知道中国宮崎正弘の国際ニュース・早読 <ロシア特殊船、地中海で異常な動き。キプロスからシリ | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


 ロシアも遣るもんですな。然し宮崎氏はトコトン国内には興味が無いのが分ります。

 日本だって海底地震計をセットした「ケーブルセンサー網」が有るのになぁ。日本列島ぐるりとインド洋までの海域に光ケーブルを施設してあるのに。支那だって時々何か遣ってるって報道にも出て来るのになぁ。

 最も日本の場合は地震だけじゃないけどね。犬HKの「サイエンス・ゼロ」の放映を見逃してしまったのは残念だった。知ったのが余命ブログ。宮崎さん余命にも注目しなきゃとは思ってるんだけど。


宮崎正弘メルマ
http://melma.com/sp/backnumber_45206_6437126/
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成28年(2016)10月21日(金曜日)
        通算第5069号 
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 ネット社会の最大のアキレス腱は光ファイバー・ケーブル

  ロシア特殊船、地中海で異常な動き。キプロスからシリアにかけて

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 一年前、大西洋でロシア船が米国とEU諸国をつなぐ海底ケーブルを移動させるという「事件」があった。
この異常な準軍事的行動は、ロシアの艦船、船舶の動きを探査している専門家のステファン・ワトキンスが指摘した。


 「船舶の動きが異様に遅く、海底で何かの作業を行っていた可能性がある。おそらく米欧の通信の要である、海底の光ファイバーを動かしていたのではないか」とワトキンスは分析した。


 昨今、このロシア特殊船「ヤントン」が地中海に出現し、キプロスからシリアの航路、とくにレバノンとトルコ航路を回航しつつ、なにかの作業を行っていることが観察される(ワシントンタイムズ、10月20日)。


 専門家のH・I・サットンは「もし海底ケーブルが切断されたら、西側は経済的にも甚大な影響が出る。とりわけ金融ビジネスの通信が疎外されたら、どうなるか。或いは戦端がひらかれたとき、通信が途絶えたら、戦争は一方的なものに結果することになる」と強い警告を発している。


 もう一つの可能性は「船の速度が異様に遅いことは、切断箇所の事前照査もさりながら、ケーブルに防諜装置をほどこしているのではないか」という疑惑だ。

 ロシアのハッカー軍団が米大統領選挙に際して、民主党の通信記録をリークしたり、選挙のデータへ侵入した形跡が濃厚だが、米国NASAは宇宙から通信を傍聴し、ロシアは海底から同じことをしている。

 ネット社会における通信は、光ファイバー・ケーブルが命綱である。

 日本の大容量の通信も、神奈川県某所に集中し、そこからトンネルを経て、太平洋の海底カーブルに繋がっているが、この場所はすでに潜在敵によって把握されている。

 にも関わらず、日本はのんびりと警備体制ができていない。

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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1482回】   
  「汚吏?縁して奸を行ひ、遂に失敗に歸せり」(内藤21)
   内藤虎次郎『支那漫遊 燕山楚水』(博文館 明治三十三年)

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 戊戌の変法への参画勢力のなかに、日本に協力を求め、あまつさえ日本の兵力を借りようと企図した一党がいたとしたら、内政干渉を自ら呼び寄せているようなものであり、それはもう呆れ果ててモノが言えない。

目先の利害得失に目が眩み、国家民族の大本を損なう。彼らなりの表現を使うなら、これを「漢奸」と呼ぶ。彼らからいわせれば、卑劣極まりない売国的行為、いや漢族を売り渡す超犯罪行為というわけだ。たとえば「同生共死」を掲げ、共産党勢力に反対するために敢えて?介石と袂を分かった汪兆銘が今もって中華人民共和国と中華民国の公式歴史において  おそらく未来永劫に  漢奸として冷遇され、極悪人扱いを受け完全否定されていることを考えれば、やはり戊戌の政変には漢奸を生む要因が潜んでいたようにも思える。ということは、戊戌の変法は不完全でデタラメで、出たとこ勝負の軽挙だったとも考えられる。参加者の心構え、覚悟からからしても、やはり明治維新との間には大きな開きがあったというわけだ。

