今回は亢宿(こうしゅく)について書きます。

 

亢宿とはズバリ「龍」です。当然、姿が無い想像上の生き物です。

 

来年は「辰年」ですね。まさに来年は「龍」の年です。

 

龍の姿は見たことがないのに、なぜか世界中の龍はほぼ同じ姿形で描かれていますね。

 

とはいってもすこしだけの違いはありますが。。。西洋風と言われている「竜」は、翼があって恐竜のように二本足で立つもの。東洋風は、私たちがなじみのあるあの長い髭があり、長い胴体を持ち、たて髪が立派で、空中を飛ぶもの。

 

でも基本的には似ています。なぜみんな似ている姿形をしているのでしょうか。

 

諸説ありますが、私は人間が地上に降り立つ前に地球創成に関わった生き物だと考えています。

 

地球を創成する段階で、宇宙から降ろされた産む力を持った生き物だったと思うのです。だから人間たちはこの龍のパワーを神格化して、畏れ崇めていたのかもしれません。

 

つまり最も神に近い、そして最も人間と相反する位置にいたのではないかと思うのは私だけでしょうか。

 

初めはただただ地球を創成する宇宙神の意思を受けて淡々と仕事をしていたのが、龍を呼べるような修行をした行者や宗教家などの先達者に入り、体を共にしながら人間界の政治や欲にまみれた宗教界などを整理していったために、より人間に近い存在になったのではないかと。

 

人間と一緒に働いていたので、その姿形を具現化した絵画や瞑想により見えた姿が、今残されている世界中の龍神ではないかと思うのです。

 

ところで龍の爪は三本爪のと五本爪のがいるそうですね。それにより格が違うとか。。。

 

なんでも五本爪は中華人民共和国で明や清時代において、五本爪の龍を使ってよいのは、中国皇帝だけだったとか。五本が一番格が高いそうです。

 

なので周辺の国は三本から四本が多いんだとか。でもこれも大陸主体の都合の良い伝説ではないかなぁと感じますが。

 

また龍の爪の形は鷹の爪に似ているんだとか。鷹の爪は前三本、後ろ一本で計四本です。

 

ちなみに鷹と鷲の違い、分かりますか?

 

日本では神の御遣いや化身に鷹が位置づけられます。私的感覚では、神の化身として日本では鷹が、西洋では鷲が多いように感じます。

 

戦国の世を終わらせた家康は鷹が大好きだったようですね。鷹には王者の風格があり、その姿は国を統一する者の姿と重なっているからだそうです。

 

さて、鷹と鷲の違いの答えです

 

鷹と鷲の違いは、単に体の大きさだけだそうですよ。鷲の方が大きいそうです。本来はタカ目のタカ科として同じなんだそうです。

 

さて、龍に話を戻しましょう。

 

龍という生き物には、それぞれ分類法があるようです。

 

 

1:四正方位の一つにいるとされる「四神信仰」による分類

 

日本では奈良時代~平安時代に寺院を開くときに利用されました。

有名な話には安倍晴明が使いこなしていたとか、空海は青龍を使者として持っていたとか言われています。

 

東に青龍(せいりゅう)

南に朱雀(すざく)

西に白虎(びゃっこ)

北に玄武(げんぶ)

 

東にいるのが龍神です。

 

この四方位の中で龍だけが架空の生き物なのです。

 

 

2:五行思想による分類

 

万物は五つの要素(火・水・木・金・土)から成り立ったという説に基づく分類です。

 

中心に金龍(または黄龍)・・・暦での土用を象徴とし、大地を操り、食や豊穣を導く。

東に青龍・・・春を象徴とし、樹木や風などの春の季節を導く。

南に赤龍・・・夏を象徴とし、人や場に生きる活力とエネルギーアップを導く。

西に白龍・・・秋を象徴とし、鉱山や金属になぞられる龍。経済や生活の豊かさを導く。

北に黒龍・・・冬を象徴とし、一年の不浄な空気の流れを浄化し、すべての循環を円滑に導く。

 

 

3:それ以外の龍たち

 

絵画や寺院や神社などの木に彫られた龍たちの姿から、それぞれの役割分担が見えてきます。

 

昇龍は、縁起の良い姿をして、運気を上げてくれます。

降龍は、決しておごり高ぶらないように、結果が出ないときでもひたすら努力することを教えてくれています。時が来れば昇竜となることを伝えてくれています。

 

また、一説には降龍は「降臨」を表し、運気が下がるという意味ではないそうです。意のままに様々な願いを叶えるという意味だそうですよ。

 

昇竜と降龍は別の龍ではなく、その姿は一対となっているものが多いのです。これは輪廻転生を表し、天へ還り、天から地へと降りて来る人間界と同じ様を表しているのでしょうか。

