『人を見下して優越感に浸る』
自分より下の人を見て優越感に浸る
そうしないと生活のモチベーションを維持する事が私には出来ません。
自分の資産額よりも下の人の話を聞いてニヤニヤ
自分よりもベンチプレスを持ち上げられない人を見てニヤニヤ
これでなんとか自尊心を保つ事ができています。
クソ野郎ですね。
ブラックの自分が心の中で叫びます。
『メシウマだぜ!』
この背徳感を利用し、日々の生活を充実させていきます。
ただ、上の人を見て憧れる事もあります。
自分よりちょっと上の人が居たら『悔しい』という気持ちをエネルギーに変える。
それぞれの立場の人との比較を、その時の自分のコンディションによって使い分け、自分を追い込み過ぎないように、そして甘やかし過ぎないようにコントロールしています。
少しずつ負荷を上げる事で、成長させる方法です。
ただ、負荷を上げ過ぎると挫折してしまいますし、かといって負荷を上げなければ成長は鈍化します。ちょうどいいバランスを保つ事が大切です。
一番悪いのは退場する事です。
なので心が折れそうな時は下を見て自分を安心させて継続し、元気になったタイミングで、上を見て気持ちを鼓舞し、負荷を上げていく。
職場の人に辞めて何するのか聞かれると、株で食べていく旨を伝えてますが、大体鼻で笑われます。恐らく無理だと思ってるんでしょう。
46歳無職予備軍。アル中で円形脱毛症のカッパ。足が短く、肝機能の数値が悪い。緑内障で、これだけ筋トレを語っておいて未だにベンチプレスが70㌔しか上がらない。
追い詰められれば追い詰められる程、下を探し始める。
闇金ウシジマくんで、滑皮さんに詰められる人間を見て『これが自分じゃなくてよかった』とほっとする。
アドラー心理学に「本当の勇気とは、人と競争する事ではなく、自分自身の過去の自分と比較し、成長する事だ」とあります。
ただ、それだけだと弱いです。
ジムでヒョロガリを見てほくそえみ、マッチョを見て悔しがるんです。
短期的にはむしろこの醜い感情を強く持つ方が、瞬発的な原動力になると思います。
下を見るんです。
貯金がない時は借金をしている人間を見て安心し、
5000万円達成するまでは『上位20%のアッパーマス層は超えている・・』と励ましてやります
まだ5000万円達成してないので、考えてませんが、5000万円達成した後、1億を目指す過程では『上位7%の準富裕層を超えている・・・』と思うようにすると思います。
鬱状態の今はこんな感じで常に低い所と比べて、優越感に浸りながら少しずつ上を目指していきます。
比較対象が何もなければ、頑張れません。
ただ、知らない方が幸せだったという事もあります。
握力最強を目指していた男が、ゴリラの握力が400㌔だと知って、諦めた話を聞きました。
幸福度の高かったブータンが、スマホやSNSの普及によって他者との比較で劣等感を感じ、幸福度が低下してしまったように。
上を知ってしまった以上、誰とも比べないまま、足るを知ると言って、現状の生活に満足するように自分自身を洗脳しようとしても、やっぱり心のどこかで劣等感が蠢いた状況は続きます。
・親戚の集まりで年下のいとこの年収が1500万円だと知った時
・3対3の合コンで友人二人がちやほやされて、自分だけ取り残された時
・ジムで髪の毛サラサラの高身長イケメン男子が、ベンチプレス100㌔を挙げているのを見た時
イヤ、それは反則だろ!
こんな感じで現実で突き付けられると醜い感情に支配されてしまいます。
なので自分が勝っている部分だけにフォーカスし、下を見て優越感に浸る。
みじめですがこれしかありません。
度々これをやってやる事で、自尊心を保ち、なんとか進めていきます。
恐らく自分の納得できる水準まで成長していく過程で、下と比べる頻度が徐々に減っていくでしょう。
私は自分の中で、これは勝ち組なのか?負け組なのか?に執着しています。
劣等感の裏返しなんだと思いますが、相対的に平均以上に立つ事をまずは最低限の目標としています。
気持ち悪い具体例ですが
・毎月50万円以上使ってもお金が増えていく資産を保有している
・広くて住み心地の良い家がある
・乗り心地の良い車に乗っている
・好きな仕事をしている
・週3日は自由に遊べる
・健康的で若々しい
・強いフィジカルと高い身体能力がある
・教養やユーモアがありコミュ力が高い
私の超個人的な感覚ですが、これらを手に入れたらそこそこ優位に立てるんじゃないかと思っています。まずはこの水準を目指します。
マッチョだけど貧乏人相手には、フィジカルで負けてても、お金で勝っている。
「自分の事を、この世の誰とも比べてはいけない。それは自分自身を侮辱する行為だ。」
とビルゲイツの名言があります。
いや、あんた世界一だから言えるんでしょ!
