地道中国  宮崎正弘の国際ニュース・早読み(book reviews) [宮崎正弘の国際ニュース | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


 司馬遼太郎を糞味噌にするのを始めてみた気がする。僕も反司馬遼はだからだが。何故持て囃されたかが、今一分からないが。最も、19で初めて知った身では分からないか。今では坂本龍馬も普遍性を、持った存在だが、1968年に司馬の著作で知るまで、一般的では無かったと僕は思っている。

 樋口一葉の「たけくらべ」は就学前後に漫画で読んだっけ(^^ゞ 同時に「親鸞上人」「お釈迦様」の漫画も我家には有った。三つとも幼い身には興味が湧かず、人生の指針には成り得なかったのは残念だったと今では思う。


宮崎正裕メルマより
http://melma.com/sp/backnumber_45206_6334628/
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成28年(2016)2月28日(日曜日)
         通算第4832号 
                  
本号は日曜版、ニュース解説はありません。
本号の目次
<書評>岡田英弘著作集7『歴史家のまなざし』
  エンベルト・エーゴ、橋本勝雄訳『プラハの墓地』
(連載)樋泉克夫のコラム 
 読者のページほか。

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◆書評 ◎しょひょう ▼BOOKREVIEW ●書評 ▽
                  

 郭沫若、司馬遼太郎の良い加減さを冷静に批判
  世界史の広い眺望から国際情勢を独特に解析する岡田節

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岡田英弘『岡田英弘著作集7 歴史家のまなざし』(藤原書店)
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 岡田英弘著作集も、あと一巻で完結となる。本編は「歴史家」の目を通しての国際情勢分析と日本人論、家族論などいずれも骨太のエッセイが手際よく編まれている。
 通読してキーワードはといえば、郭沫若、司馬遼太郎、樋口一葉。
 「?」
 郭沫若はひところ日本のシナ学者やら左翼ブンカジンが大いにもてはやした。この世渡り上手な日和見主義作家は、日本人女性と結婚している。しかし郭沫若は、そのことを後の作品で伏せた。この謎も本書の解説で了解できる。
 十年ほど前、北京の中南海から北東、河畔のレストランが建ち並ぶ一角に郭沫若記念館があるというので見学に出向いたことがある。道を尋ねながら(ガイドブックの地図が間違っているため)、探し当てた。中へ入ると、瀟洒な洋館に小さな庭、図書館のような書棚、執筆机。贅沢な文化的雰囲気があって、驚いた。
なぜなら、あの文革の嵐のなか、なぜ、この作家だけは特別待遇を受けたのかという疑念が湧いたからである。
 第一次世界大戦のあと、「五四運動が北京から全国に波及します。郭沫若はじっとしておられず、1921年(大正十年)、とうとうとみ夫人と二人の子供を福岡に置き去りにして帰国」したと岡田氏は叙述する。
 その前後に様々な人間関係があって、同人誌を出したりするが、「郭沫若が、中国語では原文の美しさを充分には表現できないことを認めている」(つまり、郭沫若は、その「原文」を日本語で書いた)。
 郭沫若の作品は若き日のこと、日本での生活などが曖昧模糊に誤魔化されて書かれており、魯迅のような実直さ、誠実さがないと評者(宮崎)もかねて感じてきたので、このあたりの解説は妙に納得ができた。

 司馬遼太郎については「現代中国人の政治的宣伝の嘘に騙される恐れがある」にも関わらず、「王朝の武力で漢民族の居住区が拡大したというより、現実的にみれば百姓の鍬ひとつで耕地が拡がっていき、その拡がったものを王朝が追認してゆくというかたちで拡がった」などと書いているが、岡田氏から言えば、
「これはまたあんまりなはったりである」
ということになる。
 簡単なたとえにモンゴルが独立したときのことを例証し、「まだ中国という国は無かった」ときである、と指摘される。
「モンゴルが独立したのは清朝からであって、翌1912年1月1日にできた漢人の中華民国から(の独立)ではなかった。存在しない国からの独立はできない」。
つまり司馬の乱世史観などというシロモノは時代考証が出鱈目である、と批判している。

