宮崎正弘の国際ニュース・早読み <習近平が国有企業トップと異例の会談 [宮崎正弘の国際ニュ | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


 支那の権力闘争は遂に精神論になってきたようだ。何か昔の「連合赤軍」の自己批判と総括の繰返しの果てに自分たちで瓦解。殺戮のし合いを思い出す。最後は何か意味不明の浅間山荘での自滅。

 支那は破滅の道をひた走っている様に見えるのは僕だけでは無いと思いたいのだが。最期の引導を渡すのは誰なのだろう?


宮崎正弘メルマより
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成28年(2016)10月13日(木曜日)
        通算第5060号  
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 習近平が国有企業トップと異例の会談

   倒産寸前に追い込まれた企業経営者はみな、党員ではないか

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 10月12日、習近平は国有企業トップを集め、異例の会談を行った。

すでに輸出不振、過剰設備と在庫、非効率経営、大量解雇ならびに賃金未払いなどの諸問題を抱え込んで、明日倒産するかもしれない深刻な企業群のトップ達はみな幹部党員である。

「企業における共産党主導権をもっと鮮明にせよ」と習近平は発言したそうな。


換言すれば過去三十年の「改革開放」路線によって、中国国有企業は「中国的社会主義市場経済」なる面妖な方針転換をおこない、西側のマネジメントなどを取り入れ、或る意味では共産党色を払拭してきた。

それが悪い結果をもたらした、と習近平は考えているようである。


そして「企業の経営方針の決定、人事、そしてイデオロギー。これらの党の基本は企業方針であり、その主導権は決して緩めない」とも言った。

こうなると、時代錯誤も甚だしいのではないか。


 そもそも党総書記が国有企業幹部と会合をもつことは共産党始まって以来の異例の事態なのである。

1996年に副主席が会合をもったことがある。

2006年にも習が出席した同様な会合がもたれたが、この時の習近平は副主席ですらなかった。だから国家のトップとしては尋常ならざる行動にでた。まさに異例、それほど国有企業は追い込まれており、これを党の指導とかイデオロギーで克服できると思いこんでいるとすれば、おめでたいという以外にない。


 党の組織を挙げて企業を再活性化させるために、国有企業の中で党のリーダーシップを鮮明にすることが当面の目標とか。この会には王岐山、劉雲山、張高麗の三人の政治局常務委員も出席した(サウスチャイナモーミングポスト、10月13日)。


 ところが経済を管轄するのは国務院である。;

つまり国有企業の運営を総括する立場の李克強首相は欠席、ほかに張徳江、愈正声らも欠席した。バランスを欠いた片肺飛行となった。

 国務院とどろどろの対決を続ける習近平が独走したことでもあり、権力闘争の果てに、こうした会合が開催されたというわけだ。


 他方、石油産業、通信企業などのおおくの国有企業では「重大な規律違反」として、企業トップが大量に拘束起訴されており、こんどの会合では「新しい活力を持つリーダー」との発言もあることから、夥しい人事異動が行われ、それも李克強主導ではなく、習が主導権を発揮して、経済の実権を完全に李克強の「団派」から取り上げようとする凄まじい執念の現れではないか。

  ▽△◎◎ミ□◇▽ヤ□◎○ザ◎□○キ○□◇

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  読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)『歴史通』11月号。宮崎正弘さんの「ソ連崩壊25年」の「旧ソ連邦十五か国、衛星国十五か国踏破!」のカラーグラビアと文章には驚かされました。

 いつ、こんなに多くの国を訪れていたのか、その脚力と筆力にはただただ感嘆のほかありません。

せっかくの体験ですので、できれば単行本とされ、『全体主義の呪いは解けたか』を大幅に拡充することによって希少価値のある<学術書>に仕上がるものと思います。 

この地域を正しく記 述できる人は稀有でしょう。

 特にこの領域は地球の裏側の諸国でもあり、日本人には国の配置も頭に描けない、もっとも理解の難しい地域です。
それだけに共産主義の結末とそこに住む人々の共産主義というものにする現在の認識をわかりやすい形で記録に残すことができれば素晴らしいと思います。

 写真も見事です。色彩は曽遊の地でもあるウラジオやナホトカを思い出させてくれました。
    (TK生、世田谷)



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(読者の声2)貴誌5058号に「イスカンダルは嘗てのアレキサンダー大王の別称」とありますが、アレクサンダー大王のアラビア語、ペルシャ語での呼び名です。

 断言はいたしませんが、アラビア語の呼び名がペルシャ語でも使われるようになったのでしょう。

このアラビア語・ペルシャ語が起源の言葉がロシア語に入っているということは、ロシア民族の中東文化受容の大きさを物語っています。ヨーロッパ文化を受容したのはたかだか400年足らずのことでしょう。