ところで、かりに戊戌の政変に日本人が加担し、さらには北京に兵力を送り込んでいたなら、これは後々の日本に大きな禍をもたらしたに違いない。「聯合するを議する」ことも、「兵力を藉」りることも現実に起らなかったようだが、やはり当時の、そして後の日本にとって幸運だった。

 であればこそ目先の利害に汲々とする彼らの甘言に乗らないことが、日本人としては肝要なのだ。なにせ彼らは甘言の名手であり、日本人に対し水道の蛇口を捻るように、心にもない甘言のシャワーを浴びせることを常としているからだ。その昔の一衣帯水、同文同種からはじまって、子々孫々までの友好やら井戸掘り人やらを経て、現在の「双贏(ウイン・ウイン)関係」まで  彼らが捻りだした甘言が、どれほどまでに日本に禍をもたらしたことか。もっとも、その責任の一端は彼らの甘言に眩惑され、それを真に受け嬉々として翻弄された日本人にもあるのだが。

筆談を切り上げた内藤の視線は、次いで上海の街に注がれる。

たとえば「上海の支那人は往々壮大の建物に住ひ、聲妓を挈へ、馬車を驅りて、所謂緑楊影裡、一鞭の殘照、揚々として康衢に縱?し、外國居留地を我物顔」している。これとは対照的に「上海居留の邦人一千餘人而して市政に參與の資格ある者、十三四人に過ぎず」。そのうえ「日本の商店、郵船會社、正金銀行、三井物産、村井煙草店其他二三を除く外、甚だ見すぼらしき物ものみなり、戰勝の餘威も、此に至りては無一物なり」。かくして、「上海はあまり心地よき處にあらず」と呟くのであった。

 「六十年前までは、沮洳の塲、蘆葦の叢たりし地」であった上海は、1840年勃発のアヘン戦争の結果として結ばれた南京条約によって開港されたが、当初の「十數年間は、其の發達極めて遲々たりしが」、太平天国軍によって長江以南が戦場となる。ところが上海に「外人の租界ありて、兵禍を被るの患いなかりしを以て」、「富豪となく、流氓となく、爭て、此に萃まり、遽然として一大都會を成せり」。上海は「支那の一都市と云ふと雖も、實に東西商利と物質文明の交會點」であり、それゆえに「一種の異觀を呈し、決して通常の支那都會を以て目すべからず」と見做した。だからこそ「魔都・上海」なのだ。

 内藤は、上海は太平天国の乱に遭った富豪やら貧民が安全地帯の租界に流れ込んだことで「一大都會」に急成長したとする。それにしても「戰勝の餘威」を活かしきれない日本人に対し、租界であれ「聲妓を挈へ、馬車を驅りて、所謂緑楊影裡、一鞭の殘照、揚々として康衢に縱?し、外國居留地を我物顔」で闊歩する中国人。対照的に過ぎる。
  《QED》
   ▽△◎◎ヒ□◇▽イ□◎○ズ◎□○ミ○□◇
                                        
(休刊のお知らせ)小誌、地方講演旅行のため、明日(22日)と23日休刊です
                                        
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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)「緊迫する南シナ海情勢 ベトナム、フィリピン、そして日本 」
11月5日(土)に、南シナ海問題に関する講演会が、ベトナム外務省顧問、フィリピン下院議員が参加して行われます。下記のとおりです。皆様のご参加をお勧めする次第です。
案内チラシ:http://www.sdh-fact.com/CL/20161115a.pdf
 (若干予定が変わったところがあります。下記の通りです。)

 「緊迫する南シナ海情勢 ベトナム、フィリピン、そして日本 」
    2016年7月、ハーグ仲裁裁判所は、フィリピン政府が訴えた南シナ海問題に関し、中国が主張してきた内容を全面的に否定する判決を下しました。
しかしながら、中国政府はこの判決を紙くずと言い捨て全く受け入れようとせず、逆に南シナ海支配体制を一層強化し、東シナ海でも尖閣列島に次々と領海侵犯を繰り返しています。
 私達はこの中国の覇権主義に抗し南シナ海、東シナ海の平和と法治の原則を守るために、日本そしてフィリピン、ベトナムなど関係諸国の代表を招き、今、日本と東南アジア諸国が何をなすべきかを考える研究講演会を開催いたします。
南シナ海問題を考える会 代表 宮崎正弘
                    実行委員長 飯田康夫

