今回は、空海がこの宿だったという女宿について書いてみます。
なるほど~。空海が出世したのもこういう理由だったのね。
ということで、空海好きにはたまらない今回の記事です。
女宿(じょしゅく)
~有力者をかぎ分ける特殊探知機を持ったコウモリ~
とにかく行動が素早い。一度聞けばすぐに出来る人。一を聞いて十を知る。そのくせ最後まで人の言うことを聞いていない。
記憶力は抜群だが、それは本人の興味があることだけ。興味のない事は一切頭に入らない。
この人の行動力のタイムリミットはスタートしてから5分間が勝負。それ以上のスタミナは無い。女宿=コウモリだとしているが、「羽の生えていないネズミ」と同じ。
ネズミは走り回っている内に疲れてしまう。
決断は早いが、思考が深まることはない。時間をかけて深く考えることは苦手。
女宿という名だけあって、男性であっても物腰が柔らかな女性的な人が多い。
この人は志が強く、私利私欲のための行動はない。自分の志を貫徹するために、誰につけば良いのか、どうすればそれが叶うのか、を潜在的にかぎ分ける特殊な能力がある。つまり、有力者に接点を持てるように行動していく。その方法は至って八方美人的で、こういう点がコウモリと言われる所以である。
もう一度言うが、八方美人であっても、本人は私利私欲のためにしているのではない。
空海の行動から女宿の運気を見る
口の中に明けの明星が入ったあの神秘体験をした理由を知りたい。また大日経と出会ったこの経典の内容をどうしても知りたい。この日本にはそれに応えられる先生も高僧もいない。しかし唐へ行くにはどうしたらよいだろうか。。。
そんな中、偶然「遣唐使に欠員が一人出た。」という情報が入った。
そうはいっても唐へ行くには様々な難題を通過しなくてはならなかった。
まず、資金が無い。最澄と違って空海はまだ名の知られていない一介の変わり者。一族の期待を一身に背負って大学に入って官僚を目指していたが、つまらなくなって途中で中退。そんな身勝手な息子に両親が協力してくれるのか。。。
当時の空海は私僧で、正式な僧の資格は無かった。まずは正式な僧の資格が無ければいけない。
そんな中、叔父の阿刀大足や伊予親王の援助があったとか、藤原葛野麻呂が空海の能力を買って、自分の書記として採用したなどの説がある。
また、空海と交流のあった大安寺の高僧・勤操(ごんぞう)の働きかけもあったといわれている。(大安寺は空海が虚空蔵菩薩求聞持法と出会ったきっかけの寺)
こうした点を鑑みると、空海には人を動かすだけの人脈と才能と、絶対に成し遂げたい本人の密教に対する志があったからだと推察する。
女宿には空海のように、自分の志や夢を実現させるためのレーダーが備わっている。
空海だから出来たんだ、と思わないで欲しい。女宿はあらゆる有能な人物と出会えるレーダー探知機を持っている。それを活用するのもしないのも、あなたの行動次第。
ただし言えるのは、その行動を10分でやめるのか、それとも諦めずにやり続けるのか、そこが空海のように成功するかどうかの分かれ道。
女宿の開運方法は、「志を持てるかどうか」にかかっていると感じる。
志というものは、夢とは違う。自分の固く揺るぎない意志を貫くことが志だと思う。
その志を現実にするには「継続」と有力者との繋がりが一番近道。有力者をどう操るか、空海のように有力者の中に浸かり過ぎるのではなく、うま~く交わしながら生きていく方法を見つけて欲しい。
女宿に縁がある神社・仏閣・場所
細江神社(通称:おてんのうさま)
静岡県浜松市北区細江町気賀996
祭神:建速素盞嗚尊(ソサノオ尊)・奇稲田姫尊
御神徳:地震の災難除け
細江神社は古くは牛頭天王社と呼ばれ、今も地元の人々に『気賀のお天王さま』と呼ばれています。二度の地震の災難からご神体が助かったことから、厄除けの神様としても知られています。
