宮崎正弘の国際ニュース・早読み <安部首相、イタリアG7の帰路にマルタに立ち寄 [宮崎正弘の国際 | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


    晋三くん!ご苦労様。マルタでの英霊たちは如何だったでしょうか。

   「マルタ島の砂」が流行ったのは1970年だったかな。当時はマルタがどのような謂れがあるのかさえ知らなかったけど。

    ちょうど今年が百年目だったのですね。律儀な日本人と日本にとっての。英霊たちの安寧を・・・。

    日本は先人たちの偉業を伝え無さ過ぎるとは思うけど、多過ぎ。国民に知られていない事柄がまだどれほどあるのだろうか。


宮崎正弘メルマ
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017)5月29日(月曜日)
       通算第5308号   
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 安部首相、イタリアG7の帰路にマルタに立ち寄って(首相初)

  嘗ての日本人兵士の英霊の墓参。マルタ戦役とは何だったのか?

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 (安部首相はイタリアG7の帰路、マルタに立ち寄った。安部首相の目的は同島に眠る日本人兵士の英霊を慰霊するためだった。このニュースに接した筆者は、マルタを訪問したときのことを思い出し、その旅行記を再録する。この原文は『エルネオス』に掲載されたが、小誌では初めての筈です)


 ▼マルタといえば騎士団だが。。。

 「マルタの鷹」とは軍事的要衝を守りきれなかった英領の哀しい運命なのか
 「ヤルタからマルタへ」と国際政治学で区分けされるのは冷戦の開始がヤルタ会議だったが、冷戦の終結を約した米ソの会談場所はマルタだったからだ。

 1989年12月、ゴルバチョフとブッシュ大統領がマルタに集い、握手し、戦後世界を規定した東西冷戦は終わった。 直後からソ連共産党は終焉に向かって疾走を開始し、東西ドイツを分けた「ベルリンの壁」は壊され、ルーマニアでは独裁者チャウチェスク夫妻が処刑された。

 その世界政治の巨大な地殻変動は二年後のソ連崩壊の導火線となり、東欧からバルカン半島にかけて全体主義国家が次々と瓦解させ、嘗ての「ワルシャワ条約機構」の加盟国の多くがNATOやEUに加わり民主制度に移行した(詳しくは拙著『全体主義の呪いは解けたか』、ビジネス社を参照)。

 その震源地だったマルタ。到着して直ぐにガイド嬢に尋ねた設問とは、「その歴史的な場所は何処ですか?」
 すると「沖合の船上でした」との回答。
 「ならばブッシュ大統領が宿泊したホテルでも撮影しておきたいのですが?」
 「え、日帰りじゃなかったかしら」
 
 マルタの首都はヴァレッタという軍事基地の面影が濃厚で石灰岩、大理石、城塞とで固まった要塞都市だ。そういえばヴァレッタと聞くと小型拳銃を連想する。
 旧市街はすべてが歴史的建造物で世界遺産に指定された。「マルタ騎士団」の伝説以前から聞いていたが、まさに城郭都市、軍事要塞の典型だったのである。
 このヴァレッタを挟んで西側がスリーシティ(昔の首都)、人が住んでいるのか疑うほどの静謐な町で路地が狭く家屋の入口に小さなオブジェがあって、かろうじて誰の家かが分かる。

 このスリーシティの隣町がカルカーラという寒村で後節にみるように日本と縁が深い。
 歴史を振り返るまでもなく、古代から地中海の覇権が争われ、ギリシア、ローマ、フェニキア、カルタゴ、ベネチア、オスマントルコ、そして英国と覇者は入れ替わった。
 おなじ環境のキプロスと異なるのは英軍が残留しているかどうか、である。マルタからは英軍は撤退した。

 マルタといえば十字軍の騎士団を思い浮かべる人が多いだろう。
 マルタ騎士団の赫々たる戦歴のなかでも、1565年に大船団を派遣してマルタを囲んだオスマントルコ海軍に対抗して三ヶ月の猛攻に耐え抜いたことだ。元寇に勝利した鎌倉武士が凶暴な蒙古軍を追い返したように。
 しかしマルタは紀元前8000年に開けた文明最古の要衝でもあり、島の中央から南に拡がる巨石神殿はエジプトのピラミッドより古い。


