新年最初の宿は「尾宿」からスタートします。
「虎の尾を踏む」ということわざ通り、尾宿は少し怖いトラさんです。どのように怖いか?と言えば・・・二面性を持っているところかな。
それではスタート!
尾宿(びしゅく)
~親分肌でセンスの良い孤独な虎~
子分を引き連れている虎のように、自分の取り巻きを作って行こうと行動する。
気に入った人の面倒を見るが、反対に気に入らない人の仕事は絶対に受けない。
身内を守る習性があるが、身内と認めなければ途端に冷たい態度をとる。身内がある時から他人となってしまう冷淡さがある。
亢宿は龍という生き物で、尾宿は虎。龍・虎という同じような強さを持つ宿は、大物が出る場合がある。
非常に神経質。細かいところまで追求していくのだが、一切顔には出さない。
人に謝ることが出来ない。それは本人が親分だから。他人から指示されるのがとても嫌い。
美的センスがあり、きれい好き。おしゃれで趣味も良い。
自己評価は低め。他人からの賞賛があって自分を認められる。
尾宿に縁がある神社・仏閣・場所
秦氏のルーツの全ての神社(例えば三つ鳥居)
松尾大社をはじめとした「大山咋(オオヤマクイ)神」
東寺の五重塔
伏見稲荷大社
高野山奥の院
尾宿に関する神社で「おや?」と思われた方もいらっしゃるのでは?
「虎」なのに「稲荷?」
秦氏と松尾大社の祭神?
東寺の五重塔?
伏見稲荷?
奥の院?
松尾大社の祭神・オオヤマクイ神は、秦氏という渡来系の一族が朝鮮半島から持って来た神だという説が濃厚です。
秦氏と稲荷の関係、秦氏はキリスト教の一派?空海とキリスト教との関わり?
これらの神社をあげた理由も含めて、少し長くなってしまいますが、非常に大事な鬼門の神についても『ほつまつたゑ』からも説明していきます。
【『ほつまつたゑ』から鬼門の神を読む】
尾宿を象徴とする「虎」は、鬼門方位の北東に位置する生き物です。虎=鬼門を守る生き物です。
尾宿に縁がある神社として紹介したい神は、虎を象徴する「鬼門の神」に関わる神です。
北東になぜ鬼門の神が居座っていて、穢れを嫌うのか。。。この辺りは『ほつまつたゑ』から読み解くことが出来ます。
鬼門に当たる神を『ほつまつたゑ』で見ると、「ウツロヰ」というものが登場します。
ウツロヰとは、はじめは空(ウツホ)を司る自然神として扱っています。音や空気を振動させる時に鳴る地鳴りや雷、また馬という乗り物そのものも、天空を駆ける天馬として「ウツロヰ」に比例しています。
ウツロヰははじめ、「ヤマサ神」という八方位を守る自然神でしたが、ニニキネの宮殿の遷都当日に北東の垣根に雷が落ちて一部が破壊されたため、アマテル大神はフトマニで占うと、ウツロヰの仕業だと読み、彼を「ヤマサ神」という役職から降格し、「ウツロ守(モリ)」としました。
これは、一年365日の内、六十干支の60で割った端数の5日間だけに役目を与えたという意味で、毎年12月29日、12月30日、1月6日、1月14日、5月30日はウツロヰの日になっています。
こうしてウツロヰは、この不吉な出来事の責任を取ることになったのです。雷が落ちて焼け焦げた北東の垣根にある一本の柳の木に移るようにと、アマテル大神から命じられました。
しかし、アマテル大神の孫のニニキネは、ウツロヰを労って「大将君(オマサキミ)」という称え名を与えました。この讃え名は「ヤマサ神の長」という意味でもあるようなのです。
ここからのウツロヰは自然神というよりは人格神として、神霊を降ろすことが出来る人となったのかも知れません。
しばらくの間、ウツロヰには仮住まいに住んでもらい、その間に壊れた北東の垣根の修復をして、ニニキネの新宮殿は無事に完成したようです。
しかしなぜかその後も、新しい都の周辺の民の家々を建築する際にも雷が落ちたのだそうです。
そこでニニキネはウツロヰに理由を訪ねました。
ウツロヰが神霊を降ろして言うのには、人々が出した糞尿を処理せず、ウツロヰの守る領地にまき散らしたからだと答えたのです。
しかし、糞尿は堆肥農法という肥料になる故、汚いものではないことをウツロヰに説明したそうなのですが、ウツロヰは納得しなかったのです。
そこで代替え案を出しました。当時の暦で、60の中から12日間の中で巡る「〇アヱ」から「〇ヤヱ」の5日間だけはウツロヰにはどこかに遊びに行ってもらい、その間に民たちの家を建てるようにしたそうです。
ウツロヰの事象も陰陽道の暦の「大将軍(だいしょうぐん)神」と良く似ていて、この人も方位の神の一人です。
大将軍が三年間、同じ方位に居座る凶方位があります。
この方角を犯せば、三年間八方塞がりになるのです。三年間のこの方位は犯せば、万事に置いて凶事になります。
