人民はバカじゃない 中国の愚民政治はいつまで続くのか? 統治の手段は権力者の神秘化とプロパガンダ | Hideoutのブログ

Hideoutのブログ

ブログの説明を入力します。

 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


  Chineseは何処まで行ってもChineseからはのがれられないのかな? この筆者、暗殺を怖れているのかな?


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42900?display=b
ーーーーー  ーーー  ーーーーー
資本主義と民主主義の政治は、基本的に国民の支持を基盤とする「親民政治」である。そのため、政治家はできるだけ親しみやすさを演出しようとする。さもなければ、選挙民から票を集めることができないからだ。

 だが、選挙民の代弁者としての役割を果たす政治家は、往々にしてポピュリズムの政治を行いがちになる。

 ポピュリズムは選挙民に迎合する動きであり、正義であるとは限らない。選挙民はそれぞれの立場から政治に期待を寄せる。また、選挙民が知り得る情報にはもちろん限界がある。そのため、ときには民主主義の政治は間違った方向へ行ってしまうことがある。

■社会主義の指導者には「神秘性」が必要

 それに対して、社会主義の政治は、指導者の権威を根拠に国を動かし、人民を動員する。したがって、社会主義体制の指導者にはある種の神秘性が必要となる。そのため普通の人としての一面はできるだけ人民に見せないようにする。指導者が神秘的であればあるほど、人民からの崇拝が高まるのだ。

 振り返れば、毛沢東はその神秘性を保つことに大成功した。中国人民にとって晩年の毛沢東はまるで神様のような存在だった。毛沢東が死去したとき、人民はまるで神様が死んだような感覚だった。

 一方、神様のような毛沢東と人民の間のパイプ役を果たしたのが周恩来首相である。周恩来は「人民の総理」と呼ばれ、神様ではなく人間だった。周恩来が死去したとき、人民は親族の1人が亡くなった感覚を覚えたのだった。

 社会主義体制を維持するうえで指導者の神秘性を保つことは必要不可欠である。それゆえ、中国の政治指導者はよほどのことがなければ、記者会見は行わない。

 2014年11月、北京で開催されたAPECでは、習近平国家主席は記者会見を行う予定はなかった。だが、米国のオバマ大統領との首脳会談のあと、米国からの強い要請に応じて短い記者会見を実施した。

■プロパガンダは「愚民政治」の重要なツール

 マインドコントロールの有効性は科学的に実証されている。小説家は嘘を百回言えば、真理になるという。どう考えても嘘は真理にならないが、百回も言われれば、これは真理ではないかと勘違いしてしまうということだ。

 中国では社会主義中国が成立してから一貫して「愚民政治」が行われてきた。人民を愚民化して、関心を政治からそらす愚民政治は、もちろん中国の専売特許ではない。かつて日本でも愚民政治が行われていた。「水戸藩資料」には、徳川斉昭が「百姓に学問など全く不要だ」と公言したことが記述されている。権力者にとって人民を愚民化したほうが国を統治しやすくなる。

 愚民政治においてもっとも重要なツールはプロパガンダ(宣伝工作)である。社会主義中国が成立する前の共産党は「共産党こそが貧しい人民の政党である」と宣伝していた。建国したあとの共産党は、「共産党がなければ、新中国がない」とのプロパガンダを徹底した。また、毛沢東については、「大海を航行するときはヘルムスマン(ヨットの舵を取る乗組員)が頼りになるが、革命においては毛沢東思想が頼りになる」といった宗教の説教のようなプロパガンダが作られた。

 プロパガンダに加え、愚民政治が効果を発揮するためにもう1つ重要な条件がある。それは、外部の情報を遮断することだ。

 毛沢東時代、中国社会は完全に真空パックされたような状態で、人民は外部の情報にまったく接することができなかった。外国の新聞を目にすることなどないし、一般家庭にはテレビなどなかった。唯一、外国の情報に触れることができるのは短波ラジオを通してだった。政府は外国のラジオ放送を「敵台」(敵国のラジオ)と定義し、ラジオを聞く人は密告されて投獄された。多くの中国人は「敵台」が有害なものであると信じ、自ら聞こうとはしなかった。