 ▼マルタに残る巨大神殿の謎

 この巨石神殿は世界史の謎である。
 タルシーン神殿の発見は1914年。さらに南にはハジャーイム神殿があり、接着剤もないのに石壁は垂直に並べられている。全容の発掘は1910年だった。崖を地下に彫り込んだ神殿はハイポジウム神殿という。これらは最重20トンもの巨石を切断し(どんな工具で)、クレーンもない紀元前にいかにして運搬したのか? どうやって高く積み上げたのか。 この謎はイースター島のモアイ像を連想させるが、ともかく歴史には謎が多い。
 マルタには西暦一世紀にパウロが漂着したため、爾来、カソリックである。
 あちこちにカソリック教会が建立された。教会のなかにはドームを作る費用が集まらず、いかにもドーム内部に描いたという「だまし絵」が人気の大聖堂(コゾ島)も含まれる。

 ヴァレッタの西側に開ける地区は豪華マンションとヨットハーバー。とくにセント・ジュリアン地区が新市内を形成しており観光客が密集する。
 高層のリゾートマンション、ホテル、豪華レストランが建ち並ぶ。海岸線と平行する遊歩道には海鮮レストランが並んで、それぞれが工夫を凝らしたインテリア、なかにはディスコを兼ねているモダンな店もある。

 夕暮れ時にそぞろ歩きする島民にまじって観光客も夕日をみにくる。
 インターコンチネンタルホテル、ヒルトンなど五つ星ホテルもこのあたりに位置し、カジノが林立している。正装して入るカジノ客をみているとアラブ人とロシア人が多い。中国人は突然減ったという。
 
 マルタ本島からコゾ島へも行きたいと思った。
 理由は単純で、有名作家マイケル・バー・ゾーハーが住みつき、毎日のように顔を出したバアがあると聞いたからだ。ヘミングウエイのキューバとフロリダ南端の離れ島キーウエスト。007のイアン・フレミングはジャマイカ島に住み着いたっけ。
 フェリー乗り場は島の北北西端にあるチェルケウア港からで、この港へ行くにはヴァレッタからバスで一時間もかかる。フェリーは僅か二十分でコゾ島へ着いた。かなりの外国人観光客が乗船していた。
 風の門と言われる奇妙な岩が並ぶアズールウィンドーはダイビングのメッカとして知られ、世界中からダイバーが集まる。行ってみると風が強い。

 島の中央がヴィクトリアという町で古い教会の階段下にある広場の周りがレストランとバア街だった。朝からビールを飲んでいる観光客の隣を二階建てバスが走る。ワインとサボテンリキュールを売る店もある。
 筆者もここでくつろいで、ガイドブックを拡げた。バーゾーハーが通ったバアはすぐにわかった。


 
▼日本の英霊が祭られているマルタ

 マルタに大いに興味を惹かれた理由は二つあって、第一は紀元前の巨石神殿の謎である。
 第二はマルタ騎士団のことだ。博物館に飾ってある土葬の服飾品、アクセサリーなどを観察すると当時の女性はふくよか。キプロスの「ヴィーナスの誕生」のモデル女性より肥満型が男性のあこがれだったようである。
 騎士団は旧市内の騎士団長の宮殿と兵器庫を見学すれば、大まかな歴史が掴めるが、十字軍の兵士となる資格は貴族の息子に限られていた。

 軍事訓練は厳しく妻帯は許されず禁欲の日々を戦闘訓練で代替していた。その荘厳な寄宿舎跡が現代マルタの首相官邸や外務省なのである。
 騎士団長の宮殿は二つの中庭があるほど宏大で豪華だった。この建物が大統領府と議会になっている。敷地内の兵器庫には鉄製の鎧兜が陳列され、大砲や槍、馬車などを見入っているとあっという間に時間が経過してしまう。

