ルポ「亡命中国人」~電気棒で拷問。強制送還寸前で平穏を奪われた、ある男の告白   | 賢者の知恵 | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


 被侵略民族(漢族)の残虐性は「通州事件」を。された事はすると言うのが彼等の通念のようですね。まるで、在日が日本人の仕返しが、彼等が戦後や朝鮮戦争後に行った事をされるのではと、恐れている姿の丸写しでしょうか?



現代ビジネス
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46161#
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2015年10月31日(土)
安田峰俊

◎発端は、天安門だった庶民がターゲット

「2008年5月20日、友人とお茶を飲んでいたらいきなり公安に連行されました。近所の派出所の取調室に押し込められてぶん殴られ、それから上半身裸で天井から吊るされて、『法輪功からカネをもらったのか』『いったい何を喋ったのか』と電気棒で拷問されました——」

これは、居住先のタイから間もなく中国に強制送還される可能性が濃厚な、ある中国人亡命者が語った過去の記憶である。国内の反体制派や「不穏分子」への締め付けを強める習近平政権は、今年、国境を越えた摘発作戦を展開するようになった。

他国の主権を無視して大ナタを振るう中国の暴走は、なんと私たち日本人にとってすらも他人事ではない——。ノンフィクション作家の安田峰俊氏が緊急寄稿。

10月28日午後1時(現地時間)ごろ、バンコク市内で2人の中国人が捕まった。うち1人の名は姜野飛氏。かつて中国国内で民主派シンパとして活動し、2008年からタイに亡命していた人物だ。

タイ当局の逮捕理由はオーバーステイと、中国政府からの指名手配が出ていたことだが、姜氏はすでに今年の春に国連から難民認定を受けていた。「難民」に対する不自然な逮捕の背景に、中国政府のタイに対する圧力があると見る関係者は多い。

個人的な話ながら、彼の逮捕は筆者にとっても衝撃的だった。実は今年2月、筆者はバンコクでたまたま彼と知り合い、来年刊行予定の自著のために話を聞かせてもらっていたのだ。

日本で一般にイメージされがちな「中国民主活動家」とはちょっと異なる彼の経歴と憎めない個性は、非常に強く印象に残っていた。また、バンコクには東南アジアで最大の30人規模の民主派中国人の亡命者コミュニティがあることも初めて知った。

タイ当局は今年7月にも、新疆から亡命した100人あまりのウイグル人難民を中国に強制送還している。クーデターを決行した軍事政権・国家平和秩序評議会(NCPO)高官の意向に基づいた処置だったという。姜氏もまた、同様に中国に送還される可能性が非常に高い。彼の経歴から考えるに、かなり過酷な拷問を受けるのではないかと懸念されている。

■天安門事件に参加→亡命

今年2月27日、私がバンコク市内の中華街・ヤワラートにある京華大旅店の1階レストランで姜野飛氏から聞いた彼の一代記を、独白体に書きなおして紹介してみよう。

こんにちは。私の名は姜野飛。四川省成都市郊外の農村の生まれの47歳です。「姜」という姓が珍しいって? ハハハ、そういえば「うちは姜子牙(太公望)の末裔だ」なんて家伝を聞いたことがありますが、私自身も信じちゃいません。

うちの親父はもともと経済に詳しかったせいで、私は物心ついたときからずっと「反動派の子め!」と人に罵られて育ちました。学校もいくつか転々としています。こうした家庭の事情もあり、私の最終学歴は中卒なんです。

最初の政治活動経験は1989年の天安門事件……なんですが、若いときなので、何が何だかわからないまま熱気に飲み込まれていました。当時、自転車修理工をしていた私は仕事を放りだして1か月以上デモに参加したものの、学生の話は難しくてよくわからない。

「官僚腐敗打倒」とかのスローガンも、やっぱりよくわかりませんでした。ただ、世の中のなにかが変わるんだ、これまで苦労した毎日が変わるんだ、と思って、デモ隊に付いて行っていましたね。

北京で何が起きたか知らないままデモをやっていたら、6月4日の夜から軍隊に掃討されました。戦車は見なかったですが、装甲車はありました。銃撃を受けて、近くにいた人は撃たれたけれど私は助かった。

成都でも数十人くらいは亡くなったのではないかと思います。事件後に摘発を避けるために雲南省まで逃げましたが、なんともなさそうなので1か月後くらいに成都に戻りました。

通常、日本まで名前が伝わるほどの中国の民主活動家は、天安門事件のリーダーだった王丹やウアルカイシ、近年中国国内で投獄された劉暁波や浦志強など、輝かしい学歴を持つエリートが多い。だが、姜氏はあくまでも庶民層の人だ。

