頂門の一針4074号  2016・7・31(日) [頂門の一針] - メルマ! | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


 二日続けて、平井氏を取り上げてみた。彼が職人、匠を語るとは場違いは免れないな。本人自身をブン屋、コピーライターの職人だと言うのは片腹痛いぞ。

 労働の「働」は日本の国字だ。人が動いて「働く」なのだ。人が動けば汗をかく、額に汗するそれが労働つまり働く事だと何故認識出来ない。所詮彼はプチブル、額に汗せず金を稼ぐ事にしか目が行かないのだろうな。


頂門の一針メルマより
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支那から消えた職人/匠
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     平井 修一

「職人/匠」とは何か。いろいろな定義はあるだろうが、小生は活字の「モトヤ明朝」を設計した職人に思いをはせるのだ。(株)モトヤの沿革 にはこうあった。

<大正11年2月11日古門(ふるかど)慶次郎が兵庫県姫路市において、モトヤ商店を創業。活字の製造、印刷材料の販売を開始>

当時、スイスではアルファベットの、ある書体(多分ごく一般的なセンチュリー系)を設計した職人は著作権で一生飯が食えたという。モトヤの職人は「やあご苦労さん、今夜は一杯飲んでくれ」と金一封で終わり。

もし、当時の人が職人に「こんなはした金でいいのかよ」と聞けば、職人は「金儲けがしたくてやったことではないし・・・みんなが喜んでくれればと思ってやっただけよ。とても面白かったし」と答えたに違いない。

アルファベットは26文字×2(大文字、小文字)+0 9で、62文字の設計で終わり。日本語だと漢字、ひらがな、カタカナ、合わせて最低でも3000字の設計になる。50倍の手間だ。弟子を動員するのだろうが、最終的には自分がチェックしなければならない。結構、根を詰めた仕事になる。

いいか悪いかは別にして、日本の職人(小生の根っこはブン屋、コピーライターという職人)はそんな風である。大工なら稼ぎのほとんどを道具に費やす。仕事を終えた夕方、目が飛び出るくらいの高級カンナを、これまた目が飛び出るくらいの高級砥石でゆっくり、優しく、丁寧に研いでゆくのだ、まるで恋人をいたわるように。

今はほとんどが電動工具になっているが、丁寧に、きれいに、早く仕上げるという職人気質は継承されているだろう。

莫 邦富氏[作家・ジャーナリスト]の論考「中国社会の『職人技』軽視に一石を投じるB級グルメの匠」(ダイヤモンド7/21)から。

<11年前のことだ。当時、いま住むマンションの竣工が近づき、新居で使う食器を探していた。いまや故人となった邱永漢さんに見習って、自宅用の食器として、町の中華料理屋が使っているような粗悪な品を使いたくなく、わざわざ一家揃って景徳鎮まで食器を買い求めに行った。きっと気に入った食器を入手できるだろうと信じていた。

しかし、期待は見事に外れた。景徳鎮市内の主な販売店を全部回ったが、気に入ったものは1セットもなかった。相当な出費を覚悟した私たちだったが、結局、高級食器らしい商品は最後まで見当たらず、理解に苦しんだ。ホテルやオフィスビルのロビーなどに飾るような品のない大きな花瓶などの置物ばかりが店舗を独占していたのだ。

ある磁器メーカーに質問をぶつけた。なぜもっといい食器を作らないのか、と。戻ってきた答えは、「あんな小物商品では食っていけない」というものだった。

街角の壁には、磁器製造の「大師」(巨匠)たちの写真付きの紹介ポスターが大々的に飾ってある。こうした光景を目の当たりにした私たち一行は大きく落胆すると同時に、景徳鎮の没落を肌で実感した。それ以降、景徳鎮に再び行こうとはしない。

経済発展のスピードと収益を求めるこの数十年間、中国社会はコツコツと働く職人の技と存在を見下し、大師といった肩書をもつ人間を無原則に、無節操に持ち上げた。世の中は表層的な豪華さ、にぎやかさに走ってしまう。

*「工匠精神」に再び脚光

ようやくここ1、2年、その反動またはその反省が来た。日本語の「匠の心」に相当する表現として「工匠精神」という言葉がメディアを賑わすようになった。これまで大師たちばかりに向けていた目が次第に巷に埋没してしまいそうな「能工巧匠」(腕のいい職人)たちを凝視するように変わりつつある。

最近、私がSNSで読んで非常に感動したものがある。上海の裏路地で葱油餅(ツォンユーピン)作りにコツコツと32年間の歳月を注いだある職人を取り上げた記事だった。

葱油餅とは、いわば中国風のネギ入りおやきで、上海のB級グルメの代表格とも言える存在だ。このコラムでも私は葱油餅のことを取り上げたことがある(「美味しい葱油餅の話題が無味乾燥な防空識別圏の話に圧勝」をご参照ください)。

その店は、日本人に親しまれる花園飯店(オークラガーデンホテル上海)がある茂名南路の横丁の奥にある。この小さな店で、長男長女を意味する 「阿大」というニックネームで呼ばれる職人は、葱油餅だけを作り続けている。

朝5時半、営業がまだ始まっていないのに、すでにお客さんたちが続々と来ている。しかも、近隣ではなく、かなり距離がある徐家淮から駆けつけたお客たちだ。

報道によれば、列に2、3時間並んでようやくこの阿大葱油餅を入手するのは日常的な風景だ、という。事実かどうかと上海の友人に確かめたら、嘘じゃないと教えてくれた。想像してみてほしい。例えば日本で、いくら美味しいからといって“たこ焼き”のために2、3時間も列に並んでまで買うだろうか。

