宮崎正弘の国際ニュース・早読み <<明治百五十年にあたって 西郷隆盛再評価の原点とは (2017 | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


    支那畜の節操の無さは限り無い。牧草が有れば、何処までも。まるで遊牧民そのままでは無いか。

    隋や唐がモンゴル草原から遣って来た文明化した遊牧民だった。鮮卑なぞと卑下した名称からも明らかだろう。

    僕が支那畜たちを「遊民」と呼ぶのは?そんな昔からの民だから。

    支那畜のジャンク船には豚まで乗せていたのは、「牧」の取れた遊民だったからではないのか。

    ミャンマーでも金に糸目を付けず、傍若無人の振る舞い。文明が何かを理解していない。


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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017) 9月28日(木曜日)
        通巻第5450号   <前日発行>
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(速報)
 中国のロヒンギャ居住区への投資は73億ドル、バングラデシュ国境に近いラカイン州内に工業区設立もめざし、沖合油田は75−80%の株式を中国のCITICが保有していることが判明。国連でミャンマー非難決議が出ても中国は反対に回るのは確実。
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***** 随想  ********* ずいそう ***************
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 明治百五十年にあたって
   西郷隆盛再評価の原点とは

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 明治百五十年を迎える。大河ドラマ化が代弁するように明治維新最大の功労者・西郷隆盛再評価の気運が高まっている。
 その一方、明治維新を否定する歴史論が出版界を賑わしている。これらの動きは特定の政治勢力の隠れ蓑の感じがある。
 戦後、持て囃された「西郷隆盛は軍国主義の元凶」「薩長藩閥政治の正当化のための教育勅語」という乱暴な論理の延長線にある新バージョンに過ぎず、伝統的な価値観の否定、日本の歴史軽視が基本だ。

 ところが現代の歴史学界には学閥や通説に囚われず若い学者達が新発見の第一次史料を駆使した力作が横溢し始めている。たとえば信長研究は若い研究者が輩出し画期的な作品の発表が相次ぐ。史料新発見による労作には『観応の擾乱』『応仁の乱』などが出てきた。
 維新研究も例外ではなく第一次史料の新しい発見ならびに読み落とし、過去の学者達の一方的解釈の是正などが頻出している。
 明治維新否定論のもう一つは会津藩の尊皇精神を異様に評価するため薩長を貶める情念に走りやすい議論がある。だとすれば戊辰戦争で関ヶ原の怨念を晴らした長州、薩摩の立場も同様ではないのか。
 薩長の藩閥政治のやり過ぎは論を待たないが「勝てば官軍」であって、恨み節は史論とは言えない。

 付け加えると明治維新否定論者は基本的な誤謬を認識できていない。歴史の語彙や政治用語の使い方を見ると、安易に「革命」とか「天皇制」、ときに大東亜戦争を「太平洋戦争」などと呼称していることで明らかである。
 彼らは論理を飛躍させ、孝明天皇は毒殺された、西郷は相良総三など過激派を使って押し込み強盗やら薩摩屋敷放火をやらせた陰謀家、吉田松陰はテロリスト、高杉晋作は放火魔。坂本龍馬を暗殺した黒幕は大久保と一方的な思いこみや検証を伴わない論理的破綻が目立つ。

 ただし錦旗が偽造、ときに偽の勅許も書かせたなど事実としては正しい記述もあるが、前後の文脈からこれらの奇策も単に悪行、陰謀として片付けられている。
 ひいては薩長の政治がいまも続いており、安倍晋三は長州だから首相になれたとかの牽強付会。そして否定論者らは次の事実には言及しないか、或いは無視している。

 すなわち改革とは強い権力が確立しなければ到底実現できず、大政奉還がなぜ可能だったか、廃藩置県、地租改正、通貨の統一があってはじめて文明開化、産業革命、富国強兵が可能となった過程をまるで重視しない。
 敗戦後、GHQという絶対権力あればこそ財閥解体、農地改革、占領基本法の押しつけ、日本精神鼓舞の図書発禁など乱暴で大胆な政策が無理矢理にも実行できた。
 しかも否定論者らは幕末の徳川幕府も明治新政府も外国の介入を防ぎ、列強の植民地化を防ぎ、究極的に日本の国体を守り抜いたことには殆ど無関心である。
 維新の理想は「五箇条のご誓文」に象徴される。聖徳太子以来の民主的な議会を尊重する国家建設が、西郷隆盛らの維新の目的だったのである。

