ミャンマーの日本に学ぶ国づくり:会社法を整備せよ | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


 面倒くせぇーってのが、実感ですね。大豪邸に軟禁されてた女王様が首相につき、大統領から実権を奪って、政治を行うと宣言しましたからね。ミャンマーの民衆が、数年後に何を得、何を失うのかは、予想もつきませんが....。


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2015.11.19(木)

筆者: 玉懸 光枝
Mitsue Tamagake

株式会社国際ジャーナル社 月刊「国際開発ジャーナル」/JICA広報誌「mundi」編集長

東京大学教育学部卒、同大学院修了。在カンボジア日本大使館、国際協力機構(JICA)カンボジア事務所などでの勤務を経て、2006年4月に国際開発ジャーナル社に入社。2014年12月より現職。
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■ 100年ぶりの改正

�会社の設立手続きや取締役の選解任といった会社の組織、運営などを規定する会社法。個人が日常生活を営む上では、普段、なかなか意識する機会がないかもしれないが、社会が経済活動を営み、国が近代国家として存在するためには、なくてはならない法律だ。

�そんな国の骨組みとも言える会社法が、100年前に制定されたまま今も使われているとしたらどうだろう?

�しかも、「ラストフロンティア」の開拓に乗り遅れまいと世界の企業が目を光らせ、注目しているミャンマー市場で。

�東京港区の日本貿易振興機構(ジェトロ)で7月15日、ミャンマー投資セミナーが開かれた。ここ3年ほどの間にすっかりお馴染みになったお題だが、この日も約80人の企業関係者らが、在日ミャンマー大使館商務部のミンゾー・ウー氏や、ジェトロ・アジア大洋州課長代理の水谷俊博氏の講演に熱心に耳を傾けた。

�その後、フロアから出た質問は、現地の会社登録方法や申請先、最低賃金など、ビジネスの実務に関する具体的なものばかり。真剣に進出を検討しているにもかかわらず、体系的な手順や実態が今一歩つかみきれず、一様に焦れている様子が言葉の端々から垣間見えた。

�2011年の総選挙とテイン・セイン政権発足後、世界から一躍脚光を浴びるようになったミャンマー。

�入国する外国人の数は2013年に200万人、翌14年には300万を突破し、右肩上がりに上昇している。日本からのアクセスも格段に良くなり、2012年に38人乗りの飛行機で成田空港~ヤンゴン線を週3回就航させた全日本空輸(ANA)は、いまや200人乗りのボーイング767を毎日飛ばしている。

�日本企業の進出数も、2010年の52社から2013年10月に156社、2014年7月末には182社にまで増加した(ジェトロ調べ)。

�しかし、海外との接点が急速に増加するにつれ、さまざまな不具合も露呈している。中でも切実なのは、軍政下の統制経済から市場経済へと急速に変わりゆく社会と経済活動に関連する法律のミスマッチである。

�これまでミャンマーでは英国の植民地支配下で制定された諸々の法律をまとめたビルマ法典が用いられていたため、市場経済に合致しない前時代的な内容が残っていたり、場当たり的かつ部分的な改正が繰り返されたことによる法令間の重複や齟齬が次々と明らかになったのだ。

�法制度が体系化されていなければ、投資やビジネスの促進にとって致命的な問題となりかねない。

�「2015年までに年7.2%の経済成長率を実現する」との目標を掲げ、外国投資を積極的に受け入れている現政権としてもこうした状況を看過できるはずはなく、国を挙げて法制度の近代化に着手することを決断した。

�2013年に来日した連邦法務長官府(UAGO)のトゥン・シン長官の「今後、300以上の法令を可及的速やかに改正する必要がある」という発言にも、彼らの強い危機感が透けて見える。

�他方、改正を急ぐあまり各方面に支援を呼び掛けたことによる弊害も出始めている。

�例えば現在、会社法の整備はアジア開発銀行(ADB)が、また投資法の整備は国際金融公社(IFC)がそれぞれ協力するなど、さまざまなドナーが支援を進めているが、その一方で、利害関係者間から十分に時間をかけて意見聴取が行われないままドナーごとに起草を進めている結果、ミャンマーの社会・経済情勢や法司法制度に必ずしもそぐわない法律が作られようとしているのだ。

�前近代的な法体系を今日の文脈に合うようアップデートしなければならないが、時間はかけられない。そんな同国のジレンマに一石を投じる研修が、この夏、東京で開かれた。

■気付きを促す

�その日、東京・桜田門にある法務省赤れんが棟の一室は、静ひつな雰囲気に包まれていた。11人のミャンマー人たちが、英語とミャンマー語の条文が並べて映し出された前方のスクリーンを真剣な面持ちで見つめている。

�「A会社の取締役が、自身が代表を兼任するB会社と取引を行う場合、この取締役は、取締役会と株主総会、どちらの承認を得ればいいでしょうか。また、A会社が損害を被った場合、株主は取締役に何らかの救済を求められるでしょうか」