 

飛龍:霊力で空を飛ぶことが出来る龍神です。天の神仏に伝言をする役目だとか。

 

雲龍や雷龍:雲を次々と湧き起こし、時には雷も引き起こす龍神。天候を一変させる力があります。大地の陰陽が偏った場所に雷を落とし、陰陽の電子バランスを保つ役割もあります。

 

水龍や雨龍:雨乞いに使われたことがある、雨の恵みをくださる龍神です。

 

時には大雨を降らし、水害をもたらすことも。

 

私は水害による災害は人間たちへの警告だと言われています。

 

土砂災害や大雨による水害は、山に生えている木や土や岩を削ったために、龍脈が傷つけられ、むき出しになったため、龍神の怒りだと昔から言われています。水を抑えるためには大きな塊の土行(どぎょう)が必要です。それが「山」なのです。

 

火龍:雷の中に入り、いらない物質的な欲望を焼き尽くします。時にはホコリの中に着火点があると、そこに電気を起こし、火で焼き尽くす場合もあります。火は水より軽く、気体です。ここから火はすべての最強の厄払いとされてきました。

 

しかし火龍は怖い龍ではありません。

 

イサナミ神の恨みの念が国土を焼き払い、その後に様々な自然が生まれています。野焼きによる農法もこの考え方から誕生したのです。

 

そこから火龍のパワーは、「再生」とか「生まれ変わり」とか「大逆転」という性質を持つ龍だと言われています。

 

光龍:見える人にしか見えないとも言われている龍です。太陽や月、星以外の光にも存在していると言われます。木々の中、土の中、岩の中にも光龍がいるそうです。この龍の大嫌いなものは「この世の欲望」だそうです。

 

ですから、自慢気に手のひらを見せて「光がでるのよ」とか、写真を撮って太陽に向き合って景色を写すと、必ず翠や赤、紫などの七色の光が写り込むと、この場に特殊なパワーがあることを自慢するような人間には決して見えない光だそうです。

 

余談ですが、太陽に向かって(逆光)写真を写すと、誰でも不思議な光が写り込みます。これは科学的に証明されている現象なのです。(ゴーストフレアと言われている)

ですからこれを神秘的な写真だと紹介する人には光龍が一番嫌いな行為のようです。

 

というわけで、龍の話は実に面白いです。でもハマり過ぎると、人間界からかけ離れ過ぎてしまうので、人間嫌いになるようですよ。私は龍という扱いは少し怖いものだなあと思います。

 

ではいよいよ「亢宿」の性格に入っていきますね。

 

 

亢宿(こうしゅく)

 

 

~夢を語るセンスの良いドラゴン(龍)~

 

亢宿は二十七宿の中で、随一の大物が飛び出す宿だと言われている。

 

スケールが大きなことを平気でやってのけ、それでいてとても庶民的。

 

この宿が運気に乗れば向かうところ敵なし。勢いに乗ったら止まらず。

 

しかし、その勢いが長く続くことは、「賢い」亢宿だけしかできないと言われている。(すべての亢宿が運気に乗れるとは限らない)

 

なぜかと言えば、おごり高ぶりが出て、無茶なことを仕掛けてしまうから。自分だけの力で成し得たと内心思ってしまう癖がある。

 

亢宿の最大の特徴は、「一人では何も成し得ない」という宿命を受けて生まれている。

【龍は単独では動けない】という意味から来ている。

 

龍は必ず「雲」を従えている。雲が無いところに龍は生きられず。この雲が亢宿の功績だという意味を知ること。

 

大きな夢を抱くのが癖。何かを成し遂げたい、本質を知りたいと思う。しかし具体的なことに手を出すと途中で挫折する。

 

行動は素早いが、それを成し遂げるためには支援者が必要。支援者を「雲」と例えると、雲を呼ぶのが本来の仕事。雨を降らせるのは龍ではなく雲だということを知ること。

 

プライドが高く、増上慢になりがちなので気を付けること。

 

もしもあなたの周囲から人が離れていくとしたら、理想に陰りが出始めた時。パターンが出来てしまったらつまらなくなるので、やる気が起きなくなり、次第に人は離れていく。

 

亢宿は夢や志を示す役目なので、具体的な進め方や手法は周囲に任せること。

 

夢の実現には、周囲の協力が絶対条件だが、大勢の中のグループの一員として働くのは亢宿の最も苦手とするところ。人間関係に窮屈さを感じるから。

 

単独で独立している状態で、周囲の人たちと歩調を合わせる方が良い。つまり、会社や団体に所属したりしない方がストレスが溜まらない。

 

 

以上が亢宿の性質です。

 

