もうすぐ新学期です。ピカピカの一年生の時期ですね。
そして先日、大学に進学した子を見送りながら「なぜ学ぶのか」などと、柄にもない事を考えおりました。
宿題をやりたくない子が
「なんで勉強なんかしなければいけないの?」
と親に問いかけるのはよくある光景ですね。しかし今ならそれに明確に答えられます。それは、自分の将来の可能性を広げるためです。
大人になってどんな職業に就くかはわからないけれど、何かに憧れや興味を持ち、その道に進みたいと思った時、それにチャレンジできるかどうかは、今までの学習の蓄積で決まります。
例えば私は、将来理系に進むのは間違いないと思ったから工業高校を選びました。しかし洋楽が大好きになって、英語の歌を聞いている時に、大学で英語を学びたいと言う気持ちが芽生えたのですね。しかし残念ながら工業高校では英語に重きを置いておらず、圧倒的にその分野が学力不足だったのです。そのためそう思った時に、英語を学ぶと言う選択はできませんでした。
どんな事にもチャレンジできる土台を作っておくと言うのは、子どもにとって可能性を広げるため大切な事なのでしょうね。勉強のゴールはテストや入試などではなく、なりたいものになると言う事ですね。
それでは大人にとっての学びはどうでしょう?以前、知人が、人生で数学や古典が役に立っていない事をあげ
「人生で一度も使わなかったものは、学ぶ意味が無かった」
との持論を展開しておりました。あまりに狭量な考えなので、反論さえしませんでしたが心の中で、同じ事を自分の子どもが言ったら賛同するのか?と思いました。
確かに大人になって三角関数を使う人は少ないですが、物事を論理的に説明する基礎となるものが数学です。日本のルーツを知り、自身の日本語を豊かにするのが古典です。
仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌
人間の徳には8つの要素があると言われています(八犬伝で有名ですね)その中の「智」についてこう書かれています。
智…正しい判断を下せる能力。正しく豊富な知識と経験、洞察力が 加わったものが智慧
言うまでもありませんが知識は意味のないうんちくではなく、生きていく上で正しい判断をするための重要な材料です。
「学ぶ意味がなかった」と宣う(のたまう)その人は、智だけに留まらず、礼においても仁においても未熟でした。しかし智が欠けているから、本人はその事にさえ気づかないのでしょう。
人としての徳を積むため、大人になっても、学ぶ事は続けないといけないと思うのでした。