人にはそれぞれの場所があり、
それぞれの適正があります。
手の届く範囲
言葉の届く範囲
想いの通い合う範囲があります。



『千里の道も一歩から』
『先ず隗より始めよ』
そうした言葉のとおり、
遥かな理想も、始まりは足元。
身近なものに向ける目こそ重要です。
世界平和のような遠大な理想は、
得てして足元から逸らした意識のなかに浮かぶものです。



机上の空論よりも
実践の方が大切なように、
世界平和を謳うより
身近な平和に寄与することが、
より大切ではありませんか?



社会や経済、国際関係。
そうしたものに目を向けるようにとアナウンスされる今の世の中。
それも大切なことなのでしょう。
けれど実際のところ、
投票以外に何ができるのでしょう。
より信頼に足る人を選ぶ以外に
やるべき何かがあるのでしょうか?



僕は人柄を見抜くことが
肝心だと思っています。
政治や国際関係に詳しくなっても、
所詮は生兵法の域を出ません。
生兵法は詭弁の餌食になるものです。



僕の知る人は、
いつも何かに怒り、
何かを憎んでいます。
新聞を読み、ニュースを見て
知識を蓄える勉強家にも映ります。
しかし知識に比例するように、
怒りには拍車がかかります。
きっと怒りをぶつけたくて、
何かを憎しみたくて、
世の中から種を拾い上げるのです。



それは実りなき学習です。
学習するほどに心は荒れ、
学習するほどに波乱を起こします。



人は何のために生きるのでしょう?
誰かを安んじ、
誰かを愛するために
生きるのではありませんか?



思想は未来を描き、
言葉は未来を創るものです。
実りある価値観とは、
光をもたらす価値観です。
思想に建設的なビジョンを宿らせ、
言葉で愛と真実を伝えることです。



学習のなかに実りがなく、
悪循環の一端を成すくらいなら、
僕は一意専心、
置かれた場所で想いを尽くします。



置かれた場所で、
自分だけの持ち味を発揮する。
草の根の貢献こそ僕の道です。



身近な人の隣人として在り、
手を携え合うことを第一とする。
世界にそのような人が満ちれば、
たちどころに平和は形を成すでしょう。



夢見がちな理想にも見えますが、
その実、容易なことではありません。
身近な関係、殊に家族関係こそ
人間関係の根本であり、
根深いものが横たわるからです。



家族は多くのしがらみを抱え、
馴れ合いや我儘も生じ易いものです。
上辺の言葉は見破られ、
信頼は積み重ねによって築かれます。
過去から未来に至るまで、
家族は一瞬の連続性の中にあります。
一旦の調和を得ても長続きせず、
不断の努力が平穏を作るのです。



社会貢献よりも尊いことは、
届くところに手を伸ばし、
誰かの痛みに想いを届ける。
そうした情を
たゆまず持ち続けることです。



人には持ち場と持ち味があります。
政治に均衡をもたらす人。
贖罪の部屋で過ごす人。
甲斐甲斐しく尽くす子ども。
屠殺で食を支える人。
忍従のときを過ごす人。
豊かな実りを生む農家。
誰かの苦しみの欠片を拾う人。
音楽で人を励ます人。
報われない愛に気づく人。
今まさに死にゆかんとする誰か。



心のベクトルが愛を向くとき、
どれもが尊い生き方なのです。
心の赴く先を違えなければ、
いつの瞬間も無駄にはなりません。
あなただけの愛を
惑わされ見失わないように。
実りあるものは愛を育み、
実りなきものは愛を曇らせます。



愛を曇らせる知識、
愛を曇らせる話題、
知識や情勢に
万能である必要はありません。
揺るがぬ想いこそ大切です。
想いを妨げる出来事には、
時に黙してこれを語らず。
言わぬが花の選択肢を持って、
今日の光を確かに見据え
奉仕の愛に邁進したいものです。