宮崎正弘の国際ニュース・早読み <<ドイツ常識派「ドイツのための選択肢」、いきなり第三党に躍進 | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


    ドイツの総選挙も何やら方向が決まらず、何だなあの結果と捉えてました。しかし底流は随分右旋回したみたい。ドイツマスコミは殆ど左翼みたいなモンだから良くここまでとでも捉えるべきなのでしょう。


宮崎正弘メルマ
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017) 9月26日(火曜日)弐
        通巻第5446号  
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 ドイツ常識派「ドイツのための選択肢」、いきなり第三党に躍進

   ゼロから94議席、メルケル与党は65席も激減の敗北

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 ドイツ議会選挙の結果はメルケル政権、事実上の敗北といえる。
 大幅に議席を減らし、SPDとの連立を組むことがかなり難航するだろう。従来、第三党だった左の党もおおきく議席を後退させ、想像されたように議席ゼロだった「ドイツのための選択肢」がいきなり94議席を獲得した。
ドイツにも左翼だけではなく、常識の通じる人々が復権したことを象徴した。

 連立与党CDU・CSUはマイナス8・5%
 SPDはマイナス5・2%。合計13・7%、この分を12・6%の得票を得た「ドイツのための選択肢」がゼロから84議席に大躍進させたことになるが、とくに旧東ドイツでは、20%の得票を得て第二党となった。左翼「自由党」もゼロから躍進した。

 移民よりドイツ人にちゃんと手当を、過激なイスラム教徒によりドイツの文化が失われようとしているという危機の訴えがひろく国民に通じたといえる。
しかし真実を隠蔽する左翼メディアはまだ「極右」と書いている。

フランスでルペンは惜敗したとはいえ、大奮闘した。オランダでも政権確保の一歩手前まで保守政党が伸張した。マクロン(仏大統領)の人気が急降下しているが、もともと選んではいけない政治家を選んだからであり、フランスは当面、ドイツとの協調路線を維持できるか、どうかという政治的難題に直面することになる。

 日本のメディアも欧米論調を真似て「ドイツの選択肢」に対し悪罵の限りを投げつけているが、これらの情報操作はドイツの極左新聞とテレビの鸚鵡返しをしているだけで、トランプ当選を予測できなかった失敗をまた繰り返した。
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1632回】           
 ――「濫りに東方策士を以て自任す。此徒の心事最爲可憫」(阿川6)
  阿川太良『支那實見録』(明治43年)

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次いで阿川は「貿易に欠くへからさる貨幣之事を説」く。
なにせ全国各地で統一した貨幣制度がない。いわば悪貨は良貨を駆逐するから、対策として手形制度が発達し流通するわけだが、「支那の如き萬事不整頓不秩序」ならば当然のように「贋造不正の票子(てがた)往々市場に入り込む」。そこで北京には汚い身形で道端で屋台を構え「人の依頼に應し其の票子の眞贋を鑑定す」る「錢卓子」と呼ばれる商売がある。北京全体で「其數二百以上ありと云ふ」。彼らの連絡は緊密で、真贋鑑定に間違いはない。だが「此信用深き銭卓子」だが、その正体は「實に惡むべき紙幣贋造者の張本なり」。つまり警察官が、いや錢卓子は民間業者だから、さしずめガードマンということになろうが、それが盗人というわけだから、とんでもない食わせモノではないか。

  なんとも奇妙、いや珍妙なカラクリだが、「然れとも社會の必要に迫られて不得止政府も之を不問に付し去ると云ふ」。かくて「支那政府が萬事萬物小害を捨て大利を取るの主義は此一例にても察知す可し」と。

  先に述べた税関といい、我が国の政官財界の動きといい、錢卓子をめぐるカラクリといい、なにやら現在にも通じるように思えて仕方がない。とどのつまり日本式に「萬事萬物小害」に拘泥し続けているかぎり、「萬事萬物小害を捨て大利を取るの主義」には対抗し難いということだろう。

 そういえば毛沢東は50年代末の反右派闘争、それに続く大躍進、さらには文革で、いったい、どれほどの数の犠牲者をだしたことか。だが彼にとっては死屍累々たる犠牲者の山など、独裁権力という「大利」の前では「小害」に過ぎなかったに違いない。

「先富論」を掲げ共産党の権力基盤再構築という「大利」を目指した鄧小平にすれば、想像を絶する格差の果てに呻吟する人民の怨嗟の声など「小害」に思えただろう。経済発展至上を「大利」とした江澤民や胡錦濤の政権にとっては、おそらく公害などは「小害」に見えたはずだ。

