宮崎正弘の国際ニュース・早読み(読書特集) (2017年09月24日発行) | 宮崎正弘の国際ニ | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


    読書特集はあまり載せないけれど、ダライ・ラマが出て来たのでチョッピリここ数年の自分が得た知識を・・・。

    日本民族≫大和民族≫縄文人が日本民族の遺伝子の流れである事はほぼ間違いないようです。

    日本人の遺伝子解析すると、男系男子に伝えられるY染色体のハプログルーブD系統なのも多くの人が知ってる事でしょう。

    A、B、Cは現代でもアフリカ大陸に存在する。DとEは出アフリカ大陸後に発生したと。Eは地中海近辺に存在。(ヒョットしたらカルタゴ(フェニキア人?))あたり鴨。あとパレスチナ辺りかな?

    ハプログルーブDは現存するのは日本列島とチベットそしてインド洋のアンダマン諸島(此処は未開のままなのでインド政府も手付かずの状態とか)のみ。

    Dの遺伝子を持つ民族は後から進出して来たOのグループに駆逐されたんだろうと推測されている。Dの遺伝子を持つ民族は戦わない民族だったのだろう。縄文遺跡から大型の矢尻や武器らしきものが出土しない事から僕はそう考えている。支那大陸・朝鮮半島にはDの遺伝子は殆ど存在しないらしいから全く別系統の民族だと断定できる。日本人の中で50%超存在するOの遺伝子を持つ人たちは遥か昔(3〜4千年前からかなあ)に日本列島に渡って弥生文化をともに築いたのだと思う。だから、現代の支那大陸人や朝鮮半島人とは何の関係も無いと。

    青森の三内丸山遺跡からは円形集落を構築していた事が判っている。円卓会議の如く集落の住民たちはほぼ平等な社会?を造っていなのだろう。


    支那畜共産党の侵略でチベットがどうなっているのか、非常に危惧している。ダライ・ラマ猊下が訪日している姿はまるで日本の爺の如しと親近感しか湧かないのは何故だろう。


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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017) 9月24日(日曜日)
        通巻第5444号  
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(読書特集)

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大島信三『ダライ・ラマとチベット』(芙蓉書房出版)

外川淳『地図から読み解く戦国合戦』(ワック)
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 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
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 鎖国時代のチベットに冒険好き日本人宗教家が数名も潜入に成功

  なかにはダライ・ラマ十三世の親衛隊長を努めた猛者がいた

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大島信三『ダライ・ラマとチベット』(芙蓉書房出版)
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 チベットへの冒険譚といえば川口慧海である。大谷探検隊のこともよく知られている。ところがほかにも無名の日本人が、あの時代にチベット潜入に成功していた。なかには宗教家のほかに情報部員もいた。
 明治時代にチベットに入国できた日本人は三人いた。
 大陸浪人が輩出した満州にロマンを追いかけ、無限の曠野に流れ出した日本人たちの先駆けと言えるかも知れず、その冒険記には手に汗を握るストーリーがある。
 さて台風が途中でコースを右カーブしたため、評者は連休の予定が壊れた。二日間、雨。そこで手にしたのが本書だが、読み始めたら面白くて、ページを置くのももどかしく、結局、先の連休は本書に没頭した。
 著者の大島信三氏は元産経新聞記者。『週刊サンケイ』編集長、そして『正論』編集長だった。
1989年に産経新聞の企劃でインドへでかけた筆者はダライ・ラマ法王とのインタビューに成功した。長時間のインタビューは哲学、政治、文化を含むもので、それが本書の下敷きとなっている。
その後も並々ならぬ仏教への関心を深め、「仏教とは何か」をめぐって司馬遼太郎や中沢新一らにもインタビューを重ねた。
何がそうさせたのか。評者が不思議と思ったのも、氏の前作は「宮尾登美子評伝」であり、こんどはダライ・ラマだから、その知的好奇心の振幅度が広すぎるからだ。しかし大島氏にとっては、が傑出した人物の波瀾万丈の人生こそが興味の対象なのだろう。

