通貨は永遠不変か?


日本のお金は日本では通用しますが、

アメリカでは通用しません。

でも

グアムやハワイでは通用ところもあるそうです。

北朝鮮なら通用するかもね。

現在はその国のお金と交換する比率は

毎秒上がったり下がったりします。

これを変動為替相場制といいます。

今回は実際の私たちの生活に何が起こるのか考えてみます。


  固定相場の時代

みなさんのお母さんたちが…。

いや今でも若いんですけど、

もっと若かった頃には

固定相場という仕組みがありました。

1ドル=360円と決められていました。

このため、海外では

日本製品はとても安く買えました。

この時代を高度経済成長期と呼びます。

日本が毎日儲かって仕方がない時代でした。

くわしくはこちら

しかし1973年。

アメリカの産業がこのままではすべて倒産してしまう恐れが出てきたので、

変動為替相場制となりました。

こうして毎日円高や円安って話で、

ニュースの最後に1ドルがいくらです!と流すのです。

このようにドルを基準にするのを

ドル本位制といい、ドルを基軸通貨といいます。

基軸通貨はもっとも安全で安心な国のお金を使います。

インフレやデフレなどがよく起こる不安定な国だと

パン1個でこのくらいお札が必要です。

※写真はジンバブエドル時代の末期


  さらに前の時代、明治

さらに前の時代はアメリカも今のような、

iPhoneやAndroid、Windowsの国ではなく

まだ生まれたての時代がありました。

この頃にはドルが基軸通貨ではありません。

なので、金の値段で決めていました。

カネじゃなくて、キンね。

これを金本位制といいます。

実はこの頃の日本のお札と今のお札は違います。

この頃のお札を兌換紙幣と言います。

一方今のお金は不換紙幣と言います。

何かと交換するものではありません。

パチンコ屋さんの近くにポールペンを

お金に変えてくれるところがありますが、

この質屋さんにとっては

ボールペンは兌換紙幣とおなじです。


  ​さらに前の時代、江戸時代

では江戸時代はどうだったでしょう。

最近は時代劇やりませんから、

みなさんも山吹色の波紋疾走お菓子のことを

知らない人が多いのではないでしょうか?

これが「山吹色のお菓子」です。

だいたい悪い商人が、悪い武士にあげるとてもいえないものです。

当時の言葉ではワイロと呼んでいました。

ワイロはやばいです。

どんなに合格したくてもワイロはだめです。

捕まります。

日本のオリンピックも

たいへんなことになっています。

こんなふうに

江戸時代は山吹色=金色の小判が使われていました

佐渡金山で掘ったやつです。

東日本は佐渡金山の影響で

金の重さで取引をし、

西日本は石見銀山の影響で

銀の重さで取引をしていました。

このときにはコメの値段で取引したので

コメ本位制とも言います。

庶民はお金のことを銭(ゼニ)と呼んでました。

お賽銭などに名前が残ります。





都立中高一貫ではこの計算出たことあるよ?


  お札はいつ生まれたのか

日本で初めてのお札は1600年。

なんとギリギリ安土桃山時代です。

伊勢神宮の人がお釣りとして、

お金と交換する約束のレシートを渡したので

これを持っていれば銀と交換してもらえるので、

紙幣として機能していました。


  硬貨の秘密

いまでもみなさんが使っている、

金属のお金硬貨といいます。

高価な硬貨はこうかな?とかいうと

女の子にすごく睨まれるので思っても

言うのはやめておきましょう

さて江戸時代の小判安土桃山時代の大判などは

金でしたが、

その前の時代へとさかのぼりましょう。

するとこんなふうに昔から

お金には四角い穴が空いていたことがわかります

二つの理由があります。

丸くするために真ん中に棒を通したのと、

もう一つは紐で結ぶと持ち歩きに便利なのです。

この頃の財布は布製でした。

さらに前の時代、日本ではまだ銅が見つからなかったころなどは

中国のお金を使っていました。それがこれです。


外国のお金なので渡来銭(とらいせん)といいます

16世紀末なので

北宋=鎌倉時代から江戸時代まで

使われていたことになります。

さらに追いかけるとこうなります。

はっきりしてることは

和同開珎(わどうかいほう、わどうかいちん)が

記録に残る最初のお金だということです。

秩父に住んだ高麗(こま)郡の高句麗の人たちです

現在の上皇さまも高麗神社にお参りしているわけです。


  ​江戸時代までの税金

基本的には日本はコメ本位制なので、江戸時代が終わるまではお米で税金を納めます。

この仕組みを年貢といい、

納めるコメを年貢米といいます。

この仕組みは豊臣秀吉の太閤検地で全国に広まりました。

また今でも農村ではこの単位が使われます。



こうして誰の土地でいくら納めるのか記録が残るようになりました。

戦国時代の土地争いが本当におわったのはこのときです。


それより前の時代にも税金はありました。

飛鳥時代から奈良時代には

租庸調という、

租…できた作物の何割かを納める

庸…太宰府で兵隊として勤務するかコメ

調…女性が織った布

などを税金として納めていました。


この太宰府の兵隊を防人(さきもり)と言います。

当時の人の歌が残っています。

昔から大変だったのですね。



  それより前

お金がなかった頃は物で納めていました。

取引の仕方は

「キュウリ3本とスイカ1個交換な」

「* おおあなたひどいひと!

わたしにしねといいますか!」

とかやってたみたいです。

交換レートの現在と同じなので

人間は進歩がありませんね

また子安貝は世界的にも多く通貨や宝石代わりになっています。


キイロダカラなどの貝殻は、アフリカ諸国では何世紀にも渡って貨幣貝貨)として用いられてきた。

特に西欧諸国による奴隷貿易に伴い、

モルディブ諸島近海で採集された大量のタカラガイがアフリカに持ち込まれた[2]

現在のガーナの通貨であるセディ(cedi)は、

現地の言葉(Akan)でタカラガイ(の貝殻)を意味する。

最古の貝貨は中国殷王朝時代のもので、

タカラガイの貝殻やそれを模したものが

貨幣として使われていた[3]

国内の通貨としてのみならず、

タカラガイはインドとの交易にも利用された。

漢字の「貝」はタカラガイに由来する象形文字であり

金銭に関係する漢字の多くは部首として貝部を伴う

(ただし、古代中国のタカラガイは貨幣ではなく、

相手の繁栄を願って遣り取りされた宗教的な意味での

贈与物であったとする異説もある[4])。


世界中にいる言葉が違う人たちでも、

貝の価値は同じだなんて、

ちょっとふしぎですね


©️お受験のお医者さん