「軍権掌握」を急ぎすぎた習近平 30万人兵員削減の宣言は大きな失態? | JBpress(日本ビ | Hideoutのブログ

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 矢張り習近平中卒並みと言うのは、本当かも知れない。団派の中では父親の地位で優遇されてきたのかもしれない。

 正統性を主張し、周りを抑え、神輿に乗ったのかも知れない。 小平の様に1匹で伸し上がってきた程の謙りや如何にも好々爺然とした素振りも見られない?



JBプレス
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44849
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筆者  阿部 純一
霞山会 理事、研究主幹。1952年埼玉県生まれ。上智大学外国語学部卒、同大学院国際関係論専攻博士前期課程修了。シカゴ大学、北京大学留学を経て、2012年4月から現職。専門は中国軍事・外交、東アジア安全保障。著書に『中国軍の本当の実力』(ビジネス社)『中国と東アジアの安全保障』(明徳出版)など。
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30万人兵員削減の宣言は大きな失態?

    2015.9.30(水)

 しかし、内実は「軍権掌握」を確実なものにしたと言えるかについては疑問符がつく。

 中国政治を語るためには、過去と現在を照らし合わせる作業が必須である。習近平はなぜ、前例のないシチュエーションで軍事パレードを実施したのか。なぜ、30万人の兵員削減を約束したのか。歴史的先例にならい、分析することにしたい。

■ 軍事パレードと兵員削減で軍権を確立した 小平

 先例は 小平にある。 小平が軍事パレードを閲兵したのは1984年の国慶節で、100万人の兵員削減を宣言したのは1985年であった。

 軍事パレードは、建国35年を祝う名目であったが、中途半端な印象は拭えなかった。いずれにせよ、軍事パレードにおける閲兵と、兵員削減の大鉈を振るうことで 小平の軍権は確立した。

  小平が党内での実権を掌握したのが1978年12月の党11期3中全会であるとすれば、軍の掌握に5年以上を要したことになる。もともと軍を権力基盤にしていた 小平にとっても、軍権の掌握は容易なことではなかったことが分かる。

 習近平は、政権に就いてわずか3年で 小平の前例に並びかけている。その間、反腐敗キャンペーンで徐才厚、郭伯雄という2人の前中央軍事委副主席を汚職容疑で立件するなど、強引ともいえるやり方で軍へのコントロールを強めてきた。

 国慶節以外では前例のない軍事パレードを、「抗日戦争・反ファシズム戦争勝利70周年」を名目に実施し、パレード当日のスピーチで30万人の兵員削減を明言したことで、表向きは 小平と肩を並べたように見える。

 しかし、内実は「軍権掌握」を確実なものにしたと言えるかについては疑問符がつく。

 習近平は国産最高級車「紅旗」の車上で閲兵するにあたり、左手で敬礼するという失態を演じたが、軍務経験のある習近平にしては考えられないミスであった。いや、ミスというよりも、緊張のあまり利き腕の右手で体を支えるのが精一杯だったのかもしれない。

 習近平の緊張ぶりは、軍事パレード実施に際しての過剰なまでの警備態勢からも推察できる。ロシアのプーチン、韓国の朴槿恵など外国元首、要人を来賓として迎えるなかで、不測の事態を防ぐため、徹底した警備態勢を敷くことは当然のことだが、それに加え、習近平自身の身の安全にも万全を期す必要があった。それは、これまでにも習近平に対する暗殺未遂の案件が複数指摘されていることを考えれば首肯できる。それでも、短時間とはいえ、車から上半身を露出して行う閲兵は、狙撃される可能性を考えれば習近平にとって生きた心地がしなかったはずだ。

■「米国に対抗できる」軍事力をアピール

 習近平が軍事パレードの実施を決めたのは2014年末のことだとされている。2014年11月の北京で開催されたAPEC総会における米中首脳会談の後で、今年秋の習近平訪米招請の打診がなされていたと想定すれば、軍事パレードは訪米を意識したイベントであったとも言える。実際に習近平の国賓としての9月訪米が決まったのは2015年2月だが、訪米がこのときに突然降って湧いた話であるはずがない。同時に習近平にとって、9月訪米と創設70周年を迎える国連総会へ出席し演説するというイベントを組み合わせれば、この軍事パレードの意味が浮き彫りにされる。

 中国が第2次大戦の戦勝国の主要メンバーであり、安保理常任理事国である権利を持つことの正当性をアピールし、かつ米国に対しては習近平の主唱する米中の「新型大国関係」を米国に明確に受け入れさせるために、中国の軍事力が米国に対抗できるものであることを内外に示す必要があると考えたのであろう。

 今回の軍事パレードは中国の「国産新兵器」のオンパレードだった。なかでもメディアの関心を引いたのが新型の弾道ミサイルである。射程1000キロメートルで沖縄を射程に収めるDF-16短距離弾道ミサイル、空母キラーと呼ばれるDF-21D対艦弾道ミサイル、射程4000キロメートルでグアムの米軍基地を射程に収め、かつ対艦攻撃も可能とされるDF-26中距離対艦弾道ミサイル、弾頭をMIRV(複数個別誘導再突入弾頭)化したDF-5B大陸間弾道ミサイルなどがパレードの隊列に加わっていた。しかも、ご丁寧にミサイルの側面にDF-16等々の白色の印字が施されていたせいもあり、識別が容易であった。ミサイルの種別を示す印字は今回が初めてではないが、網羅的に表示されたことはなかった。

