宮崎正弘の国際ニュース・早読み  <「中央アジアの北朝鮮」と言われるトルクメニスタンで [ | Hideoutのブログ

Hideoutのブログ

ブログの説明を入力します。

 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


テレビ東京の番組の中で副題が「ニッポンという名の惑星」と付いてるのがあるのだが、トルクメニスタンも他国から見れば、そんな感じなのかも。


宮崎正弘メルマ
http://melma.com/sp/backnumber_45206_6490238/
************************************
※※※ ※※※ ※※※ ※※※
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成29年(2017)2月20日(月曜日)弐
         通算第5194号 
※※※ ※※※ ※※※ ※※※

 「中央アジアの北朝鮮」と言われるトルクメニスタンで

   97%の得票率でベルディムハマドフ大統領が三選

****************************************

 2月12日に行われたトルクメニスタンの大統領選挙は、97%という得票率で、現職ベルディムハマドフ大統領が三選された。同時に大統領の任期は五年から七年に延長された。

 ベルディムハマドフ大統領は元歯科医。医学大学の学長からニヤゾフ前大統領の急死をうけて臨時大統領に。そのまま権力のトップに居座った。ニヤゾフ大統領の庶子と言われる所以である。

 トルクメニスタンは鎖国をしている不思議の国、全土に金ぴかの大統領像を建立し、街を睥睨しているが、銅像を破壊する動きもなく、やっぱり「中央アジアの北朝鮮」と呼ばれても、そうなんだと納得できる。
 葡萄と果物が意外に豊かで、国民生活は貧窮していない。

 豊富なガスがでるので、中国へ累計8000キロのパイプラインを敷設して、およそ生産の80%、残りをロシアとイランへ輸出し、将来はアフガニスタン経由でインドとパキスタンの港から、世界市場を狙う。

 旧ソビエト連邦の一員だが、独立後、永世中立国を宣言し、国連に認められた。
それ以後、ロシアの言うことをまったく聞かない独自外交と国内的には独裁政治を展開したため、つむじを曲げたプーチン大統領は、トルクメニスタンからガスを買うことを止めた。
その余量が中国へ向かうというわけだ。

 財政が豊かなので、国民の不満がなく、砂漠の酋長は、選挙ではなく村長が撰んできたのであり、投票箱民主主義システムは単にジェスチャーだけ。
 一応、大統領選挙は九人の候補が揃ったが、テレビを独占している与党は、悠然としていた

 昨秋、筆者はトルクメニスタンに団体ツアーに紛れ込んで、各地を見てきたが、首都は摩天楼が林立しているのに居住民が殆ど居ない。ゴーストタウンだった。大理石の建物なので、美しい外見である。国民は、政治が何を行っているのか殆ど興味がない。

 テレビの報道番組を見ていて笑ったのは延々と閣議の模様を放送しているが、大統領と視線を合わせないように、閣僚がメモを懸命に取っていて、どこかの国と似ていると思った(拙著『日本が全体主義に陥る日』(ビジネス社)を参照)。

 バザールに行っても売店には新聞がなく、絵本がちらほら。文房具の質が悪いうえ、中国製だった。それなのに、国民の多くはスマホを駆使していた。
 ますます不思議の国である。

      ▽△◎み□◇▽や□◎○ざ◎□○き○□◇
※※ ※※ ※※ ※※ ※※
 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 しょひょう BOOKREVIEW 
※※※ ※※※ ※※※ ※※※

 天智天皇から受け継いだ大化の改新の精神が昭和天皇の詔にある

  未曾有の敗戦を機に千年の時空を越えて現代日本人へ迫る歴史の教訓とは

  ♪
山本直人『敗戦復興の千年史』(展転社)

@@@@@@@@@@@@@@@@

 副題は「天智天皇と昭和天皇」である。

 敗戦を描いた悲劇の主人公にまつわる試論は数多いが、これは白村江の敗戦と昭和天皇とを比較した歴史評論、というより文藝批評。まさしく現代史家の盲点ともいうべき視角を衝いた。

 戦前の歴史教科書には白村江へ援軍を送ったことは記されているが、負けたとは書かれていない。白村江は日本が応援にいった戦いだが、惨敗だったことは『日本書紀』にはちゃんと印されている。
 この敗戦の衝撃は以後の日本で防人態勢の構築、首都の移転が行われ、唐の侵略に備えた。大変な危機意識と緊急の防衛態勢という軍事緊張が日本を蔽ったのだった。
 この未曾有の危機に際して天智天皇は大津に遷都され、昭和天皇はこの偉業を振り返るお言葉を多く残したとされる。
 しかし何故、著者の山本直人氏は、この二人を対比しようとしたのか。

