こちらは保護者様へのアドバイスになります。

お子さんには

お見せにならないことをお勧めします。


都内中学受験は埼玉からはじまります。

埼玉入試は定員を多めに取ると言っても、

どうしてもラインは存在し、

予想を覆す結果もままあります。

また千葉でのチャレンジ、

2月の本命では大きく自信を削られます。


その時、

保護者の方が狼狽える気持ちは

よくわかります。

「え?本番じゃないのに不合格?」

「塾の先生余裕って言ってたのに」

「この程度(失礼)で不合格なら2月は無理よ」

「お隣のあの子は受かったのに」

と正直、保護者の方の方がダメージ大きいです。


でもお子さんの立場になってみましょう。

各種模試はあくまでも自分の塾。

他の学校に行ってもあくまで模試。

人生賭けた博打なんて初めてなんです。

緊張、不安、不慣れな教室。

一流スポーツ選手でも

空気に飲まれることは多いのです。


その中で激流に耐えながら

前へ前へと進んだ我が子を誇ってください。

彼はそれでも前へ進んだのです。


志望校ではないのなら、

余計に不合格は早めに経験すべきです。


そこから立ち上がることが

何より大切なのですから。

以下はテキサス大学アメフト部

ロングホーンチーム監督、

ダレル・ロワイヤルの手紙です。



~親愛なるロングホーン諸君~

打ち負かされること自体は

何も恥じるべきことではない。

打ち負かされたまま、
立ち上がろうとせずにいることが
恥ずべきことなのである。

ここに、人生で数多くの敗北を

経験しながらも、その敗北から

這い上がる勇気を持ち続けた
偉大な男の歴史を紹介しよう。

 1832年 失業

 1832年 州議選に落選

 1833年 事業倒産

 1834年 州議会議員に当選

 1835年 婚約者死亡

 1836年 神経衰弱罹病

 1838年 州議会議長落選

 1845年 下院議員指名投票で敗北

 1846年 下院議員当選

 1848年 下院議員再選ならず

 1849年 国土庁調査官を拒否される

 1854年 上院議員落選

 1856年 副大統領指名投票で敗北

 1858年 上院議員、再度落選

 

そして1860年、
アブラハム・リンカーンは
米国大統領に選出された。

諸君も三軍でシーズンを迎え、
六軍に落ちることがあるかもしれない。

一軍で始まり、四軍となるかもしれない。
諸君が常に自問自答すべきことは、
打ちのめされた後、自分は
何をしようとしているのか、
ということである。

 不平を言って情けなく思うだけか、

それとも闘志を燃やし再び立ち向かって
いくのか、ということである。

 今秋、競技場でプレーする諸君の

誰もが、必ず一度や二度の
屈辱を味わうだろう。

今まで打ちのめされたことがない

選手など、かつて存在したことはない。

ただし、一流選手はあらゆる努力を払い、
速やかに立ち上がろうと努める。
並の選手は立ち上がるのが少しばかり遅い。

そして敗者はいつまでもグラウンドに
横たわったままである。 

 ~ダレル・ロイヤル~


保護者のみなさん

最初に立ち上がるのは

あなたたちです。