宮崎正弘の国際ニュース・早読み <<中国主導「グアダル港」(パキスタン)の全容が判明 (2017 | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


    パキスタンはどこか狂ってる。まぁ支那畜に貪られる事は確実だ。尤も飲み水に苦労しそうだが。

    海水の淡水化技術は日本が世界一だろう。経団連の榊原がシャシャリ出てきそうな気もするが。東レはどこまで技術が有るのだろうか。


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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017)12月19日(火曜日)
        通巻第5555号   <前日発行>
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 中国主導「グアダル港」(パキスタン)の全容が判明

  新空港に病院、単科大学も建設。パロジスタン住民も受け入れ

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 インド、米国、そして日本が疑問視するグアダル港。パキスタンの西端に位置する地政学上の要衝に中国は港湾を整備するばかりか、付近に貿易特区、ガスと原油のパイプラインを新彊ウィグル自治区まで輸送するパイプラインの起点設備。付帯して高速道路、鉄道、光ファイバー網の建設を急いでいる。
 総額は560億ドル、習近平の「一帯一路」の目玉プロジェクトであり、総称してCPEC(中国パキスタン経済回廊)と呼ばれる。

 そのグアダル港である。
 深海であるため、潜水艦寄港が可能であり、将来は中国軍の軍港として活用される疑いが消えていない。
 コンテナ・ヤードが完成すれば貨物取扱量は2018年に120トン、2022年には1300トンの貨物を集荷し、仕向地向けに輸送するターミナルとなると青写真を提示した。中国が港の管理運営権を握り、向こう40年間。収益の91%が中国の懐に入る。つまり、巨大な投資は、これが担保だという。

 グアダル港の周辺にはコンテナヤードのほか、新空港建設に2億3000万ドル(エアバスの民間利用に加え、中国空軍も利用することになるだろう)、病院建設に2億ドルを投じ、230病床を確保する。加えて単科大学を創設し、パロジスタン住民の子供達の将来を考慮したいとしているが、地元住民はまったく納得していない。
 
 これまでにも中国人の誘拐、中国人労働キャンプをまもるパキスタン軍人へのテロが繰り返されたが、パロジスタン独立運動を主張する過激派の仕業とされた。

 さてグアダル港はアラビア海に面しているが、海水淡化プラントの建設が遅れており、飲み水に決定的に不足している。
 飲み水がなかれば人間は生活できず、グアダル港新都心の水道設備はどうなっているのか、住民説明会はまだ開かれていないという。

 将来、立ち退かせた住民の漁業補償や、住宅建設後の受け入れも視野にいれていると中国側は説明しているが、住民優先という発想がないうえ、保障の考え方に欠陥があり、最大の飲み水の問題が解決していないことが判明した。

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中国四川省の奥地、面竹市で世界最大級のパゴダが焼け落ちた

 地域住民の多数は仏教徒、またも再建へ向かうか

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 四川省といえば2008年に巨大地震に襲われ、甚大な被害がでた。犠牲者は12万名とも囁かれたが、実態は不明のママである。

「文川地震」と命名され、世界から救援隊が駆けつけたが、「おからビル」などと呼ばれた学校が倒壊し、夥しい児童が犠牲となった。ところが中国軍は、まっさきに核兵器製造都市に向かい、セメントを埋める作業に没頭し、民間人の救出を後回しにしたため、国民からも強い非難の声があがった。

 このときも四川省の奥地にある綿竹市(人口50万人)に聳え立っていたパゴダ(仏塔)が倒壊した。8年の歳月をかけて、ようやく再建されたパゴダは木造建築、16階建てで、パゴダの本場ミャンマーのどの仏塔よりも高く、おそらく世界一の高層パゴダと言われた。

 綿竹は、山に囲まれているが水が綺麗なため特産の真珠、そして気温差が激しい自然条件に恵まれているので、中国特産のワインの産地としても有名。
 12月17日、この高層パゴダが火事に見舞われ、木造のため火の周りが早く、16階建ての仏塔が焼け落ちて灰燼に帰した。

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【短期連載】(3) 「正定事件」の検証─カトリック宣教師殺害の真実
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【短期連載】「正定事件」の検証─カトリック宣教師殺害の真実(3)

