こんにちは。
「たかのは占い」の持つ魅力を少しでもお伝え出来ればと思い、少しずつですが宿(星)別に性格を書いています。
実は密教占星術を用いた「たかのは占い」の面白さや凄さ、魅力は個別の性格だけではありません。
過去の自分に起きた出来事と、占う人の密教占星術盤(密教盤)と照らし合わせてみると、なぜそれが起きたのか、隠された原因がわかるのです。
過去の出来事が分かれば何が良いかというと、その方の欠点や課題が浮き彫りになるということです。
つまり「今世のテーマ」が見えるのです。
テーマは一人の密教盤からもわかりますが、起きた過去の出来事に関わった相手の生年月日が分かれば、その人とのテーマも分かります。
また、もしその出来事に似たことが過去に起きていたとします。例えば離婚を繰り返したとか、入った職場の業績が悪化して行き、辞めてまた他に入って同じようなことが起き始めているとか。。。
同じような内容を繰り返している事柄がある場合、原因を知らなければ未来にまたそれは起きます。
繰り返す嫌な事柄は誰にでもあります。それは自分が気が付いて解決するまで起きます。
空海の密教の教えでは、こういう過去の出来事は「深い意味があって起きるのだ」と言われています。つまり「意味も無く起きていることは何もない」というのです。
その意味を知ることが、人として生まれて来た意義なのだというのです。
苦しみとは実は生きているというライブ感の喜びなのです。人は苦しい時にこそ大きな学びをしているのです。
ただ、苦しみの最中にそういう「理想論」を押し付けられても行動はおろか、意識さえも変えられません。人の言葉すら入って来ないのが現実ですよね。
そういう時にこそ「たかのは占い」の魅力を知ってもらいたいと思います。
空海は言います。
答えが欲しい時にこそ「星からの声を聞くのだ」と。
密教盤を開けば、もう空海が星と繋げてくれるはずです。自然にあなたの脳内に星からの導きが入って来ていて、それはある時、本当に自然に「修正の機会」を与えてくれます。
その修正の波に乗ると、滞っていたことが嘘のように消えていきます。
そして気が付いた時には、(ああ、占って知った内容はこのことだったのか)と後から合点がいくはずです。
しかし、事柄を見るのはどうしても盤を動かさなければないりません。
ですから修正する方法は文章では書けないのです。
でも少しは「たかのは占い」の魅力をお伝え出来るように、これからも一つずつの星を紹介して行こうと思います。
空海の密教学はとても辛口です。言いにくい性格もハッキリ書かれています。だからこそ、今までの占いでは分からなかった本当の自分の内面が分かります。(本質というのかもしれません)
弱点も長所も知った上で、人生に役立てて頂けたら本望です。
弱点を知ると、わざと負けることが出来ます。引っ込む必要のある人やそういう時に使えば、相手は勝ったと喜びます。そうして人間関係を円滑にさせるのも空海の密教学の凄さです。
「己を知るものに敵はいない。敵は己を知らぬ本人。」
前置きが長くなりました。
今回は「角宿」についてですが・・・正午までの生まれと、午後の生まれでは、運勢にも性質にも大きな違いがあります。
それぞれに書いてありますので、角宿の人は生まれた時間を確認してください。
一方、正午より前の生まれた角宿の人は消極的でコツコツタイプ。
午後に生まれた角宿の人は積極的で気難しい。野生的。自分を持っている。
という風に性格が異なります。
角宿(かくしゅく)
正午(昼12時)より前に生まれた角宿
~深海に隠れ住む奥手のミズチ(水中の竜)・・・ウロコはないのでサンショウウオのような生き物~
正午より前に生まれた角宿は「ミズチ」として表され、性格は積極性に欠け、目立たないタイプ。
目立つことが好きではない。目立たないことが利点でもあり。
コツコツタイプで奥手。婚期を逃しやすいのでお見合いでも紹介でも良いので、縁を求める時には紹介を利用すべし。
コツコツと一つの事に取り組むのが向いている。
海外に縁があるが旅先でのアクシデントに遭遇しやすいため、海外に行く時には御守りを持参すると良い。船旅には注意。水の事故にも注意。
