宮崎正弘の国際ニュース・早読み(中国またまた預金準備率切り下げ) [宮崎正弘の国際ニュース・早読 | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。



  愈々、高杉晋作が上海に上陸します。


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【知道中国 1197回】          
     「弟姓源、名春風、通稱高杉晋作、讀書好武」(高杉3)
高杉晋作「遊?五?」(『高杉晋作全集』昭和四十九年 新人物往来社)

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 いよいよ上陸。初めて上海の街を「徘徊」し、「土人如土檣圍我輩、其之形異故也」と綴っているが、やはり高杉の誤解だろう。中国人が「我輩」を十重二十重に囲んだのは、高杉の服装や立ち居振る舞いが「異」だからではなく、やはり太平天国軍の攻撃から上海を守るべくイギリス軍からの要請でやってきたと噂されていた日本からの援軍の先兵と思われたからに違いない。「土人」が土壁のようにガッチリと「我輩」を囲んだのは、“空飛ぶ殺人マシーン”や“一日千里を奔る神秘の日本人”を探していたからだ。

 上陸翌日の5月7日、「拂暁小銃聲轟於于陸上、皆云、是長毛賊與支那人と戰ふ音なるへし」。続いて、これが本当ならば、「實戰を見ることを得へし、心私かに悦ふ」と。さすがに高杉、そうこなくっちゃ面白くない。心躍らせ、押っ取り刀で銃声のする方へ一目散に駆け出していったのだろうか。

 千歳丸が投錨した長江の支流も「川流濁水」だった。イギリス人がいうには、停泊中の数千の外国船も中国人も共にこの川の濁った水を飲んでいるとのこと。日本人は上海に来たばかりで気象に慣れないうえに、朝晩こんな水を飲んだら「必多可傷人」と危惧した。はたせるかな、川の濁水のため同行者の多くが病床に臥し、なかには命を落とした者もいた。それにしても、明礬をブチ込んで濁りを沈殿させた川の水を飲んでもなんともない中国人からすれば、日本人とはヤワな民族と思えたことだろう。反対に山紫水明の国からやってきた神州高潔な民の目には、中国人の肉体は極めて頑丈で、アメーバ のような構造になっていると映ったのではないか。

日本人にとって「水」は清浄であって当たり前。ところが中国では「水」は濁っているもの。同じ漢字ではあるが、水に対するイメージには大きな違いがある。同じ漢字ではあるが意味する実質は違う。だが、中国文化の精華だと日本人が学んできた四書五経や『史記』以下の正史類など中国の古典には、そういうことが書かれているわけではない。中国人にとっては当たり前のことだから、態々書くことはない。そこで日本人の常識で中国人が書いた文章を読んでしまうから誤差が生まれ、やがて誤解を引き起こす。

この違いを違いとハッキリと意識しない(できない)ことが、「同文同種」などという根本的な間違いを日本人が受け入れ、信じ込んで(信じこまされて)しまった大きな原因なのだ。改めて強く言う。「同文同種」はマヤカシ、デタラメ、さらにはウソである。

さて一行は荷物を持って宿舎の宏記洋行に移るが、「居室陜隘、官吏甚不平、議論紛々、同局相罵」となった。そこで高杉は「其醜體不堪笑殺也」と。部屋が狭いのなんのと枝葉末節に拘泥するなど。バカバカしすぎて笑う気も起きない、といったところか。

翌日の黄昏、上海滞在中の世話になるオランダ人がやってきて太平天国軍は明日の朝には「上海三里之外」まで迫るようだから、「明朝必可聽砲聲」と。すると幕吏はビックリ仰天。だが高杉は「予却喜焉」と。面白いじゃないか。大々的にドンパチやってもらいたいところだ、といったところだろう。

「徘徊」を続け観察を重ねた高杉は、「上海之形勢」について「支那人盡爲外國人之便役英法之人歩行街市、清人皆避傍讓道、實上海之地雖屬支那、謂英佛屬地、又可也」と。

  「支那人」は悉く外国人の「便役(使いッパシリ)」であり、イギリス人やフランス人が街を歩けば、道路脇に避けて道を譲る。上海は「支那」に属しているとはいうものの、イギリスとフランスの「屬地」といっても過言ではない  

また上海は「甞て英夷に奪はれし地」であり、「大英屬國と謂ふ而も好き譯なり」とも。
「外國人之便役」「雖屬支那、謂英佛屬地」「大英屬國」・・・痛切の文字が並ぶ。
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  あよそ170年前、長江の水は濁っているのが、当然であった、って何なのでしょうか? 水墨画は墨の濃淡で表現されていますから、認識出来ていなかったのですね、当時の日本人は。汚染されてる事が、環境で有る事が、前提なんて日本人には信じられない事ですね。

  僕の育った山の中の炭鉱だって、洗炭での汚水さえ、極力抑えられていました。偶に、汚れが多い時には、これが海まで流れるのかとか、途中の川の流れは汚いままかなとか、ふっと頭を掠めた事を有ったような。

  今朝、NHKのニュース番組の中で、支那の大気汚染がありました。日本企業が技術を売り込んでいる姿。何だかなぁ。汚しまくってる所に、チョロチョロと装置を入れたとしても、余程の覚悟が無ければ、全土の空気が良くなる筈もないといけない思いませんか?

  綺麗な水や空は日本の誇りです。

  先人達が築いたこの環境を、何時までも、保持しなければ、なりません!