さて・・・余談ですが・・・

 

亢宿にとっての最大の協力者である雲はどうして出来るのでしょうか。

 

雲の中は水や氷の小さな粒が集まって出来たものです。

雲は空気の中にある目には見えない水蒸気が冷えて集まった集合体なのです。雲の正体は水や氷の粒なのです。曇って冷たいのです。

 

氷を入れた水をコップに移すと、冷えたコップの周りに空気中の水蒸気が水になって水滴として目に見えるようになりますね。この水滴は実は空気の中にもともとあったのですが、冷やされたことで水蒸気として水になったのです。

 

空気は水と同じように、気温が高い方から気温が低い方へ流れる性質があります。空気は地上の方が高く、上空に行くと気温が下がっていきます。

 

気温が高いと空気中に含まれる水蒸気の割合が高く、逆に気温が低いと空気中に含まれる水蒸気の割合は低くなります。

 

こうして地上の温められた空気の方が高いため、空気は低い上方へと昇っていきます。

 

空気が上に登っていくと、上の方の気圧は低くなり、上昇すればするほど空気は膨張して温度が下がります。

(気圧とは隣同士の空気がおしくらまんじゅうをする状態です。)

 

高く上がれば上がるほど気圧が低くなるので、周囲から押される圧力は、空気が膨張しているので弱くなっていきます。

 

だから膨らんだ空気が上に行くと、雲が出来るというわけです。

 

この上昇した空気の流れのことを「上昇気流」といいます。

 

温度が下がることによって、空気中に存在していたが見えなかった水蒸気が、空気の上昇にともなって、空気中の「ちり」などの周りに集まり、水滴や氷の結晶となって冷えた上空に現れます。

 

これが雲なのです。

 

こうして出来た雲でさえ、一人で出来たのではないのです。上昇気流が起きて、空気中の「ちり」などの集合体がいてはじめて雲が出来るのです。

 

その雲を従えてこそ龍の力が発揮されるのです。

 

そういう意味で言えば、亢宿は大きな役割を背負って生まれて来た人だと言えます。

 

なぜなら自然界を動かすことをしなくてはならないからです。「上昇気流」を起こさなければならないし、そのために空気を上手く動かさなければならないのですから。

 

ですから亢宿がこじんまりとした人生を歩んだり、常識的に周囲に合わせて生きるのは、とてもとても窮屈なのです。小さな雲では自分が身動きが取れないのです。

 

かといって大きな雲を従えても、人が見てくれるのは「雲」であって「龍」は見えない。

 

そう。。。やはりそこは「龍」という想像上の生き物。実態が無い、捉えどころがないのです。

 

自分でも自分が分からない。自分の能力が分からない。でもスケールの大きなことをしたいし知りたいのです。

 

そういう特徴を持っているが故に、人生の中で「自分とは?」「神とは?」「宇宙とは?」「自然の気とは?」と常に普通じゃないことを考えているのです。

 

 

亢宿のお子さんが生まれたら、まず好きなことをやらせてあげてください。

 

その上で、幼少の頃までに上手く出来たら褒めるのと同時に、「上手く出来たね。よく頑張ったね。先生も友達もみんな応援してくれたからだね。」というように、【周囲のお陰で成功したんだよ】というように周囲の協力やサポートの存在を伝えてあげて欲しいのです。

 

幼少期から十分な教育を受けることが可能な宿なのですが、周囲のお陰だということを伝えずに大人になった場合、地位や尊敬を得る仕事に引っ張られ、そのまま自分のやりたかったことが出来ずに年を取ります。

 

このように、周囲のおだてに乗って道を見誤ると厳しい現実が待っています。

 

その仕事は本当のあなたのやりたかったことですか?

本来の夢や希望を思い出してください。

 

あなたは龍なのです。一心に思い続け、どんなに時が過ぎようと、その思いと努力は必ず実ります。そういう徳分がある宿なのです。

 

龍は一人では動けないと書きました。単独での生き方は龍ではなく、地を這う「蛇」の得意分野です。

 

旧約聖書で人間界で初めの女性のイブをそそのかした蛇は、地上の世界を一生這う罪を背負わされたと言います。

 

個人的には、聖書の中でたびたび出て来る「罪」という意識を植え付けさせる内容の部分は非常に否定的に捉えていますが、この蛇のお話に限っては、人間の欲望に対しての注意喚起を促していると思います。

 

 

龍は蛇とは違います。その一番の違いは「翼」があることです。空中を自由自在に動けるのです。

 

でも龍一人では何も変化しません。それどころか、一人芝居のような動きなのです。

 

何度も言いますが、龍は「雲」があってこそ動けます。雲は風をも従えています。風も龍にとって必要な仲間なのです。

 