神仏の加護が厚いため、日々の祈りを忘れずにしておくと、次々とラッキーなことが舞い込む生まれ。
正午(昼12時)より前に生まれた角宿の開運方法
高望みしない。大きなことをやらない。目立たないというのが一番の特徴なので、頑張り過ぎると心と体のバランスが崩れるので無理しない。キャパを超えないで自分のペースを掴むことが、正午より前に生まれた角宿にとっては守り堅めになる。
とことん困ったら、神仏に祈ると良い。普段から祈っていないのに、困ったときだけ神頼みは聞いてもらえない。
毎日、食べる前、寝る前に祈ること。
また、水回りを常にきれいにしておくことがこの宿の午前中生まれの開運の秘訣。トイレ、台所、風呂場が常に清潔であること。そこに感謝の祈りが入れば最強の開運となる。
角宿(かくしゅく)
正午(昼12時)より以降に生まれた角宿
~オタク的な知識が深い気難しいワニ(又はサンショウウオ)~
専門的な分野の知識が深い。多趣味だが、興味があること以外は知識が浅い。(一般常識に疎い)
二つ以上のことがやってくると、すべてに気配りが出来ない。要は一つのことにしか集中出来ないタイプ。
縄張り意識が強い。縄張りや仕事の領域に入り込むことを嫌がる。そういう点では気難しい人物だと捉えられる。
交友関係は限られる。人物で好き嫌いがハッキリしている。人との付き合いにおいて妥協が少ない。
面白い話題を提供する。大きなことにもチャレンジする。野生児。やることが野性味あふれている。
器用なので技術者向き。その道のスペシャリストになれるが長続きしない可能性が高い。
結婚に理想の形を持っていて、妥協出来ない性格なので結婚は晩婚になりがち。もしくは結婚することに興味がない人も多い。
好きになればその人だけを見て一途に想うタイプなので、相手の一度の裏切りも許せない。
仕事とプライベートの切り替えがハッキリとしている。自分の信念を決して曲げない。
正午(昼12時)より以降に生まれた角宿の開運方法
まず仕事では、自分の仕事に口出しされるのをとても嫌がる。たとえ親族からの助言でも。こういう態度ではせっかくの能力があっても上からは使いずらい人物と認識されてしまう。
そのため、できるだけ一人で完結するような、全てを任されるような仕事の方がストレスがなく出来る。
また、技術を身に付けたら独立する方が良い。大きな組織内で一生働くのは性に合わない。
子煩悩なので、結婚すれば上手く子育てをするが、その前に結婚に対して妥協点が少ない。理想が高すぎるので、もう少しハードルを下げること。
角宿に縁がある神社
貴船神社
京都市左京区鞍馬貴船町180
本宮祭神:高龗神(たかおかみのかみ)
結社(ゆいのやしろ)祭神:磐長姫命(いわながひめのみこと)・・・(コノハナサクヤ姫の姉君)
奥宮祭神:高龗神(たかおかみのかみ)。船玉神(ふなだまのかみ)としての信仰も篤い。一説には闇龗神(くらおかみのかみ)、 玉依姫命(たまよりひめのみこと)も祀られていると伝わる。
公式サイトによる由緒↓
貴船神社の起源については、貴船大神が御鎮座することになった伝説が社記に残されています。
「国家安穏 万民守護のため 太古 丑の年の丑の月の丑の日に、天上より貴船山中中腹 鏡岩に天降れり」とあり、現在丑の日が縁日とされている所以でもあります。
また別の伝説には、約一六〇〇年前に初代神武天皇の皇母である玉依姫命が「吾は皇母玉依姫なり。恒に雨風を司り以て國を潤し土を養う。
また黎民(れいみん)の諸願には福運を蒙(こうむ)らしむ。よって吾が船の止まる処に祠(ほこら)を造るべし」と宣り給い、現在の大阪湾から船に乗り、淀川、鴨川、貴船川を遡り、水源の地として現在の奥宮に至りました。
清水の湧き出る霊境吹井(れいきょうふきい)を見つけた玉依姫がここにひとつの祠を建てたのが、貴船神社の起源と伝えられています。
さて、ここからなぜ角宿の人には貴船神社にご縁を持ってもらいたいのか、についてお話しましょう。
今回も『ほつまつたゑ』による裏読みです。
貴船神社は、安倍晴明が大切にしていた京都の水ラインで重要な場所です。
水の神として高龗神(たかおかみのかみ)を祀るのは合点がいきますよね。まあ、これは角宿にとっても一番の御利益を頂ける神社に選んだ理由なのですが・・・
