私たちが当たり前のように使っている、鉄。

なぜ鉄はあらゆるものに使われるのだろう?

「鉄は産業のコメ」と呼ばれた時期もあり、

日本では長らく主力であった。

とはいえ、近年は中韓の技術が上がってきており

鉄の優位性は失われつつある。

今回は鉄の歴史をさかのぼろうと思う。



  現代の鉄

鉄は非常に錆びやすい。

このため錆びない工夫が必要だ。

まずこれである。

ステンレス合金だ。

まあこの辺一回金属の話で触れているけど、

大事なのはステンレスは

とクロムとニッケルの合金で、

表面が削れても空気中の酸素と反応して自己修復する。

だが錆びる釘や

空き缶置くと錆が伝達するので注意。

最近ではアモルファス合金も活躍している。

本来は金属結合は同一原子で結合するところ、

あえてめちゃくちゃにすることで磁性だったり

錆びにくさだったり、壊れにくさを得る。


ところでなぜ鉄を使うのだろう。

くっそ錆びやすいのに。



  鉄の立ち位置

鉄が特殊なのはこの点がおおきい。

星の内部では自身の重力のため、

熱核融合が行われる。

ヘリウム4が2つ集まるとベリリウム8が合成されるが、

これは不安定であり、すぐに崩壊してしまう。

しかしながら、恒星内部にヘリウム4が蓄積され、

十分大きな密度と温度になると

ベリリウム8が崩壊するまでのわずかな間にヘリウム4が融合して炭素12が合成される(トリプルアルファ反応)。

この炭素12は安定である。

炭素12とヘリウム4の融合は酸素16を、

酸素16同士の融合はケイ素28とヘリウム4を合成する。

このように炭素12の合成により、

その後の核反応プロセスが続いていくことが可能になる。

恒星の内部ではこれ以外にも

幾つかの過程を経て鉄56までの軽い核種が出来る。

鉄56とケイ素28は全核種の中で最も安定な核種であり、

恒星の内部ではこれ以上に重い核種は合成されない。


というわけで、

核融合すると最終的にもっとも安定するのが鉄なのだ

つうわけで宇宙全体では極端におおい。

ほら

水素とヘリウムはともかく、

他と比べて異常に鉄だけ多いだろ?

だから我々は

もっとも身近な金属として鉄を利用するわけだ。

ではその利用の歴史を見ていこう。



  空にそびえるクロガネの城

というわけで、鉄をクロガネという。

なぜか。


ほら、黒いだろ?

4酸化3鉄という。Fe3O4である。

これは磁鉄鉱とも言われる。

黒錆は水とではなく、

熱を帯びた状態で酸素と化合してできる。

だからできたばかりの蒸気機関車は

焼かれて黒くなるのだ。

すると錆びないよう、

黒皮が生まれて内部を保護してくれる。


  鉄といえば

日本における鉄の利用の

最たるものは日本刀である。

例えばこの国宝・童子切安綱。

国宝:童子切(どうじぎり)安綱
区分:太刀/刃長80cm (東京国立博物館所蔵)
足利将軍家から豊臣秀吉、徳川家康、徳川秀忠、松平忠直に継承され、越前松平家の高田藩から津山藩に継承された。

