宮崎正弘の国際ニュース・早読み [宮崎正弘の国際ニュース・早読み] - メルマ! | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


 宮崎氏が早稲田を中退した理由の一端が垣間見えた気がするな、今日のメルマガは。

 彼が早稲田で見たものは、類推するしか無いけど、自分のスタイルを確立し・・なんてことだったのだろう。僕は彼より三つ下だが、食うこと優先だったもんな。その為には脇目も振らず(って程でもないか(^^ゞ)だったもんな。

 口だけ保守と揶揄したことは御免なさい。m(__)m

 そういゃ、共産党は「民主連合政府」構想もあったっけ。不破哲三が書記局長時代だったかなぁ。


 野合が国民に見抜かれた。参院選とも都知事選完全にその正体がバレたって事だ。

 組織もなけりゃ?知名度も無い桜井氏
の次の標的は都議会選だな。何やら今回の得票で全選挙区で議員当選が可能だとか。彼の主張が一番真っ当な事が更にひろまるな。

宮崎正弘メルマより
http://melma.com/sp/backnumber_45206_6400658/
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成28年(2016)8月1日(月曜日)
          通算第4975号 <臨時増刊>
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 レーニンの連立政府戦術の敗退

  毛沢東もボルシェビキに学び、天下を取ったが。。。。。

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 都知事選挙の結果は日本人特有の判官贔屓が鮮明にでたためである。
無党派の勝利などと単純明快な説明は耳に凧。それより鳥越惨敗の背景を政治的にさぐる必要がある。

 改憲阻止、野党結集を呼びかけて、野党四党が結束したにもかかわらず敗退してしまった。公約なし、出遅れ、週刊誌などと敗因が語られているが、肝心のことを忘れていないか。

 すなわちレーニン以来の左翼戦術が敗退したことである。

共産党の鉄壁の組織票さえ、二割前後が小池候補に流れたというのは、組織的締め付けが弛緩し、革命組織の紀律が破裂している事実を示唆してあまりある。

 レーニンは少数派ボルシェビキ率いて、「野党共闘」により革命を成功に導く。メンシェビキ(多数派)の壁を破り、かれらが実権を握るには、議会を長引かせ、徹夜も厭わず、議論に疲れた多数派が退場したと見るや、採決を強行し、主導権を握る。これがレーニンの組織論であり、のちに毛沢東が援用する。

 日本でも左翼暴力団といわれた全学連が自治会選挙で、よく使った手段である。

 自治会の一割にも満たなくても「組織された」党員が、多数派と連立を組んだかに見せ、議会を出席議員数でクリアし、多数派が退場したところで、居残った「組織された」メンバーが投票を行い、トンデモナイ議案も突如成立する。
その決議は合法となる。

 鉄の組織は、日本では弱体化した。野党四党の連立パターンは化けの皮が剥がれ、ついに左翼退潮の明確な兆しをしめしたのではないのか。

 レーニンの連術は死に絶えつつあり、トルコのクーデタ失敗や米国のトランプ現象のように、新しい武器はツィッター。このハッカー戦争を主導できる者が、これからの政治の中枢に躍り出てくるだろう。

 第三位の上杉、四位に食い込んだ桜井各候補も、組織票の宗教団体を超える得票を示している。何かが壊れ、従来になかった政治手法が、これから本格的に登場する契機となったのが、こんかいの都知事選挙だったように思える。

      △◎◎ミ□◇▽ヤ□◎○ザ◎□○キ○□◇ 
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 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
                                        
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1447回】     
  「頑迷固陋倨傲自尊・・・耻ナキモノハ利ヲ嗜ミテ・・・」(西島9)
  西島良爾『實?清國一斑』(博文館 明治三十二年)

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「ケチナ外交官」は論外というべきだが、勝の言に従うまでもなく、「馬鹿正直」であることは個人の道徳としては拳々服膺されるべきだろうが、やはり「国家としては」真っ当とはいえない。国家の馬鹿正直も度が過ぎると、とどのつまりは正直が消えて馬鹿しか残らないだろうに。かくしてバカを見るのは国家であり国民だ。これこそが「ケチナ外交官」による外交が国家と国民にもたらす惨禍、ということになる。

