宮崎正弘の国際ニュース・早読み <<中国はサウジアラビアの対米依存基軸の転換を狙う (2017年 | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


    イスラム教徒間では、利息が無いなんてのを聞いた・見たのは何時だったかなあ。

    現在はどうなってるか知らない。中東で日本の繊維関係者が何年も苦渋を舐めさせられた結果(平気で他人を騙す商売)、中東での衣類(白色・黒色)は全てに近い程、日本が独占しているらしい。

    支那畜もイスラムも支配層が「賄賂」が大好きな人種たち。ドッチが騙し上手か遣ってみるといいんじゃないかと密かに思っているけどなぁ。


宮崎正弘メルマ
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017)9月5日(火曜日)
       通巻第5419号  <前日発行>
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 ドバイ、オマーンへの食い込みばかりか

  中国はサウジアラビアの対米依存基軸の転換を狙う

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 サウジを筆頭とする中東諸国の原油輸出。いつまでも日本が最大のバイヤーではない。中国はいま世界中から一日900万バーレル強の原油を輸入し、二位は500万バーレル強のインド、日本は400万バーレルそこそこで世界三位に転落している。
もっとも日本は省エネが進んでおり、日本車の燃費効率は世界一である。

 トランプは初の外遊先をサウジアラビアとしたが、第一にオバマ政権下で冷却した両国関係の正常化、外交の修復にあり、第二に1100億ドルにもおよぶ武器輸出である。
その後も、米国政権の主要人物のサウジ詣では続いているが、隙をぬって中国は政治局常務委員で「石油派」の張高麗をリヤドに送り国王と面談している(8月24日)。

 米国は自身が産油国であり、サウジアラビアからの原油輸入はほぼ必要がなくなった。原油価格暴落、その後の低迷によって、サウジは財政赤字に陥り、国営企業アラムコの株式を市場に売却を決意し、苦境に陥った経済の回復をはかるために初の赤字国債も発行する。

アラムコの大株主を狙うのは中国である。ペトロチャイナがすでに名乗りを上げている。いずれ政治的発言力を倍加させ、原油取引もドル建てから人民元建てに切り替えをサウジに要求するだろう。

 ドバイに中国は「ドラゴンモール」という商業アーケードを建て、中国製品のセールばかりか、中国の銀行が人民元預金を募集している。隣のアブダビでも同様な商業活動が目立つ。かつてドバイ・バブル崩壊の折、一番ソンをしたのが中国の投資家、それも温洲の投機集団だったが、あれから数年を閲して中国人はドバイ、アブダビにも復帰した。

 顕著なのはオマーンへの食い込みである。

 ドゥクムの港湾整備と工業団地の造成を中国はAIIB融資のかたちで執り行うことを決めており、またエジプトにもスエズ運河の南端に工業団地造成をプロジェクト化している。
 サウジ、UAE、エジプトなどが北京の「一帯一路フォーラム」に熱心に出席したのも、こうした経済的背景があった。

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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1622】                   
――「獨乙・・・將來・・・無限の勢力を大陸に敷けるものと謂ふべきなり」(山川12)
  山川早水『巴蜀』(成文堂 明治42年)

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 山川の筆は教育事情へと移る。
 「成都の?育は、明治三十六年中に於ける本邦?習の招聘を以て、新舊の界線となすべし」とし、「最初に聘せられたるは、武官松浦寛威外三氏」で、彼らは「武備學堂に在りて、軍事?育の端緒を開」いた。同年12月、池永太六ら3人が普通教育に従事するべく四川入りし、かくして「四川の新?育は、本邦人に由りて移植せらりたりと謂ふも過言にあらず」。

 それ以来、四川では軍事教育も普通教育も日本が手本だった。だが北京の清朝政府の教育方針が「一び西洋文物直輸入主義に傾き、留學生の登用法にも、日本留學生と、西洋留生との間に、甚しき輕重を設くるに至」った「余波」が四川にまで及び、「明治三十九年以後、俄に英米?習を増聘」するようになった。とはいえ、「最初より今日まで、成都−四川―の?育は、依然として本邦人の手に存せり」。だが「支那人は一般に、日本?習に頼るを迂なりとし、内心西洋人のみを聘せんと欲す」るが、「招聘手續の面倒、旅費、俸給の多額、?授上言語の困難等の爲」に、現実的には次善の策として日本人教習に頼りことになる。

  それにしても多くを日本に頼っているにもかかわらず、「支那人は一般に、日本?習に頼るを迂なりとし、内心西洋人のみを聘せんと欲」しているが、ことは教育だけに留まるわけではないだろう。この点に、先人は深く思いを致すことはなかったのか。毎度おなじみの一衣帯水やら同文同種やら、はては同生共死まで、日中関係を形容すべく案出された四字句を余りにも安易に唱えていたのではなかったか。歴史を振り返ってみるなら、中国に対する自主的な判断が、時に四字句の呪文に眩惑されネジ曲げられたことはなかったか。

 次いで「蜀人の氣質」を論じ、「同じく支那人なれば、蜀人なりとて、其通有性の外に在る能はざるは勿論」ではあるが、大陸中心部からは隔絶する「山國にして、豐富なる天惠に浴せる人民なれば、其氣質一般に平靜なり」。「其外國人に對する態度も、先づ安隱の方」である。旅行家や探検家からすれば、「鑛苗捜索、測量的探檢乃如き、彼等の反抗心を挑發する擧動に出でざる限り、恐くは襲撃迫害を被ること」はないだろう。

