌『支那風韻記』(大倉書房 大正元年)

      ▽ 
 川田鐵彌は土佐の産。東京帝大で学び文部省に入省。陸軍幼年学校教官や早稲田大学の前身である東京専門学校で講師を務める。日露戦争前年に当たる明治36(1903)年に現在の高千穂大学につながる高千穂小学校を設立している。享年86歳。

 西郷の征韓論に端を発した「明治六年政変」が発生した明治6(1873)年生まれということは、この『支那風韻記』は川田が39歳の時の出版したことになる。当時の彼は、小学校に続き、幼稚園、中学校、そして大正3(1914)年に全国初の私立創業高等学校を設立し、幼稚園から高等学校までの一貫教育を行う総合学園の経営者として重きをなしつつあった。

  川田が「山海關、天津を經て、北京に入り、北清の状況に親しく接したる後、漢口・武昌・長沙の邊に遊び、南清の一大動脈とも云ふべき揚子江を、我が日清汽船會社の大利丸にて下り、南京・蘇州・杭州・上海方面の消息を味うた」のは、「明治最終の年月」とのことだ。旅行の目的は「彼の山を玩び、彼の水を掬み、風韻を異にせるを樂しむ位の目論見であったから」、辛亥革命・清朝崩壊・中華民国建国と続く隣国の激動には左程の関心を示してはいない。

 それだけに、社会の激動と関わりなく生きる市井の人々の日常の姿が捉えられている。それはまた土佐出身で東京帝大卒業し、陸軍幼年学校や東京専門学校で教鞭を執り、やがて帝都の東京で教育者として名を成す、いわば当時の立身出世コースを歩いた刻苦勉励型田舎秀才エリートの中国観を知るうえで、『支那風韻記』は格好の材料といえるだろう。
先ずは旅行の心構えを。

 当時、「支那旅行に出掛くるには、別に旅行券を其筋より貰受くる必要もないから、思ひ立つたが吉日で、其の日にも、出發すれば善い譯であ」った。そのうえ大陸各地には「日本人の經營に係る旅館があるから、其處に宿泊すれば、支那語や英語などがあやつれなくとも、格別の不自由はない」。だが、問題は全国で統一されていない貨幣だ。

 たとえば「自分が奉天で取り換へて貰つた紙幣は、反古かと思はれる位、樂書が澤山あつたから、其の理由を聞くと、樂書の多い紙幣は、方々の人の手に渡つた都度、其の家の主人が、氏名を認め、僞物でないことを證據立てヽあるから、却つて安心だと聞いて、二度吃驚した」とのことだ。

  「何れの名勝にまゐつても、堂宇には、塵埃が積もり、庭園には、雜草が生ひ茂り、丸でうちやつてある」。壊れていても修理をする様子はみられない。だから「立派な?史を有する勝地が、年毎に、空しく荒れ果て」る始末だ。都市の道路や下水も同じで「一時は立派に構へても、修繕を怠るから」荒れるに任せ、「不潔極まる有様である」。どうやら「風致保存などと云へる奥床しい考へは、支那人の頭には、皆無である」。加えて彼らは戸外の自然を好まず、「人口の美を喜ぶ風があつて、天然の美を解する士に乏しい」。

  これを要するに、日本人とは趣味嗜好を異にするということだろう。
 一般の人々に接しての感情は、ともかくも劣悪。「或人の書」から、次のように引用している。ここでいう「或人」は、あるいは川田自身と考えられないこともない。

 「彼等は、動物の親類である、到る處、何も選ばず、之を貪りて、不潔を厭はざる所は豚の如く。群を爲しても、臆病なる所は羊の如く。狗の狺々として骨を爭ふ如くに、其の状の野卑なる。尨大にして、ボンヤリ然たる所は、頗る駱駝に酷似して居る。騾馬の臆病にして悲鳴する。驢の?着にして意地惡き、鷄の多情なる、小鳥の人に養はれて平氣なるなど支那人を説明し得て妙である」。

  不潔、臆病、野卑、ボンヤリ然、横着、意地悪・・・こう、川田先生は教えたのか。
《QED》

【知道中国 1677回】          
――「早合點の上、武勇を弄ぶは、先ず先ず禁物とせねばならぬ」――(川田2)
  川田鐵彌『支那風韻記』(大倉書房 大正元年)

    ▽
 はたして川田は帰朝報告を行ない聴衆に向って、「じつに彼らは不潔、臆病、野卑、ボンヤリ然、横着、意地悪であります」などと語ったのであろうか。これが現在なら、さしずめヘイト問題に引っ掛かり“炎上”は必至。マスコミが騒ぎ出し、謝罪を逼られるだろう。

ともあれ流石に川田は教育者である。「斯る人々と交り、斯る人々を教へ導き、同化したかの如き風を保ちながら、以心傳心の中に、物の道理を解せる人士を造りたいものである」と抱負を述べる。だが教化の末に中国に「物の道理を解せる人士」が増加し、やがてそういった人間に満ち溢れると予想し、「人口増加の餘、生存競爭が激烈になるに連れ、人類として、最後の勝利を占むるのではなからうか」と将来への疑念を呈する。つまり「物の道理を解せる人士」に満ちた中国が、やがて世界の覇者になるというのだ。