研究講演会テーマ 「緊迫する南シナ海情勢  ベトナム、フィリピン、そして日本 」
日時 2016年11月5日(土)午後2時
会場 東京・拓殖大学文京キャンパスC101教室
主催 「南シナ海問題を考える会」 代表 宮崎正弘(評論家)
講演  産経新聞特別記者 論説委員 湯浅 博
ベトナム外務省顧問局長  ティン ホァン タン
フィリピン下院議員      ハリー・ロケ(下院野党院内副総務海洋問題専門)
来賓挨拶「日本の領土を守るため行動する議員連盟会長」  衆議院議員 新藤義孝 
参加費  1,000円
事務局  03-5840-6460


 
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(読者の声2)毎度、宮崎さんのメルマガで目から鱗を落としております。有難いですね。貴誌前号の西郷隆盛の随筆があり、昔の子供の頃に聞き覚えている事を書いてみます。まぁ、笑い飛ばしてください。
西郷さんの人生で外して成らない人物がおります。越前福井藩の俊才、橋本左内です。
橋本左内はその才能を松平春嶽に見いだされた様です。
そして左内は適塾を始めとして塾を渡り歩き塾生や師たちを震え上がらせたと云われています。なかには明日我が塾へ左内が来るとなりその夜は眠れなかったという者もあったといいます。
そのような左内の噂が西郷にも届き薩摩藩江戸屋敷で会う事になりますが、西郷にとっては年下の青二才、左内にとっては西郷は既に世に轟く名声。これが会う前の事で、会った後は左内の西郷評は「なんだこんなモノか、些か拍子抜け」であり、西郷の左内評は「恐ろしいほどの俊才」と変わったようです。
その後は左内が慶喜擁立、大政奉還の意図により死罪になるまで二人の交友は続き、左内は西郷の師同然となります。安政の大獄により左内が死罪になりますが、あの左内までが死罪になってしまったと西郷の落胆というのは酷いモノでした。その後の西郷の行動、政治力は正に左内から授けられたモノです。
左内が生前に西郷に認めた書面は西郷が宝物の様に扱い常に革鞄に入れ身の回りに置いたと云う事で、その書面は現在は宮内庁が保存しているはずです。
靖国の遊就館では吉田松陰の次に左内がまつられておりますが、三番目に坂本龍馬がいつの間にか飾られています。坂本龍馬を西郷隆盛に変えるべきです。
   (北陸の田舎モノ)


(宮崎正弘のコメント)投書氏は、おそらく福井の方ですね。松平春嶽のブレーンとして橋本左内は活躍しました。もう一人の学術ブレーンは熊本から呼ばれた横井小楠でした。
 西郷(せご)どん、18年の大河ドラマ。



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(読者の声3)高山正之先生独演会 「高山正之の変見自在」
http://www.kokuchpro.com/event/9debeb05fd901cadb0e7920fa6324b57/
 講師:高山 正之(たかやま まさゆき)先生
ジャーナリスト、コラムニスト、元産経新聞ロサンゼルス支局長、元帝京大学教授
 1942(昭和17)年 東京生まれ。1965年 産経新聞社入社。社会部デスクを経て、テヘラン、ロサンゼルス各支局長。帰国後、産経新聞夕刊1面にて時事コラム「高山正之の異見自在」を執筆。2001年から2007年まで帝京大学教授。
「週刊新潮」に連載中コラム「変見自在」は熱狂的ファンも多く、名物辛口コラムとして高い人気を集めている。趣味:水泳、昔は100メートル1分ちょっとで泳いだ。今は素潜り、たまにスキューバ。
 著書は「変幻自在」シリーズ(新潮社)、『アメリカと中国は偉そうに嘘をつく』(徳間書店) 『歪曲報道』『世界は邪悪に満ちている だが、日本は……。』(日下公人氏と共著)等 30冊余り。10月18日頃に新刊『変見自在 朝日は今日も腹黒い』(新潮社)を出版。
   記録
日時    10月22日(土)14時00分 16時30分(開場:13時30分)
会場    文京シビック4階 シルバーセンター4階ホール(文京シビックセンター内)
交通:東京メトロ丸の内線・南北線「後楽園駅」直結or都営三田線・大江戸線「春日駅」徒歩1分
【参加費】 事前申込:1500円、当日申込:2000円
事前申込の学生:1000円、高校生以下無料
【懇親会】 17時 19時頃 参加費:事前申込3500円 (事前申込の学生3000円)
当日申込4000円 (当日申込の学生3500円)
【申込先】 10月21日23時迄にメール又はFAXにて(当日受付も可)(懇親会は10月20日 23時迄)
★当日は混雑が予想される為 事前申込の無い方の入場は講演10分前とさせて頂きます★
【主 催】 千田会 https://www.facebook.com/masahiro.senda.50
https://twitter.com/Masahiro_Senda
FAX 0866-92-3551 E-mail:morale_meeting@yahoo.co.jp
     (千田会)