 「敗戦から一年後の昭和二十一年八月十四日、首相、閣僚達を召されたお茶会で、昭和天皇は次のようなことをお話しされている。
『終戦記念日にあたって、私はかつて(大正九年の春)太宰府を訪れたときに聞かされた、あの有名な白村江戦の故事を思い出した。あのときは百済の再興を援助するべく、日本軍が出勤したが、唐と新羅との連合軍に完敗してしまった。そのあとで、当時の天智天皇がおとりになった国内整備の経論を、文化国家建設の方策として偲びたい』(中尾祐次扁『昭和天皇発言記録集成』、扶養書房出版、平成十五年)

「この大津宮に時代に、法律から戸籍、軍制に至るまで、後の律令国家成立の基盤となる様な抜本的改革が行われたことになる(中略)。むしろ白村江敗戦後に、さらにその(大化の)改新では果たせなかった様な、律令制度を完遂しようとされたのが、天智天皇即位後の近江朝時代ということもできる」と著者は言う。
壬申の乱は「政策的には保守と革新との間の争乱ということもできる。例えば当時では『唐風』という大陸文明を積極的に導入したのが天智天皇における近江朝時代である。あへて図式化すれば、こういった文明開化、改革に対する反撥が、その後の天武天皇朝における『日本への回帰』に繋がった」(23p)

当時、葦津珍彦は書いた。
「この未曾有の敗戦下の難局にも屈せず、我が国は着々として大化改新の大業を内に進めつつ対外的には白村江の敗戦後わづか二年にして、大唐との間に毅然たる独立の栄光を侍して平和修好の恢復に成功したのである」(『神社新報』、昭和二十五年十月二日号)

 これらを踏まえて山本氏は最後にこう結ぶのである。

 「今に置き換えれば、近江朝で天智天皇が推進された律令制度導入は、グローバリズムによる構造改革を駆使した日本再建ということになる。急進的な制度改革は反動も生み、壬申の乱という路線対立を生み出した。そうした政治的混迷を経て、飛鳥浄御原朝での『日本を取りもどす』ための国土強靭化を断行されたのが天武天皇ということになる」

 こうした歴史的比喩が正しいかどうかは別の問題として、おおいなる論議を招来する前提として、眼を開かれる想いで読んだ。
      ○◎○ □▽◎ ○◎○ 

※※ ※※ ※※ ※※ ※※
  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
                                        
  ♪
樋泉克夫のコラム
@@@@@@@@

【知道中国 1533回】  
  「一言ノ口約束能ク一萬兩ノ取引ヲ結了スル・・・」(木村4)
  木村粂市『北清見聞録』(非賣品 明治35年)

   ▽
 天津在住邦人数は、北清事変以前は「官民を合せて僅に八十餘人にして四五の本邦商店ありたるに過きざりしも」、事変後は「各種類の本邦人相踵きて渡來し」た結果、明治34(1901)年6月末時点で1031人(男:873人。女:158人)に達したが、その多くは「今回の事變を奇貨として一時の暴利を獲得せんとする山師的人物或は軍隊用達商人の類又は在留本邦人を目的とする小賣商及び飲食店營業者等」であり、「永久の見込みを以て将來本邦との貿易に從事せんとする商店の如きは尚十を以て數ふるに足らず」とする。

 木村より数年遅れ、日露戦争2年目の明治38(1905)年3月から7月にかけ四川省を踏査した山川早水は、『巴蜀』(成文館 明治42年)を著しているが、四川省の省都である成都で目にした日本、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカからの在留外国人を捉え、「日本人等の指を屈して歸期を數ふる」に対し、欧米人は領事館員などの「或る年限を以て在留するものゝ外は殆と永久移住の覺悟らしく、妻子を携へ、廣大なる家屋を有し、彼輩が鋭意着實に企てたる或種計畫は、着着歩を進め居るが如く見江た」とする。天津でも成都でも、どうやら日本人の多くは「指を屈して歸期を數」えていたようだ。

 天津では「永久の見込みを以て将來本邦との貿易に從事せんとする商店の如きは尚十を以て數ふるに足らず」、成都では「指を屈して歸期を數」えている。これに対し西欧列強の在留者は「或る年限を以て在留するものゝ外は殆と永久移住の覺悟らしく、妻子を携へ、廣大なる家屋を有し、彼輩が鋭意着實に企てたる或種計畫は、着着歩を進め居るが如く見江た」という。

この違いは、何に起因し、結果として何をもたらしたのか。やはり日本の文化  《生き方》《生きる姿》《生きる形》  として深く考える必要があるように思える。外国における住まい方、働き方として、その是非を判断するのとは別次元の問題としてだが。

 そういえば時代を下った昭和初期、マレー山中の錫鉱山事務所を訪ねた詩人の金子光晴が著した『マレー蘭印紀行』には、同事務所の日本人職員から「一日も早い本社復帰、貯金額、テニスの上達」の3つが最大の関心事だと聞かされたと記されている。