なお、亢宿の運気上昇は中年期までと言われています。晩年期は急速に収束していく傾向にありますから、遅くとも中年期までには人生設計を立てましょう。

 

 

神社亢宿に縁がある神社

 

龍田大社

奈良県生駒郡三郷町立野南1丁目29-1

祭神:天御柱命・国御柱命

 

龍田神社

奈良県生駒郡斑鳩町龍田1-5-6

祭神:龍田比古神・龍田比女神

 

どちらもそれぞれ違う名前の二柱を主祭神としていますが、実際の祀られている神は「シナトベの神」つまり気流を司る風に神が主祭神だと思います。

 

『ホツマツタヱ』によれば、「シナトベの神」は「ヤマサ神」(衣食住を守る八神)の中の「風」を起こす担当です。

 

「龍田」の「龍」は特別な神だそうで、「龍」の三本線は、カタカナの「テ」と書くようです。これには理由があるようです。(龍田大社のHPの右上バナー参照)

 

トホカミ情報によると、

「風神」「龍田大社」日付が墨書きされ、真ん中に神社印が重ねられています。「龍」の漢字の三本線が「テ」と書かれているのは「龍」の字を「タツ」と読むため。毎月1日は御神紋の楓印を押していただけます。

 

とありました。なるほど~。ここは普通の自然神ではありませんね。

 

さて、主祭神の天御柱命と国御柱命と名前は日本神話では志那都比古神(しなつひこ)と志那都比売神(しなつひめ)という男女の神だと書かれています。

 

『ホツマツタヱ』をみれば両者とも「シナトベの神」として登場します。つまり風の神です。

 

この神は穢れを吹き払う力があり、清らかな空気でいっぱいにする清らかさを呼ぶ神のようです。「シナトの風」という言葉が『ホツマツタヱ』に出て来ます。

 

更に、「龍田山」の地主神として「龍田の神」として摂社で祀られています。

 

崇神天皇の夢に「龍田山に神を祀れ」と出て来たそうです。

 

「龍田神」で忘れてはいけない神が「タツタヒメ」または「タツタメ」の存在です。この神は「水」に関する力を持ちます。波を鎮め、火を消す力を持つ神です。大波を鎮めたり、山火事や噴火の火の大災害を鎮める神なのです。

 

この摂社の地主神「龍田の神」は、一言で言えば「タツ」としての自然界を操るすべての力を持つ神です。ですからここの地主神はとても大切な場所ではないでしょうか。自然界を操るすべての顕現神だと思います。

 

私は大小にかかわらずどんな神社にお参りするときでも、まず初めに「地主神」を探してご挨拶申し上げます。それはこの場所を司る一番の土台の神様だからです。

 

祭神はその時代の為政者により変えられてしまいますが、地主神だけは変わりません。その時代の憂き目を一番知っていらっしゃる神様だからです。

 

最近、突風や竜巻が各地で起こりますが、起こることに理由があるのかもしれません。吹き払うことが必要な場所に起こっているのかも知れません。

 

大雨は異常気象に伴い、河川の氾濫、土石流を起こして居住地を破壊して行きます。疫病はコロナとしてまだまだ流行っています。こういう現代の状態は龍田山の夢をみた崇神天皇の時代そのままです。

 

崇神の時代も同じように天変地異が頻繁に起こり、疫病が流行り、民の半分が死んだそうです。

 

今、私たちは考え方を変えなければならない時に来ているように思います。

 

人間だけがこの地球に生きているのではないという認識を持つことです。崇神から景行天皇までの時代の悲劇を繰り返さないために、地球に必要な人でありたいと思います。

 

住む場所も考えなければいけません。山を削り、儲けるために自然破壊を繰り返し、必要のない道路や鉄道を作り過ぎたのです。

 

汚染されるような原材料を使って河川を汚し、化学調味料ぷんぷんの料理を毎日気にせず食べています。それらの不自然な物質はやがて脳内の考え方を堕落させ、安易な方へと導いて行きます。

 

「便利」や「安易」は決して地球に良い事ばかりではありません。

 

人を堕落させるものだということを知ったならば、自分だけはそのような近道を通らず、上手い話しにも乗らず、おさな心のような純粋な心で周囲に感謝して過ごしたいと思いませんか。

 

また、特に亢宿さんにも言えることですが、大勢の人がそうするからそれが正しいんだと、集団真理に従うことが正義だとは思いません。個性はとても貴重なものです。

 

一人だけ違う考えがあっても良いと思います。一人だけだと思っていても、それを続ける内に必ず一人ではなく、同じ考えを実行している人が数人いることに気が付きます。

 

頑張れ!亢宿さん!!