Fw:JOG(973) 「誇り」とは「優越感」とは違うもの | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


 「誇り」と「優越感」は難しい。自虐史観を何時の間にか植え付けられてしまったから、日本という国を誇らしいと思っていた事は若い頃には無かった。あったのは只他人と比較しての優越感のみだった気がする。

 あれっ日本て何か変じゃないか?と思い始めたのは20年ほど前。決定的に何が変なのかを認識したのは、台湾人評論家の黄文雄氏の著作。金も無ければ、職も無い50代に取っては図書館は格好の暇潰しの場だった。そんな時に手に取ったのが、黄文雄氏の著作。

 黄文雄氏は小学一年まで日本人だったと著作に著していた。そうだ台湾は日本だったと、記憶の底から這い出して来た。十数冊を何年にも掛って読む。


 日本人が何者なのかを教えてくれたのは東北大名誉教授の田中英道氏の「日本の歴史 本当に何がすごいのか」だった。何度も読み返した所為でボロボロ。
日本と日本人は特殊な存在なのだと認識できたのは、この本のお陰だ。感謝している。

 脳梗塞で肉体的には、何かを手伝いたい気持を形で表現できない今、文字でしかと思い、ブログに手を染め、現在に至る。

 日本という国を誇り、日本人という特殊な民族はどんな民族なのかを僕なりに解釈してきた積りだ。そんなブログで有りたい。




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Common Sense: 「誇り」とは「優越感」とは違うもの

 「根っこ」から生まれる「誇り」とは、他者との比較による「優越感」とは別物である。
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■1.初めて見たアメリカの豊かさ

 ご好評をいただいている拙著『世界が称賛する 日本人の知らない日本』[1]の「あとがき」で、こう書いた。

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 最近、「日本人としての誇りを取り戻そう」という趣旨の発言がよくなされるようになりました。以前の「自虐史観」から脱皮しつつあるのは喜ばしいことですが、「誇り」という言葉に私は少し引っかかりを覚えています。

 かつての我が国は「世界第二の経済大国」であることを誇っていましたが、中国に抜かれて第三位になったら、その「誇り」も少し減るのでしょうか? あるいは、世界には小さな国が無数にありますが、そういう国の国民は「誇り」を持てないのでしょうか。

 私には「誇り」というよりも、豊かな歴史伝統という「根っこ」を残してくれた先人への「感謝」という言葉の方がしっくりきます。
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「あとがき」なので、詳しくは書けなかったが、「誇り」について、本編でもう少し考えてみたい。


■2.貧しい後進国から来たという気後れ

 誇りを考えるようになったきっかけは、アメリカ留学時代からである。渡航したのは昭和55(1980)年だから、もう35年も前になる。当時の私は27歳、初めての外国だった。社員留学制度に応募したのだが、制度はまだ整備途上で、給料とボーナスは出すから、あとは渡航費も授業料も自分でやりくりせよ、というものだった。

 飛行機代を節約するために、一番安いチケットを探したら、大韓航空で、伊丹空港からソウルに飛んでロサンゼルス便に乗換え、そこからさらにサンフランシスコに行くという大回りとなった。

 ロサンゼルス空港で、今でも鮮明に覚えているのは、壮大な空港の中を多くのアメリカ人がTシャツやジーパン姿と、それこそ近所に散歩に行くような格好で闊歩していたことだった。日本では当時はまだ飛行機に乗るのは贅沢なことだったから、日常的に飛行機を乗り回しているアメリカ人の豊かさが目映(まばゆ)かった。

 サンフランシスコに着いて、近郊にあるカリフォルニア大学バークレー校に学んだのだが、最初の一年間は留学生用の寮であるインターナショナル・ハウスに住んだ。

 5階建てほどの壮麗な修道院のような建物で、窓からはサンフランシスコ湾が一望できた。日没時にはゴールデン・ゲイト・ブリッジの向こうに夕陽が沈んで行く。その夕陽に湾全体が赤く染まる壮大な光景に見とれた。

 500人の寮生は半分がアメリカ人、半分が留学生で、互いに仲良くつきあえるように工夫されていた。寮費は高かったが、部屋は個室で、三食付き、食べ放題。ある日本人留学生が大きなバケツに入っていたアイスクリームを山盛りにすくって、一口、口に入れたら「なんだ、これバターだ」と言った滑稽な場面にも出くわした。

 こういうアメリカの豊かさに触れると、日本はまだまだ貧しい後進国のような気がして、そこから来た私としてはなんとなく気後れを感じたものだった。


■3.「優越感」と「誇り」は違う

 それでも当時は日本の安くて品質の良い家電や車が、米国市場で存在感を増しつつあった。このあたりを[1]ではこう書いている。

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 一般大衆の中には「ホンダを買ったけどグレートな車だ」などと、手放しで褒ほめてくれる人がいました。ただ大学教授などのインテリ層はそう単純ではなく、「自動車はアメリカ人が発明したのに、日本人の方が良い車を作れると認めることは苦痛だった」などと、正直に語ってくれた先生もいました。・・・