  さらに文明国にとって最も脅威となるのは、「寒暑を厭はず、簡易生活に慣れた支那苦力の類」であると続けた。いかに迫害されようが、彼らは屁とも思わない。やがてこの世界に「窮鼠遂に猫を咬むの日」がやって来る。その時、「世界が、暗黒時代に陷るであらう」。どうやら川田は、100年ほど先の21世紀初頭の現在の世界を予想していたようにも思える。

  現代の中国における華僑・華人問題にかんする代表的研究者である陳碧笙は、天安門事件から2年が過ぎた1991年に『世界華僑華人簡史』(厦門大学出版社)を出版し、海外に漢族系(華僑・華人)が存在する原因を「歴史的にも現状からみても、中華民族の海外への大移動にある。北から南へ、大陸から海洋へ、経済水準の低いところから高いところへと、南宋から現代まで移動が停止することはなかった。時代を重ねるごとに数を増し、今後はさらに止むことなく移動は続く」とし、帝国主義勢力が植民地開発のために奴隷以下の条件で中国から労働力を連れ出した、つまり彼らは帝国主義の犠牲者だという従来からの説を真っ向から否定した。

 川田の見解を陳碧笙の考えで言い換えてみると、「寒暑を厭はず、簡易生活に慣れた支那苦力の類」が海外に溢れ出すのは、「歴史的にも現状からみても、中華民族の海外への大移動」という人の流れに沿ったものであり、「時代を重ねるごとに数を増し、今後はさらに止むことなく移動は続く」。となれば「窮鼠遂に猫を咬むの日」はそう遠い将来のことでもなさそうだ。

  次いで川田は、「支那は、差當り、家族制度の下に、極端な個人主義が發達した、利己主義一點張りの、面白い國柄である」とする。たしかに長所も短所もあるが、「我儘一方の國民では、國として、立派な體面を維持することは、覺束ない」。だが「長く睡つた支那も、此頃漸く眼が醒め」てきた。その証拠に列強諸国に奪われた利権を回収し、法制度の近代化に動き出したようだ。だから、「やがて、國民的自覺の下に、頭を持ち上げないとも限らぬ」。やはり日本人は「自ら支那人になつた氣で、靜に觀察せねば、支那の眞相は分らぬ」。

 
では、なぜ「今迄、日本人が支那の眞相を誤解して居たの」か。それは「日本化された漢學で、直に支那を早合點した結果である」。

 ここで時代を一気に下って文革の頃。当時の日本を代表する親中派・毛沢東主義者が総力を結集して編んだであろう『現代中国事典』(講談社現代新書 昭和47年)の「はじめに」には、「日本人は明治以来、中国について見そこないの歴史をかさねてきた」。それというのも「日本人の抱く中国像が、論語や孟子や古文物をとおして構成され」てきたからだ、との?猛省”が高らかに記されている。

 川田が「日本化された漢學で、直に支那を早合點した結果」と指摘してから長い時間が過ぎてもなお、日本は「中国について見そこないの歴史をかさねてきた」・・・何故だ。
《QED》

【知道中国 1678回】        
――「早合點の上、武勇を弄ぶは、先ず先ず禁物とせねばならぬ」――(川田3)
  川田鐵彌『支那風韻記』(大倉書房 大正元年)

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 「元來正直な日本人などは」、「書物など讀むにも、用心して之を見ないと」「支那人の書いた書物に、讀まれて仕舞ふようになる」。歴代王朝の足跡を記録した歴史書である「正史を綴るにしても」、「仰山に書き立てゝあるから、餘程、割引をしてかゝらないと、物によると、大變な思い違いをする」。これを要するに川田の指摘に従うなら、これまで日本人は「大變な思い違い」を繰り返して来たということになる。だが、「支那文學の妙が、空想に任せて、文字を濫用するにあることを忘れてはなら」と記すことも忘れてはいない。

  じつは「戰爭をするにも、この流儀であるから」、どうも日清戦争に際、清国側の布令の激烈な言葉遣いに眩惑され、日本側は「敵の眞相を誤解して、大事を取り過ぎた」ようだ。

  ともあれ日清戦争の結果、「支那は、眠れる獅子でなくて、獅子の皮を被つて居るに止まると云ふことが分つたから」、イギリス、フランス、ロシア、ドイツは猛禽の如く「眠れる獅子」に襲い掛かることとなったわけだ。

 川田は「妙に婦人の勢力が強いこところ」に驚く。垢まみれで「一生懸命に働いている勞働者の類でも、家内には、相當に綺麗に着せて、樂に暮させて居る」。貧富の差は極端に激しいが、高級役人や豪商など極めて少数の富める家庭でも、「どうかと云ふに、尚更ら女權が強いさうである」。「心ある者は、頻りに家庭の改善を主唱」するが、纏足のような奇妙な風習を一掃し、台所の隅から清潔にするのが先決だ。かくて川田は、「支那根本的改革の第一着は、女子?育を大に鼓吹しつゝ、家庭の改善を計るにある」と説く。