 そもそもマルタ騎士団とはエルサレムの攻防をめぐってキリスト教の国々が競って結成し地中海沿岸から中東へ覇権した私兵軍団である。主力部隊はフランス、英国、ドイツ、スペイン、ポルトガルなどの出身地で分け、さらにフランスは三つの言語体系によりそれぞれの部隊を編成した。スペインは二つの言語グループ。合計八つの部隊に分けられた。
 したがってマルタ騎士団の紋章は八本の刀を象徴するエンプレムが使用されている。

 帰国日の朝、筆者が宿泊したホテルのフロントでタクシーを呼んで貰い、向かった場所は旧市内の西側、崖の突端にあるカルカーラ地区だ。
 ここに英軍墓地が点在しているからだ。
 クルマで四十分。もし通勤時間の渋滞に巻き込まれたら往復三時間くらいかかる。目的地は霧が晴れたばかりで烈風が吹き、小雨が降ってきた。おおよそ人の住んでいる気配がない淋しい場所にある。


 ▼日英同盟を忠実に履行した日本

 1914年に第一次世界大戦の火蓋が切られ、日本海軍は「日英同盟」の約束から軍艦八隻を、この地中海に浮かぶマルタに派遣した。

 英国、仏蘭西の輸送船を護衛するため、駆逐艦「松」、巡洋艦「榊」などがマルタを拠点にフランス南部の基地からの物資、兵員輸送船を護衛する任務に就いたのは1917年4月だった。
 同年2月に佐世保を出港した「松」以下四隻は南シナ海からインド洋で作戦を展開していた「榊」以下四隻と合流し、合計八隻の大日本帝国海軍艦隊を組み直してスエズ運河を越えて地中海に入り、同年4月13日、英領だったマルタに入港した。
 以後、獅子奮迅の活躍を展開する。

 とくに5月3日には英国輸送船トランシルバニア号がドイツの潜水艦の魚雷攻撃を受けたため決死の救助活動を展開し、松、榊などが英国人船員ら3000名を収容した。トランシルバニア号は乗員3200名だった。この英雄的行為に英国は勲章をあたえるほどの大騒ぎとなり、ヴァレッタは興奮に包まれた。

 6月11日、榊はミロス島を出港し、護衛の任務に当たっていた。ドイツ潜水艦の魚雷攻撃を受け、かけつけた英仏艦船によってクレタ島へ曳航された。59名の日本軍人が戦死していた。遺体は火葬され、英軍墓地に埋葬された。
 英軍は日本軍人の栄誉を称え、宏大な墓地の一等地に慰霊碑を建立したのだ。
 そこには「大日本帝国台に特務艦隊戦死者の墓」と日本語の刻印が彫られた暮碑が嵌め込まれた。

 その後、第二次大戦でイタリアの空爆により破壊された日本海軍の英霊墓地は、1974年に新装されている。最近になっても時折、日本人が献花に訪れる場所となった。
 筆者は墓地に立って水と菓子とタバコとを捧げ、合掌した後、「海ゆかば」を独唱した。涙が止まらず、ちゃんとは歌えなかった。

 この物語は戦前、語り継がれて殆どの日本人が知っていた。現代ではトルコの使節団が和歌山沖で座礁し、付近の日本人が救援い向かい多くを救った美談「エルトゥールル」号で、映画にもなって人口に膾炙したが、対照的に日本帝国海軍のマルタ沖での悲劇を知らない。
       △○▽ミ□△◎ヤ○◇○ザ○◇□キ◎□◇ 

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 自衛隊は長い間「日陰者」として悪罵を浴びせられたが
寡黙に着実に努力し、海外派遣にも汗を流した