実はもう一つ、角宿の人にここ貴船神社を選んだ理由が存在します。
貴船神社の奥宮の祭神に「玉依姫」がいますが、なぜ神武天皇の母「玉依姫」の名しか出て来ないのでしょうか。
ここから『ほつまつたゑ』による裏読みです。
(手書きで汚くてすみません。)
神武天皇が誕生する前の簡単な系図です。
※豊玉姫の名前の上に書いてある「妹」は「姉」の間違いです。訂正します。
これを見れば、※結社になぜ磐長姫命(いわながひめのみこと)が祀られているのかもわかります。(このブログの最後に説明しています)
玉依姫はタケヒト(神武天皇)の母なのは系図からわかりますね。
では神武天皇の父、つまり玉依姫の夫、「ウガヤフキアワセズ」の両親が貴船神社に大きく関わっていたことを説明します。
ウガヤフキアワセズの父は「ホヲデミ」(またの名を「ヒコホヲデミ」または「ウツキネ」ともいう)さんです。
ホヲデミの母親はコノハナサクヤ姫(略してサクヤ姫)で、ニニキネ(記紀ではニニギ)の内宮です。系図のように、サクヤ姫とニニキネとの間に三人の三つ子皇子が授かりました。
ホヲデミは三番目に生まれました。日本昔話では「山幸彦」として出て来ます。
さて、ここからが重要です。ホヲデミの内宮は「豊玉姫(トヨタマヒメ)」という方です。
この豊玉姫には弟がいます。「カモタケスミ」(または、「タケスミ」)と言います。(妹もいます。乙玉(ヲトタマ)姫と言います。この乙玉姫が現在の貴船神社祭神の玉依姫にすり替わってしまったのだと推測しています。なぜなら、この時に玉依姫はまだ生まれていませんから。)
『ほつまつたゑ』によれば、豊玉姫、カモタケスミの実家が現在の貴船神社なのです。
ですから貴船神社の主祭神は豊玉姫で、カモタケスミも出てこなくてはならない神なはず。
ホヲデミはとてもとても悩んでいました。それは内宮・豊玉姫とのことです。
ホヲデミの一目惚れから始まった豊玉姫への恋愛は無事に実を結び、ウガヤフキアワセズを授かります。
しかし、臨月中に船で夫を追いかけた際、海が大しけになり、嵐の中、豊玉姫の乗った船は沈没。
姫は濡れている重くなった衣服を全て脱ぎ、全裸になりながらも岸までなんとか泳ぎ、岸にたどり着きました。つまりお腹の子(ウガヤフキアワセズ)の命を母として何とか守ったのです。
別のワニ舟に乗り換え、何とか北の津(気比神宮)に着きました。間もなく産気付き、屋根を作る間もなく、衝立だけを立て、無事に皇子・ウガヤフキアワセズを生みました。
この知らせを聞いた夫・ホヲデミは、妻と子の命が心配で、すぐに駆け付けました。
見てはいけないと使者から堅く言われていたのに、あまりの心配に木の衝立の間から姫のお産後の姿を見てしまったのです。
その姿は全裸でした。嵐の中、水にぬれて重くなった着物を全て脱ぎ捨て、果敢に泳ぎ行った後のお産でした。
しかも、お腹の子を寒さから守りながら出産したので、うつ伏せになった状態で、まるで爬虫類のお産のように生んだのだそうです。
姫は、うつ伏せ状態で我が子をお腹の下に入れて温めながら休んでいたのでしょう。全裸の姿を見られたというのは、当時の女性にとっては死にも値するほど屈辱的な恥だったそうです。
悲鳴をあげた姫に夫はその場から立ち去るしかなかったようです。
生んだばかりの皇子と別れを告げ、皇子を御付きに預けると、数人の共を連れて実家(貴船)に帰ってしまいました。
あれから何度も何度も夫・ホヲデミは豊玉姫に戻って来て欲しいと頼んだのですが、姫の心は開かれませんでした。
こうして長年の別居生活が始まったのです。
さて、ホヲデミには側室がいました。「イソヨリ姫」(コモリの娘)です。(内宮は豊玉姫)
ホヲデミはイソヨリ姫に豊玉姫への使いを何度も頼みました。女同士のほうが分かり合えると思ったのかもしれませんね。
イソヨリ姫が豊玉姫に会いに行く度、弟・カモタケスミに許可を取るのでしょうか。
そうこうしている内に、この二人の心には恋愛感情が生まれたのでしょうか・・・想像ですが・・・
それともホヲデミのイソヨリ姫への感謝の心なのでしょうか。
豊玉姫とよりを戻したい一心で、側室のイソヨリ姫を頼ったホヲデミの感謝だったのかもしれません。