  「支那の世界一」は多く、たとえば「料理法の發達して居ること」。実際に現地で具に見分してみて「書物で買ひ被つた反動として、大に見下げてかゝる」。だが、それでも「支那は、大國である」。現状の国力・国情は情けない限りだが、「民族的勢力に至つては、矢張り、世界一である」。その「民族的勢力」を支えているのが、会館や公所など民間における「相互自衞機關」であり、「吉凶互に相助け、結局、幸福を増進する機關」といえる。「支那商人の信用に豐かなこと」も、この機関があったればこそ、である。

 これを言い換えるなら「政府の行政が不行屆である代りに、自治の美風が」発達している点も「世界一である」。民間における「自治の美風」は、政府が役立たずだからだ。

 「風を望んで、旗色の善い方につく」というのが、「支那從來の外交政策」である。辛亥革命にしても、各省は革命軍と清国政府軍の「旗色の善い方につ」いた。まさに「附和雷同の弱點」が見えてくる。

 「支那人の長所」として「寛大の風」が認められるが、「歩行の緩慢なるが如く、萬事悠長なるは、支那人の缺點である」。「大勢の從僕を使ひ」、結果として一事が万事悠長になる。それというのも「結局、人間が安い」からだ。

 「論語の眞髓は、全く日本に傳はつて、支那には、其の實が洵に乏しい」。儒教経典をはじめとして万巻の書籍はあるが、「之を讀むものなく」、その教えを実践する者はさらにみられない。だから「四書を始めとして、何れの書も、意味をアベコベにとると、支那人の性情が、自ら分る」。たとえば「子不語恠力亂神(子は恠力亂神を語らず)にて、迷信多きを察すべく」、「食不語(食に語らず)」は「食事の際、騒々敷多言する風を察すべきである」。「居は、其の心を移すとあるが、屋根の低い薄暗い家庭に育ち、(中略)日々動物の如くに、凡て殺風景の生活を繰り返せる、無?育の輩が多い」のである。

 「赤壁の賦を詠じた蘇東坡、名月を吟じた李杜、蓮花を愛した周茂叔、菊を賞した陶淵明の如き、物質以外の趣味を解するものは四百餘州四億の民族中に、幾人もなからうと思はれる」。
ともかく「無?育の輩が多い」。確かにそうだろう。そうに違いない。
《QED》
      ▽□◎ひ▽□◎い□▽◎ず□◇◎み▽□◎  
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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)貴誌の過日の書評(『ダライラマ声明』)のなかで、ダライラマ法王が「そしてことしはトランプ大統領とも会見した」とあったので、念のため確認いたしましたところ、「会見はまだない」と言われております。
http://www.shukousha.com/information/publishing/5904/
 上記版元のPHもご参照下さい
  (YK生、福岡)


(宮崎正弘のコメント)トランプ大統領のことですから、当然会見しているはずですが、まだでしたか。いずれ会見されると思います。トランプは11月8日から三日間の訪中以後、習近平に失望し、中国への態度を静かに変更しておりますから。



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(読者の声2)「桜チャンネル」、大晦日に年末最後の討論番組のお知らせ。
番組名:「闘論!倒論!討論!2017 日本よ、今...」。
テーマ:「大晦日スペシャル−AIは人間と世界を変えるか?」
放送予定:12月31日(日)20:00−23:00
 日本文化チャンネル桜。「YouTube」「ニコニコチャンネル」「Fresh!」オフィシャルサイト・インターネット放送So-TV
 (パネリスト:50音順敬称略)
上島嘉郎(ジャーナリスト)、佐波優子(ジャーナリスト)高橋洋一(嘉悦大学教授)、
田中秀臣(上武大学教授)、松田学(元衆議院議員)、三浦小太郎(評論家)、
宮崎正弘(作家・評論家)、宮脇 睦(ITジャーナリスト)
 司会:水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)
        

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    今日から「知道中国」は新しい人物の始まりとなった。


    支那畜は動物に近い人間の集団しか居なかったと喝破されたのは川田鐵彌。生まれが明治五年とは。我が家の祖父は明治四年。仙台藩片倉小十郎家の鉄砲足軽出身とは教養の差は歴然としているのは致し方ないだろうな。昭和三十七年十二月六日に永眠したけど。師走の声など聞きたくもないのは妄想爺の心情。(^^ゞ


    「知道中国」について、数々読んできたけど。支那畜が動物の群れでしかないとも繰り返して来た積り。今回は正にズバリ。

    中学二年時に偶々参加?した真言宗の葬儀。踊る葬儀はそれ一回。魂消た。高く低く読経が続く。今日の訪日支那畜どもの囀りにも似ていると感じるのは何故だろう。隋唐の昔につたわった経典。当時の発声は今も日本には遺っている伝わっている。動物の嘶き・鳥の囀り・犬猫も混じれば、豚や駱駝に騾馬とは。現代シナ語とは動物の如きものではないだろうか。

     21世紀の衣を纏って一見文明人らしき様。しかし、実態は単なる動物の如き集団だった。七十年程かけ、教化した支那畜共産党は動物共の囀りさえ統一出来なかった。支那大陸は何処へ向かうのだろう。