私の従来の取材経験上でも、天安門事件を経験した庶民層の中国人の感想は「なんだかよくわからなかった」という声がかなり多い。姜氏もまた、よくわからないまま熱気に突き動かされ、よくわからないまま銃撃され、事件後はよくわからないまま日常の仕事に復帰して、当時の熱気を忘れていった。

実のところ、これが六四天安門事件当時の中国の庶民の現実だった。姜氏はそんな国家の地方都市に暮らす、どこにでもいる普通の中国人の一人であった。

■ ネットで「真実」に触れ、拷問される

その後、肉体労働系の仕事を中心にいろいろな職場を経験して、2000年ごろから四川省のあるナイトクラブのサウンド操作担当者になりました。天安門以来、いつしか政治に関心を持たなくなっていたのですが、ネットを知ったことで変わります。ネット上には、中国のメディアでは言っていない話がいろいろ書いてあって、それに惹きつけられたんです。

2007年ごろから、政治系のチャットルームをしばしばのぞき、やがて発言もするようになりました。そこで見つけた「中国過渡政府」という民主化団体(注.後述する法輪功との関係が強いと思われる団体)にも加入したんです。私は法輪功の信者ではありませんが、彼らの主張はいいと思いました。

やがてそのチャットルームで、2008年はじめに北京五輪の聖火リレーに対抗して法輪功が組織した「人権聖火リレー」という活動に興味を持ちました。そうしたら、ある日職場の社長に「君、公安にマークされているみたいだぞ。俺のところに聞き込みが来た」と声を掛けられました。なぜそんなことになるのか、当時は驚きました。

法輪功は1990年代末に中国国内で信者を拡大し、政府の「邪教」認定を受けて弾圧されてからは海外に拠点を移した新興宗教団体だ。海外移転後は強烈な反中国政府の立場を示し、(けっこうトバし記事の多い)『大紀元』などの傘下メディアを通じて中国共産党を激しく攻撃している。

ただ、法輪功はさまざまな面でかなりアクの強い新興宗教団体で、政治的にも過激すぎる部分があるため、名のある民主活動家や民主化団体からは距離を置かれがちだ。当局が躍起になって弾圧をおこなっていることもあり、接触するだけでリスクが存在すると言っていい存在である。

本人が「信者」でもないのに、ネット上に流れていた新興宗教団体の政治主張を支持してしまったのは、姜氏が中国の民主化運動の主流に接近できるような社会資本を持たない人であったためだ。だが、やがてそのことが彼に受難をもたらす。きっかけは2008年に発生した四川大地震だった。

■『ゴルゴ13』ばりの拷問を受ける

地震のとき、私は会社の車で高速道路を走っていました。妙にハンドルを取られると思ったら、大地震です。その後、家に戻ってネットを見たら、四川の震源に近い被災地では小学校が大量に倒壊して子どもたちが生き埋めになっているというじゃないですか。

私は友人に声をかけて、4人で車に乗って自発的にボランティアに行きました。困っている人を助けるのは公民(中国のリベラル派が持つ市民意識)の義務だと思ったんです。倒壊した校舎は、政府の失策によるオカラ建築(脆弱な違法建築)だっていいますし、子どもたちは被害者だ、とね。

当局に現地入りを阻まれて成都に戻った後、いくつかのメディアの取材を受けました。スペインとオーストラリアのメディアだったかな。あと、法輪功系のメディアの電話取材もありました。私は取材を受けて、思ったことを喋ったんです。

当時はネット世論管理が比較的自由な胡錦濤政権時代であり、四川大地震の際はさまざまな政府批判の声がネット掲示板やチャットルームを埋め尽くした。中国のネットユーザーの間で、「何を喋っても大丈夫」といった空気がまだまだ存在していた時期である。

姜氏は法輪功に抵抗感がなかったこともあり、その行為が中国国内でもたらすリスクをそれほど深く考えず、実名を出して法輪功系メディアの取材に応じてしまったのだった。

1週間後の2008年5月20日、友人とお茶を飲んでいたらいきなり公安に連行されました。近所の派出所の取調室に押し込められてぶん殴られ、それから上半身裸で天井から吊るされて、「法輪功からカネをもらったのか」「何を喋ったのか」と電気棒で拷問されました。