 樋口一葉は豊饒な日本語、その古典的ともいえる優雅な表現で知られるが、父親の「樋口則義が「蕃書調所」で働き、ついで外国奉行菊池伊予守に仕え、明治維新後は東京府に勤務している。この経歴から見ると、樋口則義は幕府の外国奉行所で、取れスキンの満州語の手紙に接し、興味をそそられたのだろう」
という記述があり、外国語に堪能だったことが推察される。
なるほど森鴎外が激賛した樋口一葉の文章の古典的美しさと言葉の豊饒な父親から受け継いでいるのかと思った。
 ほかにもこの巻には珠玉の随筆がつまっている。
  ◎▽□み◎◇◇や◇◇◇ざ○◎○き□▽◎◇
                  
◆書評 ◎しょひょう ▼BOOKREVIEW ●書評 ▽
                  

 近代ヨーロッパに渦巻いた政治陰謀の裏側に
  偽造文書をつくる偽作作家たちが加担していた

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ウンベルト・エーゴ、橋本勝雄訳『プラハの墓地』(東京創元社)
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 名作『薔薇の名前』の著者の最新作。この本は多重性に満ちてトリックもわかりにくく、ショーン・コネリー主演の映画にもなったので、見た記憶があるが、キリスト教の素養がないとわかりにくい作品だった。『薔薇の名前』の舞台は中世の北イタリアだった。
 こんどは主舞台こそフランスは花の都=パリだが、ときにシチリアに飛んだり、背景の時間も長く、遠景に登場するのはルイ国王、ナポレオン、アレキサンドル・デュマ、フロイト、そしてドレフェス。
 歴史的空間はイタリア統一、パリ・コンミューン、ドレフェス事件など。しかし題名にあるように「プラハの墓地」にはじまり、「プラハの墓地」に終わる。
プラハの墓地が象徴するのはユダヤ人である。
つまりこれは世紀の偽書、『シオンの議定書』という偽文書をつくった、偽筆家集団の暗闘、裏切り、陰謀、殺人の物語である。
 当時の欧州にはいかに反ユダヤ主義の嵐が荒れ狂ったか、そして陰謀、暗殺、殺人、戦争、殺戮、虐殺がおこるたびに偽作家の大活躍が始まって、かのドレフェスの冤罪事件も、その裁判で有罪をでっち上げた証拠は、彼らがつくった偽造文書だった。
 評者(宮崎)はプラハに行ったとき、旧市内にあるシナゴーグ、その裏山にあるユダヤ人墓地を見に行ったが、狭い土地にしか認められなかった墓地だったため、ぎゅうぎゅう詰めの墓石の上にも墓石、石碑などを積み重ねてあり、奇妙な、不気味なユダヤ人墓地が残っていた。
 著者のエーゴは、登場人物は主人公をのぞいて全員が「実在した」とミステリアスなことをいう。
 主人公はフィクションだが、幼児のころから反ユダヤの家庭に育てられ、幾多の歴史的事件の渦中でせっせと偽造文書をつくり、殺人を重ねながら、カネのために世紀の偽造文書にせっせと精を出した。
ユダヤ人が世界制覇を目論んだ陰謀をはかるという『シオンの議定書』は、いかに真実味をだすかで討議され、多くの嘘くさくない逸話を挿入し、その細工ぶりを語る。
 「文書を偽造する人間はつねに文書で裏付けしなければならない。だから私は図書館に通いつめた(中略)。ある本でプラハのユダヤ人墓地の美しい版画を見つけた。今はうち棄てられ、ひどく狭いところに一万二千ほどの墓碑がある」(123p)

