今回は「心宿」です。

 

心宿さんには孤独の匂いがします。月夜の晩に一人星空を眺めている、その方が落ちつく。。。

 

こんな感じの心宿さん。でも本当の心中は、自分を分かってくれる人との本当の関係を築くこと。

 

だって、本当のあなたにはこんなに無邪気な一面があるのにね。それを素直に出せないからじゃないかな。その無邪気な一面を出せるのかどうかは、お相手次第。時間をかけてゆっくりと本当の自分を出していけたら楽になりますよ。

 

以前先生は、「心宿って面倒くさい性格なんだよ~。」と言っていました。一度自分の殻の中に入り込むと、なかなか意思疎通が出来ないからね、だとか・・・確かに!

 

 

心宿(しんしゅく)

 

~人間関係に疲れている孤独なキツネ~

 

常に明るく振舞っているが、本当は人間関係に疲れてしまう。人が大勢いるところには長時間居たくない。

 

サービス精神で無邪気に振舞っているのが本当は面倒くさい。常に人間関係に疲れている。人間関係に多くのエネルギーを費やす。

 

隠してはいるが、鬱傾向気味。ピエロ、道化師という表現がこの人にピッタリ。

 

心宿が無駄な気を遣うエネルギーを使わなくなれば、ラッキーがいっぱい転がり込んでくる。

 

自分が悪いとは思わない。素直に謝れない。非効率的なことは嫌い。

 

心宿にとって一番嫌なタイプは、良くわからない人。ごまかす人。正直でない人。

 

弱者に対しての思いやりがある。他人の感情に敏感だという点が美徳だと思っているが、正確に相手の心を分かっているがどうか怪しい。

 

相手の心の中を深読みするのが癖だが、なぜか人に騙されやすい。だから実際は他人の感情を読み取れていない。深読みし、考えし過ぎて的外れなことも多い。心宿との意思疎通はかなりの難儀。

 

心宿が黙っていることが長くなればなるほど、この人からの信頼は厚い証拠。なぜなら、心宿が気を遣わなくなると仏頂面になるから。また、心宿から経済管理や金銭を預かったら、それは信用されている証拠。

 

褒められても素直に喜べない。それは人の言葉を信じない人だから。慰めや励ましを受け取りづらい。

 

誉め言葉を言われるよりも、具体的な地位を与えてくれたり、お金をくれたりする方を信じる。また相手のちょっとしたしぐさや表情の方を信じる。だから面倒くさい性格。(心宿は男性よりも女性の方が面倒くさい)

 

弱点は、自分への自己評価がかなり低めなところ。自分が悪いからこうなった。。。から始まり、その証拠を集め出す。こうなると陰を引き寄せ、結構大変。

 

そして自分いじめから他へと原因を移すと、それがかなり深い怨恨となる可能性が強い。下記参照↓

 

ただのキツネが、仏教では「ダキニ天」に、神道では「金毛九尾(きんもうきゅうび)」に化ける可能性がある。この人の念にはすごいパワーが宿っている。自分が悪くなかったと思った瞬間、恨みや怒りが深くなり、その感情は長く続いてしまう。この人を怒らせると非常に怖い。

 

また、「むっつりスケベ」タイプが多い。スキンシップを大切にしていて、セックスが何より大事。触れ合いが無いと、相手の感情を考えずに触ってくる。でも本人は全く悪気はない。それがこの人の愛情表現だから。

 

本人はいたって単純な性格ので、手を握られてしまったり、優しい労りの言葉をかけられたりすると、コロっと騙される・・・故に色情にも注意。

 

 

二重丸心宿に縁がある神社

 

伏見稲荷神社を筆頭に、稲荷神社関連全て縁があります。

 

キツネ=稲荷信仰に関する神社、仏閣は数多いのですが、実は稲荷神を3つの系統に分けることが出来ます。

 

1:自然信仰の中から生まれた神(非人間)

一つ目は、古くからある「農耕の神」としての「稲成り神」系統。一般にみられる土着信仰。こちらは「食」の神としての要素を持ちます。

 