 ある授業では、何度も日本製品や日本的経営の優秀さが論じられたので、インドネシアからの留学生が「授業でも、ジャパン、ジャパン、ジャパンだ。日本はすごいな」などと羨ましがっていました。[1, p14]
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 日本の経済的成功はアメリカで感じていた気後れを多少は紛らわしてくれるものだった。しかし、こういうふうに他者との優劣で喜んだりするのは、単なる「優越感」であって、本当の「誇り」ではないのではないか、という気がしていた。

 GDP(国民総生産)で世界第2位だと威張ってみても、アメリカには敵わない。アメリカに来て、その豊かさに圧倒されて「気後れ」するということは、この優越感の裏返し、すなわち劣等感だろう。

 優越感とは、個人で言えば、有名大学を出たとか、一流企業で出世したとかで、上には上があるし、下の人を見下す事にもなりかねない。そこから他者の成功を妬み、不幸を喜ぶという心理につながる恐れもある。他者との比較で優越感を持つというのでは、精神的に豊かにはなれない。


■4.アメリカ国民の誇り

 国民性もあるのだろうが、アメリカ人は明るく、いかにも幸せそうだ。たとえば最近、ケンタッキー州の田舎町での事だが、私が日本からやってきて、ヨーロッパで仕事をして、今はアメリカで働いていると言ったら、「あなたもケンタッキーのような素晴らしい所に生まれていれば、世界を転々とするような苦労はしなくても良かったのにね」と言われて、苦笑した覚えがある。

 こういう無邪気なお国自慢は微笑ましいが、そこにはかならずしも他国と比べての優越感だけではないものを、私は感じとっていた。アメリカ国民は、自国が世界一豊かな国という優越感とは別の「誇り」を持っている。

 それはアメリカは「自由の国」だという意識である。「自由な国」と言っても、何でも気ままにできる国という意味ではない。圧政や迫害からの自由という意味である。

 ヨーロッパでの宗教的迫害から逃れた清教徒が、自由を求めてこの地に辿り着いたのが国の始まりであり、また自由と自治を求めて英国軍と戦って独立を勝ち獲り、さらに黒人奴隷解放のために南北戦争を戦い、第二次大戦ではファシズムから自由世界を救った、という誇りである。


■5.根っこが生み出す感謝と志

 アメリカの各地には、歴史博物館や歴史公園がある。ウィリアムズバーグという植民地時代の街並みを復元した大規模なものから、リンカーンの生家だとか、南北戦争の跡地だとか、ちょっとした町ならかならず歴史展示がなされている。そこに多くのアメリカ人が子供を連れて訪れ、説明員たちが熱弁を振るっている。

「アメリカは歴史がないから、百年程度の民家まで歴史公園にしてしまう」と当初は茶化していたが、今考えると、アメリカの子供たちは小さい頃からこうした歴史施設に連れられて行って、アメリカ国民としての根っこを学んでいるのである。

 ここから生まれる誇りは、他国と比較しての優越感ではない。アメリカ国民の共同体という「根っこ」に自分もつながっている事を知り、それを残してくれた先人に感謝し、自分もまたその後に続こうという志につながる。誇りとはその感謝と志が融合したもの、と言っても良いだろう。

 優越感とは、現代の他者と比較する水平軸のものだが、誇りとは根っこを通じて先人から子孫につながる垂直軸のものである。


■6.ベトナム戦争による根っこ分断の危機

 アメリカ国民がいかにも幸福そうに見えるのは、物質的に豊かなだけではなく、根っこから来る誇りや志、すなわち誇りによって精神的にも満たされているからではないか。

 その根っこは、建国以来、太く逞しくつながっているのだな、と羨ましく思ったことをよく覚えている。これに比べると、我が国の根っこは先の大戦で深い傷を受けた。

 我が国が侵略戦争をした、という占領軍が始めた東京裁判史観、それを左翼が受け継いで広めた自虐史観で、我々の根っこはほとんど分断され、先人への感謝や志、すなわち誇りを持てなくなっている。アメリカ人の幸福感に比べ、戦後の日本人が精神的に満たされないのは、このためだろう。

 実は、アメリカ国民の根っこにも分断されかねない危機があった。ベトナム戦争である。共産陣営のプロパガンダもあって、ベトナム戦争はアメリカの侵略戦争とされ、そのために国民の継戦意欲は失われ、米国史上初の敗戦となった。ベトナム戦争の是非を巡る対立から国民としての一体感も失われ、「自由の国」という誇りも損なわれた。