  かくして「中華民族の偉大な復興」「中国の夢」を掲げ毛沢東超えという「大利」を目指していると伝えられる習近平の立場に立てば、さて、なにが「小害」なのか。

  党上層の不満分子(古来、「大患は忠に似たり」が鉄則である)、民主化を掲げる勢力、環境保護論者、現状不満をネットやSNSに訴える大衆、ウイグルやチベットなどの少数民族独立派など。国外に目を転ずれば、一帯一路に敵対する勢力、南シナ海問題に口出しするアメリカなど――あるいは、これらが習近平にとっての「小害」といえそうだ。

  それにしても阿川の「萬事萬物小害を捨て大利を取るの主義」という指摘は、中国の動向を見定めるうえでヒントとなるように思える。そこで先ず為すべきは、彼らがなにを「大利」とし、なにを「小害」と見做しているかを見抜くことではなかろうか。

  中華人民共和国建国以来の“疾風怒濤”を表すキーワードを思いつくままに拾い上げて見ると、三反五反、百花斉放・百家争鳴、反右派闘争、大躍進、人民公社、土法鉱炉、社会主義教育運動、文化大革命、紅衛兵、上山下郷(下放運動)、劉少奇謀殺、林彪事件、四人組逮捕、改革・開放、人民公社解体、独生子(一人っ子)政策、天安門事件、スネークヘッド、香港・マカオ返還、中台両岸関係、走去出、三個代表、和諧社会を経て現在の一帯一路から中華民族の偉大な復興、さらに中国の夢まで。

 それぞれのキーワードが象徴する政治において、なにが「大利」で、なにが「小害」だったのか。これまで日本は、中国の求めた「大利」を「小害」に、逆に「小害」を「大利」に見誤りはしなかったか。「大利」と「小害」を取り違えたことが、中国に翻弄され続ける要因だった。
ここに、日本の対中国外交における禍機が潜んでいるように思える。
《QED》
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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
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(読者の声1) ウアルカイシ来日!
 第七回「アジアの民主化を促進する東京集会」のお知らせ。
 民主化の希望の星、ノーベル平和町の劉暁波氏は獄中でなんの治療も受けず、黙殺されました。これは民主、法治、自由を願う中国人ばかりか世界の知識人の声であり、毒性政権は、このような運動を力づくで、押さえ込み、自分たちの好きなように中国を蹂躙しているのです。 
 アジアの民主化を希求するすべての人々に参集を呼びかけます
とき   10月14日(土曜)午後二時(一時半開場)
ところ  拓殖大学 文京キャンパス301
参加費  1000円(資料代)
基調講演 ウアルカイシ(中国民主運動指導者)
     アジア民主諸団体代表(アウン・ミン・ユン(ベトナム)。イリハム・ムハムティ(ウィグル)、オルホノド・ダイチン(南モンゴル)ほか
問い合わせ「アジア自由民主連帯協議会」(ペマ・ギャルポ代表、事務局 三浦小太郎)



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(読者の声2)衆議院解散、いよいよ総選挙です。安倍首相は「国難突破解散」と言いって。背水の陣ですが、民進党は惨敗するでしょう。問題は小池率いる「希望の党」がまたブームを呼べるか、どうか。
 自民党は辛勝できるでしょうか?
   (JJセブン)


(宮崎正弘のコメント)国内政治の論評はしないことにしていますが、与党が大勝するのではありませんか? 
民進党の壊滅はすでに明瞭であり、その前に離党して希望の党に合流した人たちはたぶん当選で、その分、「維新」の票を食うでしょう。
 小沢一郎の女性版、しかしブームは下火になりつつあり、いくらメディアが支援しても、国民の大半は北朝鮮の核ミサイルに対応できる政権を望むでしょうから、新党は期待するほどの躍進は考えにくいでしょう。
 「憲法改正」も「防衛費増大」も言わないのが「希望の党」ですから、そこには希望がない。
そもそも維新は「第二自民党」。それがこんどは「希望の党」が「第二自民党」となるというくらいの変動でしかないと思いますが。。。



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(読者の声3)桜チャンネルからお知らせです。
今晩(9月26日)午後八時からの「フロント・ジャパン」はキャスター福島香織さん、ゲスト宮崎正弘さんで、一時間番組となります。予定テーマは「米国は北の核を容認するのか」などです。