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桜林美佐『自衛隊の心意気』(PHP研究所)
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 南スーダンにPKOで派遣されていた自衛隊の残留40名が青森に帰国し、5年4ヶ月にも及んだ任務を全うした。
 最初のカンボジア、ペルシャ湾の機雷掃海、ゴラン高原など自衛隊の海外派遣は世界で獅子奮迅の活躍を展開してきた。
 こうした自衛隊の現状を克明にレポートする女性ジャーナリストは、貴重な存在である。
しかも著者の桜林さんは放送作家。そのラジオ番組のシナリオなどで鍛えた文章は、平明で短文でありながら、骨髄をぐいと掴みだし、余計な修飾語を削り取って分かりやすく描く。ハードボイルドタッチである。
さらに重要なポイントがある。彼女が愛国者であるということである。
 自衛隊は長い間、日陰者として、憲法違反、税金泥棒などと悪罵を浴びせかけられながら、寡黙に、しかし着実に努力してきた。PKOの海外派遣にも汗を流し、派遣先で深く感謝された。
 国内でも左翼のメディアや団体、活動家は別として、ひろく国民からは信頼される存在となっている。東日本大震災における自衛隊の活躍は誰もが知っているだろう。
しかし問題が多い。
憲法論議の話ではなく、定員充足の問題でも、景気が上向くと応募が少なくなり、定員は常に埋まらない。
防衛体系の自立化は遠く、兵器の国産化はままならず、法的規制が多すぎるため、本来の役目を果たせずにいる現実を、保守系の自衛隊応援団の人々なら皆が知っていることである。
深刻な問題は、自衛隊は定年が早いため、再就職先が難しいことである。
こまかな点となると「自衛隊の応援団を自称する人たちの錯誤」にあると桜林さんは指摘する。
地元幹部を宴席に招待し、とことん呑ませようとしたり、みかえりに「自衛隊音楽祭り」「火力総合演習」のチケットを大量に要求したりする風習を異常と思っていない人が存外目立つそうである。
本書を読んで驚かされたのは那覇空港では対潜哨戒機のP3Cが、民間機と滑走路を共同使用しているため、タクシングが長く、しかも着陸時には上空で自衛隊機が40分もまたされることがあるという。
国防の本末転倒、こうなると怒りがこみ上げてくる。かれらは尖閣海域をうろつく中国戦の哨戒任務についているというのに?
 本書を読んで、こんにちの自衛隊が抱える諸問題が鋭角的に浮かび上がってきた。
 
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 日本人は寛容すぎてヒューマニズムと仁義を大事にするが
  それを逆利用して、日本を貶めることに韓国人は熱狂する

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佐々木類『日本人はなぜこんなにも韓国人に甘いのか』(アイバス出版)
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 題名から中味は想像できるが、事例としてあげている加藤達也記者の不当拘束と裁判、スワップ協定再開への動き、少女増設置の背景などのほか、特許裁判にもかなりのページが割かれている。
いったん、日本が韓国を信用すると、とんでもないしっぺ返しが往々にして起こる。
恩を仇で返すのはヘイッチャラ。かれらのDNAのなかに、そのぱくりとたかりの染みこんでおり、日本はつくづく韓国に振り回されてきた。
 近年の元凶をつくったのは宮沢・河野・村山という三馬鹿兄弟だったが、その後継にルーピーとか、いろんな輩がいる。韓国の応援にいった女性国会議員もいたっけ。 
 ともかく日本人は自然に優しく、寛容すぎてヒューマニズムと仁義を大事にするが、相手は性悪であり、日本人と同じ発想をしない。むしろ日本人の寛容さを逆利用して、日本を貶めることに韓国人は熱狂するのだ。
 政治的事件を離れて、経済に目を転じても、かれらが平然とおこなうパクリ。
 カルビーの「かっぱえびせん」は韓国農心の「セウカン」というそっくりパクリ商品となり、グリコのポッキーは韓国製「ぺぺろ」。森永も明治もパクリ商品に悩まされ、アニメからゲームにも及ぶ。かれらはオリジナルな発明が、どうやら不得手のようである。
それなら特許裁判で決着をつけようとすると、じつは韓国優先、国際法無視の司法ゆえに、日本企業が勝訴するケースは稀にしかない。だから訴えないで泣き寝入りする日本企業が多い。
 例外が新日鐵住金のポスコへの訴訟だった。
 特許法や著作権侵害ではなく「不正競争防止法」による「営業秘密の不正取得行為」として新日鐵住金が一千億円の損害賠償と高性能鋼板の製造販売差し止めを求めたのだ。
 「盗まれたのは門外不出の『方向性電磁鋼板』と呼ばれる技術で、新日鐵の八幡と広畑両製鉄所だけで製造されている秘中の秘。変圧器などの用いられる特殊な鋼板で、鉄の血書がきれいに整列する様子から『鉄の芸術品』と呼ばれる。開発・研究に数十年、数百億円を投じた傑作」(183p)だったのである。
 ポスコは恒常的に日本の技術を盗んできたが、同社の東京支社はなんのことはない。産業スパイ専門視点であった。
 結局、2015年9月、四年にわたった裁判は、ポスコから300億円の支払いで和解した。
 ところがこの間に「三菱重工などとともに、戦時賠償の標的にされ、韓国裁判所から賠償命令を出されるなど『韓国リスク』を目の当たりにした」のだ。
 こういう状況がうまれるのも、日本が韓国を甘やかしてきたからであると著者は問題の根本を抉り出している。
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1577回】    
――「正邪の標準なくして、利害の打算あり」――(?富16)
   ?富猪一郎『七十八日遊記』(民友社 明治39年)

