私は二年前、一匹の猫を亡くしました。
突然の別れでした。
あの時、もっと何か出来たのではないか——
そんな思いが心に残っていました。
大切な存在を亡くしたことがある方なら、
同じような気持ちを抱いたことがあるかもしれません。
けれど今、私は違う形でその意味を受け取っています。
密教には「曼荼羅」という教えがあります。
曼荼羅とは、簡単に言えば
この世界のすべての関係性を表したものです。
その子との出会いも、別れも、
その後に続いた流れも、
すべて一つの曼荼羅の中の出来事だったのだと感じています。
その子を失ったあと、私は夢を見ました。
「寒いところで生まれ変わっているから探して」
その言葉をきっかけに出会ったのが、
二匹の兄弟猫でした。
この子たち、同じ兄弟でありながら、
二匹の性格はまったく異なります。
一匹は、とても感情が豊かで、
人との関わりの中で生きるタイプです。
自分から膝に乗り、
相手の反応を引き出し、
場の空気を一気にやわらかくします。
「触れることで安心を生む存在」です。
もう一匹は、静かで観察力が高く、
全体を見ながら行動するタイプです。
無理に前に出ることはなく、
距離を保ちながら空間に溶け込み、
その場のバランスを整えています。
「存在することで安心を生む存在」です。
さらにこの子は、
物の動きや仕組みを理解し、
ドアを開けたり、遊びの流れを作ったりと、
環境そのものをコントロールする力を持っています。
この二匹は、
- 一匹が動き
- 一匹が整え
役割がまったく重なりません。
けれど不思議なことに、
この二匹は常に一緒
にいます。
どちらかがいないと探し、
見つければ自然と同じ場所にいる。
私はその姿を見て思いました。
違うからこそ、二匹で一つなのだと
密教には・・・
「胎蔵界」と「金剛界」という二つの曼荼羅があります。
一つは、包み込み、受け入れる世界。
もう一つは、構造と秩序で成り立つ世界。
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この二匹は、その二つの曼荼羅のような存在でした。
別々に存在しているのではなく、
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重なって、はじめて一つの世界になる
私は気づきました。
かつて亡くなった猫がしていた「癒し」が、
二つの形に分かれて今も続いていることに。
実際に、こんな出来事がありました。
猫が苦手だったお客様が、
最初は距離を取りながら様子を見ていました。
するとある時、片方の甘えんぼうの猫がその方の膝に乗り、
自然に甘え始めました。
その方は戸惑いながらも、
そっと背中を撫でていました。
その瞬間から、空気が変わりました。
その方の表情が少しずつやわらぎ、
やがて自分から手を伸ばし、
最後には「猫が好きになりました」と
笑顔で話してくださったのです。
その時、私は思いました。
癒しとは、与えるものではなく
自然に起きるものなのだと
密教にはもう一つ、
「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」という教えがあります。
今このままで、すでに完成している![]()
私は長い間、過去に答えを求めていました。
でも今は違います。
違う役割を持つ存在たちが、
一つの場の中で重なり合い、
今ここに、一つの曼荼羅が現れている
「今、この瞬間をどう生きるか」
を大切にしていこうと思います。
その子は消えたのではなく、
今もこの二匹という二つの異なる曼荼羅の中にいます。
そして私はその中で、
これからも生きていきます。
もし今、同じように
大切な誰かを、あるいは家族同然だった生き物を亡くして、
心の中に痛みを抱えている方がいたら——
どうか自分を責めないでください。
そして無理に忘れようとしなくても大丈夫です。
その存在は消えてしまったのではなく、
形を変えて、今もあなたの中や、日常の中に現れ続けています。
失われたものを探すのではなく、
今ここにあるものを、少しだけ見つめてみてください。
あの子を失ったと思っていたけれど、
私は今、違う形でつながりの中に生きているのだと気づきました。
失われたものを探すのではなく、
今ここに現れているものを見ていくこと——
それが私にとっての曼荼羅なのだと思います。
~まとめ~
曼荼羅は毎日の当たり前の生活の中に隠れています。
こちらが気が付くかどうか、それだけです。![]()
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本当の悟りとは、
何か特別な状態になることではなく、
「悟ろうとすること」そのものを手放し、
自然体で保たれている心の状態に気づくこと。
そのためにできることは、とてもシンプルです。
一日に一度でいいので、
自分の感情が揺れ動いていないか
心のバランスが崩れていないか
静かに確認してみること。
それが、私にとっての「行(修行)」です。
そしてもう一つ大切だと感じていることがあります。
自分だけの視点ではなく、
反対方向からの目線を持つこと。
違う立場、違う存在、違う関係の中にある視点。
そこに触れることで、
はじめて「自分のバランス」が見えてくることがあります。
すべては「つながりの中」にあり、
その中で私たちは日々、揺れながらも整えられている。
そのことに気づくことこそが、
すでに「曼荼羅の中にいる」ということなのだと思います。