自分の欲しい能力に関しては、他人よりも上に居るのか?下に居るのか?に拘ります。
ただ、例えば自分よりも足が速い人、クイズが得意な人、あやとりがウマい人を見て『凄い』とはなりますが、そこは別に目指している訳ではないのであまり気持ちを揺さぶられる事はないでしょう。
拘っている部分に関してです。
宮本武蔵に負け、『殺し合いの螺旋から俺は降りる』と言った宍戸梅軒
ひたすら強さを証明する為に殺し合う事への虚しさを悟り引退。
ある程度他人から抜きん出る事で、それ以降は他人と比べるよりも、過去の自分と比べるようにする事で、平穏な生き方になっていくんじゃないかと思います。
あとは付き合う人をコントロールできれば、あまり比較に苛まれる事が無くなるんだろうなんて楽観的に考えてます。
無理せず、怠けず、適度なバランスで、少しずつ伸ばして行きます。
人と付き合う上で、相手が上のところもあれば、自分が上のところもある。
年収500万円のベンチプレス100㌔上げるマッチョ。
年収1000万円のベンチプレス60㌔上げる細マッチョ。
年収では勝ってるけど、フィジカルでは負けている。
細マッチョはマッチョに年収を増やす方法を教え、マッチョは細マッチョにベンチプレス100㌔上げる方法を教える。
単純な例え話ですが、お互いに尊敬しつつも対等であり、成長し合える存在になれるかと思います。
人間関係も良好にコントロールできる気がします。
私は偉そうな人間とは関わりたくないのですが、雇われ労働だとどうしてもそんな人間が少なからず存在します。
老害に絡まれたら、表面上はへりくだって従いますが、「賞味期限切れが」と心の中で憐れんでいます。
そう心で思う事で、逆に相手を見下してやります。
現世で偉そうな連中は、来世がゴキブリなので、いくら下に見ても問題はありません。
しかし、これは表面上と、心の声があべこべ状態です。これが常態化すると精神衛生的に良くないですし、きっと自分の性格も更に醜くなってしまうでしょう。
この状態が10年間続いた挙句、私はカッパになってしまいました。
かといって、偉そうな奴にそのままファイティングポーズを取ると時間も労力も無駄にかかります。
偉そうな奴はそうしてしかるべきだとは思いますが、現実はそうはいきません。
最善策は距離を置く事です。
他人から上から来られた時に、そのまま「すいません」とへりくだって、落ち込んだり、自分自身を責めると、負け癖が付き、テストステロン値も下がってしまいます。
自分よりも上に人を置いてしまうと弱い自分を認めてしまう事になるので、みじめな負け犬になり下がり、いずれ玉がこぼれ落ちます。
なので玉を守る為にも私は半年後に引退を決意しました。
引退し、家で出来る仕事を週4日、5時間だけ働き
適度な負荷と適度な娯楽のバランスをコントロールする事で、ストレスから解放され、そのうち髪の毛が生えてくるというシナリオです。
ストレスから解放された上に、資産は増え続け、フィジカル・容姿・教養・コミュ力まで磨かれていく。
今日はこれからジムに行って、ヒョロガリを見てニヤニヤしてきます。
マッチョは見ません。臭いものには蓋をしましょう。
汚いやり方ですが
46歳で今更感。
悪あがきしてやります。
自分より下の人を見て優越感に浸る
そうしないと生活のモチベーションを維持する事が私には出来ません。
自分の資産額よりも下の人の話を聞いてニヤニヤ
自分よりもベンチプレスを持ち上げられない人を見てニヤニヤ
これでなんとか自尊心を保つ事ができています。
クソ野郎ですね。
ブラックの自分が心の中で叫びます。
『メシウマだぜ!』
この背徳感を利用し、日々の生活を充実させていきます。
ただ、上の人を見て憧れる事もあります。
元気がある時は上の人を見て『私もこうなるんだ』と胸を躍らせる。
元気がない時は下の人間を見て『私の方が勝ってるじゃないか』と自分を励ます。
自分よりちょっと上の人が居たら『悔しい』という気持ちをエネルギーに変える。
それぞれの立場の人との比較を、その時の自分のコンディションによって使い分け、自分を追い込み過ぎないように、そして甘やかし過ぎないようにコントロールしています。
『プログレッシブオーバーロード』という言葉があります。
トレーニングや運動において、筋肉や体力を成長させる為に、徐々に負荷や難易度を高める事で身体は常に新しい刺激にさらされ、筋力や、筋肉量の向上、トレーニングの最大化に繋げる効果の事です。少しずつ負荷を上げる事で、成長させる方法です。
ただ、負荷を上げ過ぎると挫折してしまいますし、かといって負荷を上げなければ成長は鈍化します。ちょうどいいバランスを保つ事が大切です。