 むろん、今の中国社会をもう一度真空パックすることはできない。中国社会はすでに開放されている。いまや、毎年1億人以上の中国人が海外旅行に出かけている。インターネットは厳しく監視されているが、中国政府にとり不都合な情報を完全に遮断することはできない。

 ちなみにネットにおいては、最近、時代の流れに逆らった言動が散見され、中国は毛沢東時代に逆戻りするのではないかと心配する向きがある。こうした心配は無意味ではないが、過度な心配は無用である。

■プロパガンダに迎合する知識人

 金融市場では、わずかな資金をリスクの高い金融商品に投資して一獲千金を狙う投機的行為がある。社会主義体制では、マインドコントロールされていない知識人の「投機的行為」が見られる。つまり、政府のプロパガンダを熟知している知識人が、それに迎合した言動を繰り返すことで、自らの利益を最大化しようとするのだ。

 世界的にも名前が知られている清華大学の某教授(経済学者)は、「中国共産党の集団指導体制はアメリカの民主的選挙で選ばれる大統領制より優れている」という趣旨の文章を執筆し、中国国内で発表した。

 この大学教授はアメリカのマセチューセッツ工科大学(MIT)に客員教授として長期滞在したことがある。米国の大統領制と中国の集団指導体制の違いは、もちろんよく知っているはずである。指導者が聞きたいことしか言わないのは、まさに迎合主義者の常套手段である。

 中国が社会主義体制を持続していくためには、自らにとり都合の悪い情報を遮断し、人民を愚民化していかなければならない。そのために政府はそのプロパガンダを利用し、人民に向けて同じような“説教”をなんども繰り返していく。

 最近、中国の教育部長(文科大臣)は「学校で西側の価値観を教えてはならない」という談話を発表した。今さらこんな発言にどんな意味があるかと思われるかもしれないが、現下の政治環境を反映した発言とも言える。

■権力を失うことがなによりも恐ろしい中国の政治家

 社会主義政治のもう1つの特徴は恐怖主義である。重慶市共産党書記だった薄煕来は、在任期間中に複数の政敵を違法な手段で投獄した。だが、権力闘争に敗れ汚職容疑で起訴された薄煕来は、皮肉なことに自分も公正な裁判を受けることができなかった。

 日本の政治家は選挙で負けても、身の安全は保障されている。しかし、中国の政治指導者にとって、権力を失うのはこの上なく恐ろしいことである。天安門事件をきっかけに失脚した趙紫陽元共産党総書記は、裁判を受けることもなく、死去するまでずっと軟禁状態に置かれていた。

 現在、習近平国家主席は共産党内の腐敗撲滅に取り組んでいる。だが中国の研究者の間では、権力者にとっては幹部が腐敗しているほうがいいとの指摘がある。なぜならば、政見が異なる幹部が腐敗していれば摘発する口実ができるからである。

 こうして社会主義の政治においては、人民の存在はほとんど無視されていると言ってよい。共産党幹部の執務室が集まる北京・中南海の入り口には、「為人民服務」のスローガンが掲げられている。しかし、彼らは本当に人民のために服務しているのだろうか?

*****
柯 隆 Ka Ryu
富士通総研 経済研究所主席研究員。中国南京市生まれ。1986年南京金陵科技大学卒業。92年愛知大学法経学部卒業、94年名古屋大学大学院経済学研究科修士課程修了。長銀総合研究所を経て富士通総研経済研究所の主任研究員に。主な著書に『中国の不良債権問題』など。
ーーー  ーー  ーーー  ーー

  前に一度この筆者の記事を取り上げたが、じゃあどうなるんだようが抜けてるんだよね。しかし、概ね筆者の分析というか論点は、僕の考えと似てるけど。

  愚民政策で思考方法なり、見方なりを決められてしまったChinese人民が愚民から抜け出せるのは、ほんの一握りではないではないかな?

  Chinese共産党指導部が、人民の為に服務? 有り得ないだろうよ。あくまで自身の利己的な利益の為だろうよ。それがChineseが数千年に渡った歴史の中で育まれてきたDNAのなせる業と思うのは僕だけだろうか?

  日本民族だって、70年に渡って洗脳され続けてきた結果が、今の体たらくなのに。

  習近平のカリスマ性の仮面がどの様に剥されるのかは分からないが、ChineseのDNAは「暴動」が歴史の必然ではなかろうか?