2026年の期間

 

「たかのは占い」では旧暦1/1~12/31まで

 

新暦では

 

2/17~2027/2/6

 

 

の年に、を祀る】

 

 

 

 

 

 

 

― 丙午と、神社に流れる循環の思想 ―

 

神社という場所は


何かを強く願い


現実を動かしてもらうために
 

存在しているのではない。

 

そこに立つとき


私たちはただ思い出す。

 

すべての自然界は、水を媒体にして流れている


という、ごく当たり前で


けれど暮らしの中で


忘れられがちな真理を。

 

 

鳥居をくぐると


 

まず手水舎がある。

 

 

 

 

火の神を祀る社であっても


力ある神を祀る社であっても


人は最初にに触れる。

 

それは


願う前に


燃え上がる前に


自分を流れの側へ戻すためだ。

 

 


 

【山は決して一つではない】

 

富士山は、日本の象徴だと言われる。

 


火の山

 

力の山

 

霊峰

 

けれど静岡で生まれ育った私にとって


富士山は


誇示する山ではなかった。

 

 

変わらず立ち


何も語らず


その足元で


を抱え続けるだった。

 

 

富士山だけではない。

 

 


 

この国の山々はすべて


単独で存在してはいない。

 

雨を受け


雪を溜め


地下に水を送り


川を生み


やがて大海へとつながっていく。

 

 

 


立っている存在ではなく


流れの始まりに位置している存在なのだ。

 

 


 

は、つなぐためにある】

 

 

 

 

 

は、境界ではない。


分けるものでもない。

 

山と里をつなぎ


人と自然をつなぎ


目に見える時間と


見えない時間をつなぐ。

 

地下水となって流れる水も


地上の川となって走る水も


行き先は同じ。

 

すべては


ゆっくりと


確実に


へ向かっている。

 

 


 

【海は、終わりではない】

 

 

 

 

 

は、終着点ではない。


命のはじまりの場だ。

 

すべての川を受け入れ


すべての水を抱き


拒まず、選ばず


ただ受け取る。

 

 

そこから再び


蒸発し


雲となり


雨となって山へ戻る。

 

 


地球の母のような存在だ。

 

抱き、巡らせ、


また生み出す。

 


 

【神社は「結節点」にある】

 

だから神社は


山の中腹や麓にあり

 


 

川のそばにあり


湧水の近くにあり


ときに海を望む場所にある。

 

神社は


流れを止める場所ではない。

 

自然の循環が


確かにここを通っていることを


人が忘れないための場所として


そこに在る。

 

願いを投げる前に


評価する前に


正しさを決める前に


ただ立つ。

 

それだけで


人は再び


山・川・海の循環の中に


戻ることができる。

 

 


 

丙午の年に、を生きる】

 

 

 

今年は丙午。


火の年だと言われている。

 

だからこそ私は


燃え上がるよりも


冷静に巡る水を意識する一年にしたい。

山・川・海を


切れた存在として見るのではなく


すべてが


一本の循環として


つながっていると感じながら。

 

感情も、出来事も、人生も、


本来は


とどめおくものではない。

 

流れていい。


巡っていい。


戻っていい。

 

神社に立つとき

 

 


願いを握りしめるのではなく


その流れの中に


そっと身を置く。

 

 

それが


この国が長い時間をかけて


守り続けてきた


祈りのかたちであり

 

火の年にこそ


水を忘れないという


日本人の知恵なのだと思う。