西島によれば、「西人社會ニ於テ決シテ醜業ヲ取ルモノナシトセズ」。いや却って醜業は派手に行われ、「西人ノ心魂ヲ蕩盡セシムル」の施設は、上海にも数限りない。だが、それが街の雑踏の一部に組み込まれ点景となっているのも、表だって問題視されないのも、日本人醜業婦のように嘲笑・玩弄されないのも、西洋人が政治的にも経済的に圧倒的な影響力を上海の隅々  表社会から裏社会にまで及ぼしているからだろう。

ともかくも日清戦争に勝ったくらいではダメだ。現状を打ち破らない限り、上海でみられるように、我が国は「悲境ニ沈淪セサルヲ得」ない。であればこそ、「我日本國民タルモノ奮勵一番ヲ要スベキナリ」と力説することになる。

かくして「蓋シ其實力ヲ發揮スル今ノ時ヨリヨキハナシ」と、西島の手にした“進軍ラッパ”は喨々と鳴り響く。

いま「極東ニ向テ急射セル歐西列強ノ鋭鋒ニ拮抗シ此問題ニ向テ快刀ヲ下」し、「東洋先進國タル實力ヲ示」さなければならない。これが日本の使命だ。一方、日清戦争敗北によって、やっと日本の「實力」や「文明ノ進歩」を知ったことで、清国には「我ニ依頼スルノ感念」が生まれるようになった。そんな清国に対し「歐西列強ノ強求」が加わるものだから、「?々清國民ヲ驅リテ我ニ向ハシムルニ至レリ」。まさに「我ノ清國民ヲ啓發誘導スルノ機ヤ到レリト云フベキ」時となった。好機到来、である。

日本は「朝鮮ノ獨立ヲ鞏固ニシ東洋ノ平和ヲ永遠ニ保持スル」という日清戦争の目的を達成した。つまり「皇師戰捷ノ効果ハ間然トスルトコロ」である。「我國民ハ廉潔ニシテ尚武ノ民」であり、「淡泊ニシテ邪氣ナキノ民」だから、「隣邦ノ禍難」を救うことができるはずだ。やはり清国に「誠心誠意」で対応し、「啓沃開發」する必要がある。だから日本は「宜ク上下齋心天然ノ關係ヲ利用シ人事ノ經營ヲ悉クシ」て、「西力ノ東漸ヲ防遏」しなければならない。これこそが「今日ノ急務」だ。

そもそも清朝は、「關外ノ蠻族ト稱セラレタル愛新覚羅氏」が明朝を倒して打ち立てた王朝であるがゆえに、王朝開基当初は漢人から「夷狄視」されていた。だから「若シ我日本ガ支那ヲ略取シ統一セシト假定」した場合、漢人は満州族に対したと同じように日本人を「夷狄視」するはずだ。

「元來支那人ハ固陋傲慢ノ性質ヲ有シ百般悉ク舊慣ヲ貴ビ殊ニ祖宗ノ遺法ハ務メテ之ヲ遵奉」する。だから「偶々新法ヲ敷キ新制ヲ云」おうものなら、直ちに徹底的に排斥し、新法・新制に従うことはない。そこで清朝政権による統治当初は、たとえば官吏配置に際してみられるように「滿漢并用シ外見上頗ル公平ナルガ如ク」に、「籠絡」と「壓制」で漢人に対処した。だが、それは表面的な措置に過ぎず、「内部樞要ノ地ニ至テハ必ズ滿人」を充て、「漢人ハ常ニ滿人ノ制スル所ト」した。

こういった清朝の統治手法は歴代王朝、殊に明朝の「衰頽滅絶ノ原因ヲ考究シ其弊害ノ由テ來タル所ニ注意シ」た結果だが、却って「事務ノ緩慢澁滯ヲ來シ」、ムダな出費を重ねてしまい、やがては「非常ノ弊害ニ陷」ってしまった。じつは「支那ハ??政治ノ國」であり、「法制政治ノ國」ではない。だが肝心の「??政治」にガタがきてしまった。
《QED》
                  
