「丁寧に暮らす」という誤解 | ホンネ経営のススメ~仕事と家庭の両立~

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心の奥のホンネに気づき、ホンネをカタチに仕事を創ることで、家族を大切にしながら、心から幸せに充実して満たされる経営。それがホンネ経営です。

さて、最近は

「ホンネで暮らす」

がさらに深まってきたわけですが、

これは「丁寧に暮らす」に近いなと感じるわけです。


しかしね、巷間では、

「丁寧に暮らす」

が誤解されているような気もするんです。


「なんかオシャレな暮らし」

「なんか食器とかにこだわって紅茶とか淹れる感じ」

「なんか手作りとかを愉しむ感じ」

という

「ファッションとしての丁寧さ」

があるような気もするんですね。


「丁寧に暮らしたい」んじゃない。


「丁寧に暮らす私を見てほしい」というような欲さえ感じてしまうのは、

ぼくの心が汚れているんでしょうか(笑)


そんな中でいま僕が思う「丁寧な暮らし」というのは、

「感じる暮らし方」

なんです。

ちゃんと、「いま、ここ」にあるものを感じる。

それが「丁寧」だって感じるんですね。


「いま、ここ」を感じるならば

カップラーメンを食べていても、

電子レンジを使っていても、

レトルト食品でも、

「丁寧な暮らし」

なんです。


逆にステキなカップで紅茶を飲んでいても、

「これをどうやってSNSにアップしようか」

なんて「考えて」いるのならば、

それは「丁寧な暮らし」ではない。

「焦った暮らしぶり」なんです。


「丁寧に」暮らしてみると、いろいろと見えてくることがあります。

たとえば、家族の息づかいを感じる。

ことばの奥にある、言いたいこと。主張。

そういうものが感じられる。


ある禅の和尚さんが言ったそうです。

「禅とは、ご飯を食べるときにはご飯を食べることである」

と。


その意味が分からなったのですが、

最近になって、ちょっと見えてきた気がしています。


それは神道で言えば「中今」だし、

禅語で言えば

「花は紅、柳は緑」

「眼横鼻直」(道元)

ということになるんですね。


これは、

「それはそう」

ということです。


それ以上でも、それ以下でもない。

「それはそう」

ということなんです。


そこには成功も失敗もないのです。

いいも悪いもないのです。

ただただ、

「それはそう」

なんです。


だから「ああー、丁寧で素敵な暮らしだわ」

という「判断」が入っているときは、

いわゆる「分別知」になってしまっているわけです。


そこには「丁寧じゃない暮らしは、ステキじゃない」

という診断が入っている。


すると、「そうじゃない場合」に

「苦しみ」

が生まれるということです。


まぁ、苦しみがあろうとも、

「それはそう」

なだけなので、別にいいんですがね、

「苦しみ」

を減らしていきたいのなら、

「それはそう」

の世界を垣間見てみるのも、悪くないかもしれません。


そのためには

「感じる世界」

を愉しむ気持ちが大切になってくるんですね。

「いまここ」にある情報量。

それをどれだけ受け取れるか。


それを「不立文字」と言い、「父母未生以前」というわけです。


いわゆる「ことば」になる前の世界ですね。

「ことば以前」

そこにアクセスする時間が長くなれば、

自然と「苦しみ」も減ってくるんです。


今年は、そういうことをやっていきたいですね(*^-^*)


今日の話はちょっと難しかったかな?

なんとか伝わっていたら嬉しいなぁ♪

 

 

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