2024年は辰年なので、「北」の方位は気を付けなければいけません。(2022~2024年まで北が凶方位。)
具体的には、2024年の北の方位で何をしてはいけないのか、お知らせします。あくまでも「北の方位」についてです。
なお、引っ越しや旅行などの「北への移動」は、自分のいる場所を中央にして、真北となります。(30度でとる)
引っ越し
旅行
北の方位のリフォームや建築
土いじり
ウキペディアより↓大将軍の三年間居座る凶方位
大将軍神が北を離れる遊行日は上記↑の間ですので、この間なら特別に、北への行事や北の土いじりは大丈夫だと言われています。
逆に、大将軍が遊行日に、北から以下の方位に動きます。下記の期間に、この方位も犯してはいけません。(赤文字期間は凶方位と転じる)
2024年の遊行日(新暦で表示)
- 1月25日(木)~29日(月):中央
- 3月1日(金)~5日(火):東
- 5月12日(日)~16日(木):南
- 7月11日(木)~15日(月):南
- 7月23日(火)~27日(土):中央
- 8月7日(水)~8日(木):西
- 10月3日(木)~7日(月):西
1月25日(木)~29日(月)
7月23日(火)~27日(土)
また、2024年2月3日まで北の方位に「金神」という凶神の方位になっていますので、今年一年間は「北」の方位は使えないということになります。
なので、まとめると
2024年、もしも北の方位を使いたければ、以下の期間のみ使えます
3月1日(金)~5日(火)
5月12日(日)~16日(木)
7月11日(木)~15日(月)
8月7日(水)~8日(木)
10月3日(木)~7日(月)
![二重丸](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/679.png)
今でも北東方位が表鬼門に定められていて、この方位にトイレや水回りを作るのは良くないとされたのは、このウツロヰの故事から来ていると『ほつまつたゑ』関係者は言います。東北の方位はそれだけ重要な方位だという意味でしょうね。
さて。。。ウツロヰは『ほつまつたゑ』のアマテル時代から秦氏がまだ隆盛ではなかったころまでは、北東を守る方位神でした。
しかし中世以降になるとなぜか方位が北東から北西を守る神に変わったのです。
ウツロヰという鬼門に追いやられた神が突然北西に追いやられた「天神様」に変わったのです。
護る方位もしかり、平安時代までは自然の神だった雷神「ウツロヰ」が、以降「菅原道真」を祀る「天神信仰」へと変わったのです。
なぜでしょうか?
天神様と言えば北野天満宮と太宰府天満宮が有名ですよね。
どちらも道真を神として祀っています。
鬼門の方位が北東なのに、北野天満宮は平安京の北西の角である「天門」という方位に建てました。
天門とは、陰陽道で怨霊や魑魅魍魎(ちみもうりょう)が出入りする忌むべき場所とされ、ここを鎮めると家運が一生栄える方位だそうです。
これは道真の怨霊を鎮めるためであったようで、北野天満宮が建立される以前から、この場所には元々、天神地祇を祀る地主社と火之御子社があったんだそうです。
天神地祇の神には雷神も入ります。火之御子社は雷避けに霊験があるそうです。道真の怨霊を鎮めるためにここに祀ったのは、もともとそうした場所だったためでしょう。
一方、太宰府天満宮ですが、太宰府天満宮の山の上に行くと、鬼門を守る「竈門神社」があります。この神社の祭神は「玉依姫(タマヨリヒメ)」です。
『ほつまつたゑ』によると、姫は白羽の矢が刺さって懐妊します。玉依姫の相手を、「白羽の矢」とごまかしているのです。
「白羽の矢」とは「ニニキネ」の霊魂だとか、秦氏の祖先神「オオヤマクイ」とも考えられます。が、はたまた自然神の「ウツロヰ」なのかもしれません。もしウツロヰだとすれば、玉依姫は自然神と交わったことになります。巫女だったのでしょうか?
また大宰府天満宮の山の上に九州最古の「天開稲荷社」もあります。この稲荷神は伏見稲荷から勧請されてきたそうです。ここでも伏見稲荷関連と結び付きます。
どうも太宰府天満宮の初めに祀られていた元神は、「ウツロヰ」という北東を守る神だったのではないでしょうか。天神に変えられる前の祭祀が山の上に残されているのだと思います。
ここまでが鬼門を祀る神が方位神だったことを書きました。
さて、ここからは秦氏のルーツと稲荷神との関わりについて、私の見解を述べてみたいと思います。
稲荷がなぜ怖いのか、稲荷がなぜ祟るのか。。。秦氏のルーツを辿れば、その秘密も解けるでしょう。
秦氏を語るなら、空海についても触れなければなりません。
東寺は私が高野山と同じくらい大好きな密教のお寺です。東寺と伏見稲荷の関わりも面白いですよ。
長くなりそうなので、次回に続きます。