ホヲデミはイソヨリ姫と離縁し、豊玉姫の兄・カモタケスミとの婚姻を薦めました。
カモタケスミとイソヨリ姫との間に生まれたのが玉依姫です。
そして、豊玉姫が嵐の海の中を泳ぎ切って救った我が子・ウガヤフキアワセズと玉依姫が結ばれました。
こうして生まれたのが「タケヒト」、つまり「神武天皇」です。
『ほつまつたゑ』は系図がややこしくて、その上専門的な用語が多く、神さまの名も長ったらしくてわかりにくいですよね。
まあ、あまり系譜や歴史的な背景まで、深く専門的に学ぶ必要はないと思います。
今回、角宿には貴船神社一点のみを推薦させて頂いた理由、ややこしい説明はこのくらいにして、一番に言いたいのは「心配や思いやり」です。
それも特に「夫婦の結び」において。
本当の夫婦の結びとは何なのか。この点に「貴船神社」の御利益があると思います。
相手を心配や思いやりが過ぎて、豊玉姫とホヲデミは何十年間も離れ離れになっていました。(ニニキネが晩年に姫を諭しましたが生前にはかなわず、ニニキネが神上がってからようやく二人はまた一緒になったので、そうとう長い間、別れていたのだと推測できます。)
ホヲデミは妻のことを愛し過ぎていたため、心配でお産を覗いてしまいました。
豊玉姫は、始めは恥ずべき姿を見られたことから戻れなくなったようですが、その後は思い遣りが邪魔して、自分より妹の方が内宮にふさわしいとか思ってしまったのです。(自らの妹・ヲト玉姫をホヲデミに推薦した)
しかし、ここでニニキネが大活躍します。
サクヤ姫とニニキネ、この二人にも別居生活をした過去がありました。
ニニキネがサクヤ姫のお腹の子は自分の種じゃないと疑ったのです。このトラップを仕掛けたのはサクヤ姫の姉・磐長姫命(イワナガ姫)と母親だそうです。
一度疑われた女心はかたくなです。こうしてサクヤ姫は三人の皇子(ホノアカリ・ホノススミ・ホヲデミ)を富士山の洞穴で生んだ後、柴垣を積んで火をつけました。
「この子らがニニキネの種、天孫族の種ならば無事に火から抜け出よ。もし他の種の子なら火に焼かれよ。我が命も皇子と同じ。我が命、我が子らと神に誓います。」
そして富士山から龍神がやって来て大雨を降らせ、火を消してくれたのです。煙が立って姫のいる場所が分かり、駆け付けた者たちにより三人の子と姫は無事に救出されたそうです。
ニニキネとサクヤ姫との愛の証は和歌のやり取りでした。
和歌は心の疑いも、魔も避けてくれる、消し去らせてくれる数字の魔法が込められているのでしょう。
五七の数字には男女の結び、和合の秘密が隠されているようです。
男の子の数字は「五」。だから今でも男の子が生まれると5月5日の端午の節句をします。
女の子の数字は「七」。今では祝いの儀式は七夕となってしまいましたが、女の子のお祝いは七歳までですね。実はこの「七」という数字は男性の数の「五」より「二つ」多い「七」が本来の数です。
では男の子も女の子も初めの三歳のお祝いの「三」はどうなってしまったのでしょう。
この「三」という数字には、男女の結びという意味、婚姻、結婚という意味があります。今は子供のお祝いになってしまいましたが・・・まあ、間違いではないでしょうね。婚姻して結ばれて子供が生まれるのですから。
貴船神社には、このように「本当の男女の結び」がキーワードです。
ニニキネは豊玉姫に言いました。三氣(みいき)についてでした。
「あなたは我が息子・ホヲデミと会う事を拒んだね。しかしこれは、産後のひだちを考えてのこと。これは母親として素晴らしい行動なのだよ。悪いのは我が息子・ホヲデミの方だよ。見てはいけないと周囲が止めたのに、それに従えわなかったから。悪いのはあなたではない。」
「また、あなたは果敢にも荒れた海を泳ぎ切った。たとえ人があなたのこと男勝りのようだ、女には泳ぎ切れないと噂されてもだ。
それはとっさの母親としてのとっさの判断。絶対に子供を守らなければと必死に岸にたどり着いた。
普通なら溺れて海の底だっただろう。しかしあなたは「地氣」(はいき)を知っていたのですよ。地氣とは地上における経験を積み、勇気ある行いができること。母親が子供を必死に守ることもこれに当たる。
あなたはこの地氣を知っていたから親子の命が助かったのだ。」