しかし、繰り返しますが私は法輪功の信者ではないのです。睡眠をとることも許されないまま3日間ぶっ通しで拷問され、肌も火傷だらけ。フラフラになって釈放されました。

■ 「当局側のスパイになれ」

釈放後、いきなり勤務先をクビになりました。その後もいろいろ仕事を探したんですが、働き口が見つかりません。どこに勤めても、なぜか3日くらいでクビになってしまうんです。食堂の皿洗いのような単純な仕事でもそうでした。不審に思って調べてみると、いずれも公安の圧力でした。

そんなある日、国保局(公安部傘下の秘密警察)の職員に呼び出されたんです。この日の彼らは以前とはうって変わって優しく、「困ってるんじゃないか? お前の心がけ次第では面倒を見てやれるんだぞ」と猫撫で声で言ってきました。つまり、当局側のスパイになれということです。もちろん嫌でした。

このままでは生きていけない。でも、スパイになるわけにもいかない。悩んだ末、雲南省から陸路でラオスを経由してタイまで逃げました。そうするしかありませんでした。

一般論として、海外メディアのニュースを飾るような民主活動家が拘束された場合、獄中で必ずしも直接的な暴力を振るわれるとは限らない。地位のある知識人やベテラン活動家を拷問した場合、釈放後に獄中での仕打ちを海外の大手メディアにリークするおそれがあるためだ。

(もっとも、手足を拘束する、何日も眠らせない、故意に冷房が強烈な部屋に押し込む、同じ質問や罵倒を延々と続けるなど、程度の違いはあれひどい目には遭うのだが)

姜氏が『ゴルゴ13』ばりの苛酷な暴行を受けたのは、中国国内でひときわ厳しく取り調べられる法輪功の関係者だとみなされたことに加えて、彼が正真正銘の「庶民」であるせいだった。

いかなる仕打ちをしても、海外メディアに報じられるような地位の人物ではないとみなされたのだ。こうした「お上に逆らう無名の庶民」に対して、中国の体制は文字通り人権の存在を認めない。

姜氏は結局、故郷から単独で陸路を移動してバンコクまでたどりついた。所持金はわずか4600元(約8万7000円)だったという。タイ語はもちろん英語も話せず、現地に誰一人として知り合いもいない状態だった。

■国連に「難民」と認められなかった

命からがらタイにたどり着きましたが、バンコクの国連難民高等弁務官事務所に難民申請をしたところ、「あなたは資格を満たさない」と突き返されました。

理由を一言で言えば、私に学歴がなく、中国国内での社会的地位もなかったからです。食い詰め者の中国人が、ビザ目的でウソを言っていると思われたのですね。全部本当の話なのに。

法輪功の助けを求められなかったかって? 確かに心情的には法輪功を応援してきましたが、信者ではないため、彼らの助けも期待できませんでした。当初はタイのビザを持っていましたが、中国に戻ることはできず難民にも認定されないままで日が過ぎるうち、ほどなくオーバーステイの不法滞在者になってしまいました。

あるとき中国民主化人士と知り合い、2009年に中国大使館前での抗議に参加したところ、タイ警察に不法滞在容疑で捕まって3年間投獄されました。2012年に不法滞在状態のまま出所(注.タイではそういうことがあるらしい)しましたが、ビザも何もないので、働きたくても安定した仕事に就けないままです。

難民申請は何度も出していますが、拒否され続けています。国連は非常に不公平な組織ですよ。

タイに来てからプロテスタントの教会で受洗しました。現在(注.今年2月時点)はなんとか教会に住みこませてもらい、境界の手伝いや日雇い労働をして暮らしています。月収は3000バーツ(約1万円)くらい。2013年末に同じ亡命者の妻と結婚しましたが、こうした身の上なので毎日のなかに根本的な幸せはないですね。

今後の目標ですか? 共産党が倒れるまで俺は死ぬわけにはいかない。エリートの目線ではなく、中国の「低層」の庶民の立場で体験したことを人に伝えたい。それだけです。

結局、亡命先でも彼が「庶民」であることが最大のネックになった。国連からはただの偽装難民だと思われてしまったのだ。どうやら私の取材後(今年4月ごろか)にやっと、姜氏は難民としての身分を認められたようだが、これは亡命から実に7年後のことだった。

■逮捕の契機となった16歳少年亡命未遂事件

現在は合法的な「難民」であるはずの姜氏が、(おそらく中国政府の意向を受けて)タイ当局に逮捕され、強制送還の危機に立たされているのはなぜか。理由はおそらく以下の2点だ。