 こんにち北京へ行くと孔子廟の近くに宏大な敷地のチベット寺院、擁和宮がある。
いまでは観光地となって、夥しい外国人が押し寄せるが、共産独裁体制の中国で、よく、この仏教寺院だけが破壊を免れたものと感心するばかりである。ただし評者(宮崎)も、二回行っているが、その観光ずれした俗化現象に、宗教の神秘性を感じない。ここはもはや聖地ではない。
 内蒙古自治区(南モンゴル)へ行くと、フフホトにもパオトウにも仏教寺院がある。いずれもチベット仏教である。
 パオトウ市外のチベット寺院にはタクシーをチャーターして行ったが、見学者ゼロ、雑草に蔽われ、荒廃していた。
評者が中国でもっとも驚いたのは中国の仏教の聖地と言われる山西省の五台山。東西南北に中央の五つの頂上に寺が建立されている。
十五年ほど前に四輪駆動のジープで四時間ほどかけてまんなかの中台に立つ寺院を拝観したことがある。驚くなかれチベット仏教のお寺だった。あの無神論の江沢民も、五台山に二回登攀している。
 思い出した。かつて唐の時代、チベットは都の長安を落としたほどの軍事大国でもあったことを。
 現在の青海省、四川省、雲南省の大半はチベットだった。だからパンダはチベットの動物である。
青海省の西寧郊外にも、ポタラ宮のような宏大なチベット寺院の塔爾寺がある。
 吐蕃(チベット)は政略結婚でシナから嫁を迎えた。中国からみると、これは和宮降家のような配慮だと言い張り、青海湖のほとりには巨大な像を建てた。歴史改竄である。
 
 本書はチベットの歴史書でもあり、仏教が入る前の古代史、またダライ・ラマ一世からの物語で成立している。労作である。
 とりわけスリリングで面白いのは第9章「チベットを目指した明治の日本青年たち」から第十一章までである。
 冒険をする必須の条件は体力と語学力である。日本の明治期に盛り上がった「チベット熱」。リードしたのは東と西の本願寺だった。東本願寺の期待を担った寺本婉雅と能海寛。そして無名だった成田安輝がいた。成田は情報部員だった。かれには桁はずれの軍資金があたえられた。
清朝の皇族をサポートした寺本婉雅。やがて主導権利東本願寺から西本願寺へ移った。ダライ・ラマ13世が光緒帝と西太后の葬儀を主催したが、背後に日本の支援があった。
このダライ・ラマ13世の信頼を得たのが多田等観、大谷光瑞だった。夛田はダライ・ラマ13世の家庭教師となり、やがてインドへ向かうこととなった。
異色の軍人はピストルを携行していた矢島保治郎で、なんとダライ・ラマの親衛隊長になったのである。
 波瀾万丈、このあたりとなると下手なサスペンス小説の迫力を超える。

 ▲ダライ・ラマ十四世の長年の願いは「法王制度から民主チベットへ」だった

 チベットは受難の歴史を辿り、共産革命のあと、ダライ・ラマ十四世はインドに逃れ、亡命政府をつくった。ノーベル平和賞に輝く法王は世界各地を講演行脚するが、とくに来日回数が多く、また仏教国である日本ではいつも大歓迎を受ける。
 そのチベットがダライ・ラマ十四世の主導の下で、画期的とも言える、これからのチベット歴史を変革する新状況になっている。
 法王は次期ダライ・ラマの選定について、「中国以外の人がなるかもしれない。外国人かも知れない。そして女性かも知れない」と驚くような発言を繰り返している。
 そして2011年、チベット亡命政府にセンゲ首相が誕生し、政治体制が変革された。
 「法王制度に若い頃から懐疑的だった十四世は折に触れ、『わたしは、チベットの人々が自分たちで選んだ指導者に権限を委譲したい』と言い続けてきた。だが、チベット亡命社会だけでなく中国に残るチベット人、世界に散らばるチベット人に対する求心力や国際社会における発言力で十四世に替わり得るひとは見あたらず、法王の願いは長い間、聞き入れられなかった。2011年(平成二十二年)三月、法王の願いがようやくかなって亡命チベット人の間に自由選挙が行われ、新首相が誕生した。これはダライ・ラマ政権の終焉でもあった」
 後世の歴史家は、この法王から首相への権限委譲という大変革を「歴史の転換点と見なすに違いない」(34p)と大島氏は大書する。