今は伊勢神宮外宮の「豊受大神」が食の神だとされてしまいましたが、実際に豊受大神という神は、元人間です。豊受神は稲荷神でもなければ食の神でもありません。人の道をお説きになられた東北のヒタカミという地方を治めていた偉い方です。

 

一つ目に挙げる自然信仰の中から生まれた稲荷神は、豊受大神のような人ではなく、食の種の神、食の元神です。

 

2:神道系統の神(人間)

二つ目は、伏見稲荷系統に代表されるように「神社系統」の稲荷神です。といっても祀る対象は神ではなく元は人間だったのです。

 

このあたり一帯は、縄文時代から農業に関する職業を担っていた一族「荷田(かだ)」という一族が関わる農業改革地。その場所に、悪いことをした今でいえば罪人の「キクツネ」という三兄弟を改心させた場所でもあります。

 

荷田の一族の長だった「カダマロ」という者が、罪人だった三兄弟を預かり、改心させました。

 

そして稲の苗や種を守らせたのでしょう。土も耕したのでしょう。こうして伏見稲荷は「食」としての種、元を守る神となっていますが、本当は「荷田」の一族が守っていた土着の神だったはずです。

(『ホツマツタヱ』による)

 

神道系の稲荷神は、空海とも大いに関係があります。

空海から朝廷に東寺の五重塔を建立したいが、木材を運ぶ労働力も資金も不足していた為、空海は朝廷に「東寺塔を造り奉る材木を曳き運ぶ勧進の表」を出し、願い出たのです。

 

多くの労働力を確保し、材料もざまざまなところから取り寄せたとは思うのですが、ついに事件が起こります。

 

朝廷から建立の命を受けた者たちが、伏見稲荷の背後にそびえ立つ稲荷山の木を伐採して材料としてしまったのです。

 

当時の淳和天皇はその直後から原因不明の病にかかり、なかなか治りません。ついに占い師により占わせたところ、天皇の病の原因は、稲荷山の木を伐採した稲荷神の祟りだと判明したのです。(やはり、祈り無くして木を切るのは怖い)

 

そこで天皇は稲荷山の神の祟りを鎮めるために伏見稲荷に勅使を遣わせ、「従五位下」の神階を与えられ、天皇の病は平癒したそうです。

 

今は土着の神も荷田の一族も深い謎になってしまっています。「秦氏」ともかなり深い繋がりがあります。

 

3:仏教の中から誕生した独特な眷属(改心した人間)

三つ目はかなり独特な発生をしています。稲荷神の眷属としてのキツネを仏教で「おいなりさん」として神格化して崇めました。

 

仏教に取り込まれたお話の前に、実はキツネは密教の神と関連が深いので、そちらからお話させて頂きます。

 

荼枳尼天(だきにてん)は古代インドの中に出て来る夜叉で、人の死期を6か月前から予知し、人肉を食らう女でしたが、後に改心して仏教に取り入れられた荼枳尼天。彼女には死期の近づいた者の心臓のみを食らうことだけを許されたのです。

 

荼枳尼天は、はじめ農耕を司る神でしたが、「インド後期密教」の、本来の密教から逸脱した教理に取り入れられ、性欲によって快楽を得て愛欲をむさぼり、ついに夜叉となってしまったのです。

 

ここから、仏教では有り余る欲は人間を堕落させるのだ、という教えになっています。

 

「インド後期密教」とは、簡単に表現すれば、主に「性秘儀」の儀式により悟りの境地に至る教理です。

 

空海や最澄の時代の密教はまだ、この「性秘儀」が入っていない時代の中期密教でした。

 

幸いにも日本で真言宗を開いた空海は、「性秘儀」をタブーとしていました。空海が若い女性経験のない密教修行僧に、修行中は女人禁制としていたのはこういう理由なのです。

 

まだまだ当時の密教界では、本来の「性」に対する正しい理解がされていなかったのです。

 

(後に日本でも鎌倉時代に「彼の法」、南北朝時代に「真言立川流」という流派が生まれ、真言宗の一派が本家の真言宗と対立し、性秘儀を行っていたようです。しかし江戸時代に立川流は邪教として弾圧されました。)

