加瀬英明のコラム  日本と中国はどう違うのか | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


 僕は最近、現代支那人は野蛮人が絶えず流入して来た結果だろうと考えているのだ。そうで無ければ、江沢民やら鄧小平、周恩来、毛沢東、習近平などの顔貌がこれほどに違いを見せる事の真実が解らなくなっているからだ。


加瀬英明コラム
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   Date : 2017/03/31 (Fri)

 今年は明治元年から、150年目に当たる。明治維新は、“御一新”と呼ばれた。「維新」は中国の古典から借りてきた言葉だったが、もし大政維新が行われなかったとすれば、今日の日本がありえなかった。

 江戸が東京と改称されてからも、150年目に当たる。

 日本は国をあげて文明開化を進めることによって、西洋諸国に対抗することができた。

 だが、私たちの隣にある中国と朝鮮は、西洋の列強が海嘯(つなみ)のように押し寄せるなかで、近代化することができなかった。

 私は150年前を懐古するつもりはない。今日でも、日本、中国、韓国は変わっていないと思う。3つの国を2000年以上も前からつくってきた雛型から、少しも変わっていない。

 もっとも、韓国は中国の属国として“小中華(ソチュンファ)”と称して、中国を崇めた“ミニ中国”だったから、これ以上触れないことにする。

 中国が陸の文明であってきたのに対して、日本は海の国であってきた。

 私は父が転勤になったので、生後6ヶ月でイギリスへ渡った。3年後にヒトラーがポーランドに侵攻して戦争が始まったために、母とともに日本郵便の客船で東京へ戻った。

 毎日、煌(きらめ)く海を甲板から見ていたのを覚えている。帰国後、両親に連れられて、しばしば鎌倉の浜で遊んだ。山幸彦海幸彦伝説や、浦島太郎の物語を聞かされて育った。

 私たち日本人は、幼い頃から口遊(くちずさ)んだ「我は海の子白浪の 騒ぐ磯部の松原に」、「千里寄せくる海の気を 吸いて童(わらべ)になりにけり」(『われは海の子』)というように、海の子なのだ。

 中国と易姓革命

 中国は秦王朝(紀元前221年~206年)によってはじめて統一されたが、その後、王朝が易姓革命によって、せわしく交替した。

 天帝が地上でもっとも徳が高い人物を、全世界を統治する天子――皇帝として選んだ。皇帝が徳を失うと、また地上で徳がもっとも高い者を選んで、王朝を交替させた。

 中国は中華と自称しているが、世界の中心だと信じてきた。ライオンが頂点にいて、最下位に鼡がいる、アリストテレスの動物界のピラミッドのように、中国が世界の頂点にあって、中国の支配を受け容れた属国――朝貢国が続き、最下部に蛮族――夷狄がいる華夷秩序として、知られるピラミッドがあった。

 中国は海に関心を持つことが、ほとんどなかった。海に背を向けた文明である。

 日本は古来、海の幸により形成されたと信じていた

 日本人は古代から、海から幸がもたらされると信じた。『古事記』『日本書紀』に常世の国が登場するが、海の彼方に理想郷があった。日本神話は日本人の世界観を表すものである。

 日本人にとって、海辺は神と人が接するところだった。今でも、渚(なぎさ)に打ち寄せる波は、常世の国とつながっている。恵比須(えびす)神は海神として親しまれてきたが、外来の神とか、渡来の神、漂着神、客神などと呼ばれた。
中国では「仙」という字が、人と山を組み合わせているように、山に仙境があると信じてきた。

 私は漢詩に親しんできたが、日本の多くの詩歌が『万葉集』をはじめとして、海を描いているのに対して、漢詩に海をうたったものがほとんどない。

 山水画は道教思想がもとになっているが、神仙山水画と呼ばれるように、山の風景が多い。中国人の精神を表している。

 中国の庭園は、道家の理想の人物である仙人が住むことから、奇怪な石灰石をあしらった仮山奇石の築山があるので、私たちになじめない。

 中国は華夷思想に取り憑かれているから、外界と対等な関係を結ぶことができないできた。このような傲りが、19世紀に西洋の脅威が迫ると、災いした。

 漢籍に夜郎自大という言葉がある。夜郎は南西夷の小国だったが、自らを強大だと思って、漢の使者を侮った故事を嘲ったものだ。清朝は圧倒的な力を持った西洋に遭遇した時に、まさに夜郎自大になった。