 本書の全体の内容は次の通り。
第1章 チベット仏教の本家で閉じられた法王制
 ガンジー流政治姿勢にノーベル平和賞/ドラマチック街道でインド仏教消滅を思う/中村元、インドを語る/大乗仏教と小乗仏教/司馬遼太郎、密教を語る/中沢新一、チベット密教修行を語る/チベット仏教の僧院と僧侶/オン・マニ・ペメ・フーム/真夏の午前九時九分九秒に歴史的宣言
  第2章 ダライ・ラマ14世の誕生秘話と遥かなるルーツ
 パンデンと五体投地/国境警備を強化する習近平政権/法王公邸の詰め所と応接室/チベット自治区の現状と問題点/タクツェル村とクンブム僧院/神話の世界と現実/馬小屋で法王を出産した母親/大伯父はクンブム僧院長/日月山の対照的な風景/ソンツェン・ガムポの時代/文成公主と釈迦牟尼像
 第3章 古代チベット王国の興亡とチベット仏教の変遷
 ふたたび唐の姫君、チベット王室へ/日本より序列が上だったチベット/インド系僧侶と中国系僧侶の論争/ダライ・ラマ以前のチベット/ツォンカパとガンデン僧院
  第4章 世にも不思議な生まれ変わりという相続システム
 活仏という言い方はまちがい/チベット人の生きる術/転生相続制の利点と欠点/カルマの法則/キリスト教と輪廻転生
 第5章 ダライ・ラマ1世、2世、3世、4世の説話と史実
 ダライ・ラマ1世とカラス伝説とタシルンポ僧院/ダライ・ラマ2世とラモイ・ラツォ湖/ダライ・ラマ3世とアルタン・ハーンの歴史的会見/ダライ・ラマ4世はモンゴルの貴族出身
 第6章 ダライ・ラマ5世、6世、7世、8世の劇的人生
 初のチベット法王となったダライ・ラマ5世/ポタラ宮殿の法王の居室/13年間伏せられたダライ・ラマ5世の死/遊興にふけって廃位となったダライ・ラマ6世の恋歌/チベット通の間で人気が高いダライ・ラマ7世/パニックのラサを救ったダライ・ラマ8世
 第7章 ダライ・ラマ9世、10世、11世、12世と摂政とネーチュン神託師
 イギリス人探検家を魅了したダライ・ラマ9世/くじ引きで決まったダライ・ラマ10世/権力抗争に巻き込まれたダライ・ラマ11世/ダライ・ラマとパンチェン・ラマの関係/ダライ・ラマ12世とパドマサンバヴァの予言/転生相続制の最大の受益者は摂政/ネーチュン神託師の役割
 第8章 ダライ・ラマ13世の前半生と外国勢との関係
 チベットとその周辺を翻弄した列強/危険期間を乗り切ったダライ・ラマ13世の胸の内/怪僧ドルジーエフ/ヤングハズバンド隊の侵攻とダライ・ラマ13世の亡命/チベット法王と張り合ったモンゴル法王/ダライ・ラマ13世とクンブム僧院の縁
 第9章 チベットを目指した明治の日本青年たち
 挑戦者の基本条件は体力と語学力/明治のチベット熱をリードした東西本願寺/チベット大蔵経の価値/禅僧の河口慧海がいだいた疑問/東本願寺の期待を担った寺本婉雅と能海寛/成田安輝は情報部員/イギリスのスパイと疑われた河口慧海/桁はずれだった成田安輝の軍資金
 第10章 ダライ・ラマ13世と西太后と大谷光瑞
 清朝の皇族をサポートした寺本婉雅/日本の不運でもあった能海寛の悲運/ネットワークは東本願寺から西本願寺へ/ダライ・ラマ13世、光緒帝と西太后の葬儀を主宰する/ダライ・ラマ一三世を感動させた日本公使のおもてなし/ダライ・ラマ13世、ふたたび亡命の旅に/大谷光瑞が求めた留学生の条件
 第11章 ダライ・ラマ13世の信頼を得た日本人たち
 多田等観、大谷光瑞から呼び出される/ダライ・ラマ13世の秘蔵っ子、秋田弁を学ぶ/多田等観らインドへ向かう/カリンポンの日本人たち/勝者と敗者/二〇三高地の勇者/ピストルの威力/矢島保治郎、親衛隊長になる/前橋市民の度肝を抜いたチベットの貴婦人/ダライ・ラマ13世、多田等観を突き放す/大正の玉手箱事件/多田等観の贈りもの/ダライ・ラマ13世、この世を去る
 第12章 ダライ・ラマ14世の少年時代
 タクツェル村の奇跡/本命はタクツェル村に/身代金を要求したイスラム教徒の省長/ラバの長旅と青蔵鉄道の26時間と/ダライ・ラマ14世を一番最初に見た日本人/修行の場に特別扱いはなし/少年法王の友だちは清掃員/ルーズベルトからの贈りもの
 第13章 ダライ・ラマ14世とパンチェン・ラマ10世と毛沢東
 不吉な現象/ネーチュン神託師のお告げ/長兄の衝撃証言/ダライ・ラマ14世、ラサを離れる/パンチェン・ラマ10世、ラサに入る/毛沢東と周恩来/ダライ・ラマ14世、インドを訪問する
 第14章 ラサからダラムサラへの道
 運命の3月10日/一難去ってまた一難/インドの地で日本亡命を勧められる/ダラムサラに学校をつくる/文化大革命とヤクの災難/小学校になっていたタクツェル村の生家/中国の掌中にあったパンチェン・ラマの悲劇/消えたニマ少年/ダライ・ラマ14世がゆく
 第15章 脱走に成功したカルマパ17世への期待
 若者が親近感を抱くリーダー/カルマ黒帽派とカルマ紅帽派/カルマパ16世の海外布教/後継者選びで一波乱/少年座主の苛立ち/カルマパ17世の脱走作戦/胸の内の秘めた決意
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(休刊のお知らせ)地方講演旅行のため、小誌は9月25日号を休刊します。 
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 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
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 日本史を動かした十の合戦場を詳細に、立体的に活写
  地図を多様化し、グラフィックにすると合戦の全容が浮かんでくる