秀吉から家康へと伝わった刀だが、

清和源氏の渡辺綱が酒呑童子を切ったとされる

故に童子切。安綱は作った人。

日本刀はこのようにして作られる。


簡単に言うと鉄と炭素の合金で、

芯鉄は荒れにくく硬いが、

外側はむしろ柔らかく弾性に富む。

この刀が生まれたのは平安時代であり、

鎌倉時代には北宋に輸出もしていた。

そこで中国では欧陽脩により日本刀歌という

漢詩が作られた。


昆夷の国は遠い所にあり、行き来も出来ない。

世に昆吾刀という

玉をも切る事が出来る名刀があることを伝えているが、

誰も確かめた者は居ない。

ところが最近宝刀が日本の国より出てきた。

越の商人がこれを青海原の東に求めてきたが、

それは香木の鞘に鮫の皮が貼ってあり、

真鍮と白銅を取り混ぜて飾ってある。

【真鍮は金によく似ており、白銅は銀によく似ている】

百金という大金を払って好き者の手に入った。

佩用していると悪魔を払ってくれるという。

伝え聞くところによると日本の国は大きな島であり、

土地は沃えて風俗は好い。

その昔徐福は秦の始皇帝に仙薬を取ると偽って、

童男童女五百人余を率いて日本国に渡ったが、

久しく滞留して皆年を取ってしまった。

多くの工人や農民達がこれと共に残って、

今に至るまで器物は皆精巧である。

日本国は前朝である唐の時代には

貢物を献じてきて屡行き来していた。

日本の地位のある人達

は往々にしてや文章を作るのに巧みである。

徐福が行ったときにはまだ焚書が行われていなかったので、

中国では失われてしまった。

孔子が書いた(書経)百篇が今なお日本に存在している。

法令が厳しくて中国に伝える事が許されていない。

このため今の世の中の全ての人達は古文を知る事がない。

孔子の(書経)は異民族の国にある。

青海原は果てしもなく遠く、

港にたどり着くことも出来ない。

空しく人をして嘆かせひとりでに涙が流れてくる。

之を思うと錆びた短刀など

なんで古文に代えることが出来ようか。


と、昔の中国スゲーと言いたいだけなのだが

この時、日本刀という言葉ができた。

では日本刀自体はいつできたのか。



  日本刀のルーツ

日本刀は二つの性質がある。

曲がっている曲刀であること。

刺すことができること。だ

もともとヤマト王権にはなかった。

こっちは直剣である。

発端は坂上田村麻呂、日本初の征夷大将軍。

彼と戦った東夷の武器がこれ。、

ワラビのように丸まっているので

蕨手刀(ワラビテトウ)とよぶ。

正確に言うと曲刀ではない。

持ち手が折れ曲がっている。なんのためだろう?

それは馬に乗った時にわかる。

馬に乗って人を切るときは刺すより薙ぎ払う。

すると角度がついてるほうが振りやすいのだ。

この時、ヤマト朝廷は騎馬と曲刀を知った。

武士が生まれたのである。


  本来の武士は重装弓騎兵

左手を弓手(ゆんで)右手を馬手(めて)と言う。

つまり武士とは本来馬に乗って和弓を撃つ兵隊であった。

だから今川義元徳川家康

「東海一の弓取り」と言われる。

さてでは歴史上、初めての武士とはだれか?

答えは平将門である。



  奥州藤原氏の金の理由

あなたは疑問に思わないか?

奥州藤原氏は金をたくさん持っていた。

中尊寺金色堂でわかる。

なぜそんなに金があったか。

答えは日本刀と馬を売っていたからだ。

天皇の子孫である千葉県佐倉市生まれの平氏だが

藤原氏全盛期なので出世ができない。

そこで革命を起こそうとしたのが通説である。

発端は平安京から父の死を機に関東に帰ってきた

将門の父親の所領が

伯父の国香良兼に横領されていた。

詳細は不明だが女性問題で揉めたらしい。

そこで源扶(みなもとのたすく)ら三兄弟が殺そうとしたので反撃、

さらに親族である平国香(たいらのくにか)も

敵討ちに出たから将門は殺した。

そんなわけで新兵器・武士により、

千葉、栃木、群馬、埼玉、西東京が陥落して

将門は日本史以来初めて

天皇以外の皇帝、新皇をなのる。

これを討ち取ったのが藤原秀郷。


そんなわけで、

のちに2度とこの反乱を起こさせないように

朝廷は天皇の血族である清和源氏を置いた。


これが利根川側に荘園を構えた新田氏であり

新田義重の四男・義季新田義兼の同母弟)が、

父義重から世良田郷を譲られ、

その地頭になることによって実質的に成立した。


義季は得川郷(現在の太田市徳川町)を

長子の四郎太郎頼有に与え、

世良田郷は次子頼氏に継承させた[注釈 1]


頼氏は世良田弥四郎を称し、

世良田氏の名を興した。

義季は禅寺長楽寺を建立したという。

このとき得川氏が生まれ、世良田氏が生まれた。

彼らは足利方についたので三河本庄に移り住む。

そう、

「どうする?」と言われまくる、

のちの道明寺司である。


©️お受験のお医者さん