 

さて、仏教の中になぜこのインド後期密教の「性」の教理が入り込んだのか、です。

 

後退しかかっていたインド仏教界は後期密教に目を付け、ヒンドゥー教シャクティ派の「性的ヨーガ」を取り入れ、性秘儀を使い、特にヒンドゥー教で差別されている底辺の人々の間で流行りました。

 

釈尊の教えさえも都合よく性欲に取り込んで「秘密集会タントラ」と呼ばれる経典を作りあげたのです。

 

一方の日本では、荼枳尼天が乗るのは霊狐(白狐)を稲荷神の使いのキツネだと位置づけ、稲荷神と同一に扱うようになりました。そこから、開運・商売繁盛・出世・財運をもたらす民衆に近い神として人気を集め、瞬く間に日本中に広がって行きました。

 

しかし、元々キツネは格の高い神の使いの霊獣だった上に、荼枳尼天と結びついたことで、恐ろしい存在イメージが出来上がったのです。キツネを怒らせるとキツネに取り憑かれるという噂が広まり、その噂に乗じて数々の残忍な事件も引き起った時代もあったようです。

 

それから、その祟りを鎮めるために各地の神社に稲荷神社を祀ったようです。

 

本来ならば、『ホツマツタヱ』に出てくるような「キクツネ」のように、始めは悪いことをした人や、荼枳尼天という女性のような人肉を食らう夜叉であっても、正しい道へ指導する者がそばにいたら、きっと神の眷属として働く、悟りを求める人となれるのでしょう。

 

そういう意味では、2番にあげた伏見稲荷を代表とする稲荷神は、食を守る本来の仕事と共に、道を逸れた人に、正しき道を歩ませる指導神のような立場なのかなと思います。

 

人が悟りを求めるためには、キツネを仏教的な教理に入れるのもありだな、と思うのですが、私にはこの3つ目の仏教的な眷属神は苦手です。

 

この前も、愛知県豊川にある豊川稲荷に行こうと、意を決してお参りをしようと向かおうとしていた途中、足を強く捻挫してしまい、歩けなくなり、寄らずにそのまま車で帰宅しました。

 

これもここに立ち寄ることはやめなさいと、私を守護する方からの警告だったのか、自分自身が行きたくないからそれが起きたのか、とりあえずは行けなくなったのは事実です。

 

だからそれ以来、気張って意を決して、というのは止めました。それぞれには、縁を繋がない方が良い場所もあるのだなあと。。。人により違うと思いますが、動物や想像上の生き物を眷属としているところや、龍神系などの独特な波長の場所には要注意だと思います。しっかりと修行をした方でないと危険なのかも知れません。

 

というわけで、改めて私がお勧めする心宿に縁がある神社をお伝えします。私もお参りに行った場所で、とてもお勧めです!

 

 

五幸稲荷神社

京都府京丹後市峰山町千歳622−4

祭神:稲荷神・宇迦之御魂神(ウカノミタマ)

 

日本中に五幸稲荷神社は数々あり、何か所か行きましたが、ここは特別に気が清浄でした。稲荷神という食の元神です。ここは伏見稲荷神社よりも古いのです。

 

この稲荷神は、人の念は吸収しない独特なパワーがあるように感じました。人も自然界に生きる者の一部。人以外の見えない自然界の中にある食分野を担当する神様です。私的には、この神様は食の種ではないかと思います。

 

以上、心宿さんの説明とご縁がある神社の紹介でした。

今まで二十七宿の半分を超えて、ご縁のある神社を紹介して来ましたが、『ホツマツタヱ』関連の神社もあれば、そうでない神社もありました。

 

テーマに『ホツマツタヱ』関連の神社としていましたが、どうも当てはまらない場所もあり、『ホツマツタヱ』に限定することは無いのでは?と気が付きました。

 

ですので、今後は二十七宿にご縁がある祈りの場として、これから紹介して行こうと思います。

 

ペースはゆっくりですが、丁寧に詳しく宿の説明と、その宿に関わる歴史や事柄について、マイペースに書いていこうと思って続けていますので、参考にして頂ければ本望です。