これまでの話: 今から80年前、中国の正定という町で起きたヨーロッパ人宣教師の拉致殺害事件、いわゆる「正定事件」があった。事件は日本軍が町を占領したその夜に起きた。そして当時、犯人も動機も不明なまま未解決となったのだが、現在、200人の婦女子を日本軍の魔手から守ろうと宣教師たちが身代わりとなって処刑された英雄譚となってヨーロッパや中国で流布されている。そればかりでなく「福者」という、カトリックの称号を得るための審査がバチカンで進行している。
 創作された英雄譚に利用された、日本軍将校の手紙による「身代わり」殉教の根拠付けはいい加減なものであった。彼は支那共産匪の犯行であると結論付けした事件の処理担当者なのだから。当時の記録や報告、正定を占領した部隊の動きをよく調べもせずに、簡単に一方的な主張を受け入れ、勝手に代表して謝罪してしまう日本人がいた。これにより、日本側も(当然調べた上で)現在の説に同意したものと見なされているのである。

 今回は犯罪が起きた2日間について、当日における日本軍の動きを含め簡単に述べる。現在の通説では不明だった動機が先に来ているので、不都合な事実は無視されている。これは犯罪の分析でしてはならない過ちであると私は考える。では、史料を元に事件を概観しよう。

▼事件当日の日本軍の動き

 事件の概要を述べる前に、容疑をかけられている日本軍部隊の大まかな動きを知っていただこうと思う。これを念頭に置いて事件を眺めてもらうと、特殊な戦場の実態が浮かび上がってくる。

1937(昭和12)年10月8日に始まった正定城の攻防戦は、翌日の城内掃蕩をもって終わり、正定(せいてい)と石家荘(せっかそう)の間を流れる滹沱河(こだがわ)を挟んで日中両軍は対峙した。事件が発生した9日夜は、翌10日に予定されていた渡河作戦のために第6師団は徹夜で準備に追われていた。

歩兵戦闘部隊のほとんどは正定の城壁外に、各級司令部は主に南門や東門の城壁上に位置し、大隊規模の砲兵部隊が数個、城内に入って攻撃の準備に取りかかった。対岸の中国軍に対する攻撃は予定通り10日の昼過ぎから行なわれ、この日のうちにすべての師団が中国軍第一戦区の滹沱河防衛線を突破して交通の要衝である石家荘を占領した。

▼拉致殺害事件の概要

正定(当時の人口は約2万人)のカトリック宣教会は城内に広大な敷地を有し、中には塀と門で仕切られた4つの修道院、病院、学校、工房などの施設があり、家畜も飼っていた。住人は約千人もおり、正定という町の中にまた別の町が存在するかのような体であった。

2週間前に日本軍が攻略した保定や近隣の地域から正定のカトリック・プロテスタント両宣教会に約1千から2千人の避難民が殺到していたが、正定城が8日夜に包囲され、9日午前まで続いた市街戦・掃蕩戦の結果、避難民に加えて中国軍の敗残兵が多く宣教会になだれ込んだ。史料では壁を乗り越え、隣家の屋根を伝ってくるなどの必死な様子が伝えられている。

すぐに略奪が始まった。学校や工房、男子修道院から金目のものや食糧が奪われ、破壊も行なわれた。その際、日本軍に通報しようとしたと思われる工房の職工長が略奪者たちに射殺されている。トラピスト会士で当時宣教会に避難していた老齢のアルベリック神父(ヨーロッパ人唯一人の生存者)は、昼頃略奪者の襲撃を受けた。証言によれば満人、モンゴル人、または朝鮮人のような風体の犯人であったといい、北京のフランス大使館では最初の通報があった段階からこの情報を掴んでいた(ただし、日本軍に属する者たちと誤認してだが)。

この外国権益の領域に日本軍は何度か立ち入っている。部隊指揮官、または参謀クラスの訪問・視察、そして賊が壊した門戸の修復のためである。病院では軍医の派遣と医療品の提供が約束された。この日断続的に行なわれたという略奪と破壊の現場に彼らが直接出くわすことはなかった。

日が落ちた午後6時頃、南の通りに面する正門に10人ほどの武装した賊が現れた。軍服を着て武装はバラバラ、なかには民間人用の帽子をかぶった者までいるという怪しい集団が門番修道士を脅して宣教会に侵入。まずは中国人の尼僧院に立ち入った。この後、彼らは避難所やほかの修道院でさまざまな略奪行為を働くのだが、ここでは何もせず出て来るのである。これは大変重要なことである。