「信用の發達」の項目には、「世人の知れる如く清國商人の信用を重ずるや頗る大なるものあり一言の口約束」であろうが、莫大な取引に違うことはない。これは外国商人に対しても「此習慣を應用せんとす」。ただ外国商人は「此習慣を解せず種々面倒なる事柄を持出し」てくる。そこで「單純なる彼等の頭腦は多年の習慣の外は解釈するの能力なきが故」、「猜疑心を惹起すのみならず」、正当な価格での取り引きができない。

それというのも外国商人からすれば「一の契約書なく」、「又擔保物件を収むることなく口頭契約のみ」で莫大な金額に上る商品を「彼等に放任する」ことは「大に危險に堪へざる所」であり、「甚だ實行に躊躇する所」だ。だが、「彼等は其確固たる商業的團體の制裁の下に在るが故に彼等自身の生存上固く其口約束を履行して曾て違ふことなし」なのだ。

 かりに「一度口約束を蔑視し或は狡猾の手段により他を瞞着する等の事あ」った場合は、「其信用忽ち地に落ち将來正當なる」商売ができなくなるばかりか、「遂に破産の悲況に陥る」ってしまう。だが、もし「信用を守り不正の所業なきときは假令如何なる逆境に遭遇するも同業者相頼り相助けて之を保全し」、「危急の際尚事業を繼續することを得べし」。

 こういった同業仲間の相互扶助の仕組みを指して、「此は决して日本内地に於いて見易からざる所にして吾人の夢想する能はざる美風なり」と称賛する木村は、牛荘のような新開港場でも「金融の圓滑に行はれつヽあるは蓋し主として此美風に由るものとす」と結んだ。
 商取引で信を置くのは口約束・・・信用できるのは自己人(なかま)だけ。
《QED》            
       ▽△◎◎ヒ□◇▽イ□◎○ズ◎□○ミ○□◇

※※ ※※ ※※ ※※ ※※
 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
                                        
  ♪
(読者の声1)三島由紀夫研究会、二月の「公開講座」は下記の要領です。

日時  2月23日(木)18時半より(18時開場)
場所  アルカディア市ヶ谷
http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/10766/rtmap.html
講師 松本徹先生(文芸評論家、三島由紀夫文学館館長、憂国忌代表発起人)
演題 三島由紀夫の時代(仮題)
  (講師プロフィール 昭和8年北海道生まれ。大阪市立大学文学部卒。産経新聞記者を経て文芸評論へ。近畿大教授、武蔵野大教授を歴任。現在三島由紀夫文学館館長。最近著に『三島由紀夫の時代 芸術家11人との交錯』、水声社)
会費  2000円(会員は千円)
     (三島由紀夫研究会事務局)



  ♪
(読者の声2)「竹島奪還国民行動」のお知らせです。
 2月22日(水曜日)正午
二の橋交差(「くすり城南」の前)に集合。
東京都港区麻布十番3 14(地下鉄南北線・大江戸線「麻布十番駅」から徒歩5分)
https://www.mapion.co.jp/m2/35.65280985,139.73631963,16/poi=21331612972

 抗議先:南朝鮮大使館 (大韓民国大使館)まで徒歩によるデモ行進
東京都港区南麻布1 2 5 
抗議文朗読と手渡し。参加者によるプラカード・抗議文の持参・朗読を歓迎します。
その後、麻布十番駅前にて報告集会
竹島は日本固有の領土だ!朝鮮人による現在進行形侵略を許さないぞ!
犯罪者朝鮮人による殺戮・強奪・凌辱・破壊を徹底糾弾。犯罪者朝鮮人を叩き出せ!
南朝鮮政府の出先機関たる大使館への堂々たる抗議行動を!
安倍首相は5年前、総裁選立候補時の公約「2月22日政府主催の式典の開催」、を実行せよ
 連絡先:政経調査会  090-3135-4069中野区野方3-26-2 makiyasutomo@daitoa.com



  ♪
(読者の声3)貴誌前号、書評のあった渡邊惣樹先生の『戦争を始めるのは誰か』(文春新書)ですが、老生も発売後すぐに買って、読もうと考えながら、なかなか難解そうで、しかも活字がぎっしりと詰まっており、ためらっておりました。
貴書評はひとつの目安になります。なるほど、こういう視座から読んでいけば良いのだと、読書のヒントを得られました。
  (JI生、広島)
    □▽□◇▽○◇○◇○ 
************************************


知道中国。シナ土人たちの信用とは「宗族」内では絶大なものと確信出来ますね。それが現代まで粛々と続いているのです。一旦の権力の端にでも引っ掛かると、一生抜けられない。そんなこんなが連鎖で起きているのが、現代シナなんだろう。そこには「善」や「悪」なんて概念は含まれる筈も無しって事だな。