一番悪いのは退場する事です。
なので心が折れそうな時は下を見て自分を安心させて継続し、元気になったタイミングで、上を見て気持ちを鼓舞し、負荷を上げていく。
私は半年後に無職になる予定なので、今はこのような追い詰められる心理が働きやすいんだと思います。
職場の人に辞めて何するのか聞かれると、株で食べていく旨を伝えてますが、大体鼻で笑われます。恐らく無理だと思ってるんでしょう。
46歳無職予備軍。アル中で円形脱毛症のカッパ。足が短く、肝機能の数値が悪い。緑内障で、これだけ筋トレを語っておいて未だにベンチプレスが70㌔しか上がらない。
追い詰められれば追い詰められる程、下を探し始める。
闇金ウシジマくんで、滑皮さんに詰められる人間を見て『これが自分じゃなくてよかった』とほっとする。
アドラー心理学に「本当の勇気とは、人と競争する事ではなく、自分自身の過去の自分と比較し、成長する事だ」とあります。
ただ、それだけだと弱いです。
他人との比較が強いエネルギーを生みます。
ジムでヒョロガリを見てほくそえみ、マッチョを見て悔しがるんです。
短期的にはむしろこの醜い感情を強く持つ方が、瞬発的な原動力になると思います。
ただ、落ち込んでいる時は上を見てはいけません。
負け犬ハードモード状態の私が、若く、賢く、お金持ちで、仕事もプライベートも人間関係も充実し、尚且つ更に上を目指している様な、足の長い眩しすぎる人を見てしまった日には、この劣等感が吹き出し、ホームセンターで練炭コンロを探すでしょう。
下を見るんです。
貯金がない時は借金をしている人間を見て安心し、
1000万円達成するまでは、『同世代の平均貯金額は超えている・・・』と慰めてやり
5000万円達成するまでは『上位20%のアッパーマス層は超えている・・』と励ましてやります
まだ5000万円達成してないので、考えてませんが、5000万円達成した後、1億を目指す過程では『上位7%の準富裕層を超えている・・・』と思うようにすると思います。
鬱状態の今はこんな感じで常に低い所と比べて、優越感に浸りながら少しずつ上を目指していきます。
比較対象が何もなければ、頑張れません。
ただ、知らない方が幸せだったという事もあります。
握力最強を目指していた男が、ゴリラの握力が400㌔だと知って、諦めた話を聞きました。
幸福度の高かったブータンが、スマホやSNSの普及によって他者との比較で劣等感を感じ、幸福度が低下してしまったように。
上を知ってしまった以上、誰とも比べないまま、足るを知ると言って、現状の生活に満足するように自分自身を洗脳しようとしても、やっぱり心のどこかで劣等感が蠢いた状況は続きます。
・親戚の集まりで年下のいとこの年収が1500万円だと知った時
・3対3の合コンで友人二人がちやほやされて、自分だけ取り残された時
・ジムで髪の毛サラサラの高身長イケメン男子が、ベンチプレス100㌔を挙げているのを見た時
イヤ、それは反則だろ!
こんな感じで現実で突き付けられると醜い感情に支配されてしまいます。
なので自分が勝っている部分だけにフォーカスし、下を見て優越感に浸る。
みじめですがこれしかありません。
度々これをやってやる事で、自尊心を保ち、なんとか進めていきます。
恐らく自分の納得できる水準まで成長していく過程で、下と比べる頻度が徐々に減っていくでしょう。
私は自分の中で、これは勝ち組なのか?負け組なのか?に執着しています。
劣等感の裏返しなんだと思いますが、相対的に平均以上に立つ事をまずは最低限の目標としています。
気持ち悪い具体例ですが
・毎月50万円以上使ってもお金が増えていく資産を保有している
・広くて住み心地の良い家がある
・乗り心地の良い車に乗っている
・好きな仕事をしている
・週3日は自由に遊べる
・健康的で若々しい
・強いフィジカルと高い身体能力がある
・教養やユーモアがありコミュ力が高い
私の超個人的な感覚ですが、これらを手に入れたらそこそこ優位に立てるんじゃないかと思っています。まずはこの水準を目指します。
達成した所でキリがない位上がいるもんだから、永遠に現状不満足状態が続く説、もあるかもですが、どんな人と比べても、どこかしらの部分で勝っている能力があるからセーフ。となります。
お金持ちだけど不健康の豚、相手にはお金では負けてても、健康状態やフィジカルで勝っている。
マッチョだけど貧乏人相手には、フィジカルで負けてても、お金で勝っている。
「自分の事を、この世の誰とも比べてはいけない。それは自分自身を侮辱する行為だ。」
とビルゲイツの名言があります。
いや、あんた世界一だから言えるんでしょ!