1時間ほどして賊は食堂に現れた。食事中のシュラーフェン司教ほか、ヨーロッパ人8人は、中国人神父たちの目の前で拘束され連れ去られた。1人の中国人神父が途中までこれに帯同した(不思議なことに彼は逃げ出すことができたという)。司教は彼らに要求は何かと尋ねたが答えはなかった。これも大変重要なことである。

そ の後、賊は司教たちを連行する組と、金庫を捜索する組、ヨーロッパ人修道女がいる尼僧院に向かう組に分かれ、それぞれ中国人神父を案内役としている。尼僧院では対応した修道女を賊が脅してしまったため、その門戸は開かれることがなかった。ここでも拉致はおろか略奪もなかったのである。そしてこれは、司教たちが連れ去られたあとに、司教たちから離れた場所で起きた。極めて重要な事実である。

賊はわざわざ中国人神父たちに目当てはヨーロッパ人であると告げている。そして会話はすべて流暢な中国語(熱河訛)で話されたという。司教たちが連れ去られた宣教会内の略奪は翌日も続いたが、夜には前日の賊がまたやって来て中国人神父と接触している。彼らはヨーロッパ人神父たちの部屋を略奪・破壊して去り、二度と戻ってこなかった。

1か月後、突然、隣の天寧寺から拉致された司教たちの所持品や衣服の一部、骨や歯などが発見された。それで宣教会も現地警察も日本軍も拉致被害者は全員死亡したものと見なした。

▼犯人は不明、動機も不明
 
 女性目的の犯行という説を最初に打ち出したのは、プロテスタント宣教会のヒル牧師であるが、事件はカトリック宣教会で起こったことだから、当然彼は現場にいなかったし、前述の通り、犯人たちの行動にもヒル牧師の説の裏付けとなる要素は何もないのである。

ゆえにこのことは当時、関係国およびカトリック宣教会ではまったく取り上げられなかった。金銭目的のようでありながら、身代金要求もなく、司教たちの所持品はほぼ手つかずのまま埋められていた。日本軍の占領下に入ったばかりの正定で、第三国人の殺人をする必要性があったのは誰だったのか? 共産主義者犯行説はこの疑問に答えるかたちで登場するのである。
(次回に続く)

<峯崎恭輔(みねざき・きょうすけ)> 1980年福岡県生まれ。県立筑紫丘高校定時制卒業。1999年陸上自衛隊入隊。2003年除隊 後、フランスへ留学。帰国後、民間企業に勤める。現在放送大学学生。近現代史とくに軍事史に関心があり、研究を続ける。
ホームページ「正定事件の真実」https://seiteijiken.amebaownd.com/
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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)貴誌前号、トルコが東エルサレムに大使館を移転という記事は、驚きでした。日本のメディアはつたえていないので、イスラエルの新聞を読むと、いずれも大きく伝えています。世界的な政治的事件ですが、国連ではエジプトが提案した事案にアメリカは拒否権を発動するようです。
  (NN生、さいたま市)


(宮崎正弘のコメント)エルドアンは「神の思し召しにより、神の御裁可を得て、大使館を移転する」と演説しており、アラーの神の御意思に従うと宣言しているようなものです。エルドアンのイスラム回帰は、トルコ国内の世俗イスラムや知識人が反対していますが、現在のところ、反対運動は表面化していません。
 トルコの漂流は続くでしょう。



