宮崎正弘の国際ニュース・早読み <<三内丸山遺跡で縄文の文明と文化を考えてみた (2017年08 | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


    エッセイを読んで正直ガッカリした。三内円山の遺跡の価値を宮崎氏は過小評価してるだけだ。縄文や弥生の遺跡と他民族の遺跡との同一性に目がゆくとは。

    国内の事柄には言及すべきじゃないな。彼は日本出土の石器が世界最古の磨製石器つまり新石器は日本が最古だと知らないのだろう。


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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017)8月15日(火曜日)弐
        通巻第5393号  
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<<エッセイ>>
   ♪
  三内丸山遺跡で縄文の文明と文化を考えてみた

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 夏休みの真ん中。国際ニュースを離れて随筆を書きます。今朝、午前六時開門前に靖国神社へ行って参拝を済ませました。
一番乗りもこれで五年連続、それまでは昼前に参拝していたのですが、あの夥しい参拝者の行列に感動する一方で、やはり靜かで、参拝者がすくない早朝が良いと思うようになりました。
開門前、すでに500名ほどの列ができていました。人々が何を祈ったのか、小生は参拝のあと、桜チャンネルのインタビューを受けたので「トランプ大統領が訪日のおり、是非、安倍晋三首相と連れだって靖国参拝をやってもらいたい。戦後72年の日米関係を画期できることになるでしょうから」とコメントしておきました。

 さてーー。
「三内丸山遺跡で縄文の文明と文化を考えた」
 
 吉野ヶ里遺跡には数年以上前に行ったが、率直にいって感動が薄かった。
 弥生式のおおきな集落で共同墓地もあり、高床式の建物、堀、物見櫓、しかし稲作文化、太陽信仰の弥生式遺跡の典型であるものの、あまり精神性を感じない。
 外敵の侵入を防ぐために二重の壕をしつらえ、防止柵、物見櫓に武器庫。発見された人骨には刀傷、首のない遺骨もでてきて、戦闘が行われていたことを証明している。
 吉野ヶ里は佐賀県が工業団地を建設しようとした1980年代に発見され、発掘がすすみ、特別史跡と認定された。
 そうだ。弥生式は稲作であり、外国との交流もあり、したがって部外者との戦闘が随伴したのだ。

懸案だったのは三内丸山遺跡である。
いつか機会があれば訪ねたいと思っていた。江戸時代から遺跡が埋もれていることは分かっていたらしいが、工業団地建設予定地を掘っていたら、巨大な遺跡群がでてきた。縄文文明の象徴でもあり、しかも縄文遺跡は北海道と東北に集中している。
私たちの世代が小・中学校でならった歴史教科書では、日本最古のものは弥生式の登呂遺跡とされていた。吉野ヶ里も三内丸山も発見されておらず、登呂遺跡が西暦1世紀頃。農村、高床式倉庫、水田跡、そして竪穴式住居。したがって私が登呂遺跡を見学したのは高校生の時、ひとりで日本をほっつき歩いていた折だった。なぜか、興奮して見学した記憶がある。

縄文時代の象徴的な遺跡として三内丸山が特別史跡に認定されたのは近年である。
青森県と秋田、岩手には十数の縄文遺跡がある。青森ではほかに亀岡遺跡を見た。岩手県では御所野遺跡と是川遺跡。ほかにもたくさんあるが、いずれも遠方、奥地、辺疆にあるので、一度には回れない。 


▲縄文の人々は何を神に祈ったのだろう?

縄文の遺跡からでてきた人骨には刀傷もなければ、身体障害者が成人したものがあり、当時の縄文文明は介護が行われ弱者切り捨てではなかったことが偲ばれる。縄文の時代は紀元前一万年から紀元後1世紀と言われるが、三内丸山は紀元前六世紀から四世紀に栄えた集落で、およそ一千年に亘って平和だったと推定されている。
稲作文化ではないが、栗、クルミ、トチの実を食べており、ひょうたんの栽培もしていた。野ウサギやムササビ、鯨、ぶり、ふぐ、サバを食べていた。
それらを狩猟するための道具が黒曜石の槍など。
発掘された副葬品や器具。鹿の角でつくった工具、鯨の毛を応用した釣り針、翡翠の大珠。縄文人は火を使うことを知っており、ドングリは煮て食べたらしい。土瓶、土器、壺、そして容器、袋が出土した。紀元前4500年頃には縄文のポシェットが編まれており、後期には漆の技術もあったことが分かっている。
32メートルの竪穴式集合住宅が復元されており、なかにはいるとかなり広いのには驚かされた。