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【知道中国 1448回】 
  「頑迷固陋倨傲自尊・・・耻ナキモノハ利ヲ嗜ミテ・・・」(西島10)
      西島良爾『實?清國一斑』(博文館 明治三十二年)

  △
 もはや康熙・乾隆帝の治世にみられた「??政治」は見る影もない。曾国藩のような元勲が努力に努力を重ねても、「實ニ祖宗三百年ノ天下ヲ汚ス」ばかり。ここで西島は清国人を論じることになる。

日清戦争で天下に示されたように「清國民ノ怯懦無氣力ナル」は隠しようがなく、「所謂利慾ノ外愛國心ナキナリ」。「剛毅ノ美?ハ消磨シ」、「頑固ナリ偏信ナリ」。だが「一片強硬執拗ノ性情ハ毫モ衰へ」ることがなく、さらには「自信自重卓然不羈」であり、「祖宗ノ風尚ヲ墨守シ」、「一點愛スヘキ将タ頼ムベキ性格ノ存スルモノ」はない。率直にいいますと、もはや処置ナシ、ということです。

ここで一転して「我國今日ノ情態」に及ぶのだが、これが大いに考えさせられてしまう。「我國今日ノ情態」は「輕佻浮薄」のうえに「道義沈淪シテ廉耻地ヲ掃ヒ」、「人情紙ノ如ク」して「空論囂々トシテ徒ラニ山河鬼神ヲ泣カシム」ようなブザマな姿は、「清人」にも劣ると糾弾する。西島が記した「我國今日ノ情態」は、まるで120有余年後の現在と見紛うばかり。かりに時代が移ろうと「我國今日ノ情態」が一向に改められることがないとするなら、これはもう日本人の業病というほかなさそうだ。哀しく、恥ずかしく、情けなく、口惜しき哉、である。

ここで再び清国人に戻るが、西島は一転して「清國民ヤ世人ノ所謂無氣力」ではないとする。「訓養統帥其宜シキヲ得」るなら、清国民をして「白刃」の下を潜らせることも、「水火」を厭わずに行動させることも出来るようものを。ただ惜しむべきは、国家の政策が誤っているうえに弥縫策に終始し、国家百年の大計を誤ってしまったことだ。ならば、「訓養統帥其宜シキヲ得」べくするためには、いったい、どのような方策があるのか。

そんなダメな清国ではあっても、確かに「志士」はいる。そのうちの1人の康祖詒が1500人の署名を添えて皇帝に差し出した「上書」には、日欧列強による国土蚕食は断固として許してはならない。そのためには「士氣ヲ皷舞スベシ、遷都ノ計ヲ定ムベシ兵制ヲ改革スベシ運輸交通ノ便ヲ開クベシ舊法ヲ改メ新制ニ就クベシ文明ノ利機ヲ輸入スベシ」とある。康祖詒らの行動が「滿清老廷ニ向テ一大打 ヲ加」えた。これこそ「清國ノ生氣未ダ全ク消滅」していない証拠である、と西島は説いた。

かくして西島は、「我日本帝國ノ任務」であり、「我國ガ東洋振興ノ責任上ヨリシテ當然ノ本分」を訴える。「禹域分食セラルレバ東洋ノ命運復タ開」かれず、「日清乖離セバ東洋ノ大事復タ爲」すことは困難だ。

だから「輔車唇齒ノ關係アル比隣老大國」の惨状を決して対岸の火災視してはならない。決然として立ち「天然ノ幇便ヲ利シ人事ノ經營ヲ盡シ」、「共ニ西方ノ東漸ニ抗拮シ以テ永遠ニ東洋ノ平和ヲ維持スルニ勉メザルベカラズ」と。