現在の浜名郡新居町に、角避比古(つのさくひこ)神社がありました。昔から浜名湖入口の守護神として厚く信仰されていました。
しかし、1498年の明応地震で社は流され、ご神体は伊目の十三本松に漂着。その後再び地震が起き、御仮宮も流されてしまいました。
地震の後、ご神体は奇跡的に、気賀の赤池に流れ着いていました。
二度の地震からご神体が無事だったことを受けて、里の人々の熱い要望で、翌年1510年、漂着した場所から西北に300mほどの地に新しく建てられた社殿に移され、気賀の総氏神様として祀られました。
これが細江神社のはじまりです。
さて、なぜ細江神社が女宿に縁がある神社かと言えば、以下のような伝説があるからです。
『細江町史 資料編三』原文
むかしむかしの話ですが、細江神社のクスの木の大穴の中で、大蛇と大コウモリが「このクスノキの主はおれだ。」と互いに言いはりました。そのため大蛇と大コウモリは、しだいに仲が悪くなり、ついに大げんかとなりました。
大蛇は大コウモリを長い体で、ぐるぐる巻きにして強く締めつけてしまいました。大コウモリも負けてはいません。鋭いキバで大蛇の体を食いちぎりするなど、すさまじい戦いになりました。
この戦い、三日三晩も続いたそうです。大蛇も大コウモリも血だらけになって、ついに力つきて死んでしまいました。木の空洞の中に、その時に流したと言われる血のあとが今もついております。(細江神社)
女宿の代表者として空海について少しだけ余談です。
【空海と権力者】
平安時代は、権力者は怨霊との闘いでした。天皇自ら権力の座を手にするために自らの手を血で染めて最高の地位を手にしてきました。
その筆頭が、平安時代を開いた「桓武天皇」でした。平安の三大怨霊として、菅原道真、平将門、崇徳天皇がいますが、桓武天皇の弟・早良親王の祟りはその三大怨霊をしのぐほど、最強の祟りでした。
その祟りを封じ込めたのが密教でした。元々天皇家は天照大御神の子孫であり、天照大御神という特別な一族であることを権力の象徴としていました。
一方、蘇我氏が持ち出した仏教は天皇家以外の権力者に利用されていましたから、この時代には神と仏との宗教による摩擦が生じていたのです。
そこで桓武天皇が救いを求めたのが、日本にはまだ新しい「密教」だったのです。桓武天皇の子・嵯峨天皇も密教により国を導こうとします。
密教の最高神は大日如来であり、その性質は天照大御神の太陽神と似ていました。(細かく説明すると違うのですが。。。)
また密教の特色である「加持祈祷」は、その場ですぐに効果がある現世利益をもたらしてくれる祈祷でしたので、こういう派手なパフォーマンスは当時の天皇家にとって、非常に都合が良かったのです。
民衆の中に昔から根付いてきた独特な宗教を否定するどころか取り込みながら、「神仏習合」(端的にいえば神も仏も同じである)、全てをまとめて祈祷するという、密教のスケールの大きさに、平安時代以降の怨霊たちも鎮まったのだと言います。
こういう点で、最澄も空海も天皇に取り入れられ、空海は高野山を真言の聖地にと、816年に嵯峨天皇からもらっています。
今でも高野山の大門をくぐると、その先は密教という宇宙界にいるように感じます。
お釈迦様の仏教では、苦しみからの解脱をするには、「業(ごう)」というカルマがあり、輪廻転生しても業を消さなければ、本当の解脱(悟り)は得られないといいます。
ではこの世で作った行いが悪ければ、また生まれ変わって来て因果応報の摂理で、来世もその悪い結果が出て来るのでしょうか。
いつになればその苦しみは消えるのでしょうか。何万回生まれ変わって来て、良い行いを繰り返せばいつかは消えるのでしょうか?