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(読者の声2)恒例の「日台共栄の夕べ」のご案内です。
今年の台湾は、パナマとの国交を断絶されるなど中国からさまざまな圧力を受けながらも、着実に国内経済を伸展させています。
 米国は台湾との関係強化を目指して「台湾旅行法」「台湾安全法」「2018国防授権法」を制定しようとしています。日本もまた初めて総務副大臣を派遣するなど関係強化を進め、今年の姉妹都市提携は14件にのぼり、叙勲者も台湾出身者を加えると8人になり、日台の絆はますます深まっています。
 つきましては、今年もこの1年を振り返りつつ、さらなる飛躍を期し、15回目となる本会恒例の「日台共栄の夕べ」を開催します。
 第1部の講師は、台湾独立建国聯盟日本本部委員長の王明理さんです。行政院長に就任した頼清徳氏が台南市長のとき、ご尊父の故王育徳先生の記念館と台湾独立建国聯盟主席だった故黄昭堂先生の記念公園の造成を決めたことやその進み具合などについて、台湾独立運動を第一線で進めてきた羅福全、許世楷、金美齢、林建良の各氏が日台双方で叙勲されたことと絡めてお話しいただきます。
 第2部は、台湾高級ホテル宿泊券、カバランウィスキー、「劉の店」の劉俊茂氏が台湾食材を使って自ら作る熱々の台鉄弁当、美味しい台湾果物、素敵な台湾グッズなどが当たる大好評の「お楽しみ抽選会」を行う大忘年会です。
 今年から参加費は前金制となりますが、着座形式でゆったりとした雰囲気の中で行います。
 今年は謝長廷・台北駐日経済文化代表処代表や、『「環島」ぐるっと台湾一周の旅』を出版された一青妙(ひとと・たえ)さんなども参加される予定です。台湾にご縁のある方ならどなたでも大歓迎です。ふるってご参加ください。
                  記
日時:    12月23日(祝・土) 13時30分〜16時30分[受付開始:13時]
会場:    アルカディア市ヶ谷 3階 富士の間(東)
      http://www.arcadia-jp.org/access.htm
第1部:講 演 会 13:30〜14:20
    王明理先生「日台が受け入れた台湾独立運動─王育徳記念館と黄昭堂記念公園」
第2部:大忘年会 14:30〜16:30
◆参 加 費:会員:10,000円(学生会員:8,000円) 一般:12,000円
   *参加費は前金制です。12月20日(水)までお振り込みのほどお願いします。
   *入会希望者と当日入会者も会員扱いとします。
◆お振込先:郵便貯金 記号−番号:10180−95214171 日本李登輝友の会
      ゆうちょ銀行 店番:018 普通預金:9521417 日本李登輝友の会
◆お申込み:お申し込みフォーム、メール、FAXで日本李登輝友の会まで
      お申し込みフォーム:http://goo.gl/4LDSbD
      E-mail:info@ritouki.jp (FAX:03-3868-2101)
◆締切:  12月20日(水)定員(130人)に達し次第、締め切らせていただきます。
◆主催・お問い合せ 日本李登輝友の会[会長:渡辺利夫]
       HP:http://www.ritouki.jp/



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(読者の声3)「三島由紀夫生誕祭」が開催されます。プログラムの主な内容:三島由紀夫氏生誕93年を記念し2部構成でのイベント。
<第1部>「三島歌舞伎と下田の夏」トークショー
ゲスト:国立劇場顧門・織田紘二氏、「三島由紀夫の来た夏」著者・横山郁代氏
司会:御手洗志帆
三島由紀夫最期の歌舞伎「椿説弓張月」演出時の思い出や、毎年夏に家族と下田へ訪れていた三島氏の意外な一面をゲストの二人が語り合います。
<第2部>「オールドジャズ」ライブ:ジャズシンガーでもある横山郁代氏によるオールドジャズメドレー
          記
とき    2018年1月14日(日)18時開場 18時半開演
ところ   銀座TACT(タクト)
       東京都中央区銀座6−9−15タクトワンビル地下1階
参加方法  電話もしくはメールにて事前予約受付中・当日券あり
       (氏名、連絡先、人数をご明記ください)
参加費   男性6000円 女性5500円
      (食事ビュッフェスタイル・アルコール含む飲み放題。当日券は+500円)
<ゲストプロフィール> 織田紘二氏…国立劇場顧問。昭和20年北海道生まれ。國學院大學日本学科卒業後、昭和42年国立劇場制作部へ。「椿説弓張月」では三島氏のもとで演出助手を務める。三島氏没後も「むすめごのみ帯取池」の演出を担当、「椿説弓張月」再演での演出協力、「鰯売恋曳網」の文楽化など、三島歌舞伎上演を多数手掛けている。

  横山郁代氏…昭和26年下田市生まれ。中学生の時、初めて下田で三島氏を見かけ、後をつけてくと、三島氏本人からアッカンべーをされた経験を持つ。17歳のとき、三島戯曲「愛の不安」の道子役を演じる際、直接アドバイスを受けた。三島氏との思い出や、下田での姿を綴った「三島由紀夫の来た夏」は、心温まる三島氏のエピソードで溢れている。

  主催者      三島由紀夫生誕祭実行委員 代表・御手洗志帆
  連絡先      会場・銀座TACT 電話03−3571−3939
もしくは主催者・御手洗志帆へメール mishimabirthday@yahoo.co.jp
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    支那畜の外貨(ドル$)がいつまで持つかが鍵となって来る。果して思惑通りに進捗するのだろうか??