西島の主張は、おそらくは当時の日本の輿論の大勢を代表しているとも思う。だが不思議なことは、西島が「志士」と評価する康祖詒の「上書」に「亦タ後ニ耽々逐々トシテ踵ヲ接シテ來ラントス」と警告した列強諸国の第一陣として、「臺澎ノ地」の「割與」を逼ったとして日本が明記されている点だ。
「禹域分食セラルレ」、「日清乖離」するようなことがあったなら、東洋は四分五裂し命運は尽きてしまうとの主張は判るが、では日本による「臺澎ノ地」の「割與」は「禹域分食」にも「日清乖離」にも当たらないのか。いや一歩を進めて「西方ノ東漸ニ抗拮シ以テ永遠ニ東洋ノ平和ヲ維持」の一助になるということか。

敢えて西島の考えを忖度するなら、「西方ノ東漸ニ抗拮シ以テ永遠ニ東洋ノ平和ヲ維持スル」ために「臺澎ノ地」を「割與」し、「天然ノ幇便ヲ利シ人事ノ經營ヲ盡シ」て「輔車唇齒ノ關係アル比隣老大國」の改革を断行しようというのだろう。不思議な議論だ。
《QED》
                  
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【知道中国 1449回】       
  「頑迷固陋倨傲自尊・・・耻ナキモノハ利ヲ嗜ミテ・・・」(西島11)
    西島良爾『實?清國一斑』(博文館 明治三十二年)

   △
 「臺澎ノ地」  台湾と台湾海峡に浮かぶ澎湖列島  は、いったい誰のものなのか。

 下関条約で日本に「割與」されたとするなら、やはり本来的には清国のものとなる。ならば日本が「臺澎ノ地」を領有することは、日清戦争勝利の当然の帰結だろう。だが、当然の戦利品であったとしても、清国の立場からすれば「禹域分食」となり、結果として「日清乖離」に繋がるわけだ。かりに「臺澎ノ地」が「禹域」に入っていないなら、台湾領有が「日清乖離」という摩擦を生むわけがない。やはり問題解決のきっかけとして、日清戦争前後の台湾住民(大陸と接触する以前からの原住民、 南や広東省東部の梅州一帯からの移住民など)の意識を問う必要がありそうだ。

 かく考えてみると、清国の肩を持つ心算は毛頭ないが、西島の主張は奇異に感じられなくもない。いやはや、難儀な問題にぶち当たったものだが、その解決は後日の宿題として、いまは先を急ぎたい。

西島によれば、清朝盛時はともかくも、現在は「政治機關次第ニ崩壊シ」、「人民ハ文弱姑息ニ流レ」、「官吏ハ遊惰放逸ニ耽」るがまま。「官吏ノ俸給甚ダ薄」いが、「多數ノ親族子弟ヲ養ヒ」、「上官知友ニ交誼ヲ修」めねばならず、莫大な出費に悩まされるばかり。だから「假令廉清ノ士」であったとしても俸給以外の財源を求めなければならない。なにせ「人心ノ利ヲ好ムハ名ヲ好ムニ勝レル」という人々である。それゆえ官吏というものは中央から地方までを「通ジ陰ニ其賄賂ヲ貪」るのだ。地方官吏は中央の上級官吏を「恃ンデ應接トナシ以テ其身ノ地位ヲ固メントス」。総督や巡撫などの高級官吏は高級であるほどに様々に出費が嵩むゆえに、色々な口実を設け蓄財に邁進することになる。かくして「上ハ屬吏ニ求メ屬吏ハ人民ニ求メ遂ニ其止ル所ヲ知ラザルナリ」、つまり社会全体を不正の連環構造で包み込んでしまった。

 「上ハ屬吏ニ求メ屬吏ハ人民ニ求メ遂ニ其止ル所ヲ知ラザルナリ」とは、なんだか現在の中国を思わせるに十分だが、ならば恒常的に不正を生み出す社会の仕組みに関する限り、共産党政権も清朝政権も同じということになる。やはり伝統は生きていた。そこでまたまた記しておきたいのが林語堂である。

 「中国語文法における最も一般的な動詞活用は、動詞『賄賂を取る』の活用である。すなわち、『私は賄賂を取る。あなたは賄賂を取る。彼は賄賂を取る。私たちは賄賂を取る。あなたたちは賄賂を取る。彼らは賄賂を取る』であり、この動詞『賄賂を取る』は規則動詞である」