 それを救ったのが、レーガン大統領だった。大統領は1982年のクリスマスに全米国民に向けたラジオ・スピーチで、空母ミッドウェイの乗員の手紙を紹介している。その乗員は南シナ海で沈みかけたボートに乗った65人のベトナム難民を救助した時の様子を書き送ったのだ。

 ベトナム難民たちはすでに5日間も漂流し、水もなくなり、発見がもう少し遅れたら、船は沈んでいた、という。救助船が近づくと、難民達は手を振って叫んだ。"Hello. America sailor! Hello freedom man! (ハロー、アメリカの水兵さん。ハロー、自由の人)"と。

 この逸話を紹介した後、レーガン大統領はこう語っている。

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 我々の社会はきわめて独特である。世界中の戦争や圧政から逃れてきた人々で構成されているが、それでも強く、自由である。我々は一つの事を共有している。それは先祖がどこから来た人であろうとも、この自由を信じている、という事である。[2, p141,拙訳]
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 このスピーチを聞いたアメリカ国民は、17世紀にメイフラワー号で英国の宗教的弾圧から逃げ出したピルグリム・ファーザーズと、20世紀にベトナム共産政権の圧政から逃げ出したボート・ピープルを重ね合わせたことだろう。そして考える、「ベトナム戦争も圧政との戦いであった」と。


■7.回復した根っこ

 後にレーガン大統領は、ワシントンにベトナム戦争戦没者慰霊碑を建てた。高さ3メートル、長さ75メートルの黒い花崗岩に6万人近いベトナム戦争の戦没者・行方不明者の名を刻んだ壁である。この慰霊碑のそばで、レーガンは次のようなスピーチをしている。

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 今世紀の他の戦争と違い、ベトナム戦争が正義と叡知に基づいた戦争であったかについては、深い意見の対立がある。・・・この10年間に、絶望してベトナムから脱出したボート・ピープル、カンボジアの(数百万が殺された)キリング・フィールド、この不幸な一帯で起きたすべての出来事を考えれば、我々の仲間が戦った大義が正しいものであったことを誰が疑えよう。

 それは、結局は自由という大義のためだった。その戦略は不完全だったとしても、彼らはその任務のために尋常でない勇気を示したのだった。

 おそらく、すべてが終わった今日、我々が同意できるのは、一つの教訓を得た、ということだろう。それは勝てる見通しのない戦いにアメリカ兵を送ってはならない、ということである。[1,p367]
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 ベトナム戦争でアメリカは負けたが、負けたが故に間違った戦争とは言えない。戦争の勝敗と正義不正義とは別のものである。負けはしたが、ベトナム戦争もまた「自由の国」が自由という大義を掲げて戦った戦争だと、レーガン大統領は訴えたのである。

 大統領のこうしたスピーチと、年間3百万人もの人々が訪れる慰霊碑によって、一時は傷ついたアメリカ人の根っこは回復した。根っこからのエネルギーで、アメリカ国民は誇りを取り戻し、アメリカ経済も活力を回復した。

 その誇りと経済力で、レーガン大統領は世界中を圧政下に置こうと企むソ連を打倒して、世界の人々の自由を護った。根っこは先人への感謝を生み出し、子孫のための志を生む。その誇りが精神的な豊かさをもたらす。


■8.先人への感謝と子孫への志を生む垂直的な誇り

 物質的な豊かさなどという優越感に囚われていると、他国はライバルとなってしまうので、友好もありえない。

 しかし、自国を「自由の国」とするアメリカ国民の誇りに対しては、我々日本国民も共感することができる。そして、我々は我々なりの自国への誇りを語ればよい。自前の誇りがあればこそ、他国の誇りにも共感する精神的余裕を持つことができる。こうして互いの誇りを尊重することが、国際社会での友好の基盤となる。

 それでは日本国民が持ちうる自国の誇りとは何か。アメリカ国民が自国を「自由の国」と誇るなら、日本国民は日本を「大御宝(おおみたから)の国」と誇ることができる。わが国は国民を「大御宝」として、その安寧を神に祈る皇室を中心にしてきた。皇室の無私の祈りを実現すべく、我々の先人たちは同胞と子孫のために国を築き、護ってきた。

 この根っこから生まれるのは、他国との比較に基づく水平的な優越感ではなく、まさに先人への感謝と子孫への志を生む垂直的な誇りである。

 こうした誇りを取り戻すには、まず自分の根っこを知るところから始めなければならない。そのためにも我々日本国民の根っことはどういうものであるかを説いた『世界が称賛する 日本人の知らない日本』[1]と、その根っこを育てた人物たちを紹介した『世界が称賛する 国際派日本人』[3]を紐解いていただきたい。
(文責:伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(922) アメリカの国体、日本の国体
「自由を求める人びとの国」という理想が、アメリカの歴史を作ってきた。それに対する日本の理想は何か?
http://blog.jog-net.jp/201510/article_4.html


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■編集長・伊勢雅臣より

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