�名古屋大学の松中学准教授が教壇からそう問い掛けると、3~4人のグループごとに小声で相談が始まった。皆が見ているのは、ADBの支援を受けて改正が進められている新しい会社法の草案だ。

�さらに松中准教授は事例の条件を少しずつ変えては、法案の中からそれに関連する条文を1つずつスクリーンに映し出し、「この書き方でいいでしょうか」「違う解釈が成立する余地はないでしょうか」と皆に尋ね、議論を促す。

�彼らは、今回、会社法を所管している国家計画経済開発省の投資企業管理局(DICA)と、それを審査する連邦法務長官府(UAGO)、そして将来的にこの会社法を適用し裁判実務を行うことになる裁判所の職員たちだ。

�間もなくこの草案の審査が開始されるのに先駆けて、起草、審査、適用を担当する三機関の職員がこうして顔を合わせ、法案を理解する場を共有することで共通理解を育むと同時に、連邦法務長官府(UAGO)の法案審査能力の底上げを図りたいというのが、この研修の狙いだ。

�国際協力機構(JICA)産業開発・公共政策部の丸山瞳さんは「法案審査の視点が効率化すれば、ミャンマー全体の立法プロセスが迅速化されるはず」と期待を寄せる。

�この研修は、連邦法務長官府(UAGO)と連邦最高裁判所の組織と人材を強化することを目指し、2013年11月よりJICAが実施している法整備支援プロジェクトの一環として行われたもので、今回で4回目。

�これまで、両国の司法制度の比較や、民事・刑事手続きのフローチャート作成、立法過程の改善など、毎回テーマを決めて東京あるいは大阪で開かれてきたが、今回は間もなく審査が開始される会社法に焦点が当てられたというわけだ。

�しかし、そもそも法律は国家の主権に直接関わるものであり、対応には十分な配慮が必要だ。だからこそ、講師陣は研修中、法案の条文を一つひとつ取り上げ、書き方についてコメントや指摘はしても、条文自体を書き換えることは決してしない。

�研修プログラムを企画した法務省法務総合研究所の国際協力部で教官を務める野瀬憲範検事は、「われわれとしては、あくまで問題点を指摘し、修正の方向性について気付きを促すというスタンス」だと強調する。

�会社法の草案を作るだけでなく、それがきちんと機能する基盤を作るためには、各ドナーの支援によって作成される各法案を唯々諾々とそのまま受け入れるのではなく、ミャンマー社会の文脈に合うものであるかどうかきちんと中身を理解・検討した上で、司法制度全体を俯瞰し体系的に起草・審査・運用していける人材を育成することが不可欠であるためだ。

�現地で日々、プロジェクトの専門家として連邦法務長官府(UAGO)の職員たちと活動している小松健太専門家にとっても、思いは同じだ。

�小松さんは「会社法とは、それを支える土台があって初めて機能する法律」だと指摘した上で、「今回の研修では、ミャンマーの現状に合わせて会社法を整備することに加え、民法など基本的な法令や、裁判所による公平な紛争解決など、法司法制度の基盤を確立することの重要性も気付いてほしい」と考えている。

■ 現地に寄り添う

�さらに、研修の前半には会社法の大家である東京大学の神作裕之教授が講義に立ち、そもそも会社法とは何か、社会にとってどのような影響を与えるものか、その役割や位置付けを研修員たちに問い掛けた上で、その重要性について説いた。

�神作教授は、「企業の発展は、国民経済およびイノベーションの発展と密接に関連しており、良い会社法は企業の発展に貢献できる」と指摘。「会社法は、企業活動にとって、いわば健全性(ブレーキ)と効率性(アクセル)。その質を上げつつ、両者のバランスを上手に取ることが非常に重要」だと強調した。

�相手国に問い掛け、考えさせ、気付きを促す。時には一緒に悩むこともある——。日本のこうした姿勢の背景にあるのは、日本自身の歩みと培ってきた経験だ。

�時代に合わせその形を変化させてきた日本の法体系が今日の姿になったのは、明治維新後のことである。

�日本は当時、近代的な法制度を持っていたヨーロッパに留学生を派遣し、フランス法やドイツ法などの、いわゆる大陸法を学んだり、お雇い外国人を日本に招いたりした一方で、それらをそのまま受け入れるのではなく、日本の社会や文化、制度に適合するよう選択的に取り入れ、独自の法体系を築いてきた。

�第二次大戦後の法改革では、占領軍によって英米法の影響も強く受けたものの、結果的にはそれすらもうまく融合させることに成功した。

�その意味で日本は、大陸法と英米法、両方の知見を有している上、融合の問題点やカスタマイズの経験もある唯一の存在だと言える。

�そんな独自性を生かし、日本はこれまで長年にわたり開発途上国の法制度整備に協力してきた。1960年代には海外の法曹人材を日本に招き刑事司法分野の研修を開始したほか、90年代半ばより、ベトナムを皮切りに、カンボジア、ラオス、中国、ウズベキスタン、モンゴル、ネパール、インドネシアなどに協力を展開。

