蒙古襲来にゆかりのある福岡市と、長崎県の松浦、壱岐、対馬の3市は「元寇スタンプラリー」を2024年1月31日まで実施しています。人気の歴史漫画「アンゴルモア 元寇合戦記」(KADOKAWA)とのコラボ企画で、スタンプをそろえると限定描き下ろしの絵はがきなどがもらえます。


鎌倉はなぜ滅びたのか。

意外や多くの人が知らない。

なのでまとめておこうと思ったら、

先にモンゴルについて

補説しないといけなくなった。

だから元寇のお話。


  モンゴル帝国

本来、

騎馬民族であるモンゴルは陸軍国である。

ここを忘れてはいけない。

つまり、無敵の、歩兵、軽騎兵、重騎兵の

軍団兵制を海ではとれないのだ。

そんな中、ユーラシア大陸において

長い期間にほうぼうに攻め込んでいった。

元というか、

モンゴルの政府制度を

理解しないとわからないかもしれない。


  モンゴルの治世

彼らは大軍を街に置かない。

1 現地人を捕虜にする

2 見せしめに何人か殺す

3 抵抗諦めたやつを捕虜にして通訳や

技術者として知らない武器を作らせる。

これの繰り返し。


こうして投石器などの技術者を集めた


また他には、攻撃や防御に当たる部隊が、

即座に利用できたものを投げつけた。

風変わりな投射物としては、

腐敗した動物や人間の死体、とくに頭部など、

脅迫や士気喪失、

または防御側に疫病を蔓延させるために用いられた。

この戦術は効果があった。

攻城戦において、

防御側は城内に閉じこもることになるため、

食料の補給は不十分になりがちで

劣化・腐敗しやすく、

狭隘な居住空間も相まって

衛生状態も劣悪であった。

こういった状態で腐敗した死体を投げ込むことは、

有害な小動物の加勢も得て

防御側に疫病を蔓延させるにあたって

理想的な手段であった。



これによって広まった病の一つが、

モンゴルに住むテンジクネズミの持つ病、

ペストである。

第二のパンデミックは、
西暦1331年-1855年
おそらくは末の中国から
中央アジア、地中海、ヨーロッパへと
広がった流行で、
しばしば「黒死病」と称される[3]


そんなわけで大軍に包囲されると、

疫病起きたりで割とあっさり落ちる。

ここまではそれまでの戦争と変わらない。

違うのは金出せば手は出さないを貫いた。

この徹底がすごい。

そうなると金だけ渡せばいいかなで金を出す。

で、従属したら次の街に行く。

5人だけ置いていく。

これがポイントで、内訳は

1 モンゴル人知事

2 漢人書記官←あとで大切になる

3 通訳

4 護衛A

5 護衛B

これだけ。


こうなると当たり前だが、

ヤンチャな若者がたった5人だから

殺してしまう。

すると地平線の彼方から手紙が途絶えたという

理由で移動式家屋「パオ」を担いだ、

女房子ども連れた大軍団が来る。

彼らの目的は奪還ではない。

駆逐である。


こいつらはもはや税を取り立てたりしない。

街を完全に燃やし、破壊し、全滅させる。

まあ、女は生き残ることもあるんだけども。

しかし市民権はないと思った方がいい。


この繰り返しでひたすらに拡大を続けられたのは

遊牧騎馬民族であるので、

地球の平野は俺の平野

という概念であったのが大きい。

彼らには土地の所有という概念がなく、

財産は兄弟に分割相続させる。

日本は長子一括土地相続だろ?

ここが全然違うのだ。

なぜなら農地は分割すると小さくなるが、

羊や馬は分け与えられるから。

だからチンギスは息子たちに等しく分けた。


で、こうなる。

後世の受験生の頭痛の種である。


  モンゴル帝国の影響

これが割と大きくて、

アレキサンダー時代以降、ローマあたりしか

西洋はインドより東を知らなかった。

これをシルクロードとして統一し、

中国から製紙法、火薬、磁石

イスラムにもたらされ、

のちにイスラムからヨーロッパに伝わって、

宗教改革産業革命につながった。


さてそれ以外にも

モンゴルがのこしたものを話しておこう。

ソビエト 政治のトップが書記長

なぜスターリンは強大な権力を持ち得たか。

それはすべての行政命令

党書記長が管轄するからだ

書類一枚で嫌なやつを左遷、

書類一枚で処刑、

法律起草するから有利な業界が生まれる。

そう、これらはモンゴル帝国

東ヨーロッパ世界にもたらしたものなのである。

だからソビエトはじめとして北朝鮮でも

党書記長が最高権力者になる。

民主主義では考えられないことである。

とはいえ、民主主義も

国家社会主義労働者党を産んでるので、

人のこと言えない。

ましてや大日本帝国なんて

軍部が勝手に動いてたからな、満洲国。


ほかにも

インドアフガニスタン中東などの

旧弊国家を打倒して、再統一させた。

十字軍と和平を成立させたアッバース朝の

バグダードも虐殺されて、

貴重な書物が失われた。

ここで台頭したのがオスマントルコ


さらに東ヨーロッパの中世も終わらせた。

レグニッツァの戦い、

またはワールシュタットの戦いと呼ばれる。

ここで台頭したのがポーランド公国である。

彼らはモンゴルに学んで、

新兵種、フサリア(有翼重騎兵)を産んだ。

これが後に、コサック騎兵となる。

コサックの時代には小銃装備は標準。


そう、日露戦争にて秋山好古が戦った、

ウクライナ・コサックとは

3度目の元寇でもあった。


さてこれで日本における元寇の話ができるぞ、と


©️お受験のお医者さん