当店の『破れ饅頭』
延岡というところは昔から『旭化成』
の町として、「工都のべおか」と呼ばれてきました。ひと昔前だと、マラソンの「宗兄弟」の町というと「へぇ~そうなんだ!」とどこに行っても、知ってもらえる、工業都市としての顔が強い町だったんです。
その一方で、「延岡七万石」という呼ばれ方もあります。それはココにお城「延岡城」があったからで、本当の城下町としての顔も併せ持つ土地柄なんですね。
そんな、歴史ある「城下町のべおか」としての視点から、この『皇賀玉饅頭』の話しは始まりました。延岡には昔から(私が子供の頃から)、誰でも知ってる、誰でも一度は口にしたことがある「破れ饅頭」がありました。あまりにも近すぎて、県外から来た人に「延岡の名物はなんですか?」と聞かれても、「う~~~・・・・ん?」と思いつかない。挙句の果てには「延岡にはなんにもないもんね」と半ばあきらめのような返事をすることが当たり前だったんです。
そんな中、当店では「和菓子の命は餡」と位置づけ、アンコ革命に取組んでいました。美味しいアンコができあがって「これから当店のイチオシ商品はアンコ商品だ!」と最初は、どら焼き「極天」・次に栗きんつば「一徹」・と続けてキャンペーンをしたりして当店のアンコ商品を広く知ってもらう努力をしてきましたが、最後にたどり着いたのが、「延岡名物 破れ饅頭」でした。
「当店はこれから破れ饅頭をもっとも重要な商品として、お客様に伝えていく!」と社長のキックオフ宣言といえるような号令から、当店の「破れ饅頭 推進プロジェクト?」がはじまりました。とはいうものの先に書いたとおり、地元延岡の人たちに「破れ饅頭」といっても、「今さらなんで?」という声も多く、なかなか思うような結果は生まれないのが現状で、なんとかしたい!と思っていた矢先でした。
「名物」とだれがつけたか分からないが、いつから「名物」なの?という疑問が私のなかで芽生え、調べてみよう!と思い、私の市役所の友人に「いつから名物なんでしょうか?なんか古い文献とかないんでしょうか?」と相談をもちかけたところ、「おもいしろいじゃん!調べてみるわ!又連絡するね」とのこと。ソコカラ数日後・・・ありました!
「延岡大観」大正十五年発刊
コレです。「延岡大観」を見つけてくれました。その中の本文に「いまでは貴賎上下の別なく、延岡に入れば一度は口にするほどその名を馳せている!」と描かれてあり「まさにこれぞ真の延岡名物」である!ことの証明がされた気がしました。別の写真もどうぞ・・・
記述内容1
内容2
コレデス!
大正15年時にあった「破れ饅頭」のお菓子のパッケージに使われた掛紙デザイン。
こんな感じで、「破れ饅頭」の「名物」たる所以が少しわかりました。そして、いよいよ「皇賀玉饅頭」につながります。上記写真(内容1・2)に書かれている内容で・・・・・・・・「本名を『皇賀玉饅頭』という・・・高千穂にある岩戸神楽の伝説で、天岩戸にお隠れになった天照大御神を岩戸から出てきてもらおうと天鈿女命がおもしろ可笑しく舞いを舞われた。とありその際に舞手の持つ神木おがたまの小枝にあったおがたまの実がはぜて中身が見える状態を象って、つくったのが『皇賀玉饅頭』のちの『破れ饅頭』である!約390年前の慶長19年(1614年)には延岡城下中町に住む、佐々木某氏によってつくられ発売されていた。
とあるんです。その話しを高千穂のいろんな方へ伝えていったあげくに、『破れ饅頭』をお里へ戻そう!という機運がもりあがりまして、この度『皇賀玉饅頭』として、主に高千穂の地で発売することが決まりました。そのいきさつが先日地元テレビ局のMRT宮崎放送にとりあげられ、発表に至った次第です。
今度発売される『皇賀玉饅頭』のパッケージデザイン。
はるか390年前につくり始められた「破れ饅頭」が現代において、お里帰りをする。『皇賀玉饅頭』に神のご加護を!