たまに仙人の言葉はハードルが高すぎる時があります。
自分の欲しい能力に関しては、他人よりも上に居るのか?下に居るのか?に拘ります。
ただ、例えば自分よりも足が速い人、クイズが得意な人、あやとりがウマい人を見て『凄い』とはなりますが、そこは別に目指している訳ではないのであまり気持ちを揺さぶられる事はないでしょう。
拘っている部分に関してです。
宮本武蔵に負け、『殺し合いの螺旋から俺は降りる』と言った宍戸梅軒
ひたすら強さを証明する為に殺し合う事への虚しさを悟り引退。
ある程度他人から抜きん出る事で、それ以降は他人と比べるよりも、過去の自分と比べるようにする事で、平穏な生き方になっていくんじゃないかと思います。
あとは付き合う人をコントロールできれば、あまり比較に苛まれる事が無くなるんだろうなんて楽観的に考えてます。
無理せず、怠けず、適度なバランスで、少しずつ伸ばして行きます。
人と付き合う上で、相手が上のところもあれば、自分が上のところもある。
年収500万円のベンチプレス100㌔上げるマッチョ。
年収1000万円のベンチプレス60㌔上げる細マッチョ。
年収では勝ってるけど、フィジカルでは負けている。
細マッチョはマッチョに年収を増やす方法を教え、マッチョは細マッチョにベンチプレス100㌔上げる方法を教える。
単純な例え話ですが、お互いに尊敬しつつも対等であり、成長し合える存在になれるかと思います。
人間関係も良好にコントロールできる気がします。
私は偉そうな人間とは関わりたくないのですが、雇われ労働だとどうしてもそんな人間が少なからず存在します。
デブ上司に怒鳴られたら、表面上は女々しく謝罪しますが、「その身体で威張るな、豚」と心の中で悪態を付きます。
老害に絡まれたら、表面上はへりくだって従いますが、「賞味期限切れが」と心の中で憐れんでいます。
そう心で思う事で、逆に相手を見下してやります。
現世で偉そうな連中は、来世がゴキブリなので、いくら下に見ても問題はありません。
しかし、これは表面上と、心の声があべこべ状態です。これが常態化すると精神衛生的に良くないですし、きっと自分の性格も更に醜くなってしまうでしょう。
この状態が10年間続いた挙句、私はカッパになってしまいました。
かといって、偉そうな奴にそのままファイティングポーズを取ると時間も労力も無駄にかかります。
映画【キングスマン】で偉そうな輩に絡まれたハリーが「礼節が人を育てる」と言って輩をボコボコにしたように。
偉そうな奴はそうしてしかるべきだとは思いますが、現実はそうはいきません。
最善策は距離を置く事です。
他人から上から来られた時に、そのまま「すいません」とへりくだって、落ち込んだり、自分自身を責めると、負け癖が付き、テストステロン値も下がってしまいます。
自分よりも上に人を置いてしまうと弱い自分を認めてしまう事になるので、みじめな負け犬になり下がり、いずれ玉がこぼれ落ちます。
なので玉を守る為にも私は半年後に引退を決意しました。
引退し、家で出来る仕事を週4日、5時間だけ働き
平日は株の売買を行い、ジムと図書館に通います。
そして週3日、自由に過ごします
適度な負荷と適度な娯楽のバランスをコントロールする事で、ストレスから解放され、そのうち髪の毛が生えてくるというシナリオです。
ストレスから解放された上に、資産は増え続け、フィジカル・容姿・教養・コミュ力まで磨かれていく。
今日はこれからジムに行って、ヒョロガリを見てニヤニヤしてきます。
マッチョは見ません。臭いものには蓋をしましょう。
汚いやり方ですが
46歳で今更感。
悪あがきしてやります。