 革命家、騒擾屋、反革命集団にはつねに仮想敵が必要である。
 「問題は経済的陰謀を弾劾することだ。パリのレストランではノルマンディのレストランよりもリンゴ値段が百倍も高いのはなぜか? 他人の肉を食らって生きる捕食民族、かつてのフェニキア人とカルタゴ人のような商人の人種がいるからだ。現代ではそれがイギリス人とユダヤ人だ」(230p)
 つまり「異なる多くの顔を持つ脅威をつくることはできない、脅威の顔はただひとつでなければならない。でないと人の注意は薄れてしまう。ユダヤ人を糾弾したいのならユダヤ人について話すべき」だ。(260p)

 「群衆は野蛮であり、いかなる時も野蛮に行動する。自由によって限りない消費が許された飲み物のせいで痴呆となった、獣のようなアルコール中毒患者たちを見よ! (中略)政治においては純粋な力だけが勝利し、暴力が根本原理であるべきだ。狡猾さと偽善が、とるべき方針でなければならない。悪は善意達するための唯一の手段なのだ。腐敗、欺瞞、裏切りを前にして我々はためらうべきではない。目的は手段を正当化する」(495p)
 だからフランス革命はギロチンの処刑、流血、裏切り、反乱、パリコンミューンもまた。そしてロシア革命も、中国毛沢東の暴力革命も。。。

 物語の筋を度外視していえば、これは政治の本質ゲバルトを論じたものであり、政治の手段である謀略、その一手段が偽造文書。そしてそれを生産し続ける主人公がどうやら多重人格であり、ここで副主人公のように登場して精神状態を分析するのがフロイト博士というわけで、娯楽性もたっぷり、スリリングな描写も、高級なエンターティンメントとして楽しませてくれる。
 しかし本書は『薔薇の名前』同様に浩瀚、翻訳版はじつに544ぺージ、読むのに三日かかった。
   ◇○○○◇
                  
 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
                  
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1374回】              
  「支那人は自國を賛譽し誇稱して、外人を貶す」(安東7)
安東不二雄『支那漫遊實記』(博文館 明治二十五年)
 
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 中国社会の根っ子にある仕組み(《自己人》による「関係」であり、《自己人》の結びつき)を考える時、20世紀30年代末から40年代前半の日本統治下における北京社会を調査した仁井田陞の次の報告は参考になるはずだ。

 「中国社会をその内面構造の上からとらえてみれば、同族(血縁)や同郷(地縁)や同学(学縁)や、同教(教縁)や、同業(業縁)や、亦、血縁の擬制ともいうべき親分、子分、兄弟分関係の諸結合など、大小いくつもの、又、幾種もの社会集団が重なり合っているのであって、人はそのうちの一つにかぎらず、そのいくつにも関係をもってきた。人は生きて行くために、より多くその生命を財産とを守るために、血縁のような自然的結合関係にたよるのは勿論のこと、人為的な結合関係をできるだけ作って、つとめてこれをたよりにしようとする。中国の社会生活の仕組みは何事によらずこのような傾向をもっていた。」(『中国の社会とギルド』岩波書店 1951年)

 政府はじめ公権力というものは、庶民から富を引っ剥がすことは知っていても、彼らを守ろうなどという方策も考えも最初からあろうはずもない。そこで彼らは、自らの生命や財産は自らで守るしかない。かくして社会全体に網の目のように「自然的結合関係」や「人為的な結合関係」が張り巡らされることとなるわけだ。

ところで安東は「支那人怖る可し」という項目を立て、『亞細亞大勢論』という本から長文を引用している。原典の著者も書名も記されていない。「我歐洲ノ識者」などといった記述からして著者はヨーロッパ人だろうが、興味深い記述が見られる。そこで参考までに些か安東を離れ、『亞細亞大勢論』からの引用部分を、現代風に書き換えてみた。

   商売における用意周到さにおいてはユダヤ人を除いたら、世界に中国人ほどの力を持っている者はいない。我われヨーロッパの識者は、ヨーロッパの富は将来は中国の手に委ねられてしまうと常に語っているが、卓見というべきだ。私は中国に滞在した経験があるが、人件費の安さに何度驚いたことか。目下、中国では製造業は未発達だが、全国各地に工場を建設し人件費が驚くほど安い中国人労働者を雇用したなら、我がヨーロッパの富は最終的には根こそぎ中国人に掠め取られてしまうだろう。