      (この文章は「北国新聞」コラム、「北風抄」9月25日号からの再録です)
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   宮崎正弘の書き下ろし最新刊    
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宮崎正弘 新刊(絶賛発売中!!)
『西郷隆盛 ――日本人はなぜこの英雄が好きなのか』(海竜社、1620円)
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日本人が好きな歴史上の英雄といえば、西郷隆盛は三傑に入る。
しかしその最期から、維新者、改新家、陰謀家、詩人、軍人(陸軍大将)といった様々な評価があり、毀誉褒貶が続いている。本書では、「現場主義」を尊重する著者が、西郷隆盛のすべての足跡(奄美、徳之島、沖永良部から西南戦争の敗走ルート全コース)をたどりながらその本当の姿に挑む。
 とくに西郷隆盛と三島由紀夫の精神性比較を論じた初の評論!
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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)貴著新刊『西郷隆盛 日本人はなぜこの英雄が好きなのか』(海竜社)を一気に読み終えました。水戸学の流れにもちゃんと触れながらも、西郷は攘夷論にあまり関心を示さなかった等、非常に重厚な考察と、新鮮な歴史評論で、友人に勧めたいと思います。
とくに目からウロコだったのは「西南戦争は桐野利秋の戦争であり、西郷は従だった」という、ハッとなる分析箇所です。
また西郷は「詩人」であり、「首丘の人」だったというのも、政治野心の恬淡さから推量できますが、その淵源を辿るプロセスに注目しました。
すなわち『敬天愛人』のの策源地は沖永良部にあるというのは、さすがに西郷の現場をすべてまわっての宮崎さんの結論。田原坂をみて、鹿児島の南洲神社をみて「西郷は日本の思想」と言った江藤淳を超えるものでした。
 西南戦争の敗走ルートを全部まわってまでの西郷隆盛の全体像の研究は、前人未踏でもあり、大変味わいの深い、読書の秋の収獲でした。
   (NH生、茨城)



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(読者の声2)宮崎さんの連作的な「正気回復」の主張が、こんども『西郷隆盛』で正鵠を射たご指摘、国を思われる心に敬意を表します。
 とりわけ御著作『西郷隆盛 日本人はなぜこの英雄が好きなのか』(海竜社)は、日本の正統の思想の源流が綺問学にあること、西郷のたどった現場を脳裏に浮かべながら読めることなど、「宮崎ワールド」に引き込まれ、感動に震え一気に読了しました。
   (KF生、世田谷)



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(読者の声3)書店にそろそろあふれ出す西郷本のなかで、貴著『西郷隆盛』(海竜社)は一際ユニークです。
 おそらく過去の西郷伝記、評伝、小説などでも触れてこなかった独自の観点とは、三島由紀夫との精神的類似点。しかも三島が生前、ふたつの作品(『蘭陵王』と『革命の哲学としての陽明学』)のなかで、西郷を高く評価していたことは初耳です。
 ありきたりな人物伝、評伝を一切排して、歴史上にはたした西郷の役割にのみ焦点を充てたユニークな作品でもあり、保守系のひとびと必読の書と思います。
   (JF生、千葉)



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(読者の声4)貴著「西郷隆盛」を読み始めました。
 渡邊惣樹さんとの対談本「激動の日本近現代史1852−1941」をやっと読み終わり、ほかにツンドクを読まなくてはと読みだしたばかりでしたが、そちらの方は一時中断し「西郷隆盛」を先読みします。
「征韓論」の件は、「激動の日本近現代史」でも触れてあり、この頃の日本が置かれていた国際的立場が好く分かり、為るほど納得の著書でした。
   (北九州素浪人)



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(読者の声5)貴書新刊「西郷隆盛」ですが、アマゾンの評価にはやくも五つ星がついていますね。
 田原坂は知っていても、西南戦争はその後がたいへんだったこと。人吉、小林、宮崎、高鍋(都城、飫肥でも激戦在り)、そして延岡の決戦に敗れ、可愛岳を越えて、けもの道を逃避行。ついに城山に帰り着いたという克明な逃亡敗戦コースのことなど、初めて学びました。宮崎さんは、それを克明に追跡されたばかりか、西郷さんが合計四年も流された奄美大島、徳之島、沖永良部にまで逐一足を延ばされ、その取材のご苦労も偲ばれました。
 ヘミングウェイの『キリマンジャロの雪』の冒頭にある「そんな高みにまでなぜ豹が登ったのか」という暗喩を西郷の人生と重ねるあたりも示唆的です。
拝読し、西郷の存在を大きな文脈から、かつ一つ一つ具体的にとらえ直すことで、二一世紀の現今の状況の本質がはじめて理解されるように思われました。多くのご教示に感謝申し上げます。
   (TI生、川崎) 
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    僕は「西郷」も「三島」も否定はしないけど、今一ピンと来たことが無いんだなぁ。

    三島の決起に何故自衛隊が応じなかったか。時代の空気が読めなかった?読みたくなかった?そんな気がしてならない。市ヶ谷での激烈な演説に何故一人も自衛隊員が駆け付けなかったのだろう。ニュース影像を視て・・・時代の空気がまだ醸成していなかったとしか考えられないんだが。

    南洲公については・・ほぼ何も知らない。

「雨は降る降る  人馬は濡れる  越すに越されぬ  田原坂」


    偉大な人物だとは認識しているけれど、購入してまで読む気になれない。何しろ僕は怠け者だから。