 日本は常世の国信仰を持ち続けたから、渡来の神や客神を歓迎して、拒むことがなかった。海は幸をもたらしてくれる。

 大陸の中原の文明と日本の島の文化

 中原の文明である中国が傲慢であるのと対照的に、日本は島の文化だから謙虚だ。

 私は十数年前に、南太平洋のフィジーに講師として招かれたが、フィジーにキリスト教が渡ってくると、在来の信仰と混淆するなど、日本によく似ているのに感心した。

 日本は大陸において唐の脅威がつのると、豪族が全国を治めていたのを、皇極天皇のもとで、645年に唐の中央集権制度を模倣して、大化の改新として知られる大改革を行った。明治元年に始まった御一新と、よく似ている。

 皇極天皇は女帝だったが、大化の改新に当たって、「独り治むるべからず。民の扶(たす)けを待つ」という詔を発している。日本の天皇は祭り主であって、中国の皇帝のような専制主ではなかった。元号が大陸に倣って、はじめてこの時に採用され、大化元年と定められた。

 平田篤胤(1776年~1843年)といえば、江戸後期の国学者で、激しい排外主義者として知られる。

 平田でさえ、「外国(とつくに)々より万(よろ)ずの事物の我が大御国に参り来ることは、皇神(すめらみこと)たちの大御心にて、その御神徳の広大なる故に、善きも悪しきの選みなく(略)皇国に御引き寄せる趣を能(よ)く考え弁えて、外国より来る事物はよく選み採りて用つべきこと」(『静の岩戸』)と、説いている。

 私は今日の中国の指導部は、愚かだと思う。

 尖閣諸島をはじめ、フィリピン、ベトナム、マレーシアなどの小さな島々を「核心的利益」だといって、領有権を主張するのをやめるべきだ。大海軍の建設に狂奔するかたわら、南シナ海の7つの人工島を造成して軍事化することによって、孤立化を招いている。

 もし、そのようなことをせずに、巨大な経済力を用いて、日本をはじめとする太平洋諸国に気前よく投資し、大量の観光客を送り込んでいたとすれば、太平洋諸国は中国に魅せられて、いまごろ中国によって取り込まれていたはずだ。

 中国は陸の文明だから、海をまったく理解することができない。

 大陸国家が大海軍を建設して、成功した験しがない。16世紀のスペイン、ナポレオンのフランス、清の末期、20世紀のロシア、ドイツ帝国がその例である。

 習近平体制が南シナ海に造った人工島は面積を合計すると、東京の千代田区よりも大きいが、軍事的には役に立たない。航空母艦も、人工島も、京劇の舞台装置のようなものだ。

 吃、喝、嫖、賭、去聴戯

 中国人は昔から、「吃(チュ)」(食)「喝(フー)」(酒)「嫖(ピァオ)」(淫らな遊女)「賭(ドウ)」(博打)「去聴戯(チーティンシ)」(京劇)の5つを、生き甲斐にしているといわれてきた。

 京劇は清朝に発しているが、歴代の皇帝も、西大后も、毛沢東、周恩来、江青も、京劇の虜となっていた。江沢民主席は微醺をおびると、大声で京劇の歌曲を吟じることによって知られた。習近平主席にも去聴戯の血が流れているに、ちがいない。

 中国は3月に開幕した全国人民代表大会において、国防費を7%増やし、史上はじめて1兆元(約17兆円)を超すことを発表した。

 中国はこの大きな部分を、海軍力の拡張に投資しようが、清朝末期の北洋艦隊のようなものだから、役に立つまい。

 中国人は臆病な商人だから、全面戦争を戦うことはしない。

 だが、「5000年の偉大な中華文明の復興」を呼号して、国民の愛国心を煽ることによって、揺らぐ体制を維持しているから、日本から尖閣諸島を奪おうと試みる可能性がある。

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 東シナ海に潜水艦隊やらを派遣したとか、しないとか。なんの為だろう?

 泳げ無い、泳が内支那人たちに海軍とはこれ如何に? 不思議な現代支那人たちでは無いのかな? 船酔いの訓練は大分捗ったのたろうな?