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(読者の声4) 貴誌で二年ほどまえに書評で取り上げられた「人種戦争-レイス・ウォー 太平洋戦争 もう一つの真実 ジェラルド・ホーン (著), 加瀬 英明 (監修), 藤田 裕行 (翻訳)」、読みたい本にチェックしていながらしばらく忘れておりました。
先日ようやく読了したのですが、第一次世界大戦以来の日本人の人種差別撤廃への訴えと活動がどれほど真剣なものだったのか、そして大東亜戦争(太平洋戦争)が世界の白人支配と人種差別を終わらせる決定的役割を果たしたのかが詳述されます。戦前の白人至上主義がどれほど白人にとって当然のことだったのか、日露戦争で日本に敗れたロシア人は二流の白人とされたという。
 アメリカでは黒人を味方につけるべく活動する日本人。黒人用のホテルに泊まり、黒人女性を伴い黒人教会で差別撤廃を訴える。聴衆に少しでも色の薄い黒人がいれば当局のスパイを疑い過激な発言を控える。戦前の日本のインテリジェンス工作もなかなかたいしたもの。太平洋ではニュージーランドのマオリ族、オーストラリアのアボリジニをはじめとする多くの島々の原住民を味方につける。日本は実際にパラオをはじめとする南洋諸島で教育と産業振興に力をいれました。元外務事務次官・米国大使だった村田良平氏の著書では旧日本領だった太平洋の島々が戦後米国領になり荒れ果てている様子に衝撃を受ける場面がでてきます。『山月記』の中島敦がパラオの南洋庁へ赴任していたこともあるほどですから、他民族にたいする日本人の教育熱はそうとうなもの。白人には理解できないものだったのでしょう。ニュージーランドの例では子供の戦争ごっこといえば相手はドイツ兵、日本人などサブヒューマン(類人猿)扱いだったという。

 戦争が始まるや香港では中国人がそれまでの反日を忘れ日本軍の進攻を歓迎した。三合会を中心に白人を皆殺しにする計画まであったという。もし日本軍が抑えていなければ「通州事件」の香港版があったのかもしれません。日本軍は盗聴や工作により、イギリス軍同士を戦わせる命令をイギリス軍に出させるほど巧妙だった。香港ではイギリス白人が最上層、ポルトガル人は白人扱いされない。住む場所もイギリス人は山の上、身分が下がるに従い住む場所も低くなる。混血児は中国人同様最下層。それまで中国人・混血児はイギリス本国の学位があっても文盲の白人よりも低い地位で働くしかなかった。日本占領下の香港で中国人・混血児の地位は急上昇。この地位の逆転は戦後も元に戻ることはなく香港政庁では広東語が必須となった。
 マレーでも同様、日本人はたいへん人気があった。マレー語を話そうとし、現地人を対等に扱った。軍事訓練では数十キロの行軍でも将校が同道する。英国の将校なら車で移動することだろう。シンガポールでも同様、日本の占領後、シンガポールの中国人は裏口から入るしかなかった施設に堂々と表口から入れるようになり、かつての英軍の将校食堂で食事をすることまで可能になった。

 インドネシアではオランダ時代に弾圧されていたナショナリスト・共産主義者をも反帝国主義者として取り込み、マルクス主義を教える講師とともに学校を建設した。1960年代に当時世界最大級だったインドネシア共産党の大会で、反欧米の歌の数々が流されたが、日本占領下で1942年〜45年に作曲されたものばかりだった。スカルノ時代の容共の元が日本占領時代にあったとは驚きでした。
 当時の東南アジアで知識人といえば多かれ少なかれ左翼傾向があったことと思います。抗日運動をしない限り共産主義者であっても使いこなしたのでしょうか。
 収容所での白人の扱いについては明らかに虐待とされることもあったかと思います。ただし戦前の子供向けの小説などでも白人がどれほど植民地支配で有色人種を苦しめているのかがたびたび出てきます。そして兵士となりアジア各地で白人の暴虐ぶりを目撃すれば白人に対する同情心など持ちようがなかったのかもしれません。

 本書に出てくる蒋介石と日本の関係、蒋介石は裏では日本と通じていたとあります。日本は中国全土を征服する力もなけれは、その気もない。蒋介石は対共産党の戦争に備えて援助物資を蓄えている。
遠藤誉さんの著書によると毛沢東は日本側にスパイを送り、金と引き換えに国民党軍の情報を流していた。
重慶・南京両政府支配地域の間で人の往来もあれば銀行取引もある。英米からすると蒋介石がドイツ繋がりで枢軸国側に寝返ることもありうると考えていたのでしょうか。
 (PB生、千葉)
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    今日の「読者の声」

    昭和17・18年刊の『朝日少年年鑑』には、パレンバンにおける落下傘部隊の写真と日本領土(朝鮮半島は内地と同色、台湾は別色だった)の地図、そしてマレー半島を南下する銀輪部隊の勇姿の写真が載っていた。

     「疾風怒濤」とは正に当時の日本軍の東南アジア進撃!だったのではないでしょうか?    


    当時の東南アジアにおける白人社会はパニックだったのだろうな。