職人にはやはり職人の個性がある。普段、無口なこの葱油餅職人は時々、厳しい口調でお客さんを注意することがある。待ちに待ったお客さんが出来上がった葱油餅を見て、焦って手を出して取ろうとすると、「だめだ」と注意される。出来上がった葱油餅をさらに2分間寝かせた方が歯ごたえがよくなり、より一層美味しくなるからだ。

毎日、約400個作る。1個は5元(約80円)。こんなにも人気があるから、値段を上げたらと勧められたことがあるが、頑として頭を横に振ったという。雨の日にも、暑い夏にも、寒い冬にも、この小さな店の横に長蛇の列がなくならない。

*職人を悩ます後継者不足の問題

記事を読んで私が上海の友人たちに確かめると、その店のことなら知っていると多くの人が教えてくれた。近くに会社をもつ友人は、「次回、上海に来られたとき、うちの会社に遊びに来てください。事前に社員にあの名物葱油餅を買ってきてもらうから」と巧みに私を誘った。

記事をSNSにシェアしたら、次回、上海に一時帰省したら食べに行くといったコメントを残してくれた人がいっぱいいる。私も友人のあの巧みな誘いに抵抗力なく乗ってしまい、次は必ず行くと約束した。脳の判断よりも食欲のわがままを先に許してしまったのだ。

この阿大葱油餅はついに、上海に駐在している海外のメディアにも注目された。しばらく前にBBC放送にも取材された。これからは阿大葱油餅を買う列がさらに伸びるだろうと思う。

しかし、ここまで注目を浴びるようになった阿大職人も深刻な悩みを抱えている。後継者がいないのだ。毎日、立ったままの体勢で火のそばにいて仕事するだけではなく、朝は早すぎるほど早いから、体にはきつい。豊かな時代を迎えたいまの大都市部では、進んでこのような仕事を求める若者はいない。人気が出れば出るほど、阿大職人の焦りも深刻さを増していく。

匠の心と技をどう伝承していくのか、中国が抱える課題の一つだ。とはいえ、大師よりもこうした巷の職人が注目されるようになった今後は、この課題を解決できそうな気がする>(以上)

お店の写真と体験談があった。↓
http://4travel.jp/travelogue/10603831

「能工巧匠」・・・それにしてもすごい環境、背中が曲がっているし、ゴキブリが出そうだ・・・材料費などを引いて手取り1万円/日。月に25万円。上海の最賃は4万円/月(出稼ぎは5 6万円)だからものすごい高給取りだ。

が、後継者がいないというのは、ここ数年で人気になっただけで、それまでは界隈で評判だったものの100個=8000円/日、月収7万円あたりだったろう。自営業としてはそんなものではなかったか。上海は物価が高い(全国平均の2倍)から7万円でも楽ではない。

人気は当てにはできない。急に盛り上がっても急に萎んだりする。日中友好なんて今は誰も言わない。阿大葱油餅に弟子入りする人がいないのは将来が見えないからだろう。月収25万円から徐々に減って7万円へ。その可能性は高い。

日本でもラーメン屋は栄枯盛衰、一時的に評判をとって行列ができても、客はあっちこっちに浮気する。

阿大葱油餅の匠の技は焼き方だろうが、若者がその技で一生食えるとは思えない。ツブシがきかない。中華料理、フレンチを学んだ方がはるかにいい、となるだろう。

支那人は労働を神聖視しない。仕事は稼ぐための手段で、儲かればいいのであり、できるだけ楽であればいい。4000年以上前からそうだった。汗水流すのは庶民で、上は酒を飲み、寝転がって清談を交わすのが良しとされてきた。

かくして支那に職人、匠は育たない。職人の消えた景徳鎮のように没落するだけだ。支那は永遠の二流国で終わるだろう。(2016/7/29)
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 所詮ブン屋は汗をかかずに金を手にする事のみにしか関心が無い事は、彼の本質ではないかと思ってしまう。俺って変か?


 日本の匠の心の根底は何だろう? 「ケガレ」を忌み嫌う大和民族。言葉さえ「コトノハ」と濁音を排除する。成果を手に取る他人の心に「ケガレ」を齎さない事では無いだろうか? それが日本中を覆っているのでは? そう思いませんか?

 それはどこから来たのか? その答えを知ったと言うか、それしか無いと確信したのは縄文人を祖とする遺伝子に埋め込まれた魂(この言葉は使いたくないけど・・語彙不足を恥じるなぁ)では無いだろうか。こんな事考える俺って馬鹿?阿呆?


 朝貢貿易で日本の玉(ギョク)が貢納されているそうだ。ギョクが何だったか忘れたが、硬い玉に穴を穿ち、装飾用に仕上げて有ったとか。年に数個だとも伝わってるようだ。シナにはそんな技術が遥かな昔から無かったのだ。文筆の徒が知らないのも何だかなぁ。

 王朝が代わる度に、先王朝の文物を否定して来たシナに技術継承やら匠らしきものが継承されたとは思わないんだがな。歳で頭の中に幻覚でも湧いてるのかもしれないな。


 金にしか目がなかったプチブルには自分が職人に比定出来る程の何があったのだろう。僕が彼との比較で不足している事は、知識の差(読書量の差)、何処にどんな情報が転がっているかを知らない事だろうと思うんだが。


 昔も今も、奴隷国家のシナ。そんな現状認識が出来ないのは、彼の限界だろうな。だから、日本の現状も。頓珍漢な評論になるのだろう。「朝鮮」を語らない、語れないのどっちか知らないけれど、サッサとクタバッチまえ。!







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