�どの国々に対しても、じっくり時間をかけて「気付きを促す」という姿勢を変えることなく、法務省や弁護士会などから推薦された専門家を現地に派遣し、長期的かつ地道にその国の人材を育成する協力を、今日に至るまで貫いてきた。

�ともすれば、ドナーから委託を受けた弁護士事務所や法律コンサルタントが3カ月~数カ月程度の契約期間内に草案を一方的に仕上げて渡すだけだったり、セミナーを開催したりするだけでノルマを果たそうとする協力が多いことを鑑みると、そのユニークさが一層際立つ。

�前出の丸山さんは、「相手国の検察官には日本の検察官、弁護士には弁護士、裁判官には裁判官(派遣時は検事に身分を変更)が、それぞれ日々の業務を通じて専門的な知見を技術移転するスタイルが強み」だと指摘する。

�現地に寄り添うこうした取り組みが奏功し、10年近く協力を続けてきたラオスでは、最近、彼ら自身の手で民法の起草が進められつつあるという。

■法整備が育む信頼感

�今回の研修では、実践に即した事例研究が特に好評だったようだ。

�今回の会社法案を起草した国家計画経済開発省の投資企業管理局(DICA)で会社の登記業務を担当するニーラー・ム部長と、この会社法案をこれから審査する連邦法務長官府(UAGO)で政府と国内外の企業の契約を審査しているチイ・チイ・タン・アゥン商業契約部副部長は、「具体的な係争を想定することによって、実際にこういうケースが起きた際、現在の条文案で解決できるのか、そして会社法自体が持つ意味について考えることができた」「事例研究を通じて、株式の譲渡や株主間の紛争の解決方法について具体的に学べた」と口をそろえる。

�ミャンマーにおける会社登記や契約数がこの2~3年で急増していることを実感しているからこその感想だと言えるだろう。

�他方、国外に目を向ければ、東南アジア諸国連合(ASEAN)の地域統合と経済共同体(AEC)の設立が目前に迫る。

�域内の物品やサービス、投資、資本、熟練労働者の流れが自由化されることをにらみ、会社法や労働法などの法制度を域内諸外国の水準にまで高めておくことは、この国にとって、物流網や港湾、税関制度の整備と同じぐらい待ったなしの課題だ。

�経済統合が実現し、どの国でも裁判を起こすことが物理的に可能になったとしても、「ミャンマー国内で生じた紛争は、ミャンマー国内で解決した方がいいと誰もが思えるような司法制度を整備することこそ、ミャンマー経済の下支えにつながる」(野瀬さん)からだ。

�人口増加や外国投資の増加によって瞬間的には経済がある水準まで発展しても、「もめごとが起きたら裁判によって解決できる」という信頼感がなければ、最終的にはうまくいかない。

�その意味で、会社法の整備を支援することは、経済セクター全体への投資なのだと言える。だが、してもいいことと、してはいけないことの境界を明確にし、いざという時に紛争解決の最後の砦となる法律も、それをうまく運用できる人がいなければその機能は発揮されない。

�研修中、誰よりも積極的に挙手して質問し、グループの議論をリードする姿が印象的だったUAGO商業契約部のチョー・トゥー・ヘイン部長補佐は、「時代が変わり、外国投資の誘致が解放されたことから私たちの役割も変化した」との認識を示した上で、「これまではミャンマーの利益だけを考えていたが、今後は国際標準に合致した制度を整備し、外国投資家のことも公平に考えていかなければならない」と話してくれた。

�社会の変貌を受け、自身の役割を正しく認識した上で、祖国の法体系を国際標準に底上げしようと意気込むこの国の法曹人材たち。そんな彼らが作っていくこの国の新たな骨組みには、日本がこれまで培ってきた思想が確実に息付き、根を下ろしているはずだ。

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 幕末から明治初中期にどれ程の留学生が、欧州や米国に渡ったのでしょうか?その彼等とお雇外国人の意見を参考にして、日本は法体系を整えました。

 何故そんな事が可能だったのでしょうか? 僕が小中学生の頃、江戸時代は暗黒の時代の様な印象でした。しかし、そんな前時代を経て、明治の富国強兵は成し得なかったと気付いたのは、ずっと後年でした。何処で暗黒時代と刷り込まれたのでしょうか? 大坂の米相場は世界初の先物取引でした。他のどの国も成し得なかった事が、既に行われていたのです。成文法としての法は、皆無だったかも知れないが、成熟した社会が経験値を共有出来る素地があったのです。

 非植民地だったアジア諸国の宗主国は日本が台湾経営をした様な施策ではなく、只収奪だけを実行したのです。未熟な社会のまま留めおき、総てを収奪の為だけの教育で有り、経済、司法だったのです。

 JICA他、関連の方々の失望を受けない政治を行って欲しいとアウン・サン・スーチー女史にお願いしたいですね。


 訳分からん状態が現出するんだろうなと、予想しています。夫が英国人で子供は英国籍なんて、明らかに支那よりになりそうですね。アッチ向いたり、コッチ向いたり振り回されそう。