なかでも圧倒的なのは土偶である。「大型板状土偶」が三内丸山から出土したが、なぜか、ギリシアやキプロスの博物館でみた土偶と共通性があるとおもった。
亀岡石器時代遺跡(これは海に近く、三内丸山より古い)の展示室でみたのは「遮光器土偶」で、大きな目玉が飛び出している奇妙なかたちだが、おそらく太陽光を遮る眼鏡だろうと推定されている。太陽信仰の宗教儀式に使われたのか、学説には様々な解釈があり、考古学に興味の薄い小生には、それ以上のことは分からない。
しかし、目玉がもっと飛び出した青銅器の人形を私は中国四川省の三星堆遺跡でみている。

中国各地を旅行していた頃、三十三省の全てを十数回に分けて旅したが、遺跡でいえば、河母渡、三星堆などにも足を延ばしている。
黄河文明よりも、揚子江文明が古いことは考古学的にもわかっているが、中国の政治主導の歴史観では「黄河文明四千年」ということになっており、それより古い文明は明らかに漢族のものではないから、あまり宣伝をしない。だから訪れる人がすくない。
河母渡遺跡へ行くには大変だった。長距離バスを乗り継ぎ、タクシーをチャーターし、さらに河岸から艀に乗って、ようやくついた遺跡群の跡は、なにやら人工的で、建物はレプリカだが、考証のあとが杜撰である。
四川省広漢市にある三星堆積に到っては、記念館だけがジオラマ在り映写室在り、蝋人形の展示在りで近代的施設だが、嗚呼、これじゃ改竄した南京大虐殺記念館のように、真実の臭いから遠いと思った。だが、中国遺跡との比較論は別の機会に譲る。


▲環状巨石の群れは、いったいどんな文明があったのか

じつは縄文遺跡のなかでも、いちばん興味があったのは「大湯環状列石」、いわゆるストーンサークルだった。
英国のストーンヘンジ、マルタの巨石神殿ほか世界各地の巨石神殿と、共通性がある。太陽信仰で石の並べ方に科学があり、日時計にもなり、そして巨石の配列は、その下が墓場でもあった。これはイースター島のモアイ像とも、発想とその精神文化に共通性がある。アモイ像は墓標である。

秋田県鹿角市にある大湯環状列石に行くのも、ちょっと大変である。
車の運転が出来ない小生には、近くの駅からタクシーとか、徒歩、あるいはレンタサイクルとなるが、なにしろ、この遺跡も森で囲まれており、付近には熊が出没するので県道を車で走行し、車窓から撮影するしかないという。
遺跡は宏大であり、中央の広場に記念館がある。この付近だけは熊がでないらしい。
 これが大湯ストーンサークル館(秋田県鹿角市十和田大湯字万座)だ。30キロ前後もある重い石が7200個。これを二里近く離れた安久谷河から、それも緑色の石だけを撰び、クレーンもない、重機もないブルドーザもない時代に人力で運搬し、環状に並べたのだ。それが凡そ4000年前と推測されるので、縄文文明に属する。
 イースター島でみたモアイも、採石場から、人の力でえっちらほっちら海岸へ運んだ。

縄文人は何を思い、どのような形式で信仰を深め、いかなる祭りを行ったのだろうか。人々は何を祈ったのか。
火の祭り、巫女がいて、宗教儀式の神秘があり、文化の深奥が展開されていたに違いない。遺跡から発掘された夥しい土偶、土器、飾り物、壺、木製や石の農耕具、矢、石斧、これらのひとつひとつが手製であり、縄文人が丹誠込めて、そして祈りを籠めてつくったのだ。

AI文明が人類を凌駕しようという「シンギュラリティの恐怖」がいま喧しく語られているときにこの静謐で思索のできる空間は貴重である。

  □◇□み△□◇や□▽◎ざ□◇□き◎□◇  
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西村眞悟の時事通信 西村眞悟の時事通信 西村眞悟の時事通信 
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英霊に誓う靖国神社参拝
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 八月十五日の終戦の日を迎え靖国神社に参拝するにあたり、次のことを記しておきたい。
 八月に入り、テレビ画面で、戦争中の悲惨で残酷な映像を見る日々が続いてきた。そして、その戦争の中で、戦死した人々を、無意識のうちにも、平和な現在とは全く異なる悲惨で異常な時代の犠牲者、つまり、現在の我々とは無縁の気の毒な人々として位置づけてしまいがちである。
しかし英霊の命は、日本を守るために捧げた命である。そして、その日本とは、過去現在未来を貫く日本だ。
従って英霊は、過去のその時点の日本に留まっているのではなく、現在の日本と共にあり、現在の日本を守っている。つまり、英霊と我々は一体なのだ。我々も、一旦緩急あれば、英霊と共に日本を守らねばならない。
 英霊の生きた過去を現在とは関係の無い「異常な時代」として片付けるということは、過去の実態を直視しないということだ。過去を直視しない者は、現在の実相を直視することもできない。
先に紹介したスイス政府が編纂して全スイス国民に配布している「民間防衛」のまえがきに次のように書いている。
 