まず、彼は亡命生活のなかで、習近平を強烈に風刺したコラージュCGをネット上に発表して話題になっていた。こちらは正直なところ、同じく習近平を風刺して日本に亡命中の中国人漫画家「辣椒(ラージャオ)」などの作品と比べるとクオリティはかなり落ちるのだが、それでも中国当局の怒りは相当なものだったらしい。

そしてもうひとつは、比較的早い時期にバンコクにたどり着いた姜氏が現地での生活を通じて、新たに中国国内から逃亡してくる後発の亡命者たちを助けてきたことである。彼はいわば、タイの亡命中国人コミュニティの内部におけるキーマンの一人だったのだ。

もともと、中国と政治的な対立が少ない東南アジア各国との境界地帯は、中国側・相手国側ともに当局の警備がゆるく、現地で「蛇頭(密航ブローカー)に」数万~十数万円程度の現金を支払えばジャングルを抜けて簡単に国境線を越えることができる。

特に国家体制が脆弱なラオスや、国境地帯に中央政府の統制に服さない中国系軍閥が割拠しているミャンマーは、中国国内からの脱出を望む人々(難民化したウイグル人や、中国経由で逃げる脱北者なども含む)にとっては格好の逃げ道だ。

国際機関が集中し、外国人も多いバンコクまで陸路で移動できれば、未来への展望も開ける。だが、この東南アジア経由の亡命ルートも、最近になって閉ざされつつあるようだ。

その分水嶺となったのは、今年10月6日にミャンマー領内の「シャン州第四特区」(事実上の軍閥支配地域)で、亡命途中だった16歳の少年・包卓軒を、中国の公安当局者が国境を越えて拉致したとされる下記の事件である。少年は著名な人権派弁護士・王宇の息子で、東南アジアの民主派亡命中国人のネットワークを通じて、国外脱出を図ろうとしていた。

中国の16歳、3300キロ逃避行 人権巡り当局と暗闘(朝日新聞)
http://www.asahi.com/articles/ASHBN425CHBNUHBI00K.html

今年2月にみずからも同様のルートでタイに亡命し、今回の包少年の逃亡計画の策定に主体的にたずさわった、元北京工商大学の副教授で民主活動家の顔伯鈞氏はこう語る。

■ 「東南アジア亡命ルート」の壊滅に動いた中国

「包少年の事件と、今回のタイ当局による姜氏の逮捕はひと連なりの事件です。中国当局はついに、国内の民主派の人々が活用してきた東南アジア経由の亡命ルートを徹底的に壊滅させる動きに出たと見ていいでしょう」(顔伯鈞氏)

従来、中国は国内でこそ反体制派を厳しく弾圧してきたものの、彼らの海外亡命は「拘束する手間が省けてよい」とばかりに黙認する姿勢を取ってきた。だが、いまや従来の方針を大きく転換させたらしい。

今年に入り、一応は「外国」であるミャンマー領内に公安関係者を出張させて少年の逮捕をおこなったり、タイ国内にいる姜氏を(おそらく)現地当局に圧力を掛けて逮捕させたりしたことが何よりの証拠だろう。

こうした中国による一連の行為のなかに、他国の主権に対する配慮は(従来ならば多少なりとも存在したはずの)形式的なものすらも見い出すことができない。

——習近平政権は、自国の「核心的利益」のためには主権侵害も辞さなくなっているだ。

ところで今年9月末以降、中国国内で4人の日本国籍保有者がスパイ容疑で拘束されていることが明らかになり、社会に衝撃を与えた。10月29日売りの『週刊文春』によれば、拘束者のうち軍事施設の撮影をおこなった男性1人は、電気ショックを用いた苛烈な拷問を受けているという。

男性が明らかな諜報活動をおこなっていた(と思われる)ことも大きな理由だとはいえ、外国人の拘束者に対しても平気で拷問行為がなされるようになった点もまた、包少年事件や姜氏の逮捕と同じ文脈上で説明できる、中国の「変化」だろう。近年の中国は、従来にも増して恐るべき国家に変わってしまったと言っていい。

姜氏は現在もなおタイ国内で拘束中で、中国への強制送還は秒読み状態だ。ごく一部の在外華人メディアは彼の送還反対を訴える記事を掲載しているが、それほど著名な人ではないこともあり、国際社会の関心はゼロに等しい。

姜氏の従来の経歴や、かつて公安から受けてきた処遇をもとに判断する限り、彼が強制送還を受けた後に中国国内でどういった「処置」を受けるかは想像に難くない。

姜野飛氏の無事を祈ってやまない。
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 支那国内に残る農民工やエリート層以外の人民という名の奴隷たちは、どんな感情を持ちながら、暮らしているのでしょうか?