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外川淳『地図から読み解く戦国合戦』(ワック)
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 『歴史通』に連載されていたときから、注目して読んでいた。自分の足で合戦現場をしっかりと歩く著者の外川氏は、展望できる場所に立って、まず合戦現場を俯瞰するばかりか、細かな戦闘現場を緻密に調べ、総合的に、グラフィックに日本の歴史を動かした十の合戦を分析する。
 その十とは桶狭間、川中島、長篠、山崎、小牧・長久手、上田、小田原、関ヶ原、大阪冬の陣と夏の陣である。それらの鳥瞰図であり虫瞰図だ。
 この本、しかもすべてカラー、新技術を活かした編集の工夫のなされており、ヴィジュアルな立体映画をみるようにするすると戦争現場に溶け込んでゆける。
 評者の個人的なことを書くと、これらいずれも歩いた。
戦国時代以前の湊川、源平なども地方へ所用で出かけると寄り道し、この数年は西南戦争のあとを克明に歩いてきた。したがって、こういう歴史書はかならず読むことにしている。
しかし個人では観察に取材に限界があり、見落とす箇所が多いから他人様が観察した書物に必ず新発見があるからだ。
 城歩きのファンが多いが、合戦場歩きは、むしろ軍事評論家に多く、安全保障議論にからめて過去の教訓を得ようとする動機のほうが強い。たとえば柘植久慶氏らの一連の著作がそうである。
 さてもう一つ個人的に注目したのは、本書のなかで「小牧・長久手」戦役に触れていることだ。上記十の合戦の中で、じつはもっとも注目されない戦争である。
 織田信長の跡目相続の確執で、政敵・柴田勝家を賤ヶ岳に破り、破竹の勢いにあった秀吉の前に立ちふさがったのが徳川家康だった。
家康は織田信雄の要請をうけて三河から清洲へ入り、小牧を本陣として、秀吉軍と対峙した。
信長と幼年時代から親しかった池田恒興は森長可と組んで、あろうことか織田信雄に付かず、秀吉に付いた。そして大胆にも「三河中入れ」を進言し、秀吉の甥、秀次を総大将に夜間行軍を重ねる。
 家康は先回りに、この秀吉の大軍の長く伸びきった軍に奇襲をかけて、ほぼ殲滅した。
秀吉は青ざめた。戦争には勝った家康だったが、後日、信雄が秀吉の調略に丸め込まれ、総合的政治力により、やがて家康は秀吉と和睦する。
 じつは評者、この背景を調べること二十余年、池田恒興は家康の隠れ同調者で、中入れの軍をそのまま裏切って家康に走るというシナリオを描いてみると、合点がいくことばかりなのである。
内応を承諾した家康が土壇場で逆転し、池田を葬るという壮大な謀略、その立案は石川数正であったとすれば、後の数正の裏切りも偽装亡命ではなかったのか。
 秀吉はそれを知っているからこそ石川数正を大阪の後背地にある岸和田に配置させ、家康との裏の連携を防いだ。
 いま書いたことは評者独自の解釈であり、二十年かけて、ようやく五百枚近く書いた。
 しかし、いまひとつ不明な点があるので、まだこの原稿は寝かせたままである。このような個人的経緯からも、本書の小牧長久手の俯瞰図は、大いに役立った。外川氏に謝意を顕しておきたい。