ロシア民族の骨髄の中に浸み込んでいるものの一端といえるのではと思います。
  (當田晋也)


(宮崎正弘のコメント)それは貴重なことをご教示いただきました。イランやアゼルバイジャンのイスラムがたぶんに拝火教の要素を含んでいるように、ロシアに伝わってキリスト教東方正教会はアルメニア、グルジアを経由しましたから、それ以前のペルシア的風土や伝統、風俗習慣などが織り混ざっていると思います。



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(読者の声3)『歴史通』11月号の宮崎さんのグラビアと紀行文、一覧表などを拝読しました。
前に山内昌之・佐藤優両氏の対談本を読んでいたので、「地政学」の大切さをしりましたが、こんどの『歴史通』のご文章は短いながら、二人をはるかに超えています。
 その国の状況や国々の関係がよくわかり、いま世界がどうなっているか、よくわかります。写真のうまさは、いつものごとし、でした。
    (HN生、新潟)



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(読者の声4)10月10日から15日までベルギー国王夫妻が国賓として来日しています。NHKのニュースではなぜか国王の「生前退位」をわざわざからめての報道。天皇陛下を退位させたい勢力が暗躍しているのでしょうか。

 ベルギーといえばコンゴ民主共和国(ザイール)の旧宗主国。

教科書的な説明ではベルギー国王の私領だったコンゴ自由国(1885 1908)における圧政(ゴムの採集量が規定に達しなければ手足を切断など)に各国から非難が殺到し、1908年11月にベルギー政府の直轄植民地になったとされます。

 日本の朝鮮統治の始まりとほぼ同時期ですが、欧州の植民地統治も20世紀に入ると人道主義的な批判などがあり、搾取一辺倒から開発や教育の普及に取り組むなど方向転換が模索されていた時代です。

日本の朝鮮統治は日韓合邦ですから、日本政府も朝鮮総督府も世界(白人)の目を意識しながら、なんとしても朝鮮を近代化させたかった。
 
コンゴに話を戻すとベルギーの直轄植民地になったからといって圧政がなくなるわけもありません。ベンジャミン・フルフォード氏の本に、ある年老いたベルギー人の男の話が出てきます。

「いまはほとんど世捨て人同然のその男は、若いころ、兵士としてコンゴに駐留していた。彼の任務は哨戒艇に乗ってザイール川やコンゴ川の流域をパトロールし、川端の村を無差別に銃撃して住民を殺し、彼らがそこで住めないようにすることだった。

 なぜ、そんなことをする必要があったのか。豊かな自然の恵みの中で、人々が自給自足の暮らしを送るのを許していては、本国資本の経営する天然ゴム農園が人手不足に陥ってしまうからだ。資本は、人々が自分のために働き、生産することを許さないのである」(中国が目論む世界支配の正体 141 142p) 。


 IMFの支援も同様、途上国に輸出用の換金作物を生産させ借金の返済を迫る。

アフリカの食糧不足の問題も同じ。国連やその他機関の食糧支援は、当該国の他地域や近隣諸国から調達できるのに欧米の余剰生産物を押し付け、現地の食料自給率の向上にはマイナスになる。途上国を援助漬けにして自立させず、実質的には植民地のままにするというのは、英国が清に阿片を売付け依存症にして収奪した時代と基本は同じです。

欧米の旧植民地で資源が発見されるや部族対立を煽り、傭兵を送り込んで政権を転覆、あるいは資源地域を独立させる。白人の腹黒さは400年前の東インド会社時代からいっこうに変わりませんね。
  (PB生、千葉)



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(読者の声5)米国大統領選挙直後に、選出されたプロセス等を踏まえて安全保障や防災、テロ対策等の側面も含め、広く今後の日米関係等に関して、長く在日し今や日本人以上に日本を愛し、今年2月に『危険な沖縄』(産経新聞社)という対談を出版した米国人お二人に、そのようなお立場からパネルディスカッション形式で立体的に分析をして頂きます。
貴重な機会ですので、多くの方々の御来場を待ち申し上げております。

 「パネリスト」紹介

ロバート・エルドリッヂ
(昭和43年1月、米国ニュージャージー州生。平成2年5月、パリ留学やワシントンDCでのインターンシップ等を経てリンチバーグ大学卒(国際関係論)。同7月、来日。平成11年、神戸大学大学院法学研究科博士課程後期課程終了。政治学博士。サントリー文化財団、平和安全保障研究所等の研究員を経て平成13年大阪大学大学院国際公共政策研究科准教授。平成16年 17年、米国海兵隊太平洋軍政治顧問。平成21年9月、在日海兵隊基地司令部外交政策部次長就任。平成27年7月退任。著書に、『沖縄問題の起源』(名古屋大学出版会、2003年、サントリー学芸賞、アジア太平洋賞)、『尖閣問題の起源』(名古屋出版会、2015年、大平正芳記念賞、国家基本問題研究所日本研究賞)、『オキナワ論』(新潮社、2016年)、『誰が沖縄を殺すのか?』(PHP、2016年)『次の大震災に備えるために』(近代消防社、2016年)その他、多数)。