  ▽
徳富の「降參者の辛抱」という指摘に接した時、とっさに思い浮かんだのは「阿Q精神」の4文字だった。魯迅の名前を腐朽なものとした『阿Q正伝』の主人公である阿Qの振る舞いに因んで阿Q精神と呼ぶ。阿Qは特定の人物ではなく、いわば当時の中国人全体を象徴し、強い者から不利益を被り、不幸な立場に立たされようと、我慢というより自己欺瞞によって自らの精神の平衡を保とうとする。「精神勝利法」ともされ、端的にいうなら自嘲、自己弁護、自己陶酔ということだろう。阿Qとは、強者を前に一向に立ち上がろうとせず、おめおめと生きるしかなかった当時の中国人に対する魯迅の強烈な反発が生んだ人物像だ。

魯迅が『阿Q正伝』を新聞『晨報』(週刊付録)に書き始めたのは、中国共産党が創立された1921年。徳富の指摘から17年ほどが過ぎていた。

 (14)【利の一字】=「支那に於ける諸般の問題は、只た利の一字を以て解釋」できる。「若し支那人をして、一生懸命ならしむるものあらは」、「唯た自己の利の爲め也」。「利の爲めならは」、「勇者」とも「勉強家」とも「相成候」。

 ということは、「利の一字」こそ「降参者の辛抱」を突き動かす原動力といえそうだ。
(15)【支那人の生命】=「元來支那人は」、「何事も受身にて」、「如何なる塲合にも、眞面目にならぬ人間」ではあるが、「唯た利の問題となると」、「彼等の惰氣も乍ち覺め來り候」。
 
「利は實に支那人の宗?」であり「生命」だ。「利の前には、親子兄弟も」「況んや國家」もない。「要するに利の一字は、支那人の生活と思想とを解釋する」ための「殆んと唯一の鍵に候」。どうやら徳富は、「降参者の辛抱」と「支那人の生命」である「利」によって中国人の振る舞いを解くカギを認めたということか。

 (16)【論語逆讀の法】=「支那人の古今に亘る情態を、知るに」は「論語を逆しまに讀」むべしと提案する。「如何に支那人か利に敏なる」か。「如何に支那人か、恒に利を語るか」。「如何に食事の時に、彼等かお喋舌りするか」。「如何に支那人か牛鬼蛇神を難有かるか」。これらは全て「論語の一言一句、悉く之を逆に取りさへすれは、略ほ支那人の眞相を得る」ことができる。ということは、『論語』は当時の古代の人々の精神的な病に対する孔子なりの処方箋といってもよさそうだが、徳富に依れば「其の病は、今尚ほ依然たるものと存候」。つまりは一向に治癒の兆しなし、ということだろう。

 (17)【才取主義(コンミツシヨン)】=上から下まで社会全体が「才取(コンミツシヨン)」によって動いている。「才取主義は、支那社會の内外を、網細工にて取り圍」んでいる。「賄賂」「贓罪」「腐敗」「貪求」などの「種々の惡名」を伴っているが、実態は「才取主義の活用」であり「濫用に外ならす候」。その極みが「醇乎たる泥坊主義」となる。しかも「一家の内にても、一國の内にても、泥坊公許の姿あるは」、「自然の勢にして、不思議に似て、不思議にはあらす候」。