「中国が今必要としていることは政治家に対し道徳教育を行うことではなく、彼らに刑務所を準備することである」

「中国が真に必要としているものは、仁や義でもなければ、名誉でもなく、単純明快な法による処罰である。すなわち、不仁、不義、破廉恥な官吏を引きずり出して銃殺に処する勇気である」

「官吏たちに廉潔を保持させる唯一の方法は、いったん不正が暴露されたならば死刑に処するぞと脅かしてやることである」

 だが現在の習近平政権にあっても、「彼らに刑務所を準備」しようが、「不仁、不義、廉恥な官吏を引きずり出して銃殺に処する」と厳命しようが、「いったん不正が暴露されたならば死刑に処するぞと脅」そうが、「『賄賂を取る』は規則動詞である」ことは永遠不滅の“絶対真理”であり続ける。だから、じつに始末が悪い。伝統保持に何の疚しさがあろうかと、トラもハエも正々堂々・泰然自若の態である。
ホトホト呆れ果てるばかり。
《QED》

      △◎◎ヒ□◇▽イ□◎○ズ◎□○ミ○□◇ 

  読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)貴誌通算第4974号書評で渡邉利夫『士魂 福沢諭吉の真実』(海竜社)を取り上げられました。

 福沢諭吉を論ずるときに忘れててはいけないことが、三つあります。

まず、福沢諭吉は情の人でした。朝鮮からの留学生三十人余りに援助していましたが、その内の一人が亡くなりました。早速亡くなった学生のげ宿に駆け付け、お通夜に出席すると、福沢が援助している他の学生の内一人も来ません。福沢は「俺は何と薄情な連中に援助しているのか」と嘆いたそうです。

その少し後に脱亜論が書かれました。この事件がその内容に影響しているのではと思います。

もうひとつは福沢の気前の良さです。
現在の東京大学工学部六本木キャンパスの土地は福沢が寄贈したものです。自分が持っているより有効に使われると考えたのでしょう。実際にどういう価値が生む出されるかを重視しているからなのでしょう。

三つめは、戦前に発行された福沢諭吉全集には本人が書いたのではない論文が多数集録されています。福沢の論文の多くは新聞に無記名で発表されたものです。全集の編集者が自分が書いて無記名で発表したものを全集の中に紛れ込ませているそうです。

この点を精査して新たな全集が発行されることが望ましいと考えます
   (ST生、千葉)



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(読者の声2)貴誌が休刊中は、世の中の動きを的確にまとめたメディアがほかにあまりなく淋しい思いをしている読者の一人です。それよりベラルーシへ行かれていたとか。まったく最近の宮崎さんは、専門領域の中国ではなく旧ソ連とか、ソ連衛星圏だった東欧圏ばかりですね。

 中国に飽きられたのでしょうか?
   (SY生、岡山)


(宮崎正弘のコメント)旧ソ連十五ヶ国のうち、トルクメニスタンだけは鎖国中。「中央アジアの北朝鮮」といわれています。旧ソ連衛星圏は十五ヶ国(アルバニア、モンゴルを含めて)、合計三十ヶ国です。

 トルクメニスタンを除いて、ほかの全部を回るのに三年、旅行は三十回に別けて、目的は言うまでもありませんが共産主義と訣別した、これらの国々が「はたして、市場経済化に成功したのか、本当に自由を勝ち得たのか?」という問題の現地での解明です。

たぶん年内に『全体主義の呪いは解けたか』(仮題)として上梓する予定です。

 中国問題に飽きたなどということはありませんが、小生の訴えてきたことが、ようやくメディアも議論するようになって、先駆的役割はある程度果たしたと自負しております。

 ただし中国経済に関しての論議は続けますし、九月には福島香織さんとの対談本が、十二月には石平さんとの対談本第八弾が出版される予定です。

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 僕はシナを多民族国家だと、認識しているので樋泉教授の「知道中国」とは見解を事にする。だからこそ今回もコメント無し。

 明治の先人達も多民族国家が何たるかを知ら無さ過ぎてるからなぁ。