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(読者の声4)なぜか瀬戸内寂聴氏の発言を批判する人もこの件に触れないので、大きなお世話ですが書きました
 瀬戸内寂聴と永田洋子
 http://miura.trycomp.net/?p=3937
    (三浦生)


(宮崎正弘のコメント)彼女のことを最初から「売僧」(まいす)と批判していたのは、いまから35年も前ですが仏教者の高瀬廣居氏でした。



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(読者の声5)日本兵法研究会の講座、次回は「古事記」「日本書紀」に秘められた日本武尊の遠征ルートの謎を解き明かします。皆様、奮ってご参加ください!
 【第30回 家村中佐の兵法講座】兵法書として読む『古事記』『日本書紀』
 日本最古の史書とされる『古事記』『日本書紀』には、遠い昔から今に伝わる日本人の戦争観や武力行使のあり方、優れた戦略・戦術や軍隊の指揮・統率など、現代社会においても十分に役立つ「最高の兵法書」としての教えが数多あります。
 今回は、景行天皇と日本武尊による熊襲征伐や、日本武尊の東征について、図や絵を用いながら分かりやすく解説いたします。
     記
演 題:第4話 景行天皇と日本武尊
日 時:10月29日(土)13:00開演(15:30終了予定)
場 所:靖国会館 2階 田安の間
講 師:家村和幸(日本兵法研究会会長、元陸上自衛隊戦術教官・予備2等陸佐)
参加費:1,000円(会員は500円、高校生以下無料)
お申込:MAIL info@heiho-ken.sakura.ne.jp
 FAX 03-3389-6278
(件名「兵法講座」にてご連絡ください)。なお事前申込みがなくても当日受付けます。
                  (会長 家村和幸)
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  支那に「命を懸けて」何かを達成しようという人士は遂に生まれ出なかったという事。支那共産党は単なる匪賊だったというだけのこと。角栄の馬鹿タレが、曖昧な決着をしたのが現在のモヤモヤした状況を生んでるだけだ。



 僕はもう半世紀前に松平春嶽が幕末に突然出てきたのが不思議でしかたがなかった。最も自分の中では解決した問題だが。

 現在放映中の真田丸に違和感満載なんだな。前年の松蔭の時にもだが。

 僕の記憶には「結城秀康」という名前だけはずっと残っていたが。秀康は家康の次男坊も知っていた。何故「結城」姓を名乗ったかは謎だったが。

 その存在を明確にしたのが、梓澤要著「越前宰相秀康」という時代小説。秀康が秀吉への人質として大阪城へ送られて「秀」の一字を取って名付けられた。時代小説作家は宮崎氏流に言うと、「歴史の講釈師」だからストーリー展開には虚実様々だが、事績だけは間違いは無し。秀吉から結城へ押付け養子に出され、家康の関東入部後は親子の意志疎通解消されたのだろう。関が原には参陣せず、小山で上杉景勝の抑え役だったのも事実だろう。関が原後に関東の結城から越前一国の領主に納まったのだ。御三家の当主達がまだ萌芽さえ見えない時代には二代秀忠の兄として特別の存在でも在った。只余りにも早く死を迎えてしまったことが悔やまれる。嫡男忠直については菊池寛著の「忠直卿行状記」を参考にどうぞ。

 秀康が長命だったらから御三家なんて存在したのかなぁ?そんなこんなで越前松平家は「制(度)外の家」として幕府には格別の家になった。御三家制度の外だから「制外の家」。だからこそ松平春嶽が幕末にシャシャリ出てこれたんだろうなってのが、僕の解釈。

 蛇足:秀康の五男家の話は浅黄斑著「無茶の勘兵衛日月録」なんてのも有り。




 歴史にはイフは無い。でも面白いな。