「またあなたは、世間のあざけりを逃れました。それはこのようなことを理解出来ない世間から皇后という立場を考えて、あえて都に戻ることをしなかった。
これは同時に夫であり新しい天皇として立ったばかりのホヲデミの立場を考えてのこと。これは「天氣」(あいき)を知っていたから出来た行動なのだよ。」
しかし、今一つ、あなたはまだ知らない氣がある。それは伊勢の道(夫婦和合の道)である。それは左右対称である一対の葵と桂の葉のように、あなたは夫婦の道を欠いてはいませんか。世を捨てて地と天の氣を知っても、人の道を欠いてはいませんか?」
続けてニニキネは葵と桂の葉を用いて、豊玉姫に説明なさいました。
「葵の葉も桂の葉も、どちらも左右対称の双葉であるからこそ葵であり桂なのですよ。双葉であることに意味があります。
そして夫婦というものはお互いに良く似ています。この葵と桂の双葉もとても良く似ています。
でも双方は似ていても違う品種なのです。夫婦というのは同じように見えても違うもの。
しかし互いに助け合い、尊敬し合うものですよ。
葵と桂の葉のように「伊勢の道」を得れば、「人氣」(ひといき)を悟ることになります。この氣は、相手の気持ちを悟ることが出来ることを指します。」
ニニキネは続けました。
「竜が君になるごとく、人が神になるには、今から申し上げるこれらの三つの氣、「三氣」(みいき)を知らなければなりません。
三氣(みいき)とは、天氣(あいき)、地氣(はいき)、そして人氣(ひといき)です。
姫、あなたには後一つ足りないだけなのです。ですから神となるためにそろそろ君の待つ宮に帰りましょう。」
う~、ニニキネどの!!なんて素晴らしい言葉ではないですか!!
こんな義理の父がいたらなんて幸せなんだろう。
ニニキネは「天・地・人」の心を伝えたのです。
人にはとっさに働く知恵に沿った行動が出来ると言います。これを「機知」(きち)といいます。(地氣)
また、人の噂やいじめに耐え抜く強い意志を持てます。この耐え難いことも、誰かを守るためなら出来ます。(天氣)
そして、最後は陰陽和合の心を知ることです。(人氣)
陽は男性性、陰は女性性ですが、どちらも性質は異なっていても、同じ形、つまり同じ「人」なのです。
大勢の人同士の中から、たまたま出会った二人が、たまたまタイミングが合い、互いの先祖同士が認め合って、神仏のご縁で結ばれたのだとしたら、その縁は生涯にわたり大切にしなくてはならない。
離婚経験者の私が言えた義理ではありませんが、離婚はいけないことではないと思います。
婚姻関係を続けるためには、人には見えない条件があるようです。
互いの先祖同士が認めなければ、神仏の加護が無ければ、別れずに一緒にいることは、この先に結ばれるべき人との縁まで拒絶することになるからです。
ホヲデミは側室ではあるものの、イソヨリ姫と離縁し、本当に結ばれるべき相手(カモタケスミ)と一緒にさせてあげました。こうして玉依姫が生まれたのですから。
ホヲデミもまた、夫婦の在り方を知ったのでしょう。
※結社になぜ磐長姫命(いわながひめのみこと)が祀られているのか、についての私の考えをお伝えします。
以前は磐長姫命はハヤコ姫(ハタレ根の原因を作った天照大御神の側室)の生まれ変わりだから、ハヤコの霊を慰めている可能性を感じていましたが、ニニキネとサクヤ姫との間に、「伊勢の道」(夫婦の道)に対してニニキネの疑いの心がサクヤ姫の女性の清らかな心を傷つけたのだと知ってから、なぜ磐長姫命が貴船神社の結社に祀られているのか、分かった気がしました。
結社(ゆいのやしろ)のご祭神は、結びの神を祀っています。つまり、磐長姫命という存在が無ければ、ニニキネのサクヤ姫への愛を知ることが出来なかったのではないかと思います。
それは磐長姫命がサクヤ姫に嫉妬してニニキネを取り込もうとしたのだとしたらですが。
『ほつまつたゑ』にもそう書かれていますね。たとえそうだとしても、磐長姫命は二人を切れない糸で堅く結び付けてくれた存在だったのは確かです。
私には磐長姫命=ハヤコだとは思えないのです。何かの罠があってそうなってしまったのかもしれません。磐長姫命が悪のように書かれていますが本当に嫉妬深い悪女なのでしょうか?