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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)国連演説にでかけた安倍首相の演説は「話し合いは無駄、圧力アルのみ」と強烈でした。そのあとの日米韓首脳会談で、あっと驚きは、安倍首相のパースディケーキの演出。ネットの意見をみると、凄まじく反応が多く、しかし喜んでいる場合か、という意見が多いです。
 日米同盟の深化の象徴と捉えるべきか、逆に米国が日本の機嫌をとろうとしているのか、このトランプの演出、いかに?
  (NH生、横浜)


(宮崎正弘のコメント)首脳会議の舞台裏は様々な外交的工夫が凝らされており、こんどの土産は何だったのか?
とくにトランプ大統領が国連演説で北朝鮮の拉致にふれ、「13歳の少女」に言及したわけですが、舞台裏で誰が、このスピーチを書かせたのか。
 ポッテンガー補佐官、ボルトン元国連大使らの裏の動きがあったのか、どうか。
 ポッテンガーは大統領の名代として、五月の「一帯一路」フォーラムに出席しています。かれは海兵隊。その前はウォールストリートジャーナル北京特派員。拉致問題でも、前向きで日本代表にアメリカで取り組んでいる人。ボルトンもそうです。
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    印度での大歓迎から、ニューヨークでのトランプの誕生日の祝は何方も日本・安倍晋三を抜きには、外交が先に進まないとの現れだと僕は考えている。


    前に駐韓のアメリカン・スクールのフェイスブックが更新無しなのは、このブログに載せた。在韓米人は空っぽとは云わないが、それなりに減少しているものと思われる。

    米国は米韓軍事協定の破棄、駐留米軍の撤退を考えているのだろうと想像している。第二次朝鮮戦争が始まる?    

    トランプの訪日後に北への攻撃は考え難い。北と国交がある国は160ほど。日米ともに「国交断絶せよ」と迫っているものと考えられるが・・さてどうか。

   四面楚歌まで追い込まないと物事が動かない気がするのは妄想爺の妄想だろうか?