 ケント・ギルバート
(昭和27年アイダホ州生。ユタ州で成長。昭和45年ブリガムヤング大学に入学。昭和46年、初来日。昭和55年経営学修士号(MBA)、法務博士号(JD)を取得。法律コンサルタントとして再び来日。弁護士業と並行してタレント活動を行う。平成27年10月、アパ日本再興財団による『第8回「真の近現代史観」懸賞論文』最優秀藤誠志賞受賞。近著に『日本覚醒』(宝島社)、『いよいよ歴史戦のカラクリを発信する日本人』、『やっと自虐史観のアホらしさに気づいた日本人』、『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』(いずれもPHP研究所)、共著に『危険な沖縄』(産経新聞社出版)、『中国・韓国との新・歴史戦に勝つ』(悟空出版)、『日本の自立』(イースト・プレス)、『素晴らしい国・日本に告ぐ』(青林堂)などがある)。

「コメンテーター」
吉川圭一
(1963年5月、東京都生。筑波大学で修士号取得。参議院議員事務所公設秘書、国際問題評論家ペマ・ギャルポ氏事務所特別秘書等を経て、2002年グローバル・イッシューズ総合研究所設立。代表取締役。2011年、東日本大震災を契機に一般社団法人日本安全保障・危機管理学会ワシントン事務所長。著書『楯の論理』(展転社、2002年)、『911から311へ?日本版国土安全保障省設立の提言』(近代消防社、2013年)、『311以降?日米は防災で協力できるか?』(近代消防社、2015年)、『日本はテロを阻止できるか?』(近代消防社、2016年)。講演歴多数)。


【日 時】平成28年11月10日(木)午後6時30分(受付午後6時)

【会 場】日本赤十字本社2階会議室(港区芝大門1?1?3)
https://www.nisseki-service.com/about/accessmap.html

主 催】グローバル・イッシューズ総合研究所

【共 催】一般財団法人尾崎行雄記念財団
【参加費】2000円
【定 員】200名
【要予約】一般財団法人尾崎行雄記念財団:電子メールinfo@ozakiyukio.jp

 上記のメール・アドレスに必ず御名前と連絡先を書いて送信して下さい。メールの着信で受付完了とさせて頂き当方より確認の御連絡は致しません。頂いた連絡先は急な変更等があった場合のみ使用させて頂きます。



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(読者の声6)国連が世界に広めた「慰安婦=性奴隷」の嘘。ジュネーブ国連派遣団報告(自由社)藤岡信勝編著。

 第11回:第五章 日本外務省に20年遅れの「罪状否認」をさせる
第3次派遣・ジュネーブ国連代表団(2016.2)

第五章1.慰安婦「日韓合意」とその後


2015年7月の第二次派遣において、杉田水脈、山本優美子代表が女子差別撤廃委員会でNGOとして発言したことが、委員長に「慰安婦問題にもう一つの見方があるとは初めて知った」「精査する」との発言を引き出しました。

 ところが、その年の12月、日本と韓国の両外務大臣がソウルでいわゆる日韓合意を発表しました。

これは、内外で評価されたのですが、実は「日本の心を大切にする党」代表の中山恭子氏が「安倍外交の最大の汚点となると考えられ、大いなる失望を表明する」と批判されたように、重大な問題を有する合意でした。

 海外で歓迎されたのは、「日本はとうとう日本が犯した慰安婦性奴隷化」という過去の犯罪を認めた、と理解されたためであることが明らかになってきました。

最悪の決定をしてしまったわけですが、その2か月後にまた大きな逆転劇が起こります。

 日韓合意の持つ意味について、徹底批判が展開されます。

日本語原文;http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Chapter-5a.pdf
英訳文:URL:http://www.sdh-fact.com/book-article/841/
PDF: http://www.sdh-fact.com/CL/Chapter-5.-A-Japan-Korea-Agreement-and-its-Aftermath.pdf
 海外には英文で発信しました。
(「史実を世界に発信する会」会長代行 茂木弘道)

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 微かに残る記憶の底に遺るコンゴ動乱で逝ったルムンバはソ連で祀られた?

 四十九年前の今頃、カネ無し高校生はタダで学ぶ方法を見付けた。モスクワの「ルムンバ国際大学」なら渡航費、学費、生活費がタダだぜ!っと思ったのだが。親父に速攻で反対されて、断念。

 読者の声を読んで、ベルギーとの関連を思い出した。苦い思い出も。