現実に、大山阿夫利神社では妹・サクヤ姫と姉・磐長姫命と父・大山祇が仲良く祀られているのです。
もしかすると、ハヤコを悪女に仕立てて、時代が進んでもなおハヤコの恨みが消えずに、ニニキネの時代に合わせて磐長姫命として生まれ変わってきたように見せかけたのでしょうか。
10年以上前、長野県堺にある浅間山に登った時、きれいな女神が目の前に立たれてこういわれました。何十もの着物の色は基本的にオレンジ色でした。太陽の色を感じました。
「私は醜くなんかありません。」
この言葉が磐長姫命だったのでしょうか。それとも私は幻想をみたのでしょうか。
今後、磐長姫命についても解明したいと思っています。(新興宗教での磐長姫命ではなく、古代の時代の磐長姫命を追求して行きたいなあと思っています。)
きっと貴船神社の結社の磐長姫命は、本当の男女の縁を繋いでくださるお役目なのかもしれませんね。
このように貴船神社には、角宿にとって必要な守り神が揃っています。
是非一度、川床料理も楽しみながら訪れてはいかがでしょうか。
また近くには「鞍馬寺(くらまでら)」もあります。
神社とお寺は陰陽の関係で一つです。
鞍馬寺の本尊は「尊天」だそうです。尊天とは三位一体のご本尊を指し、中央に毘沙門天(光の象徴である太陽の精霊)、向かって右に千手観世(愛の象徴である月輪の精霊)、左には護法魔王尊(力の象徴である大地・地球の霊王)が安置され、これらの三身一体として「尊天」と称しているそうです。
ニニキネの諭である「天・地・人」の氣と同じですよね。
ご神体である鞍馬山は、山の精霊でもある天狗も住んでいるといいます。
鞍馬に住む大天狗は僧正坊と呼ばれる最高位のものであり、また鞍馬山は天狗にとって最高位の山のひとつであるとされています。
また、尊天とは「すべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギー」だそうです。
貴船神社は水の神としての高龗神(たかおかみのかみ)、そして陰陽の本質を悟ることが出来る神が鎮座なさっています。
鞍馬寺にはすべての生命の根源を感じ取ることが出来る場所です。
角宿にとって神仏の加護は一番欲しい宿ですから、京都最強のパワースポットであるこの二社 に足を運んでみてはいかがでしょう。
鞍馬寺にはケーブルカーも出ています。体力を過信せず、無理をせずにお参りしてくださいね。神様はケーブルカーに乗ったから耳を貸さないなんて心の狭い方ではないですから。
私も最近では無理せずに楽に行ける文明の利器は使ってますよ~
今回も神様たちのお名前がたくさん出て来て、本当にすみません。。。
ニニキネさんのお言葉だけでも心に刻んで頂いたら、夫婦やご家庭にも輪が出来るのでないでしょうか。
京都の葵祭りも貴船神社という場所で起きた男と女神の夫婦愛を由来としているのですから、角宿以外の方にも、「貴船神社へ」お参りすればきっと、いえ絶対に運命の相手と出会い、結ばれるはずです!(私からでは説得力ゼロかなあ)