いいえ、苦しみとは生きていることだけでも必ず生じて来るのですから、本当に苦しみから解放されるには、その苦しみの仕組み、その原因を知らなければなりません。それにはとてつもない時間が必要です。
そこで空海の密教が役に立ちます。「即身成仏」と言って、今この瞬間に苦しみに対して向き合うのです。逃げないで徹底的に心を静かに瞑想し、考えないのではなく、敢えて意識してみるのです。
その苦しみを月輪間の中に入れて、混ぜ合わせて浄化してしまえばいいのです。考えても解決しない、時を待っていても耐えられないほどの苦しみならば、密教による瞑想をしてみるのです。
難しいことなど考えず、理論的に処理しようとせず、とにかく月にお任せしてしまいましょう。宇宙界に存在している曼荼羅にいる仏様に預けてしまいましょう。
心から自分を信じ、自分の過ちを正し、未来は自分の意思により変わると信じましょう。他人に変化を求めるより、まずは自分が成長していきたいなら、前に進みましょう。
自分の苦しみは絶対に他人にはわかりません。同じ心、同じ体、同じ体験をしていないからです。でも、分かってあげようとすることは出来ます。
だからといって、自分のことを分かって欲しいと欲するのは苦しみになるだけです。それは自分の心ではない、相手の心を操作しようとしているからです。相手の心は相手が決めること。
だからまず、自分が操作できる自分の心に焦点を当てましょう。
密教の瞑想法とは、何も考えず無になる方法は否定しています。敢えて自分の心に意識してみてください。
初めはドス黒い雲が自分の中に湧いている状態でしょう。暗黒の闇が続く、前に光もない状態かもしれません。
でも、良く見てください。あなたの心の中はすべてが闇ではありません。生きている状態なのだから、必ず小さくても光があるはずです。その光はもしかしたら、解決の糸口かもしれません。
その小さな光を勇気を出してあなたの心に入れてしまうのです。さあ、確認してください。小さかった光が今の瞑想中のあなたの心の中で、少しずつ膨張しています。
真っ黒い心の中が、その光によって明るく輝き出して来ました。
さあ、心の中の変化を見てみましょう。あなたの心の中に光っているのは月?!
そうです。月です!その月は、あなたの心だけではなく、体全体にも月の光によって輝いているではないですか!
あなたの中に入った月が、今度は大きく大きく膨張していきます。もう体全体に収まり切れないほどの大きさになった月。
さあ、見てください。月があなたの体から抜けていきますよ。さあ、抜けました。でもなんだか変です。あら。。。あなたの心臓の部分と、目の前で輝いている月が、一つの光の糸で繋がっているでは在りませんか!
さあ、月はあなたの元から離れて宇宙へと帰っていきますが、光の糸でいつも月と繋がっていることを見てください。光の糸を確認してください。切れるような物質の糸ではないことを。。。その糸は光そのものです。月の光の糸は決して消えることもなく、切れることもなく、輝きを失うこともありません。
これからは辛い時、夜空を見て下さい。月の一部である星たちもあなたと繋がっていたんです。
たとえ雨が降って星や月が見えなくても、肉眼で見えないだけです。雨雲の向こうには変わらずに輝き続けています。空の状態で変わることなどありません。毎日同じように光の糸であなたと繋がっています。
月輪観という瞑想法が難しいなら、リラックスできる状態で、自分の心の内を月に話をしてみてください。寝る前でも、お風呂に入りながらでも、祈りの中でもOKです。
密教瞑想は、かしこまった形式など苦であり、リラックス状態が一番良いと言います。座禅など組まなくても、椅子に腰かけても出来ます。
今回は女宿さんについてでした。敢えて書きませんでしたが、もちろん空海関連の聖地は、女宿さんにすべて縁があります。
高野山、東寺、丹生津姫神社、奈良県にある大安寺などもお勧めです。