 このように「氣質一般に平靜」であるゆえに、すでに広東や湖南で起こりつつあった清朝打倒を掲げる革命思想も、皆無とはいわないまでも、「蜀人は格別其波動を被らざるが如」きだ。それというのも「蜀の富は彼等をして其堵に安んぜしむるに足り、蜀人の智は、容易に目的の達せられざる革命を唱へ、若くは之に和すの急務ならざるを知る」からである。

  日本では辛亥革命に際して大きな働くをなしたとも評価されている秘密結社の哥老会について、「本邦人間には小説的事實として傳へられど、本國にては、左程の取沙汰も無」い。「官民共に措いてこれを顧み」ることはない。「其徒は四川にも、成都を始め、各地に散居すれども、無頼の烏合のみなれば、そが如何なる野心を抱くにせよ、思想界には、何の輕重するところもあらざるなり」と、哥老会に対する評価は極めて低い。

  つまり山川によれば、「其氣質一般に平靜な」る四川人は現状に安んじているゆえに「容易に目的の達せられざる革命を唱へ」ることはないし、ましてや反満感情を抱く現状不満分子が多く参集するとされる秘密結社には思想的に評価すべきものがない、ということだろう。ここで注目したいのが、「本邦人間には小説的事實として傳へられど、本國にては、左程の取沙汰も無」いとの件だ。

  思えば山川の時代のみならず、現在に至っても「本邦人間には小説的事實として傳へられ」、それゆえに時に過大に、また時に過少に評価され、現実的には日本外交の政策やら進路を誤らせる事例が少なくないように思う。
「支那にゃ四億の民が待つ」式の無謀極まりない「小説的事実」も、「本國にては、左程の取沙汰も無」い事例の典型ではないか。
《QED》
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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
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(読者の声1) 貴誌前号の読者欄ですが、シェーンノートのフライングタイガーズは、アメリカの中国援助のための戦闘機の派遣であり、これは義勇軍の形をとった。
 JB355は本格的な日本への先制攻撃であり、分けて考える必要があり。シェーンノートはこの両方にかかわっている。
 JB355はあくまで真珠湾前の日本への先制攻撃計画であったが、これはそのまま実行されることはなかった。その理由は対日先制爆撃機はチャーチルの要請で急遽、その機材がイギリスに回された。
しかし日米戦争開戦後、義勇兵という偽装の必要がなくなり、アメリカは中国の基地からB29などが主に九州、西日本の空爆にした。当時小生は<東部軍監区情報>の情報空間にあり西日本のB29 が中国大陸からきていることは知らなった。関東地区の東部軍監区情報による空襲警報では敵機はみな南方からくるものと思っていた。
JB355を抜きにした日米開戦研究は不十分である。 
小生は宮崎さんなどのお供をしてシェーンノートが造った中国・湖南省芷江空軍基地とその記念館を見学しておりシェーンノートの活動に関心をもつようになった。日米戦争は日中戦争の延長であり、日米戦争の本質理解には、米中問題への視界を欠いては極めて不十分である。
最近アメリカで話題になったJames Bradley 「THE CHINA  MIRAGE」2015や
 Maochun  YU「OSS in CHINA  Prelude to Cold War」1996 (翻訳なし)
を読み解く必要あり。いままで日本の歴史家がほとんど触れてない米中関係の新しい視界が開けるであろう。
なお以下もご覧あれ!
日経新聞社『「幻の日本爆撃計画 Preemptive Strike」 Alan Arm Strong  塩谷紘訳 
1/2 米ABCテレビ 「20/20」 1991年12月6日放送
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-134.html
フライング・タイガーこそ、アメリカが真珠湾攻撃以前から対日戦争に参戦していた何よりの証拠だ。@正統史観年表
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-134.html
 そのほかシェーンノート & Flying Tigersについてはネットに相当数の情報あり。
    (TH生、世田谷区)



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(読者の声2) 宮崎正弘さんと渡邊惣樹氏との共著『激動の日本近現代史 1852−1941』(ビジネス社)を拝読中です。
思い出しました。1952年はアメリカによる日本への「手術」が終わり、アメリカに忠実な日本が誕生した年です。
 1852年からちょうど百年です。アメリカの百年計画が成功したとも言えます。
  (SS生、所沢)

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    支那大陸の住人を文明化した人間と捉えるから、齟齬が起きた!起きるのだと僕は考えている。秦の始皇帝の時代から終始周りの遊牧民が流入し、その後は牧がとれた遊民(何で暮らして来たかは知らない)だったろうと考えている。

    隋・唐では鮮卑(遊牧?遊民集団?)だったのだから、その後は推して知るべし。支那大陸内部に住む人間は時代を経るにつれ混血化していったろうことは、誰しも思いつく事。

    多種多様な顔貌と訳が解らないほどの方言の存在こそが多人種社会が未だに継続していると見るべきでは無いだろうか?

    日本は支那大陸人に幻想を抱き過ぎたのは、致し方ないけど、今後は見方を変えればすむことでは?


    妄想が膨らむなあ。