 (18)【我利我利】=「支那人の利は、所謂る利己の利」でしかなく、「かりそめにも公利抔と申すことは、藥にしたくも見出し不申候」。だから「彼等か公共心の希薄なるは、とても吾人の想像に及ふ所にあらす候」。だから「協同生活や、協同事業の行はれさる、偶然にあらす候。而して國運の振はさるも、亦此の理に外ならす候」。

 (19)【支那の道路】=「支那には、近頃迄道路と申す道路は、殆んと無之候」。田舎の道は「勝手に農夫か、之を侵し候間、道の存在を失し」、建設当初はリッパだったはずの都市の道路は、いつしか「一切の掃溜にして、種々の汚物」が撒き散らされ、壊れたところで誰が修理するというわけではない。
道路は商店の一部にも作業場にもなり、やがて個人の占有物と化す。
「支那の道路は、支那人の公共心乏しきを證する鐵案に候」デス。
《QED》
    ◇○▽ヒ□◎◎イ○◎○ズ○○□ミ□◇◇  

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 ▼読者の声 ▼どくしゃのこえ ■READERS‘ OPINIONS ●読者之声
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(読者の声1)金沢方面の愛読者の皆さんへ、宮崎正弘氏の講演会のお知らせです。きたる6月17日午後、金沢市内です。
会合名は「日本のこころ党、タウンミーティング IN 金沢」。
とき    6月17日(土曜日)1400(1330開場)
ところ   石川県女性センター 二階大会議室
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/jyoseicenter/access.html
      (金沢市三社町1-44)
講師    宮崎正弘(作家、評論家。金沢市出身)
演題   「最新の中国情勢」
参加費   無料
主宰    タウンミーティング実行委員会
連絡先   (090)6709-9380(担当佐藤)
      どなたでも予約なしで御参加いただけます。



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(読者の声2)【第33回 家村中佐の兵法講座】兵法書として読む『古事記』『日本書紀』
 日本最古の史書とされる『古事記』『日本書紀』には、遠い昔から今に伝わる日本人の戦争観や武力行使のあり方、優れた戦略・戦術や軍隊の指揮・統率など、現代社会においても十分に役立つ「最高の兵法書」としての教えが数多あります。
 今回の兵法講座では、民の竈(かまど)の煙で有名な仁徳天皇の御代、弟・ハヤブサワケノ皇子(みこ)との抗争や、新羅・蝦夷との紛争などについて、図や絵を用いながらビジュアルに、分かりやすく解説いたします。
 曜日と会場がこれまでとは変わっていますので、ご注意ください。
日 時:平成29年6月4日(日)13:00開場、13:30開演
場 所:文京シビックセンター5階 会議室A
講 師:家村和幸(日本兵法研究会会長、元陸上自衛隊戦術教官・予備2等陸佐)
演 題:第7話 仁徳天皇
参加費:1,000円(会員は500円、高校生以下無料)
お申込:MAIL info@heiho-ken.sakura.ne.jp
 FAX 03-3389-6278(件名「兵法講座」にてご連絡ください。事前申込みがなくても当日受付けます)
(日本兵法研究会 会長家村和幸)



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(読者の声3)南モンゴルの番組を紹介します。ぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=LvP-DZX1A7k
 【南モンゴル草原の風6】。もう一つの文化大革命~隠されたモンゴル人ジェノサイドという桜チャンネルの番組です。
   (三浦小太郎)

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    晋三くんのマルタ訪問を日本のマスゴミは報じたのでしょうか?    テレビも新聞とも無縁の状態なので・・・。


   今日のメルマガは考えさせられる事が多い。


    血気盛んだったあの頃、インターネットが有ったなら、情報弱者から開放されていただろうか?    今のスマホ生活は情報弱者だけにはなりたくないとの思いからだったが。有意義な5年弱だった事は認めるぞ!!


    妄想爺は今日もスマホに齧り付く!