海外の俳句ファン「俳句って575に拘る必要あるの?」 : すらるど - 海外の反応 | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。



  俳句に対する海外の反応を。

  日本語は、世界に冠たる、特殊な言語だと、僕は思います。支那には「五言律詩」「七言絶句」等の優れた、形式詩が有り、日本人はそれに習って、漢詩を作りましたね。

  海外の人達の論争はリンク先でご覧下さい。


すらるどー海外の反応
http://sow.blog.jp/archives/518128.html
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俳句は世界中にファンがいます。
とは言っても日本語環境下で生まれ育った文芸だけに、他の言語で詠む場合は音数や表現を合わせるのが非常に困難です。
俳句と言えば575の音数で詠む事が一般的ですが、英語圏においては5音節、7音節、5音節で詠むのがセオリーとなっているようです。
とはいえ、それでも合わせるのは難しいようで1人の俳句ファンが、あえて575に合わせる必要はあるのかと疑問を呈していました。

引用元:Why do some people feel 575 is the only way to go?

ーーーー  後  略  ーーーーー

  僕には無用な論争にしか思えません。日本の俳句の概念を理解し、その句から、情景を読み取り、胸に去来するものを捉えられないことを、まず理解して欲しいものだと、思います。

  日本人は支那から学びつつ、模倣し、造語し、造字した特殊な能力を持つのです。

  俳句の源泉は、万葉集に遡らなければ、意味が無いと、思います。千数百年前から、日本人は音韻と言うか、音律と言うものを、育んできたのではないでしょうか? それが、五七五七七であり、短歌に昇華し、最終形が、俳句ではないでしょうか?

  日本人が、漢詩を詠んだ様に、日本語で作れよ。一歩譲って、他言語で詠むなら、「俳句モドキ」とでも、称するべきではと思います。

 「五月雨や あつめて早し 最上川」
お前の国にさみだれの表現なり、概念が有るのかよ!

 「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」
お前等に閑の意味が分かるか? しみ入るは? 蝉は音じゃ無く、声なんだぞ!

  自然を敬い、畏れ、親しみながら、共生してきた日本民族。基本的に概念が、まるで違うのですね。

  俳句モドキでの、論争なら、好きにやってよってところでしょうか。

  日本民族は特殊で、変態なんです!