福祉だと許されるのか? | 障害者グループホームサークル開業日記

障害者グループホームサークル開業日記

住む人もスタッフも一緒に「最良の一日」を実現するグループホームを作る活動記録です

みなさん、こんにちは。

だれにとっても最良の一日を提供するグループホームサークルです。

 

昨日は、某社の営業会議の見学をさせていただきました。

 

某社は、いわゆる福祉事業で、障碍者と介護の事業をされている会社です。

 

ある事業所の責任者さんが

 

「先月は、利用者が減り、売り上げが下がった〜〜〜という結果となっております。」

「先月の結果は先ほど全体発表があったので割愛させていただきます。」

 

と発表されていました。

あまりやる気を感じさせませんでしたが

「コロナだしなあ」と思っていました。

 

さらには改善点を記載されたパワポの画面の内容をただ棒読みするだけで、それだから内容はともかく、今月は達成できるという意気込みすらも伝わらない。

 

コロナだし~と、自分の業務責任が未達という結果に終わった事への、申し訳なさどころか悔しさすら微塵も感じられませんでした。

 

確かに、コロナ騒ぎでどうしようもない部分はあります。

 

しかしながら職務にはお金をいただいている以上、各自には責任がある。

 

責任を感じた言動が一切ないどころか、結果はこうなっちゃいましたみたいな未達だったことを

自分ごとではないような言い方で伝えていることが問題です。

 

そして、「福祉だから、お金は役所から入ってくるからいいじゃん。」

そんな意識が見え隠れしました。

 

福祉業界では、利用者さんを連れてくることよりも、トイレを洗いましたとか、夜通し頑張りましたとかを褒めたたえる文化があると思います。

それはそれで大事なことですが、トイレに入る利用者さんを連れてこないとどうしようもできません。

夜通し頑張るにも、相手がいないとただの徹夜です。

そして、相手がいなと給料をもらうことができません。

どんなことであれ、お金が裏で作用します。

 

だからまずは、仕事とお金を感じる事。

東日本大震災のボランティアが続かない理由は、お金をもらえないからの一つしかありません。

 

ここは、うるさく思われようが訴えていかなくてはならないと分かりました。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。