このブログの読者様なら、

私がアドラー〇チガイなのはご存知だと思う

マスターがアドラーに出会ったのは

大学2年である。

いつも若いマスターがさらに若かったのだ。

当時は高血圧に悩んだり、

腰が痛かったり、

抜け毛に悩んだりしてない。

今でも悩んでねえよ!抜けてるんじゃない!

毛が細いだけなの!


  アドラー心理学とは

アドラーはフロイトと共同研究したが、

心理学の方向を大きく変えることになった、

オーストリアの学者である。


フロイトのスタンスは

「全人類に共通の悩みがある。

それは〇ックスシタイことである」

というもので、

のちにマチズモと呼ばれる男性主導社会の

基礎的な考え方になっている。

アドラーは違う。

悩みとは千差万別、各家庭で違うものだ。とし、

彼が臨床心理学=カウンセリングをはじめた

また、児童心理学、児童精神医学を創始した。


終戦の混乱から
新しいオーストリアの建設が目指される中で、
アドラーは生涯でただ1度だけ
政治活動に関わることになった。
ウィーン1区の労働者委員に就任して
教育改革に従事し、その一環として
1922年児童相談所を設立している。
1920年代にはアドラーは、
教育、医学、心理学、ソーシャル・ワークなどを
含む学際的な努力を通じて、
子どもたちの精神的な健康のために
革新的な考えを持つ心理学者として
知られるようになっていた。
アドラーは親や教師を含む
多くの非専門家の聴衆に対して
精神医学や心理学の知識を伝えていった。

したがって、
アドラーは児童精神医学・心理学では
通過せざるを得ないのだ。
え?マスター理学部じゃねえかって?
私にとってすべての学問は趣味です。
※真剣に学部転向も考えたけどな

ではアドラーの本質とは?

  褒めない。「勇気づける」

褒める育児と言われてから久しいが、

どうも「褒める」意味がわからず、

褒め方を知らん人が親に増えた。

かつては親戚のおじさんが褒めてくれた。

「クラス上がったんだって?」と言いながら、

駄賃をくれたりした。

いまいる?そういう人。

てことで、褒められた経験のない親は

褒め方を知らないのである。

※ちなみに重度の児童虐待親は

褒めると良くないってよくいうじゃないですか。

と偏差値25の子どもを罵倒し続けていた


さて「勇気づけ」ってなによ


  「嫌われる勇気」はベストセラー

この本は買って読んだけど、

極めて簡単な入門書であり、

児童や教育に使えるというよりは、

私が私を慰めるための本である。

この本を読むと無理して好かれなくていいんだ

ということがわかるようにしてあるから、

「嫌われる勇気」というタイトルなのだ。


中学受験生向けのアドラー本なら


コーチングの始まりが勇気づけ。

それは現在の肯定から始まる。


  「へぇ、こんな難しいのやるんだ」

この何気ない感想を聞いた

子どもはどんな顔をするだろうか。

「そうだよ、ぼくすごいことやってるんだ!」

という顔をする。

さらにうわ、これ解けないなというと、

自分も解けないくせにドヤ顔である。

でもこの状況から得るものがある。

別に子どもが解けてなくても構わない。

すごいことに取り組んでるね、という

現在の肯定をしているだけなのだ。

でもやる気がでる。

一言、えらいなーと加えたら、

デザート追加である。


  ここにいてもいいの?

子どもというのは成長するほど考える。

ここにいてもいいのか。

この人の子どもでいてもいいのか。

僕の本当の親なんだろうか。

典型的な中間反抗期の10歳はこれに悩む。

あなたにも

覚えはないだろうか。

こういう状態に置かれた、

小学校中学年以上は承認欲求の塊である。

だから、私が素直におどろくだけで、

90分のうちに楽しかった!またやりたい

勉強を自分からやりたいと言い出す。


さほど珍しいことしてない。

周りがいつのまにか辞めてることを

私は毎回新鮮な気持ちで驚いてるだけだ

なぜなら成長を毎日見てない。

前回より7日背が伸びた。

ずいぶん伸びたね!これだけだ。


さて

新学年を迎える中学受験生の保護者さん

もう一度、子どもたちとの

向き合い方を見直してみませんか?


「嫌われる勇気」。

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©️お受験のお医者さん