こんばんは
水結です
いつもお読みいただきありがとうございます


今日の話しはかなりマニアックな内容ですが
よかったらお付き合いくださいませ




ようやっと師匠に教えを乞うことができなかった部分が見つかり
私の鑑定も完成に近づいてきました

師匠がいなかったからこそが原動力になり
師匠ができなかったことを弟子が成す

その時に師匠の本当がわかる

何故ならば

自分を越えて『よくぞここまでになった』というか
自分を越えられて『自分の技を奪いやがって!』と罵るか


本物の師とは弟子が己を越えて称賛を浴びる
だけれどもそれはそもそも目的ではない
まだその先に遥かな目的があり憂いがない

それが出来なくて弟子や生徒を持っているのは
ただその人達のエネルギーを喰らう陰陽師の時代でいえば『魑魅魍魎』や『鬼』だろう


自分の保身に走ると
いつの間にか運勢の下りエスカレーターに乗っていることすら気づかない


人の成長は我が成長
弟子がいて、生徒がいて、子供がいて成長できる

それは面倒で不自由で思うままにならない
その中の成長という種をどのように育てていくか


                     



自分が棺に入る時に『素晴らしい人に育てた』と言われるほど誇らしくはないだろうか


それくらい自他の成長は長い目で視ること




中学生の職場体験の感想




考えてないようで実はものすごく考えている

彼らの成長するフィールドを活躍する場を奪わないように、狭めないように
広々と雄大に育つように


そう祈り願います



お読みいただきありがとうございました