 われわれは、脅威に、いま、直面しているわけではありません。
 しかしながら、国民に対して、責任を持つ政府の義務は、
 最悪の事態を予測し、準備をすることです。

 その上で、スイス政府は「民間防衛」において、核攻撃を受けた際の被害を急襲されたとき、警報があったとき、全員が避難所にいたときの区別に従って推計し、それぞれ国民の安全率を35%、60%、90%と説明したあとで、さらに核爆弾の規模に応じて爆発後に、避難所(核シェルター)から外へ出ても安全な時間を国民に告げている。
 このように、脅威に直面していないスイス政府といえども、「最悪の事態」を予測し、核シェルターを造り、核爆弾からの安全対策を国民に説明しているのだ。
では、脅威に直面していないスイスではない脅威に直面している我が国政府は、政府の義務として「最悪の事態」を予測し、そこから国民の安全を確保する準備をしているのか?
北朝鮮は、ミサイル四発をグアム島周辺に打ち込む包囲攻撃計画を公表している。

これに対してアメリカのトランプ大統領は、この計画実施を、宣戦布告とみなし、あらゆる手段をとる、未だ見たこともない惨害を北朝鮮に与えると公言している。つまりアメリカ大統領は、相手が先に拳銃を抜くのを待ち構えている。
即ち、我が国は、今、脅威に直面し、「最悪の事態」を想定しなければならない時である。この「最悪の事態」においては、我々は、英霊の思いを我が身に蘇らせて国を守らねばならない。
 北朝鮮は、グアム島に向けたミサイルを、島根、広島そして高知の上空を飛ばすと公言している。我が国は、そのミサイルを打ち落とすのか、グアム島に弾着してもかまわないと呆然と見送るのか。
 八月十五日の靖国神社そして全国の護国神社では、過ぎ去った時代に生きた英霊を追悼するのではなく、英霊の守ろうとした日本を、我らもまた守ると誓い、その誓いを英霊に伝えよう。
               (にしむらしんご氏は元衆議院議員)
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 ▼読者の声 ▼どくしゃのこえ ■READERS‘ OPINIONS ●読者之声
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(読者の声1)貴誌前号に紹介のあった「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」全国巡回展ですが、「同展覧会は現在千葉県、九月に東京ですね。その後、名古屋、長崎を巡回するようです。」とありますが、現在は全国巡回展最終の大阪(吹田の国立民族学博物館にて8月10日から10月10日まで)ですので、念のため。
  (KU生、世田谷)



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(読者の声2)貴誌前々号に掲載された、中村彰彦著「歴史の坂道 戦国幕末余話」の書評をよんで「えッ、荒城の月は、竹田市に二年住んだ滝廉太郎が名城・豊後岡城に思いをはせて作曲したのでしょう?」
 「読んでの楽しみ」とありますから、読まなくては! 
(竹田市ではないのかなぁ〜)
竹田駅に着くやいなや、荒城の月の曲が流れ、岡城には、滝廉太郎の銅像があり、銅像の横にたって写真撮ってきたのに。滝廉太郎記念館にも立ち寄って、当時の暮らしぶりにふれたり、訳のわかんない洞穴、筑紫哲也さんが額に入って飾ってあって「あれ?」と思ったり、竹田市でない、鶴ヶ城? はてさて。まぁ読んでの楽しみ!
 以前、「名君の碑 保科正之の生涯」を読んで、中村さんのファンになって、次々読んだら「侍たちの海」で、伊東 祐亨、《飯焦がし》と言われたと、いかにも時代じみている表現、今の若い人に言ってもスイッチオンしたらご飯が炊けちゃうから、飯焦がすほど見惚れるイケメンといわれても?
 中村さんの本は、時代小説ではあるのだが、読み進むうち、うふふと思わず笑ってしまう箇所が必ずあるので、ある懇親会でお隣に座られた中村さんに話を振ったら、『読者サービスですよ〜』と。
(なるほどなぁ、作家ってそこまで考えて作品を仕上げるのか)
中村さんの作品で、はぁ~と?思ったのが「龍馬伝説を追え」でした。
龍馬暗殺の黒幕を西郷隆盛。小説に描かれているあたりの京都を歩いてみました。うーん、なるほどーと、中村さんもこの辺りを取材したのだろうなぁ。宮崎先生の書評には、伊東 祐亨の名前はないけど、果たして、やはり著書にあたるしかないですね。
   (FF子、小平)

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    山内丸山遺跡の特異性は弱者さえ保護されていた、この一点だろう。身体障害者が成人まで生きていた、それが全てだろう!    

    老いて社会の足手まといになりつつある妄想爺は涙が出るほど、素晴らしい事だと捉えている。健常者には分かりようもない事か!