 中国人とヨーロッパ人の貿易を見ると、ヨーロッパ人が中国人に圧倒されているのが実態だ。ヨーロッパから輸送された商品が中国の港に陸揚げされて後、その全ては中国人の手に委ねられる。それゆえ儲けの幅や分配に関しては、中国人の思うがまま。老獪極まりない商法で知られるイギリス人でさえ、中国人に一歩譲り、その歓心を買うことに汲々としているありさまである。

 さすがにロシア人だけは長い国境を接するだけに、中国人の人情風俗を徹底研究し、準備怠ることなく実力を蓄え南下を進めているが、中国人にとって最も警戒すべきところだ。

 貿易を専門とする中国商人を観察すると、突発事態にも臨機応変に対応する点が指摘できる。そんな時にも顔色一つ変えるわけでもなく、敢えて儲けは二の次、三の次のように振る舞う。外国商人では、彼らの腹の底の底を探り、真意を読み切ることは容易ではない。であればこそウソ八百を並べたてる外国商人であったとしても、商戦において彼らを圧倒することは極めて難しい。

 ともかく彼らの間では情報の交換と共有が徹底し、相互に助け合い、売買は活発化し、外国商人を押さえ、貿易を独占し、かくして富国の道を歩むことは間違いないだろう  

 ここは『亞細亞大勢論』の大誤解である。中国人の頭の中に「国」がないのだから、「かくして富国の道を歩むこと」はありえない。『亞細亞大勢論』は、もう少し続く。
《QED》

                  
 ★本日のシンポですが、時間が早くなりました。1330からです。
                  
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「どうなるこれからの中国と台湾」シンポジウムのお知らせです。
2月28日(日曜日)九段で催行です。とくに講師のひとり、徳光重人氏は日台の架け橋として生きることを決意し各方面で活躍中の人。
        記
とき     2月28日(日)午後1時半(1300開場)
ところ    偕行社(千代田区九段南4 3 7 翠ビル)
       (市ヶ谷から靖国神社方向へ徒歩6分。三つ目の信号右、六軒目)
講師     宮崎正弘(評論家)
       徳光重人(八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会代表)
       佐藤和夫(AJERキャスター)
会費     2000円
主催     チャンネルAJER
問い合わせ  (090)6709 9380(佐藤)
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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
                 
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(読者の声1)鵬海のシャープ買収は、安全保障からいえばハイテクが合法的に中国へ渡るわけですから、国を挙げて反対するべきでしょう? アメリカが華為(フアウェイ)を排斥していると同様な理由で、国の機関が精査に入れば良いのです。
 ところが日本のメディアは宮崎さんが指摘したような安全保障からの議論がすっぽりと抜け落ちています。この点が、気になって仕方がないです。
   (UI生、横浜)


(宮崎正弘のコメント)近年でも米国のおけるM&Aの十数件のケールで、中国企業のアメリカ企業買収はキャンセルされましたし、カナダも豪も、安全保障に直結する技術、資源に関しての中国企業の買収は許可しない動きです。
 例外は落ちぶれ行く英国です
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 樋泉先生の「地道中国」には薀蓄が多過ぎる。もっと若い時に知っていたらと思うのは、贅沢か?

 支那の歴史は奴隷たちの収奪だけだったと言うのが、最近の僕の考えだ。表面は収奪の機関たるは王朝が存在したが、何故暴動、反乱が起こるのか誰も日本の歴史学者は指摘して来なかった気がするのは、僕だけの感想では無いだろう。

 奴隷たちが生き延びる為の仕組みが他民族には未だに、不明だということではないのか?だから前回から出て来た『自己人』なんて言葉が重みを持っているのだと、思うのだが。

 嘘吐き、大法螺吹きが昨日終了したG20の場でも堂々と発言したのではないかと。王朝時代との違いさえ、認識出来ないのが、現代支那人の弱点だろうと思う。

 「社会主義70年説」まで、あと三年。

 どんな断末魔の叫びを上げるのやら。