第2回:縄文から国家への胎動編
「アマ君の政治」と未完成の国のかたち
「ほつまつたゑ」に描かれるアマ君(天皇)は、
左の臣・右の臣を置き、三権分立のような政治を行いました。
精神的には非常に先進的ですが、国としてはまだ未完成でした。
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統一された領域の欠如:北海道・沖縄は未統合
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制度・法・文字の未整備:権力と秩序は人徳に依存
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経済・軍事の基盤不足:貨幣・税・常備軍がない
つまり、これは「国家」ではなく、文化的共同体の連合であり、
日本という国が形になる前の胎動期といえます。
「アマ君の政治」と未完成の国のかたち
「ほつまつたゑ」によれば、縄文時代のアマ君(天皇)は、天照大神の時代に左の臣(アマノコヤネ)、右の臣(オオモノヌシ)を置き、三権分立に近い政治を行っていました。
つまり、君(天皇)・臣(補佐役)・民(共同体)が役割を持つ、非常に先進的な政治です。
しかし、この時代はまだ「日本という国」としては未完成でした。
具体的には、次の3点が足りませんでした。
① 統一された領域の欠如
アマ君の権威は広く尊敬されていたとしても、北海道や沖縄、東北・九州南部などは独立した共同体文化を持っていました。
つまり、領土の明確な統一はまだなく、国というよりは「連合体」に近い状態だったのです。
この時代、実質的に統一されていたのは沖縄・東北・九州南部を除く地域に限られていました。
景行天皇の皇子・ヤマトタケ(ヤマトタケル)が、ヤマト国の確立を目指して戦いの中で亡くなったことから、『ほつまつたゑ』が編まれたと伝えられています。
しかしその後も沖縄と北海道はまだ統合されておらず、当時のヤマト国は、いま私たちが呼ぶ「日本国」とはまだ言えない段階にありました。
② 制度・法・文字による統治の未整備
政治は主に人徳や信頼に依存していました。
文字や法、行政制度がないため、権力の継承や秩序維持は不安定。
その結果、ハタレ(反乱や不服従)のような事態が起きやすく、秩序を支える仕組みが未完成でした。
③ 経済・軍事の基盤不足
縄文社会は分かち合いや物々交換を中心とした生活で、貨幣経済や税制度、常備軍のような国家運営の基盤が存在しませんでした。
これにより、外敵防衛や災害対応、社会全体の動員力が限定され、大規模な国家事業も困難でした。
🌸まとめ:縄文時代はまだ「国家」ではなく「文化的共同体」
アマ君政治は、精神的・倫理的には非常に先進的でした。
しかし、領土・制度・経済基盤が揃わないため、国家としての機能は限定的。
この時代は「文化的共同体の連合」――
つまり、日本という国が形になる前の胎動の時期といえます。
次回は江戸時代に迫ります。