 上述したミサイルは、いずれも米国を意識した戦力である。とりわけ初登場となったDF-21D対艦弾道ミサイル、DF-26中距離対艦弾道ミサイルは、西太平洋における米国海軍の優位を脅かす存在として注目された。特にDF-21Dについては、米軍はIOC(初期作戦能力)を獲得したものと評価し、警戒を強めている。DF-26については、米軍がどう評価しているかはまだ明らかではないが、通常弾頭も核弾頭も積めるという性格から、戦術目的にとどまらず戦略目的にも使用可能なミサイルという位置づけなのであろう。
 
■軍事パレードにどれほどの対米効果があったのか

 このような中国のミサイルは、言うまでもなく西太平洋における米国海軍の行動を制約し、中国大陸への接近を阻止しようとするものである。とりわけ中国が想定しているのは、台湾有事の際における米国海軍の介入阻止であることは疑いない。

 しかしながら、本質を突いた議論をすれば、中国の対艦弾道ミサイルに代表される兵器は、海上戦力において米国に対抗することができないために作られた窮余の兵器であり、非対称戦略の典型例である。

 非対称戦略がうまくいく場合もあり得る。米海軍が警戒し射程内に空母を入れなければ効果があったことになるからだ。しかし、それに伴うリスクもある。例えば、弾道ミサイル発射を探知できる早期警戒衛星を運用しているのは米国だけだが、発射されたミサイルの弾頭が通常弾頭か核弾頭かの区別はつかない。DF-21やDF-26は核弾頭装備の可能性があるだけに、米軍が反射的に核ミサイルで応戦する可能性があることは否定できない。

 圧倒的に地上配備のミサイルに核抑止を依存している中国は、先制核攻撃に極めて脆弱である。米軍がそのことを中国に十分に警告し、知らしめすことができるなら、中国は安易に弾道ミサイルを発射できなくなる。核戦力の規模で言えば、米国は中国をはるかに凌駕し、その差は容易に縮まるものではない。

 よって、米国では中国のDF-21D対艦弾道ミサイルに関し、一定の警戒感は持つものの、そのために行動が制約されてもやむを得ないなどという議論にはなっていない。中国の軍事パレードの対米効果はその程度のものであろう。

■具体的な構想がない30万人兵員削減

 習近平が軍事パレードの場で30万人の兵員削減を掲げたのは、軍事力強化に邁進する中国というイメージをトーンダウンさせるための「平和愛好国家」アピールの側面があることは否定しようもない。それは訪問する米国へのメッセージにもなるし、習近平がいよいよ「軍権掌握」を固めたことを明示することで、自らの権威付けにもなる。

 しかし、それ以上に、2013年11月の党18期3中全会で打ち上げた“改革の全面深化”の一環として提示された軍における改革を推進するにあたって、「贅肉を削ぎ落とす」意思を明確にしたことになる。中国国防部は、30万人削減を2017年末までに遂行するとしている。それによって、習近平の「軍権掌握」が強固なものになるのは間違いない。

 しかし、その具体的な内容やプロセスは明らかにされていない。そこが問題なのである。要するに、習近平の軍事改革は30万人兵員削減に伴う具体的な構想が出てきていないのだ。

 1985年に 小平が100万人兵員削減を決定したとき、同時にこれまでの11大軍区を現在の7大軍区に整理統合している。また、従来の軍団を集団軍に再編し24の集団軍に集約した。当時の人民解放軍は総員400万の大所帯で、階級制度もなければそれに伴う定年制もなかった。文化大革命時代に軍が行政部門まで関与せざるを得なかったため肥大化を余儀なくされたわけだが、 小平は軍をスリム化し戦える軍隊に再編しようとしたのだった。

 習近平政権も中国の直面する安全保障環境と国防戦略に照らし、軍事改革を目指しているはずである。現に、7大軍区を改変し、4つの戦区に統合するとか、利権の絡む総後勤部や総装備部を国務院の行政部門である国防部に統合し、党(人民解放軍は党の軍隊)も関与するといった議論も中国のメディアには出ている。軍の教育機関を整理統合し、関係する人員をすべて文官にするとか、軍に所属する歌舞団など非戦闘要員を整理するという人員削減策も同様に垣間見られる。

 しかし、そのどれも正式決定されているわけではない。国防部が2017年末までと削減の期限を切ったからには、すでに削減のプログラムがあるはずだ。しかし、それを明らかにしないのは、まだ公にできない理由が存在すると思われる。それにもかかわらずなぜ習近平は早々と30万人兵員削減を打ち出したのか。

 具体的な方針なり対応が提示されていないなかで、30万人兵員削減を先行して打ち出したことによって生じる人民解放軍内部での疑心暗鬼が、今後の政策推進に大きな抵抗となって立ちはだかる可能性がある。 小平のように時間をかけ周到に練った人員削減策でないとすれば、「軍権掌握」を誇示することを焦った習近平の大きな失態であり、「軍権掌握」はむしろ遠のいたと言わざるをえない。

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 大言壮語(大法螺吹いて)しといて、後は他人任せ? そこまでは無いだろうと思う。

 名前が残るとしても、支那名物の真似使としてかもしれないな。文化大革命を毛沢東から、兵員削減は 小平からとは知らなかったよ。